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三章
しおりを挟む――選択のために、残されたもの
◆ 残響
それは、古い書庫の最奥で見つかった。
焼け焦げた街の記録を整理していた学者が、瓦礫の中から回収した一冊の手帳。
表紙は傷だらけで、角は黒く炭化している。
そこに記されていた名――エリオス。
「……」
アーヴィスは、その名を見ただけで呼吸が詰まった。
内容は、英雄譚でも、遺言でもなかった。
ただ、日々の覚え書き。
リュシアンは今日も花の手入れをしていた
あいつは自分の美しさを分かっていない
それが、少し誇らしい
守りたい
それだけで、剣を握る理由には十分だ
最後の頁は、途中で途切れていた。
もしも俺がいなくなっても
あいつが、あいつの意思で生きられるなら
それでいい
アーヴィスは、初めてその場で崩れ落ちた。
――これは、奪った男が残した、最後の願いだった。
◆ 告白ではなく、提示
その手帳を、アーヴィスはすぐには渡さなかった。
渡す資格がない。
だが、隠す資格もない。
数年の時が流れた。
リュシアンは、言葉を取り戻し、歩けるようになり、
自ら望んで屋敷の外へ出るようになっていた。
笑顔は、まだ戻らない。
それでも、空を見る時間が増えた。
ある日、アーヴィスは言った。
「……君に、渡すべきものがある」
それは、命令ではなく、お願いでもなかった。
ただの提示だった。
手帳を受け取ったリュシアンの指が、微かに震える。
「……読んでも、いい?」
「ああ。君のものだ」
それ以上、何も言わなかった。
◆ エリオスの声
夜。
リュシアンは、一人で頁をめくった。
懐かしい筆跡。
不器用な言葉。
胸が痛むほど、優しい記録。
涙は出なかった。
代わりに、静かな温度が胸に広がった。
――ああ、あの人は、ちゃんと「前」を見ていた。
その夜、リュシアンは夢を見た。
瓦礫の街。
だが、血も炎もない。
そこに立っていたのは、エリオスだった。
「久しぶりだな」
責める声ではない。
恨みもない。
「……会いたかった」
「知ってる」
エリオスは笑った。
「お前は、生きてる。それでいい」
「でも……」
言葉に詰まるリュシアンに、エリオスは首を振る。
「許さなくていい」
その一言が、胸に落ちた。
「選べ。誰のためでもなく」
そして、霧のように消えていった。
◆ 選択
翌朝。
リュシアンは、アーヴィスの前に立った。
「……ここを、出たい」
アーヴィスは、一瞬だけ目を閉じ、頷いた。
「分かった。行き先は?」
「まだ、決めていない」
それでいい、とアーヴィスは思った。
準備は、静かに進められた。
護衛も、肩書も、最低限。
出立の日。
リュシアンは、振り返って言った。
「……あなたを、許したわけじゃない」
「分かっている」
「でも……あなたが、選択肢をくれたことは、事実だ」
それが、彼のすべてだった。
「だから……今は、同行を、許可します」
許しではない。
選択だった。
アーヴィスは、深く頭を下げた。
「……ありがとう」
その言葉が、ようやく対等な位置で交わされた。
◆ 再生は、遠く
二人は、旅に出た。
英雄と、白花ではない。
罪を背負う者と、喪失を抱く者として。
手を取ることは、まだない。
名前を呼ぶのも、時折だ。
それでも、同じ空を見て、同じ道を歩く。
それが、リュシアンの選んだ生だった。
――エリオスは、遠くでそれを見ていた。
何も言わず、ただ、安心したように。
白花は、まだ完全には咲かない。
だが、
自らの意思で、根を張り始めている。
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