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四章
竟(つい)の記憶5
俺は覚悟していた。数えきれないほど、何度も何度もこの瞬間を想像し、覚悟を決めたはずだった。
だが。
岩に寄りかかり、足を投げ出している。
風に揺れる木漏れ日が、その肌に影を落としていた。
だらりと動かない腕の周りに、わんわんと音を立てて群がる虫たち。
確かに――――それはたしかに、忠頼であったなにかだった。
だがそれ以上の感想がなぜかうかばない。俺の思考はとまったままだった。
俺はおもむろに、力なく下がった忠頼の腕を持ち上げた。籠手がぐっしょりと血にぬれて、腕はほとんど、皮一枚でつながっている状態だ。
鎧を身に着けているため、はっきりとは分からなかったが、腹に一か所、右肩に一か所、足に二か所。刺し傷や裂傷があった。
――なぜ相手は首を取らなかったのだろうか。
もしかすると、忠頼と五郎兵衛は森の中から敵兵を狙撃していた忠頼たちは、すでにひどく負傷していたのかもしれない。
そこを敵兵に襲われ、五郎兵衛が決死の覚悟で敵兵を忠頼から引き離した――
この一連のことを考えている間、俺の心はここではないどこかにあった。
「……だ……より」
その身体が持っていた名が、口からまろび出る。
俺はその身体の前に膝まづいた。少し開いている目に触れ、そっと、瞼を閉じる。
俺は、忠頼の頬を這う小さな虫を払いのけた。無駄だとは知りつつも、首当てを外し脈取ろうとする。
その瞬間、俺の息が止まった。
右の首筋に、深い傷があった。
まだ生なましい血の色は、今の今まで、この体が生きていたことを物語っているようだった。
風が吹き、さわさわと辺りの気がなびく。草木が揺れ、百合の匂いがした。重く、むせかえるような匂いだ。
――そうだ。
はっとして、俺は、忠頼を振り向いた。
――そうだ、首だ。
俺は忠頼の首を持って帰らなければならない。そうしないと首は奪われて晒される。そんな酷いことはさせられない。五郎兵衛だってそうだ。
俺は忠頼の遺体の前に、ふたたび向きなおった。あふれる気持ちをぐっと飲み込み、頬に手を添え、首元に短刀をあてがう。
俺は震える手をぐっと握りなおし、その姿勢のまま、ちらりと視線を上げた。
睫毛が落とす影があった。
眉が。
唇の形が。
腕が。
手足が。
全身で俺に触れてくれた身体が、そこにはあった。
ふいに、俺は何も考えられなくなる。
俺は忠頼の胸に顔を埋める。血の匂いに混じって、忠頼の匂いがした。
「……っ、……ぁ」
身体が勝手に震え、慟哭する。
――どうして、俺を先に死なせてくれなかったんだ。
その時だった。
ふいに、背後で、どさりと音がした。
咄嗟に振り向き、低く構える。と、そこには、一尺ほどの、折れた枝が落ちていた。俺は辺りを見回し、上を見た。
――誰もいない。
俺はぼんやりと、あたりを見回した。折れた枝が、上に引っかかっていて、それが落ちただけのようだった。
俺は折れた枝を見る。切り口は瑞々しく、白っぽい。
ヤブサメの高い声が、頭の奥に響く。
俺は再び、忠頼の身体を振り返る。
少し低い姿勢から、忠頼を見た時、俺はふと、あることに気が付いた。
「……」
俺は忠頼の傍に寄り、忠頼の口元に、するりと手を添わせた。
その口元は、穏やかに弧を描いているように見えた。
その時、おれはやっと、忠頼の気持ちが、すこしだけ分かった気がした。
気持ちは言葉にならず、涙となって、ぼろぼろと零れ落ちる。
その時だった。
俺は気配を感じ、弾かれたように身を低くした。
すぐに頭上で、風を切る音がした。全身がぞわりと粟立つ。俺は辺りをうかがった。右側から、誰かが近づいてくるのがわかった。
――隠れなければ。
そう思った矢先、ふいに、足に灼けるような痛みを感じ、俺は脚を見た。矢が腿を掠っていた。俺は舌打ちをする。
――俺は、馬鹿か。
俺は身を低くしたまま、背に岩を張り付けるようにして、敵と反対方向に移動しだした。
しかしその時、ふいに、 忠頼の身体が動いたように見えた。
俺ははっとしてそちらに目を遣る。
見ると、忠頼の腹に、矢が刺さっていた。
「――っ……」
身を切られるような苦しさと憎悪とで、俺の臓腑が捩れる。
――こいつら。あとで、ぜったい殺してやる――。
と、そう思った時、俺の視界がぐらりと歪んだ。
――毒か。
俺はそれが、さっき足に受けた矢のせいだと、咄嗟に理解する。
――くそ。
霞む視界の中、俺は必死に目を凝らした。
すぐに目の前に姿を現した者たちは、山賊のようにも、落ち武者狩りの村人のようにも見えた。
敵兵ではない、ということが、一瞬だけ俺の気持ちを落ち着かせた。でも、そんなことはどうでもよかった。
――ばかだ、俺は――。
そう思いながらも、俺は消えゆく意識の中で、ずっと忠頼の姿を見つめていた。
何度も俺に触れてくれた、その指に。
俺が、解れたのをいつも直していた、その髪に。
何度も頬を擦りつけ、唇を落とした、その首筋に。
――もう一度だけ。
俺は、忠頼の身体に手を伸ばす。
指の先だけでもいい。忠頼の肌に触れたかった。
だが、そんな俺の願いをあざ笑うかのように、俺の意識はふっと消えた。
だが。
岩に寄りかかり、足を投げ出している。
風に揺れる木漏れ日が、その肌に影を落としていた。
だらりと動かない腕の周りに、わんわんと音を立てて群がる虫たち。
確かに――――それはたしかに、忠頼であったなにかだった。
だがそれ以上の感想がなぜかうかばない。俺の思考はとまったままだった。
俺はおもむろに、力なく下がった忠頼の腕を持ち上げた。籠手がぐっしょりと血にぬれて、腕はほとんど、皮一枚でつながっている状態だ。
鎧を身に着けているため、はっきりとは分からなかったが、腹に一か所、右肩に一か所、足に二か所。刺し傷や裂傷があった。
――なぜ相手は首を取らなかったのだろうか。
もしかすると、忠頼と五郎兵衛は森の中から敵兵を狙撃していた忠頼たちは、すでにひどく負傷していたのかもしれない。
そこを敵兵に襲われ、五郎兵衛が決死の覚悟で敵兵を忠頼から引き離した――
この一連のことを考えている間、俺の心はここではないどこかにあった。
「……だ……より」
その身体が持っていた名が、口からまろび出る。
俺はその身体の前に膝まづいた。少し開いている目に触れ、そっと、瞼を閉じる。
俺は、忠頼の頬を這う小さな虫を払いのけた。無駄だとは知りつつも、首当てを外し脈取ろうとする。
その瞬間、俺の息が止まった。
右の首筋に、深い傷があった。
まだ生なましい血の色は、今の今まで、この体が生きていたことを物語っているようだった。
風が吹き、さわさわと辺りの気がなびく。草木が揺れ、百合の匂いがした。重く、むせかえるような匂いだ。
――そうだ。
はっとして、俺は、忠頼を振り向いた。
――そうだ、首だ。
俺は忠頼の首を持って帰らなければならない。そうしないと首は奪われて晒される。そんな酷いことはさせられない。五郎兵衛だってそうだ。
俺は忠頼の遺体の前に、ふたたび向きなおった。あふれる気持ちをぐっと飲み込み、頬に手を添え、首元に短刀をあてがう。
俺は震える手をぐっと握りなおし、その姿勢のまま、ちらりと視線を上げた。
睫毛が落とす影があった。
眉が。
唇の形が。
腕が。
手足が。
全身で俺に触れてくれた身体が、そこにはあった。
ふいに、俺は何も考えられなくなる。
俺は忠頼の胸に顔を埋める。血の匂いに混じって、忠頼の匂いがした。
「……っ、……ぁ」
身体が勝手に震え、慟哭する。
――どうして、俺を先に死なせてくれなかったんだ。
その時だった。
ふいに、背後で、どさりと音がした。
咄嗟に振り向き、低く構える。と、そこには、一尺ほどの、折れた枝が落ちていた。俺は辺りを見回し、上を見た。
――誰もいない。
俺はぼんやりと、あたりを見回した。折れた枝が、上に引っかかっていて、それが落ちただけのようだった。
俺は折れた枝を見る。切り口は瑞々しく、白っぽい。
ヤブサメの高い声が、頭の奥に響く。
俺は再び、忠頼の身体を振り返る。
少し低い姿勢から、忠頼を見た時、俺はふと、あることに気が付いた。
「……」
俺は忠頼の傍に寄り、忠頼の口元に、するりと手を添わせた。
その口元は、穏やかに弧を描いているように見えた。
その時、おれはやっと、忠頼の気持ちが、すこしだけ分かった気がした。
気持ちは言葉にならず、涙となって、ぼろぼろと零れ落ちる。
その時だった。
俺は気配を感じ、弾かれたように身を低くした。
すぐに頭上で、風を切る音がした。全身がぞわりと粟立つ。俺は辺りをうかがった。右側から、誰かが近づいてくるのがわかった。
――隠れなければ。
そう思った矢先、ふいに、足に灼けるような痛みを感じ、俺は脚を見た。矢が腿を掠っていた。俺は舌打ちをする。
――俺は、馬鹿か。
俺は身を低くしたまま、背に岩を張り付けるようにして、敵と反対方向に移動しだした。
しかしその時、ふいに、 忠頼の身体が動いたように見えた。
俺ははっとしてそちらに目を遣る。
見ると、忠頼の腹に、矢が刺さっていた。
「――っ……」
身を切られるような苦しさと憎悪とで、俺の臓腑が捩れる。
――こいつら。あとで、ぜったい殺してやる――。
と、そう思った時、俺の視界がぐらりと歪んだ。
――毒か。
俺はそれが、さっき足に受けた矢のせいだと、咄嗟に理解する。
――くそ。
霞む視界の中、俺は必死に目を凝らした。
すぐに目の前に姿を現した者たちは、山賊のようにも、落ち武者狩りの村人のようにも見えた。
敵兵ではない、ということが、一瞬だけ俺の気持ちを落ち着かせた。でも、そんなことはどうでもよかった。
――ばかだ、俺は――。
そう思いながらも、俺は消えゆく意識の中で、ずっと忠頼の姿を見つめていた。
何度も俺に触れてくれた、その指に。
俺が、解れたのをいつも直していた、その髪に。
何度も頬を擦りつけ、唇を落とした、その首筋に。
――もう一度だけ。
俺は、忠頼の身体に手を伸ばす。
指の先だけでもいい。忠頼の肌に触れたかった。
だが、そんな俺の願いをあざ笑うかのように、俺の意識はふっと消えた。
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