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第2会 ぬくもりのありかを探す駅
第15話 答え合わせ③
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保冷バッグから缶ビールを2本取り出し、ひとつを彼に渡す。キンキンとまではいかないけれど、まだ冷たいからきっと美味しいはずだ。
「おっ、ビールじゃん。しかも俺が好きなやつ。ありがとう。──でも、ここで飲んでいいの?」
「ダメだとは聞いてないよ。飲み物はなんでも大丈夫ってことらしいし、いいんじゃない」
彼は歓喜の声を上げると、躊躇なくプルタブを開けた。プシュっと小気味のいい音が聞こえる。
砂漠で見つけたオアシスの水みたいに彼は勢いよくそれを喉に流し込む。彼の喉仏が上下するのを見ていると私も飲みたくなって、手に持っていた残りのひとつを開けた。
「玲子、酒弱かったんじゃなかったっけ」
「聡介さんが亡くなってからも、つい習慣で買っちゃうの。捨てるももったいないから飲んでたら、自然と強くなっちゃった」
ぐびっと豪快に缶をあおる私に、聡介さんが目を丸くし──そして、笑った。彼と同じ土俵に立てた気がして、嬉しかった。
口から離した缶を彼に掲げる。缶の表面を結露した水滴が流れ落ちた。光を反射したそれは、流れ星のようだった。
「ねぇ、乾杯しよ」
「おう、いいね。じゃあ、この奇跡みたいな再会と玲子が酒を飲めるようになったことを記念して──」
──乾杯!
2つの缶が触れ合う鈍い音が、静寂に響いた。
彼が生きていた時も、たまにこうしてお酒を酌み交わすことはあった。けれど、だいたいは形だけでグラス1杯も飲まない。それを思えば、いまのこの状況が自分でも信じられなかった。
「……お前、ほんとに変わったな」
次は大切そうに、ちびちびと飲みながら彼は大きく息をつく。
「そんなことない。むしろ、何も変えないようにしてる」
そう言って、バッグから雑誌を取り出した。彼が読みかけのままだったあの雑誌だ。
「これ、ずっとあなたが置いた場所でそのままにしてたの。読みかけだったでしょ?」
「……雑誌?」
雑誌を渡すと彼は目を細めて、じっとそれを見つめた。それから中身をパラパラと流し見る。まるで内容に不備がないかチェックするみたいにひと通り確認が終わると、パタンと閉じた。
「確かに、これ読みかけのやつだわ。てか、やっぱ4年経ってるんだな。この前買ったばっかだったのに、印刷の色が落ちてる」
「……え? そうかな。4年前と同じだと思うけど……」
雑誌は傷まないように細心の注意を払っていた。そもそもほとんど触っていないから劣化することなどないはずだ。それに毎日、目にしていたから傷みがあれば気づいたと思う。
「いや、新品の雑誌はこんなに色が落ちてないし、古本みたいな臭いもしない」
「でも毎日、目の入るところにあったのよ。変化があればわかるはず……」
「きっと徐々に劣化していったんだな。毎日ちょっとずつ、ちょっとずつ。わからないぐらい少しずつな」
突き出された雑誌に、私は首を傾げる。
「読まないの? 続き読みたかったんじゃないの?」
「もういい。読みたかった記事は生きてた時に読み終わってたんだ。これはもう俺には必要ない」
その瞬間、胸の奥がすうっと冷たくなった。
視線を落とし、受け取った雑誌のページをめくる。顔を近づけてみると、乾いた埃っぽい匂いがした。あの頃から何も変わっていないはずなのに、私の知らないところで時間だけは無情にも進んでいく。
聡介さんにまつわるものは、どれも彼の一部のような気がして蔑ろにできなかった。何も考えず、すべて「重要」のラベルをつけた。そうするべきだと思ったし、実際にそうしてきた。
──果たしてそうなんだろうか。
いま、ここに来て私は疑問に思い始めていた。彼にとって、取るに足らない物が、本当に彼の一部たるのだろうかと。
私は彼の死にかこつけて、考えることを放棄していたんじゃないだろうか──。
そのちょっとした違和感が、私の中に黒く濃いシミを作った。徐々に広がるそれを、私はどうすればいいのかわからない。
だって、私は聡介さんが死んでから、そういう生き方しかしてこなかったんだから。正解なんて分かるはずがない。
「おっ、ビールじゃん。しかも俺が好きなやつ。ありがとう。──でも、ここで飲んでいいの?」
「ダメだとは聞いてないよ。飲み物はなんでも大丈夫ってことらしいし、いいんじゃない」
彼は歓喜の声を上げると、躊躇なくプルタブを開けた。プシュっと小気味のいい音が聞こえる。
砂漠で見つけたオアシスの水みたいに彼は勢いよくそれを喉に流し込む。彼の喉仏が上下するのを見ていると私も飲みたくなって、手に持っていた残りのひとつを開けた。
「玲子、酒弱かったんじゃなかったっけ」
「聡介さんが亡くなってからも、つい習慣で買っちゃうの。捨てるももったいないから飲んでたら、自然と強くなっちゃった」
ぐびっと豪快に缶をあおる私に、聡介さんが目を丸くし──そして、笑った。彼と同じ土俵に立てた気がして、嬉しかった。
口から離した缶を彼に掲げる。缶の表面を結露した水滴が流れ落ちた。光を反射したそれは、流れ星のようだった。
「ねぇ、乾杯しよ」
「おう、いいね。じゃあ、この奇跡みたいな再会と玲子が酒を飲めるようになったことを記念して──」
──乾杯!
2つの缶が触れ合う鈍い音が、静寂に響いた。
彼が生きていた時も、たまにこうしてお酒を酌み交わすことはあった。けれど、だいたいは形だけでグラス1杯も飲まない。それを思えば、いまのこの状況が自分でも信じられなかった。
「……お前、ほんとに変わったな」
次は大切そうに、ちびちびと飲みながら彼は大きく息をつく。
「そんなことない。むしろ、何も変えないようにしてる」
そう言って、バッグから雑誌を取り出した。彼が読みかけのままだったあの雑誌だ。
「これ、ずっとあなたが置いた場所でそのままにしてたの。読みかけだったでしょ?」
「……雑誌?」
雑誌を渡すと彼は目を細めて、じっとそれを見つめた。それから中身をパラパラと流し見る。まるで内容に不備がないかチェックするみたいにひと通り確認が終わると、パタンと閉じた。
「確かに、これ読みかけのやつだわ。てか、やっぱ4年経ってるんだな。この前買ったばっかだったのに、印刷の色が落ちてる」
「……え? そうかな。4年前と同じだと思うけど……」
雑誌は傷まないように細心の注意を払っていた。そもそもほとんど触っていないから劣化することなどないはずだ。それに毎日、目にしていたから傷みがあれば気づいたと思う。
「いや、新品の雑誌はこんなに色が落ちてないし、古本みたいな臭いもしない」
「でも毎日、目の入るところにあったのよ。変化があればわかるはず……」
「きっと徐々に劣化していったんだな。毎日ちょっとずつ、ちょっとずつ。わからないぐらい少しずつな」
突き出された雑誌に、私は首を傾げる。
「読まないの? 続き読みたかったんじゃないの?」
「もういい。読みたかった記事は生きてた時に読み終わってたんだ。これはもう俺には必要ない」
その瞬間、胸の奥がすうっと冷たくなった。
視線を落とし、受け取った雑誌のページをめくる。顔を近づけてみると、乾いた埃っぽい匂いがした。あの頃から何も変わっていないはずなのに、私の知らないところで時間だけは無情にも進んでいく。
聡介さんにまつわるものは、どれも彼の一部のような気がして蔑ろにできなかった。何も考えず、すべて「重要」のラベルをつけた。そうするべきだと思ったし、実際にそうしてきた。
──果たしてそうなんだろうか。
いま、ここに来て私は疑問に思い始めていた。彼にとって、取るに足らない物が、本当に彼の一部たるのだろうかと。
私は彼の死にかこつけて、考えることを放棄していたんじゃないだろうか──。
そのちょっとした違和感が、私の中に黒く濃いシミを作った。徐々に広がるそれを、私はどうすればいいのかわからない。
だって、私は聡介さんが死んでから、そういう生き方しかしてこなかったんだから。正解なんて分かるはずがない。
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