薄明を待つ天女達~南川下町診療所浮世草子

風鈴

文字の大きさ
71 / 77
第四章

それぞれの清算

しおりを挟む
 貴文が、最終便でアメリカに飛びだった次の日紅玉は久乃の診察を受けるために診療所にいた。電紋の後はまだ生々しく肩に残っていたが、女性の力で押し付けられたので多分傷跡も電紋も自然に消えるだろうと言われた。ただ、発情剤の服用で次の発情期に抑制剤を使って過ごす方がフラッシュバックが起きても症状が大きくならないだろうと言われた。
 遊女の仕事はお接待のみとなった。紅玉の身体の傷を治すための処置だと言えば、紅玉の贔屓衆は納得してくれるが、無防備に攫われたことへのペナルティは、これからの問題点として不問となった。
「久乃先生、私、貴文さんと……」
 あの朝食会の時は、貴文の幼い頃の話ばかりであの日の事は触れられなかった。恥ずかしすぎて久乃に頭を下げていた。
「まぁ、不可抗力だ。発情剤が医薬品だったので、あれぐらいですんだが、闇で売っている薬にはひどい副作用があるものがあって、大変なことになっていた。貴文は役得だな。あの時良弥は、茨棘のことが有るので絶対に相手できない。茨棘は良弥の匂いに非常に敏感で、匂い一つで不安定な思考に走るからなぁ。支配人も無理だ。貴文は美味しい所を手に入れたのを非常に喜んでアメリカに発った」
 久乃は笑っていた。
 貴文とは2日彼のベッドで過ごして色々と話し合った。
 紅玉は松の位の仕事を貫徹して、次世代を育てる。そして、Ω保護法に則ってあのレイプ事件を訴えて、司法の判断を受けさせる。それらの雑事を処理して、清算し『藤ノ井』を出ていく。その時は、貴文と番になって医学部で医学を学ぶ。
 貴文は、精力的に勉強をして一流の心臓外科医として帰国する。と2人の中で将来に向けての話をした。2日目の最終便で渡米していた。
「そんな、久乃先生は意地悪ですね」
 顔を真っ赤にして怒る紅玉を見て本当にリンゴにしか見えないと久乃は考えて微笑んだ。
「多分、次の発情期はいつ始まるかわからないから、毎日朝昼晩と体温を測るように何か変化が有れば連絡してくれ」
「はい」
 紅玉は仕事に戻って一週間が過ぎた頃に、瑞葵から手紙をもらった。
『こんにちは
 事件に巻き込まれて大変だったと聞いた。
 ホテルにお前を連れ込んだと供述されたことは心外だが、迂闊だった。自分の戸籍もやっと元に戻ったので焼けて廃墟の烏丸邸を建て直しているので、後4か月経てば新築祝いに茜凛や茨棘にも招待状を渡すので一緒に遊びに来て欲しい。
 それと、Ω保護法の改正等の援護射撃になればと思って、話を今書いている。上手く行けば良い結果を生むだろうから、お前の考えを色々教えて欲しい。体調は、来年には普通のΩとしての発情が始まると言われたが、執行猶予中は海外には行けなくなるので、それが開けてからドイツでイライラしている僕のαを連れて帰ってくる予定だ。
 無理せずに身体をいとえ、手紙を楽しみにしている』
 紅玉は、全てがゆっくりでも良いから前に向いてくれればと思っていた。
 瑞葵の2作目は、野末将克の話を題材にしていた。βの夫婦から急に生まれたαの子が、親の期待に押し潰されて道を誤り、卑怯にも逃げてしまう。その後彼に愛する人ができて、自分の罪に悩まされていく話だった。
 これもこの世に一石を投げた。今まであまり語られなかったαの闇を瑞葵らしくサスペンス仕立てで進んでいく。αの子供を欲しがって、闇で売買されている現実にもメスを入れた問題作として世間を騒がせた。
 それを踏まえてΩ保護法は憲法違反ではないか論議が起こる。そして遊郭の廃止が決まった。今は旧遊郭は歓楽街として生まれ変わった。Ωの抑制剤も画期的な発展を遂げた。そして、街中にも発情期を安全に過ごせる仕組みもできて来た。
 一年後法改正などがあり、遊郭は廃止となった。妓楼はなくなり、遊女は事はできない。遊女も抑制剤を服用して仕事に就く。妓楼『藤ノ井』もクラブに変わり、一階は大きなクラブと二階には個室がある。
 一階のクラブには、バースに関係なく接客するキャストがいる。総キャストの長は松の位と言われて接客は勿論ホステスとして、30人のホステスやホストを束ねていた。二階の個室ではお接待のみになった。遊女は少しずつ数を減らしていくことになった。
 遊女も一般の会社や専門学校に行く者もいて働く幅が広がって清算する者も出てきた。それでも昔ながらのお接待を受けたいと言うお客様は多く、『藤ノ井』は繁盛していた。
 茨棘が25歳の誕生日1カ月前に清算した。彼は、竹の位復帰後は、事を一切しないでお接待のみでお客様と接していた。それでも彼の贔屓のお客様は減りはしなかった。彼との会話や彼の絵を見たりしてゆっくりとした時間を過ごすのを楽しみに来てくれた。
 茨棘は楼主の前に座って頭を下げた。
「楼主、長い間見守って頂きありがとうございました、無事にこの日を迎えることになりました」
 良弥は茨棘を見て、徐に精算書を渡した。茨棘はそこに完済の文字を見て嬉しくて涙が溢れて来る。それを見て良弥は話した。
「茨棘、これが精算書だよ、お前は良く頑張った。俺がしたことはお前の借金を緩やかに返済できるように手を回しただけだよ。借金はお前が稼ぎ全て返したんだ。胸を張ってここから出れば良い」
「はい、ありがとうございました」
 良弥は席を外すと変わりに村雨が入って来た。
「茨棘、良くやったね。これで晴れてあの人の胸に飛び込むんだよ、ためらっちゃダメだよ。わかっているね。あの人をこれ以上一人にしちゃいけないよ」
「村雨にいさん、わかっている。だけど、本当に俺で良いのか?」
「馬鹿な子だね、今更ひよっても始まらないよ。もう腹を括りなよ」
「そう……だね。ここまでわがまま聞いてくれたあの人をもう待たせないよ。もう私も待てない」
「そうだよ、お前は何も考えないで良いんだよ」
「はい、長い間見守って頂きありがとうございました」
 茨棘は騒動の後に母親の位牌を作って毎日祈りそして、その位牌を持って2人で『藤ノ井』を出て行った。
 紅玉が松の位になって3年の春に紅玉は医学部に入学するその2か月前のバレンタインの日、紅玉は『藤ノ井』を清算した。
 その1カ月前に紅玉は楼主と対峙していた。
「楼主、そろそろ清算させて頂きます」
「紅玉、ご苦労様でした。ここまで無事に終着できたのはお前のおかげだと思っている」
「楼主、もったいないお言葉です。私は楼主がいなければあのまま生きていたのかわからなかったんです。楼主が久乃先生に引き合わせてくれたから、ここまで来れたんだと思います」
 2人はそれぞれに出会った時の事を思い出していた。あっという間に過ぎた日々は確実に2人を違う場所に押し流して行った。そして、次の場所へと連れていくのだと思った。
「終わり良ければすべて良し。ところで、あいつはいつ帰って来るんだ」
「来月の発情期前には戻って来ます」
「具体的な日程がわかったら、連絡してくれ」
「はい」
 紅玉は、たったの6年で自分も誰彼も変わったと感じた。足踏み状態だったと他人には思われるかもしれないが、この6年があったから次に踏み出せると感じた。
 紅玉の清算の話の後に茜凛は良弥に呼ばれた。
「茜凛、見受けか清算ならお前はどれが良い?」
 良弥の突拍子のない言葉に
「清算でも良いですか? 紅玉も出て行くからひとりは嫌です」
 茜凛は素直に答える。
「ふーん、紅玉は2次試験前にここを出る。その後に発情期を過ごして2次試験に臨むらしい。紅玉と一緒が良いか?」
「紅玉をちゃんと見送ってからラウンジでラストライブをしてお客様にちゃんと挨拶して次の日に出て行く」
 茜凛にとっても良弥は兄であり親であった。だからある程度の融通も聞いてもらえると思ってお願いする。
「わかった。清算なら書類を作成しておこう」
 良弥にとって茜凛は弟のようで、息子のようなものなので、彼の幸せのために平太を一人前にしてきた。茜凛の成長に泣きそうだった。
 2月に入った頃に、紅玉と茜凛は清算を済ませて『藤ノ井』を出て行く。紅玉は茜凛より1日前に去ることになった。茜凛はお別れライブをした次の日に去って行った。
 紅玉はひとり『藤ノ井』を出て行く。『藤ノ井』の周りにあった堀はもう埋められてないが、橋の名残をひとりで渡る。あの時の下僕頭だった圭太の言葉『勝手に遊女が、1人で『藤ノ井』から出ることは許されません。遊女の出入りはここしかありません。この橋は遊女が年季が終わって清算して出るか、他の所に移籍するか、亡くなって渡る時以外は一人で渡ることは許されていません』を思い出す。あの時に閉ざされたと思ったが、それは違うと今は思う。羽橋は紅の悪運をシャットアウトしてくれた。そして、明るい未来への道に向かわせたことに感謝した。振り向かずに前を見つめて次の煌めきを探しに行く機会を与えたと思った。
 スーツケースを転がしながら前を向くと一台の車が止まっている。最愛の人が、バラの花を持って待っていた。咲山紅は、ふと振り向き青空を見上げて笑う。待つ人を見つめて胸に飛び込んで口づけをする。
 助手席に座って運転席に乗り込んできた人にもう一度微笑む。
 車は静かに旧南川遊郭を出て行く。紅は車窓から見える『藤ノ井』が、揺れて滲む姿に一言「ありがとう、さよなら」と呟いた。

 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

交際0日婚の溺愛事情

江多之折(エタノール)
BL
死にたくはない。でも、生きたくもない。ふらふらと彷徨う根無し草は、世界の怖さを知っている。救いの手は、選ばれた者にだけ差し伸べられることも知っている。 だから緩やかに終わりを探して生きていた。 ──たった数回の鬼ごっこを経験するまでは。 誠実すぎて怖い人は、4回目の顔合わせで僕の夫となる。 そんな怖がりな男と誠実な男の、結婚生活の始まり。 ■現実だけど現実じゃない、そんな気持ちで読んでください。 ■家庭に関してトラウマを抱えている方は読まない方が良いと思います。

落としたのは化粧じゃなく、みんなの心でした

444
BL
『醜い顔…汚らしい』 幼い頃、実母が病気によって早くに亡くなった数年後に新しい義母からそう言われたシリルは、その言葉が耳に残って16歳となった今も引きずっていた。 だが、義母のその言葉は真っ赤な嘘でシリルはとても美しかった。ただ前妻の息子であるシリルに嫉妬した結果こぼした八つ当たりの言葉であったのをシリルは知らずに、義母のいう醜い顔を隠すために化粧をする。 その結果、彼は化粧によって本当に醜い顔になってしまった。そんな彼が虐げられながらも徐々に周囲を絆す話 暴力表現があるところには※をつけております

守り守られ

ほたる
BL
主治医 望月診療所の双子医師 患者 瀬咲朔 腸疾患・排泄障害・下肢不自由 看護師 ベテラン山添さん 準主人公 成海真幌 腸疾患・排泄障害・てんかん 木島 尚久 真幌の恋人同棲中

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とスタッフ達とBL営業をして腐女子や腐男子たまに普通のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

虚ろな檻と翡翠の魔石

篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」 不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。 待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。 しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。 「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」 記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中

処理中です...