薄明を待つ天女達~南川下町診療所浮世草子

風鈴

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第三章

貴文の帰国

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 久乃は、浮世草子の一文を読んでもう一つの出会いを思い出した。孫の帰国だ。ちょうど『陰謀の真実』の最終章の連載が始まって、憲明新聞がばか売れして世間が、小説の結末を知りたいと思っていたころに久乃の孫貴文が、留学の終わりに記念受験だと言ってアメリカの病院の就職試験を受けて戻ってきた。それがどんな結果でも、心臓外科なんてものを安堂総合病院の一つに加えられれば嬉しいと思っていたから、今考えても孫の帰国はとても嬉しかった。

 久しぶりの祖国、国際空港に着いた安堂貴文あんどうたかふみは、当分の間過ごす祖国の空気を深呼吸する。アメリカとは違う匂いに顔が緩む。両親も医者で地元では大きな病院を経営しているので息子が、帰国するからと言って迎えになんか来ない。祖母も診療所があるので無理のはず、さぁこれからどうして帰るかを携帯で検索していたら名前を呼ばれた。
「貴文、安堂貴文」
 そこには藤井良弥が、笑って立っていた。
「へぇ、良弥さん?」
 幼馴染みというか、家庭教師をしてもらったので、先生だった。良弥も教え子の感覚が強い。
「おかえり、貴文」
「えぇ、た、ただいま、どうして?」
 事業を二つ掛け持ちで忙しい人がそこにいるのが不思議だった。
「お前のお袋さんは?」
「安堂靖子! えぇ、母さんに頼まれたの?」
「たまたま、得意先のご母堂の膝が悪くておじさんに手術をお願いしたら、今日帰国するから俺がここまで得意先とご母堂を見送るのを知った靖子さんがなぁ」
「強引に捩じ込んだって感じ?」
 自分の母親ながら相変わらずの人使いの荒さに感謝する。
「まぁそんなもんだ」
 良弥は笑いながら答えた。
「俺はありがたいけどこの荷物を持って電車は辛いし、タクシーだと結構かかるから、だからと言って荷物を送ると言うのも選択できなかった」
「そうだな、もうアメリカには行かないのか?」
 良弥は、運転手に貴文のスーツケースを車に載せさせて、貴文を後部座席に座らせる。
「一応、何箇所の病院にレジュメとレポートは出して面接も受けたが、1番行きたい所じゃないと救急救命に舞い戻るからそれも大変だから悩んでる。荷物はまだしばらくアメリカの貸しガレージに預けている」
「久乃大先生は、循環器内科外科を立ち上げるつもりだと思うぞ、場所は旧安堂病院跡地に何か新しく建てるつもりじゃないかなぁ」
「凄いバイタリティだ。自分のおばあちゃんだけどついていけない」
 良弥も同意する。
「そうだな、鮫島大先生が、この前に海外の雑誌に論文発表する原稿の添削を頼んだら、返却されたら赤ペンでありとあらゆるところに線と付箋が貼って返却されて来たらしい、もちろん英語の論文だったから大先生もすぐに戻ってくるとも思っていなかったのに、付箋にも文章も全て英語もしくはドイツ語だった」
「受ける、笑える。世界のバース権威の論文に英語とドイツ語で赤ペンなんて凄すぎて」
 貴文は祖母の行動に呆れた。考えるだけで笑いが止まらなくなる。久乃が多言語に精通しているのを知っていても鮫島先生が子供扱いされる事実に俺なら赤ん坊扱いだなぁと思った。
「それが当を得ている、あいつも3日間徹夜で修正したって感心していたよ」
 貴文は思い出した様に良弥に自分の予定を話す。
「あぁ、明後日『藤ノ井』に行く予定です。悪友達から連絡があって、よろしくお願いします」
「田阪から聞いている。紅玉と茜凛がお相手する筈だよ」
「茜凛ちゃんも大きくなって立派な遊女になったんでしょうね。平太はどうしています?」
「平太は、今ヨーロッパだよ、あいつαになったんだ」
良弥は平然と言うと、貴文も少し驚いたが何も無いように話す。
「はぁ~ん、あいつβにしては優秀過ぎたし、あいつなら良弥さんと同じ大学に行けたでしょう」
 貴文は良弥を通じて平太とは顔見知りだったし、高校受験時に家庭教師をしていた。頑なに大学を拒否していたのを思い出した。
「だから進めたが、愛しい茜凛の傍を離れたく無くて大学に行かなかった」
「αになってしまって『藤ノ井』を出ないといけない掟で、悲しい別れだったんじゃなかったのか? 茜凛ちゃんは、どうしている? 小学校の頃はウザくない? と思えるほど平太にベッタリだったけど」
「ある程度は俺も手を貸したよ、でも茜凛は逞しくなったよ。昔の線の細いか弱いってのは演技になって上手く使っている」
「村雨にいさんに近い?」
「そうとも言える」
「楽しそう、久しぶりに皆さんに会うの」
 貴文は嬉しそうに微笑んだ。
 
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