京都伏見・たそがれ鉄道で会いましょう

秋月とわ

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第2会 ぬくもりのありかを探す駅

第16話 甘い誘惑①

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「少し、歩かねーか?」

 聡介さんの言葉に私は小さく頷いて、重い腰を上げる。長く座っていたせいで、足元が少しふらついた。

 彼の隣に並び、線路沿いをゆっくり歩き出す。人気のない下りホーム。ホームの上屋から吊るされたランタンが、まるでイルミネーションみたいに淡い光を放つ。そんなロマンチックな光景に思わずうっとりしてしまう。

 とくに話すこともなく、しばらく並んで歩いていたけれど、ふと彼が立ち止まった。何かに耳を澄ますように手のひらを耳に近づけてじっとしている。

「……どうしたの?」
「……聞こえないか。川の音がする」

 私も耳に手を当てて、そっと目を閉じた。静けさのなかに、微かな水音が浮かび上がってくる。

「……ほんとだ。水の音がする」
「近くに川でも流れているのかもしれねーな」

 周囲を窺いながら、彼がつぶやく。私も辺りを見まわしてみたけれど、駅の外はどこも闇に包まれていて何があるのかすらわからない。まるで舞台のセットみたいに、駅だけがぽつんと現実から切り離されている気がした。

 彼も同じことを思ったのか、音の発生源を探すのはやめて、また歩き出す。

「……そういや、前にもお前と一緒にこうやって歩いたよな。琵琶湖疏水沿いを。覚えてるか?」
「もちろん。忘れたことないわ。あれは伏見稲荷大社に行った帰りだった。あの日は春なのにとっても暑くて、途中のコンビニでアイスを買ったよね」
「そうそう。ベンチで食べようとしたら、鳩に襲われたんだよな、俺。そんでアイス、ズボンに落としちまってな」

 苦笑する聡介さんに、当時の光景が蘇り思わず口角が上がる。あれは、あの日のハイライトだったかもしれない。

「あのときは、大変だったわね。聡介さん、鳩そっちのけで『あー! 俺の一張羅がー!』って大声だして。私、おかしくってお腹抱えて笑ったもん」
「ひでーな。あのあと汚れたズボンで家まで帰らなきゃならん俺の気にもなってみろよ」

 気づけば、ふたりして同じ場面を懐かしむように笑っていた。でも、その笑いもどこか切ない。あのときの空気も、時間も、もう戻らない。──そしてこの時間も。

 残酷な現実を突きつけられたような気がして、私は笑顔の反面、心は苦しかった。

 会話の切れ間がきて、無言で歩き続ける。だけど気まずくなんかない。

 以前、誰かが言っていたことを思い出す。──本当に相性がいい人となら、黙っているだけでも心地よい。

 ほんとだな、と思う。私は聡介さんと話しているときも、今みたいに黙って並んで歩いているときも、どちらの時間も、終わってしまうのが惜しいほど愛おしい。

 4両編成の電車が収まる程度の短いホームはすぐに端にたどり着いてしまった。線路とホームを区切る柵の前で、私はその先を見つめる。月明かりが反射して鈍色に輝くレールは十数メートル先で完全に闇に飲み込まれている。あの先にあるものはなんなのだろう。

 隣の駅なのか、はたまたあの世なのか。

 月の光さえ届かない闇がすぐそこで口を開けていると思うと、体の奥底から寒気にも似た感覚が這い上がってくる。咄嗟に視線をそらして、聡介さんに飛びついた。

「どうしたんだ、玲子」

 不思議そうな顔で首を傾げる彼に、「大丈夫、ふらついただけ」とごまかした。

「大丈夫か? 戻って休むか?」
「ううん。本当に足を取られただけだから、気にしないで」

 私の言葉に納得したのか、聡介さんはそれ以上何も言わなかった。代わりに途切れたホームの先を見る。

「……もう端に着いちまったな。戻るか」

 踵を返した聡介さんの背中を私も追う。辺りは夜なのに虫の鳴き声すら聞こえない。遠くを流れる川の音だけが時折り、風に乗って聞こえてくるだけだ。

 帰りの道すがらも私たちは沈黙を楽しんだ。聞こえるのは、ふたりの足音だけ。

 ゆっくり、ゆっくり。一歩、一歩。疏水沿いを歩いたあの頃の気分になって、静かに歩く。

 私のパンプスと彼の革靴が奏でる二重奏が、ひと気のないホームで唯一、音として息づいていた。

 ほんのひとときだけ、その演奏が続いたかと思えば──彼が立ち止まった。

「……それで、お前は。なんで俺を呼んだんだ?」

 その一言が、私の胸に突き刺さった。わかってる。答えなきゃいけないのはわかってる。でも、声が出なかった。

「………………」
「巫女のねーちゃんが言ってた。生きてる人間も死んだ人間も会える機会は1回だけだってな。そんな貴重な1回を使ったんだ、何かあったんだろ?」

 聡介さんの問いかけに、胸の奥が熱くなった。──彼には敵わない。

「……ねぇ、聡介さん。もし、あのままあなたが生きていたら……私、今どうしてたかな」

 答えになっていない答えだった。それでも、彼は何も言わずに立ち尽くしている。

 俯いたまま、唇を噛む。目の奥が、じわりと熱を帯びる。

「……あの事故で聡介さんを喪ったあと、私、怖かったの。あなたの痕跡に触れることが。もし、触れてしまったら、もう二度とあの頃の日々に戻れないような気がして、変化が怖くなった。あなたとの日常が過去になるのが怖かったの」

 一度胸に溜まっていたものを吐き出すと、もう止まらない。言葉が、堰を切ったように溢れ出てくる。

「私だって、このままじゃダメだってことは分かってる。何もしなくても時間は平等に過ぎていくんだから。気がつけば、同級生たちは次々に新しいステージに進んで、私だけが取り残されている。でも無理なの。私はどうしたらいいか、わからない。もう疲れたの……」

 喉の奥がつまって、息がしにくい。
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