私は人魚を殺したい

土耳古石

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一方通行の出会い

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「嘘だ嘘だ嘘だ……」
 私は強く爪を噛む。
 大好きだったアイドルが引退宣言をした。しかも、結婚発表と共に。相手は三年前ドラマで共演していた俳優の男だった。やけに距離が近いと当時もSNSで話題になっていた。
 彼女と出会ったのは私がまだ十歳の頃だった。私はその頃から人付き合いが苦手でいつも独りだった。ある日、彼女のライブがテレビで流れた。彼女は歌が下手だった。ダンスもぎこちなく、受け答えもしどろもどろ。おまけにメンバーとの関係もあまり良好ではなかった。でも、可愛かった。すごく可愛かった。音程を外したことも、位置移動で転んだことも、インタビューで何回も噛んで聞き取り辛かったことも、全部許せるくらい可愛かった。彼女は不器用だったけど、だからこそいつも素直だった。
 だから私は彼女を信じていた。彼女の熱愛報道が出るたびに、大して好きでも詳しくもないニワカどもが騒ぎ立てるのを一つ一つ反論して回った。アカウントが何度凍結されようとも諦めなかった。リプライ欄に蔓延る記事を読みもせず暴言を吐いたり、擁護のふりをして彼女を責め立てたり、脈絡もなく卑猥な言葉を連ねたりするアカウントも、裏垢全てを使って片っ端から通報した。私はいつだって彼女を守っていた。
 女子校出身だから男性は苦手でむしろ女の子の方が可愛くて好きだって、ファンの子たちが一番だって言っていたのに。握手会の時、いつも来てくれてありがとう、大好きだよっていってくれたのは、嬉しそうに笑ってくれたのは、全部全部嘘だったの? 私が舞い上がって浮かれている間に、裏では彼氏と順調にステップ踏んでたってこと?
「はあ、ひう、く、うっ、ふ、うううううっ」
 涙が溢れて止まらない。裏切られた心の傷がジクジクと傷んだ。八つ当たりするように押し入れからダンボール箱を取り出しひっくり返す。雑誌、ペンライト、タオル、パーカー、缶バッチ、キーホルダー。彼女の笑顔が私を見る。これに一体いくら使っただろう。昨日までは見ているだけで幸せになれる宝物だったのに、今となっては屑山だ。私はそれらを全部紙袋に詰め込んだ。そして、それを肩にかけて家を飛び出した。
 紙袋は思ったよりも丈夫で底が抜けることも取っ手が千切れることもなかった。夕凪の時間が終わり海風が強く吹いて涙を乾かした。
 私は海を目指した。この忌まわしい物を捨てるためだ。本当は燃やしたい気持ちもあったけれど、それでも好きだった女の顔を灰にすることは私にはできなかった。
 その日、私は初めて夜の海を見た。炭をとかしたような黒々とした水がどこまでも満ちていた。一度沈めば底に着くことはないのだと思うほど深かった。丁度いい。これの墓場にぴったりだ。
 私は大きく腕振って紙袋を海に投げた。思った以上に勢いがついて体が引っ張られる。落ちそうになりながら何とか踏ん張っていると、ばしゃんと音が聞こえた。これで終わりだ。
 さようなら、私が愛した女。もう二度とその面見せるなよ。
 私は笑った。失恋した自分に酔っていた。私は泡になって消えたりしない。もっと可愛くて、もっと純粋で、もっと清らかな子を好きになってやる。
 私はすっきりとした気持ちで海を見下ろした。夜空を映す鏡みたいだった。私の全部を受け入れてくれたような気がした。私は踵を返して立ち去った。気分はさながら夜の女王。

 私は知らなかった。あのゴミが誰の手に渡っていたのか。私の後ろ姿をじっと見つめる二つの金色の瞳を。
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