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【第二部】魔王覚醒編
32)回収、追撃、そして
しおりを挟むドーヴィはじっとタイミングを計っていた。グレンの攻撃が緩む瞬間。屋敷から離れ、フィルガーの注意が逸らされた瞬間。ローデン達がグレンから十分に距離を取った瞬間。
グレンの魔力が豊富なのは確かだ。そして、体力が人並以下であることも、確かだ。
(……今!)
グレンが魔法を放ち、肩で大きく息をした瞬間。ドーヴィは、大地を蹴って駆けだした。身体強化魔法は使わない、その魔力すら今は惜しい。
ドーヴィに気が付いたグレンが、その光のない目を丸く見開く。咄嗟に右手を振ろうとするが――
「遅いッ!」
――ドーヴィの方が早く、グレンを抱き込むようにして地面を転がった。
「ドーヴィ殿!」
遠くでローデンが叫ぶ声が聞こえる。構わず、ドーヴィはグレンを抱えたまま足の筋力だけで立ち上がり、走り出した。
あの場は、ローデンが何とかしてくれるだろう。とにかく、ドーヴィはこのグレンを天使マルコのところまで連れて行けば良い。
……が、捕えられたグレンが大人しくしているわけもなく。
「い、ってええ!!!」
ドーヴィの腕の中で暴れるわ、顎に頭突きをするわ、この至近距離で魔法を使うわ、やりたい放題である。
もちろん、ドーヴィとて頭突き程度はとにかく、さすがにグレンの魔法を受けるわけにはいかない。自身の背後に出現していた氷の槍を、省エネ障壁でピンポイントに弾いていく。
「あのなあ! この距離でそれ使ったらお前も串刺しになるだろうが!」
と言っても、腕の中のグレンは何も応えず。あくまでも魔獣がグレンの記憶から行動パターンを構築しているだけなので、その場で発生した新しい事には対応できないのだ。コミュニケーションができない、とも。
チッ、とドーヴィは舌打ちして「グレン、許せ」と小さく呟いた。非常に強い、全身を麻痺させる魔法をグレンに放つ。意識までは奪わない、魔獣が無駄に抵抗して中にいる本物のグレンがケガでもしたら困るからだ。
「……!」
口を何度か戦慄かせ、目を丸くした後にグレンはドーヴィの腕の中でぐったりと力を失くす。……大人しくはなったが、その様子はまるで死んでいるようで、ドーヴィの心臓に悪い。
それに、麻痺させるというのも健康に悪いものである事は間違いない。とにかく、早くマルコにグレンを引き渡さなければ。
再度、駆けだそうとするドーヴィの背後に――声が。
「いたぞ!」
「その男も悪魔だ! 奴もまとめて射るんだ!」
ハッ、とドーヴィが背後を振り返れば、そこにいたのは。
神々しい鎧に身を包んだ、教会騎士達だった。そのうち、指示を出している大男は天使。
「くっ!」
咄嗟にドーヴィはグレンを胸元に抱え、障壁を全力で張る。
――しかし、天使が使う弓矢は対悪魔特効装備であり。
その障壁を容易く割り砕き、何本かドーヴィの体に突き刺さる。グレンの頭突きが可愛らしく思えるほどの激痛が、ドーヴィを襲った。
「クソッ!」
肩や背中に矢を生やしたまま、ドーヴィは魔力を振り絞って身体強化を掛けた。背後の障壁も張り直しておく。障壁を割られようとも、そこで一度は天使が放つ矢の力を削げるのだから、張っておいた方が良い。
そうしなければ、強力な天使の矢はドーヴィの体を貫いて腕の中のグレンまでも傷つけるだろう。それだけはドーヴィが許さなかった。
『マルコ! どこだ! 教会に追われてる!』
『! わかりました! 向かいます!』
姿を潜めているマルコに通信を入れ、ドーヴィはグレンを抱えたまま雑木林を走り抜ける。
「逃がすか!」
「チッ! 天使風情が!」
追ってきているのは、教会騎士の中でもドーヴィが天使と見抜いた大男と、もう一人。どうやら普通の人間はこの逃走劇のスピードに追い付けないから置いてきたらしい。
天使の足を止めるために軽く魔法を放つが、相手はその攻撃を軽く払って見せる。
あの身に着けた鎧の重さを感じさせないほどのスピードで、ドーヴィとの距離を縮めてきた。また、走りながら矢を射かけられ、ドーヴィが弾ききれなかった矢が体に刺さる。
「ぐ……っ!」
例え矢が刺さった場所から血が流れようとも、ドーヴィは足を止めない。教会の目的は、自分とグレンの抹殺だ。自分の方はとにかくとして、グレンの方は……下手をすれば、魔王としてその首を晒し物にされるかもしれない。
(冗談じゃねえ!)
ただ殺すだけでなく、死体からも人間としての尊厳を奪われる。例えドーヴィがグレンを蘇らせたとしても、その失った尊厳は取り戻せないだろう。
それに。もう一度、グレンにあの死の恐怖を味わわせたくない。今でも命に刻み込まれ、グレンを酷く苦しめるあの恐怖は。
「ハッ、ハッ……」
息を荒げ、ドーヴィは何度か魔法を放ち、教会の……いや、天使二人の足を止めようとする。いくつかは成功したが、またすぐに追いつかれてしまう。
(だめだ、魔力が足りねえ……!)
もうドーヴィの手元には、グレンを守るために作り上げた分身体の分しか残っていない。かといって、向こうを解除するのはグレンに危険が及ぶ。
背中や肩、足から血を流し、ドーヴィはグレンを抱え直して大木の影に身を潜めた。目潰しの魔法が効いたおかげで、天使とは距離を取ることができた。
しかし、見つかるのも時間の問題だろう。そもそも、天使からしてみれば世界の管理対象である人間のグレンの位置を特定するのは容易なのだ。
どうする、と失血の為に朦朧とする頭で、ドーヴィは逃げ出す手段を考える。魔力が足りないのはもちろん、天使のコマンドで使える行動が封印されたままなのが痛い。
普段であればこの程度の傷も、一瞬で治すのだが。今回ばかりは、この肉体が限界を迎えるまで手の打ちようが無かった。
別にこの肉体が滅びても、ドーヴィは死ぬわけではない。この世界で活動できなくなるだけだ。ドーヴィ本体は、世界から脱出して元の自分の世界……悪魔や天使達が住んでいる、上位世界に戻れば良いだけ。
とは言え、ここでドーヴィが脱落すれば、誰がグレンを守るというのか?
だから、ドーヴィは全身血まみれになり、心臓が危険信号を出していても、グレンを抱える腕の力は緩めない。死なないから、ではなく、自分しかグレンを守れないと理解しているから。
(後は一か八か、クソ天使と話し合いで解決するか……)
ひゅう、と苦し気に喉を鳴らしながら、ドーヴィは絶望的な状況の中でも諦めずに手段を探す。これだけ攻撃されている状態で、天使がどれだけドーヴィの言葉を聞き入れるか、という問題はあるが。それでも、恐らくやらないよりはマシだろう。
もし、天使がドーヴィの言葉を聞いてくれると言うなら。今なら、土下座でもやってやるし、靴を舐めろと言われたら喜んで舐めてやる。それでグレンが助かるなら、安いものだ。
近づいてくる天使の気配に、ドーヴィは唇を噛む。
――そこに、もう一人、天使の気配が。
「待ちなさい!」
「!」
追手の天使二人と、ドーヴィの間に割って入ったのは、天使マルコだ。戦闘能力を持たない、普通の人間と変わらない肉体しかもたない男が。
「貴方は……7736988号。どうして、ここに?」
ぴたり、と足を止めた天使二人のうち、大男が訝し気にマルコに話しかける。
マルコの登場で、天使の足が止まったことにドーヴィは少しばかり安堵の息を漏らした。このまま逃げるべきか、と悩むが、どうせグレンを託すべきマルコがここにいるのだからそのまま待機しておいた方が良いだろうと考え直す。
……もし、マルコが天使間で仲間割れをして討伐されるようなことになれば。グレンを治す当てがなくなる。
そうならないように、ドーヴィは天使達のやり取りへ意識を向けた。万が一、マルコに危害が及ぶようなら、ドーヴィが彼を庇わなければならない。
「9082048号、9087576号。上位大天使である60006号様より、命令変更が下されています」
「……そのようなものは、届いておりません」
マルコの言葉に、天使は二人揃って首を振る。それを見たマルコだったが、同じように首を振って続けた。
「再確認を。それでも届いてないと言うのですか?」
「再確認します。……届いておりませんね」
「9082048号と同じく。私の元にも、届いておりません」
天使二人はマルコに促され、何か探すように視線を宙に彷徨わせたが、すぐに視線をマルコへと戻した。そして、マルコに対して少しばかり不信感を露わにする。
「7736988号、現在私たちは魔王討伐の任務中です。それを害するのであれば、任務執行妨害で貴方を討伐することになりますが」
すっと天使の一人が剣を抜き、マルコへと向ける。
戦闘能力を持たないマルコは、その剣を避ける力も防ぐ力もない。きらりと光る剣先に、マルコはさすがにごくりと唾を飲み込む。
肉体が滅びても復活する悪魔と違い、天使は死ねばそれまでだ。厳密に言えば、死んだ時点で天使としての人格と記憶をリセットされ、新しい天使に生まれ変わる。
命はそのまま同じものを使うから、ある意味では同一人物とも言えるが。強制的に転生させられる、と言った方が早いだろうか。
「いえ、もう一度、命令の確認を――」
「くどいです、7736988号」
同じことを繰り返すマルコに、業を煮やしたのか天使が剣を振りかぶる。思わず、マルコは頭を守るように両腕を上げた……ところで。
『ちょーーーっと待った! タイムタイム!』
「!?」
突如、三人の天使の脳内に通信が割り込んできた。びくり、と三人揃って体を震わせ、振り下ろそうとしていた剣をぴたりと宙で止める。
『いや~間に合った間に合った。えーっと9082048号、9087576号、魔王討伐任務中? だっけ?』
「そうです」
口に出して、天使は脳内の通信に応える。
木の陰で聞き耳を立てていたドーヴィだけが、会話の展開についていけていない。が、今にもマルコを守るべく飛び出そうかとしていたところで、何かしら動きがあったことで再度腰を落ち着かせていた。
そんな悪魔の気を知らず、三人に通信を入れた上位大天使こと60006号は話を続ける。
『ごめんね~ちょっと聖女の仕事が長引いちゃってね~! 魔王討伐任務については、取り消し。また、これ以降、許可があるまでそこにいる愛と父性の悪魔・ドーヴィに対して、攻撃は不可』
「!? な、なぜですか!?」
軽い口調で申し渡された新しい命令に、思わず声を荒げて問い返す。教会騎士、戦闘用天使である彼らにとって、悪魔は討伐すべき対象であり、見逃すなどということはあり得ないのだ。
『こっちの手落ちがいろいろあってねえ。さすがに、この状況でその悪魔を討伐するのは筋が通らないって』
「そんな……」
『まあまあ、詳しくは後で教えてあげるから。それとも……創造神様の決定に、貴方は異を唱えるのですか?』
「!!」
凛とした60006号の言葉に、天使二人はサッと跪き、創造神に捧げる礼の姿勢を取った。片膝をつき、深く頭を垂れる。
「滅相もございません。創造神様の決定は絶対です」
『よろしい。……それで、7736988号』
「はい」
天使二人に続いて、マルコも同じく創造神を礼拝する際の姿勢を取る。創造神が目の前におらずとも、その意が『そこにある』のならば、天使達は敬意を払わなければならない。
『確か魔獣を滅するための道具は持っていますね?』
「はい。使用できることも確認してあります」
『うむ、うむ! じゃ、君は予定通りグレン・クランストンの浄化を。その後は、彼を保護してあげて』
「はいっ!」
マルコは力強く応える。ギリギリで、上位大天使様が、間に合った。それも、創造神という絶対唯一の存在を味方に付けて。その事実に、マルコは心底、安堵した。
誰が何を言おうとも『創造神のお言葉』があると言うだけで、マルコ側に絶対的な正義が存在するのだ。この世界も、他の世界も、全て作り給うた絶対神であるから。
『んーこんなもんかな。ごめんね、アタシもすぐ聖女の仕事に戻らないといけないから。9082048号、9087576号、時間があるならそこの7736988号のサポートをするように』
「了解いたしました」
『じゃーね、あとよろしく!』
受信した時と同じように、上位大天使である60006号は唐突に通信を切って去って行った。
残されたのは、頭を垂れたままの天使三人のみ。
先に動き出したのは、天使マルコの方だった。
「……そういうわけ、ですので……」
「……事情はわかりませんが、命令ですから。では、我々は現時刻を持って貴方がたの護衛任務に移行します」
渋い顔をしながら、天使はそう言った。当たり前だ、なぜ戦闘用天使である自分たちが、討伐すべき対象である悪魔を護衛しなければならないのか。
だがしかし、上司である上位大天使にそう命令され、さらに裏に創造神の意図があると言われてしまっては、何も言い返せない。
抜いた剣を鞘に戻し、彼は再び嫌そうに大きなため息を吐いた。
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