69 / 70
五章
幾日 遠い日暮れ
――お前といると、柄にもないことを考えてしまうな。
優しい目に、見守られていた。寛いだ声と、俺の背中をなでる指先とを、俺は幸せな気持ちで感じていた。
……それは、どんな?
*
俺はふと、夢から目覚め、目を開いた。木陰になった地面が見えた。そこから燕が数羽、ばさばさと飛び立った。俺は重い頭をゆっくりと起こし、軽く振った。
俺は目の前の狭い道を、ぼうっと見詰めた。右は山で、左は谷。目線の先には、青々とした田んぼと、山が見えた。
――いけねえ、しっかりしねえと。
俺は意識をはっきりさせるために、肩を回し、首を傾ける。
俺はまだ、旅の途上にいた。しかし、歩き疲れた俺は、道の脇で暫し休むことにして――それで、暫しの間、居眠りをしてしまったのだった。
俺は空を見上げる。まだ、四半刻(十五分)も経っていないようだ。俺はいささかほっとして、再び、目の前の道を、登り始める。
俺が保沢村を出てから、すでに七日が過ぎていた。
目的地は、この山裾の道を辿った向こうにある寺だ。もう、先は見えている。
しかし、俺の気持ちには、今も迷いがあった。ここまでやって来ながら、俺は未だに少し、逡巡していた。
それでも、俺が歩を進めてこれたのは、この陽気のお陰だった。
田に目を向けると、雲雀たちが、さも楽しそうに歌いながら飛び回っている。冬には引き攣り、うずいていた、腹や手足の古傷も、この気温で大分ましになった。
通りがかりの商人や参拝者の存在も大きかった。
「あともうすこし。頑張んなさい」
「もう、すぐそこですよ」
「今日は暑いから、気を付けてね」
もう足を止めてしまおうかと俺が思うたび、様々な人間が、旅の労をねぎらってくれたり、励ましの声を掛けてくれた。その声は、文字通り、俺が再び前に進む為の力をくれた。 柄でもない、と思いながらも、俺は旅中に何度も、しみじみとした感謝の気持ちを噛み締めていた。
――戦に明け暮れていた頃、俺は確かに『天下の中心』にいる、とどこかで思っていた。
しかし、それがいくら中心であっても、ほんの爪の先ほどの狭い世界の出来事であることには変わりがなかった。
世の中は俺が思ったより、ずっと広かったのだ。土地を変え、沢山の人に出会うたび、俺は、その思いを強く、新たにする。
ちょうど正午ごろのことだった、強い日差しの中、その寺は、急に、山の中に急に姿を現した。
寺門は、見上げるほどに大きく、重厚だった。近所のものが言うには、創建から、ゆうに二〇〇年は経っているらしい。
寺には既に、たくさんの参拝者が往来していた。近所の者や、俺の様に遠方から来たものなど、荷物の量や貧富の差なども様々だ。
俺はとりあえず本堂に手を合わせると、三万坪はありそうな敷地を、恐る恐る歩いた。坊主に墓のある場所を訊ね、寺の北側へ向う。しかし、たどり着いた墓場の敷地は広く、墓は百基ほどもあった。
俺は一つ息を吐く。ここから目的の墓所を捜すのは、骨が折れそうだった。
本堂から、くぐもった読経の声と、太鼓の音が、響いていた。俺はゆっくりと、玉砂利の道を練り歩く。
墓の状態は様々だった。真新しい線香が添えられ、今朝飾られたばかりの花が置いてある立派な墓。石が朽ちて、掘られた文字も分からなくなっているような墓。
――山。やまだ。
――ほそ木……ほそき。
俺は額に滲む汗を拭いながら、墓石に書いてある苗字と、場合によっては卒塔婆の戒名を、苦労しながら読んでいく。
日差しが少し傾き、新しい参拝客が数人、墓を訪れては去って行く。姉妹と思われる女たちが、静かに話しながら、俺の横を通り過ぎる。
商人の成りをした男が、古びた墓を掃除し、線香を灯していた。
老夫婦とその子供が、小さな墓に手を合わせ、経を読んでいた。
――西。にし。尾、お。
――宮。みや……あ、くそ、読めねえ。
大人になってから文字を習った俺は、読むのが早くない。だが俺はひたすら、文字を読み続けた。
――本当にここにあるのだろうか?
ふと疑念が湧き、俺は立ち止まる。手拭で首の汗を拭きながら、俺は一つ息を吐く。
――いや、どれだけかかっても、見つけてやる。
それからまた、半刻ほど、俺は墓標を読み続けた。そして、もう読むのにも嫌気がさしたときだった。俺の目は入り口から一番奥の、左端に吸い寄せられた。
三尺ほどの、黒く、艶のある石に彫り込まれた文字。俺は即座に、いくつも並んだ卒塔婆の戒名を読みはじめた。
日吉家――――清孝院武道忠頼院居士。
俺はついに求めていたものを見つけ、言葉を失う。しばらくその場に立ち尽くしていたが、周りの人間の目線に気が付き、俺はふと我にかえる。
俺は懐に手を入れて、少し折れてしまった線香と、道中で摘んだ花を墓前に供えた。
しかし、立派な墓石と、しおれかけた花では、不釣り合いにもほどがあった。
――まあ、お前の前で、格好つけたところで、仕方ないしな。
俺は苦笑し、手を合わせると、経を唱え始める。
経を唱えながら、俺はここまでこれた縁を、しみじみと不思議に思った。
泰蔵に手紙を託したのは、五郎兵衛の妻、お峰だった。
ともに戦った兵である五郎兵衛は、俺に、遺髪を託していた。『妻が遺髪を受け取らないから、渡してほしい』と、最後の戦の前に、五郎兵衛は俺に言った。
だが、俺はしばらく、丹波の国に寄り付くことはなかった。そもそも生きていくのに精一杯だったし、討ち死にしているはずの俺が、おめおめと国に帰ることもできなかった。
だが、泰蔵のお陰で、俺はお峰の居場所を知った。お峰は既に、日吉郡を出て、隣村に暮らしていた。
五郎兵衛の遺髪について、ずっと気になっていた俺は、手紙を読むとすぐに、お峰のいる村へと向かった
俺はお峰とその子を訪ね、遺髪を届けるのが遅くなったことを詫びた。お峰は遺髪を受け取って涙を流した。そして、俺が村を出る際に、忠頼が葬られている寺のことを教えてくれた。
俺は、足元の石を転がしながら、呟いた。
「……ごめんな。いままでこれなくて。いろいろ、あってよ」
優しい目に、見守られていた。寛いだ声と、俺の背中をなでる指先とを、俺は幸せな気持ちで感じていた。
……それは、どんな?
*
俺はふと、夢から目覚め、目を開いた。木陰になった地面が見えた。そこから燕が数羽、ばさばさと飛び立った。俺は重い頭をゆっくりと起こし、軽く振った。
俺は目の前の狭い道を、ぼうっと見詰めた。右は山で、左は谷。目線の先には、青々とした田んぼと、山が見えた。
――いけねえ、しっかりしねえと。
俺は意識をはっきりさせるために、肩を回し、首を傾ける。
俺はまだ、旅の途上にいた。しかし、歩き疲れた俺は、道の脇で暫し休むことにして――それで、暫しの間、居眠りをしてしまったのだった。
俺は空を見上げる。まだ、四半刻(十五分)も経っていないようだ。俺はいささかほっとして、再び、目の前の道を、登り始める。
俺が保沢村を出てから、すでに七日が過ぎていた。
目的地は、この山裾の道を辿った向こうにある寺だ。もう、先は見えている。
しかし、俺の気持ちには、今も迷いがあった。ここまでやって来ながら、俺は未だに少し、逡巡していた。
それでも、俺が歩を進めてこれたのは、この陽気のお陰だった。
田に目を向けると、雲雀たちが、さも楽しそうに歌いながら飛び回っている。冬には引き攣り、うずいていた、腹や手足の古傷も、この気温で大分ましになった。
通りがかりの商人や参拝者の存在も大きかった。
「あともうすこし。頑張んなさい」
「もう、すぐそこですよ」
「今日は暑いから、気を付けてね」
もう足を止めてしまおうかと俺が思うたび、様々な人間が、旅の労をねぎらってくれたり、励ましの声を掛けてくれた。その声は、文字通り、俺が再び前に進む為の力をくれた。 柄でもない、と思いながらも、俺は旅中に何度も、しみじみとした感謝の気持ちを噛み締めていた。
――戦に明け暮れていた頃、俺は確かに『天下の中心』にいる、とどこかで思っていた。
しかし、それがいくら中心であっても、ほんの爪の先ほどの狭い世界の出来事であることには変わりがなかった。
世の中は俺が思ったより、ずっと広かったのだ。土地を変え、沢山の人に出会うたび、俺は、その思いを強く、新たにする。
ちょうど正午ごろのことだった、強い日差しの中、その寺は、急に、山の中に急に姿を現した。
寺門は、見上げるほどに大きく、重厚だった。近所のものが言うには、創建から、ゆうに二〇〇年は経っているらしい。
寺には既に、たくさんの参拝者が往来していた。近所の者や、俺の様に遠方から来たものなど、荷物の量や貧富の差なども様々だ。
俺はとりあえず本堂に手を合わせると、三万坪はありそうな敷地を、恐る恐る歩いた。坊主に墓のある場所を訊ね、寺の北側へ向う。しかし、たどり着いた墓場の敷地は広く、墓は百基ほどもあった。
俺は一つ息を吐く。ここから目的の墓所を捜すのは、骨が折れそうだった。
本堂から、くぐもった読経の声と、太鼓の音が、響いていた。俺はゆっくりと、玉砂利の道を練り歩く。
墓の状態は様々だった。真新しい線香が添えられ、今朝飾られたばかりの花が置いてある立派な墓。石が朽ちて、掘られた文字も分からなくなっているような墓。
――山。やまだ。
――ほそ木……ほそき。
俺は額に滲む汗を拭いながら、墓石に書いてある苗字と、場合によっては卒塔婆の戒名を、苦労しながら読んでいく。
日差しが少し傾き、新しい参拝客が数人、墓を訪れては去って行く。姉妹と思われる女たちが、静かに話しながら、俺の横を通り過ぎる。
商人の成りをした男が、古びた墓を掃除し、線香を灯していた。
老夫婦とその子供が、小さな墓に手を合わせ、経を読んでいた。
――西。にし。尾、お。
――宮。みや……あ、くそ、読めねえ。
大人になってから文字を習った俺は、読むのが早くない。だが俺はひたすら、文字を読み続けた。
――本当にここにあるのだろうか?
ふと疑念が湧き、俺は立ち止まる。手拭で首の汗を拭きながら、俺は一つ息を吐く。
――いや、どれだけかかっても、見つけてやる。
それからまた、半刻ほど、俺は墓標を読み続けた。そして、もう読むのにも嫌気がさしたときだった。俺の目は入り口から一番奥の、左端に吸い寄せられた。
三尺ほどの、黒く、艶のある石に彫り込まれた文字。俺は即座に、いくつも並んだ卒塔婆の戒名を読みはじめた。
日吉家――――清孝院武道忠頼院居士。
俺はついに求めていたものを見つけ、言葉を失う。しばらくその場に立ち尽くしていたが、周りの人間の目線に気が付き、俺はふと我にかえる。
俺は懐に手を入れて、少し折れてしまった線香と、道中で摘んだ花を墓前に供えた。
しかし、立派な墓石と、しおれかけた花では、不釣り合いにもほどがあった。
――まあ、お前の前で、格好つけたところで、仕方ないしな。
俺は苦笑し、手を合わせると、経を唱え始める。
経を唱えながら、俺はここまでこれた縁を、しみじみと不思議に思った。
泰蔵に手紙を託したのは、五郎兵衛の妻、お峰だった。
ともに戦った兵である五郎兵衛は、俺に、遺髪を託していた。『妻が遺髪を受け取らないから、渡してほしい』と、最後の戦の前に、五郎兵衛は俺に言った。
だが、俺はしばらく、丹波の国に寄り付くことはなかった。そもそも生きていくのに精一杯だったし、討ち死にしているはずの俺が、おめおめと国に帰ることもできなかった。
だが、泰蔵のお陰で、俺はお峰の居場所を知った。お峰は既に、日吉郡を出て、隣村に暮らしていた。
五郎兵衛の遺髪について、ずっと気になっていた俺は、手紙を読むとすぐに、お峰のいる村へと向かった
俺はお峰とその子を訪ね、遺髪を届けるのが遅くなったことを詫びた。お峰は遺髪を受け取って涙を流した。そして、俺が村を出る際に、忠頼が葬られている寺のことを教えてくれた。
俺は、足元の石を転がしながら、呟いた。
「……ごめんな。いままでこれなくて。いろいろ、あってよ」
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
[BL]憧れだった初恋相手と偶然再会したら、速攻で抱かれてしまった
ざびえる
BL
エリートリーマン×平凡リーマン
モデル事務所で
メンズモデルのマネージャーをしている牧野 亮(まきの りょう) 25才
中学時代の初恋相手
高瀬 優璃 (たかせ ゆうり)が
突然現れ、再会した初日に強引に抱かれてしまう。
昔、優璃に嫌われていたとばかり思っていた亮は優璃の本当の気持ちに気付いていき…
夏にピッタリな青春ラブストーリー💕