薄明を待つ天女達~南川下町診療所浮世草子

風鈴

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第四章

瑞葵の清算

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 『藤ノ井』のリニューアルオープンで賑やかな雰囲気の中に、良弥の事務室にまだ本調子ではない瑞葵が、頭を下げていた。
「おはようございます、楼主。本来なら松の位の自分は『藤ノ井』のリニューアルオープンの先陣を切って務めなければならないのですが、叶いませんでした。それ以外にも色々と『藤ノ井』にも大変なご迷惑をおかけしました」
 瑞葵の未だ青白い顔を見て良弥は、眉根を寄せる。
「おはよう、瑞葵。身体の方はどうですか? 靖子先生からは、今までの無理が祟って相当子宮が弱っていると聞いた」
「まぁ、Ωは過度のストレスにより子宮の働きに影響を与えるようです。この6年復讐心のみで自分を追い込んで、お客様の相手をしていました。お客様には本当に失礼な話で、申し訳ないとしか言えません。加えて小説を書くにあたり睡眠を削っていたのも良いことではなかったようです」
 良弥は、瑞葵の不摂生は知っていたが、それを咎めたとしても彼がその生活を捨てることがないのはわかっていた。だから敢えて口を噤んだのだ。
「今日は、これから先の事だろう」
「はい、楼主には大変ご迷惑をおかけいたしますが、清算していただきたい思います」
 楼主ならもうわかっているでしょうと言わんばかりに瑞葵は良弥の顔を見る。松の位は、自分の勝手で清算を宣言できる。
「そうなるよな、身体がいちばんだから、それは仕方ないが、その後はどうする?」
 良弥もまた、知っていると言わんばかり瑞葵に返す。
「私としては作家業も魅力的なのですが、志半ばで亡くなった父親の後を継いで大学に入学して、弁護士も良いかもしれないと思っております。未来はどうあれしがらみから離れて自由に暮らしてみたいと思っています」
 『藤ノ井』の松の位が大学生になって『藤ノ井』の評判を上げて恩返しさせてもらいますと言う顔で、これでいかがですかと問う。
「そう、それならあの人の事はどうする。そろそろ天邪鬼はやめさせて欲しい。研究なんてどうにでもなる。鮫島製薬工業もあの人の帰りを待っているんだ、連れて帰って来て欲しい」
 良弥は、それではΩとして年貢を納めてくれるのだと言う思いを込めて切り返す。
「はい、靖子先生からオッケーが出たらドイツに迎えに行きたいと思います」
「頼みました」
「それと、これなのですが、『藤ノ井』だけでなくても良いので、遊女の為に使って欲しい。特に、茨棘には大変迷惑をかけたので、彼の清算時にはたらない分をここから出して欲しいのです」
 一冊の通帳を差し出して良弥に頭を下げる。
 瑞葵の1番の不安は茨棘の事だった。彼を救うと言う詭弁で彼を傷つけてしまったと言う事実は瑞葵には酷く自責の念に駆られるのであった。だから、不労所得のような小説の原稿料等は人のために使いたいと思う。
「瑞葵、俺をみくびるな。茨棘の事は俺がもう殆どけりをつけてある。三峰先生からもお前からも出してもらわないよ」
「あら、楼主が惚気ている。だけどそれをちゃんと茨棘にわからせないとダメじゃないですか」
「あのいじっぱりな男のめんどくさいところがないと見ていて楽しくないんだ。清算時の驚く顔は俺のものだから、それは三峰先生、いいやお義父さんに了解を得ている。茨棘に言うなよ。それとお前の清算は完済で済ませる。まぁ家一軒分は渡せるが、迷惑料としてもらっておくから、この金は自分の為に使えばいい。洋司さんにいつまでも甘えてもいられないと思うぞ」
「そうですか、お金は楼主の考えで構いません。洋司さんですよね、返すと言っても受け取らないと思う。甘え過ぎた感はあるのでこのお金は自分のこれからに使います。もう洋司さんを頼りません。次の松の位は、紅玉ですか?」
「そうだな、洋司さんもそれを望んでいると思う。松の位は、紅玉になるが、小芝居をして決まると思う。彼は自己肯定感が低いので松の位にはスーッと座らない。茜凛は阿吽で芝居をしてくれるだろう」
「それなら、安心して去れる」
「送別会はいつも無いけど、あの2人は良く頑張ったから褒めてやれば喜ぶから」
「はい、茨棘はいつから?」
「精神的にはだいぶ落ち着いた。後は気力だが、それもあの2人に任せておけば大丈夫だと思える」
「それもそうですね。次世代を残せたことは松の位瑞葵として生きた証しです」
「そうだな」
 良弥は、そう言って事務室から出て行った。次に瑞葵の前には、村雨が座る。瑞葵は頭を下げる。
「身体は本調子じゃなさそうだなぁ」
「村雨にいさんには、感謝しかない。18に遊女見習いとして育ててくれたから、感謝しかないけど、尻切れトンボになってしまって本当にごめんなさい」
 瑞葵は、頭を上げられずに、村雨の顔を見られなかった。手を突き頭を下げて、前を向けない瑞葵には次々に『藤ノ井』での事が思い出して来る。
「何言ってるのさ、此処に初めて来た時の勢いはどこに行ってしまった。本当あの頃は前の遣り手の優鈴にいさんとどうしたものかと悩むくらい跳ねっ返りで茨棘の大人しさをお前に分けて半分にしたいと思っていたんだよ」
 村雨は、少し涙声で上を向いていた。
 瑞葵は青春期をここで暮らした。ある意味苦しみ、ある意味楽しい日々だった。喧嘩っ早い瑞葵をおっとり者の茨棘が宥めて、きっちりと村雨が頬を叩いてけりをつけことを納めてくれた。
 多分、平穏な生活していたら知ること無い世界を体験したこれは全然無駄ではない、徳を積んだと思える。これから2人は違う道を歩んでいくが、関係が無くなるとは思わない。
「もう、松の間は紅玉に渡るからここでは会えないけど、外での同窓会は年に一回、参加して元気な顔を見せて欲しい」
「はい、連絡を取れるようにしておきます」
 村雨と瑞葵は肩を抱いてお互いの泣き顔見て笑いが止まらなくなった。
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