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二章
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昏睡状態に陥ってから、どれほどの時が過ぎただろう。
季節は巡り、窓辺に射す光の角度が変わっても、リュシアンは目を覚まさなかった。
白いシーツの上で眠るその姿は、まるで壊れやすい人形のようで、触れれば砕けてしまいそうだった。
アーヴィスは、彼の傍を離れなかった。
会議も、称号も、戦果も、すべてを遠ざけた。
周囲は戸惑い、囁き、非難したが、彼は一切意に介さなかった。
――自分には、咎を償う資格すらない。
それでも、離れることだけはできなかった。
「今日は……日差しが、穏やかだ」
返事のない相手に、言葉を落とす。
かつてリュシアンが好んでいた花を部屋に飾り、水を替える。
その一つ一つが、遅すぎる贖罪だった。
◆
眠りの中で、リュシアンは夢を見ていた。
――あたたかな声。
――優しい手。
幼い頃、母に抱かれた記憶。
エリオスが笑いながら差し出してくれた手。
「リュシアン」
呼ばれるたび、胸が締めつけられる。
だが、そこに必ず割り込んでくる影があった。
冷たい瞳。
逃げ場のない檻。
――「君が従えば」。
夢と現実の境界が曖昧になり、リュシアンの心は深く沈んでいく。
それでも、ふと。
「……すまない」
聞き慣れない、かすれた声が、夢の底に届いた。
その声は、命令ではなかった。
欲でもなかった。
ただ、壊れそうなほど弱い声音だった。
◆
ある夜。
リュシアンの指先が、微かに動いた。
気づいたのは、アーヴィスだけだった。
「……?」
彼は息を止めるようにして、そっと手を取る。
確かに、温もりがある。
生きている。
「……戻ってこい。いや……戻らなくてもいい」
声が震える。
「憎んでいい。拒んでいい。……それでも、生きていてくれ」
それは、初めて彼が口にした、見返りを求めない言葉だった。
◆
数日後。
リュシアンは、ゆっくりと目を開けた。
焦点の合わない瞳が天井を彷徨い、やがて――
そこにいたアーヴィスを捉える。
一瞬、リュシアンの身体が強張った。
恐怖。
拒絶。
そして、深い空虚。
「……あ……」
声にならない声。
アーヴィスは、動けなかった。
触れれば、また壊してしまう気がした。
「……ここは……」
「安全な場所だ」
短く答える。
沈黙が落ちる。
リュシアンの瞳から、一筋、涙が零れた。
「……どうして、僕だけ……」
その言葉に、アーヴィスの胸が裂ける。
答えられるはずがなかった。
◆
それからのリュシアンは、生きてはいたが、生きているとは言えなかった。
笑わない。
泣かない。
何も求めない。
ただ、与えられた場所で、静かに呼吸をするだけ。
アーヴィスは、彼に触れなかった。
命じなかった。
共に過ごした時間の中で、ひたすら距離を保った。
それが、彼なりの償いだった。
だがある日、リュシアンはぽつりと呟いた。
「……エリオスは、最後まで……僕を、探していたでしょうか」
その問いに、アーヴィスは初めて、真実を語った。
魔獣襲来の報告書。
瓦礫の中で見つかった、剣と、割れた護符。
それが、エリオスの最期を示していたこと。
「……勇敢だった」
それだけを告げた。
リュシアンは、静かに目を閉じた。
そして――泣いた。
声を上げて、子どものように。
アーヴィスは、ただ、跪いた。
触れる資格はない。
抱きしめる資格もない。
それでも、その涙が止まるまで、そこにいた。
◆
白花は、まだ折れてはいない。
だが、再び咲くかどうかは、誰にも分からない。
檻は、確かに存在した。
壊したのは、アーヴィス自身だ。
それでも――
彼は、償いの果てに、
リュシアンが「生きたい」と思える場所を探し続ける。
それが、愛と呼べぬものであったとしても。
季節は巡り、窓辺に射す光の角度が変わっても、リュシアンは目を覚まさなかった。
白いシーツの上で眠るその姿は、まるで壊れやすい人形のようで、触れれば砕けてしまいそうだった。
アーヴィスは、彼の傍を離れなかった。
会議も、称号も、戦果も、すべてを遠ざけた。
周囲は戸惑い、囁き、非難したが、彼は一切意に介さなかった。
――自分には、咎を償う資格すらない。
それでも、離れることだけはできなかった。
「今日は……日差しが、穏やかだ」
返事のない相手に、言葉を落とす。
かつてリュシアンが好んでいた花を部屋に飾り、水を替える。
その一つ一つが、遅すぎる贖罪だった。
◆
眠りの中で、リュシアンは夢を見ていた。
――あたたかな声。
――優しい手。
幼い頃、母に抱かれた記憶。
エリオスが笑いながら差し出してくれた手。
「リュシアン」
呼ばれるたび、胸が締めつけられる。
だが、そこに必ず割り込んでくる影があった。
冷たい瞳。
逃げ場のない檻。
――「君が従えば」。
夢と現実の境界が曖昧になり、リュシアンの心は深く沈んでいく。
それでも、ふと。
「……すまない」
聞き慣れない、かすれた声が、夢の底に届いた。
その声は、命令ではなかった。
欲でもなかった。
ただ、壊れそうなほど弱い声音だった。
◆
ある夜。
リュシアンの指先が、微かに動いた。
気づいたのは、アーヴィスだけだった。
「……?」
彼は息を止めるようにして、そっと手を取る。
確かに、温もりがある。
生きている。
「……戻ってこい。いや……戻らなくてもいい」
声が震える。
「憎んでいい。拒んでいい。……それでも、生きていてくれ」
それは、初めて彼が口にした、見返りを求めない言葉だった。
◆
数日後。
リュシアンは、ゆっくりと目を開けた。
焦点の合わない瞳が天井を彷徨い、やがて――
そこにいたアーヴィスを捉える。
一瞬、リュシアンの身体が強張った。
恐怖。
拒絶。
そして、深い空虚。
「……あ……」
声にならない声。
アーヴィスは、動けなかった。
触れれば、また壊してしまう気がした。
「……ここは……」
「安全な場所だ」
短く答える。
沈黙が落ちる。
リュシアンの瞳から、一筋、涙が零れた。
「……どうして、僕だけ……」
その言葉に、アーヴィスの胸が裂ける。
答えられるはずがなかった。
◆
それからのリュシアンは、生きてはいたが、生きているとは言えなかった。
笑わない。
泣かない。
何も求めない。
ただ、与えられた場所で、静かに呼吸をするだけ。
アーヴィスは、彼に触れなかった。
命じなかった。
共に過ごした時間の中で、ひたすら距離を保った。
それが、彼なりの償いだった。
だがある日、リュシアンはぽつりと呟いた。
「……エリオスは、最後まで……僕を、探していたでしょうか」
その問いに、アーヴィスは初めて、真実を語った。
魔獣襲来の報告書。
瓦礫の中で見つかった、剣と、割れた護符。
それが、エリオスの最期を示していたこと。
「……勇敢だった」
それだけを告げた。
リュシアンは、静かに目を閉じた。
そして――泣いた。
声を上げて、子どものように。
アーヴィスは、ただ、跪いた。
触れる資格はない。
抱きしめる資格もない。
それでも、その涙が止まるまで、そこにいた。
◆
白花は、まだ折れてはいない。
だが、再び咲くかどうかは、誰にも分からない。
檻は、確かに存在した。
壊したのは、アーヴィス自身だ。
それでも――
彼は、償いの果てに、
リュシアンが「生きたい」と思える場所を探し続ける。
それが、愛と呼べぬものであったとしても。
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