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第四章 揺らぐ玉座と誓い
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先日の政務会議以来、宮中の空気がぴんと張りつめている。書房を吹き抜ける風は爽やかなのに、肌を刺すような冷たさがあった。
東宮書房の控えの間では小宦官たちが忙しく動き回っている。
「これらの書簡を李詹事の元へ持って行ってまいります」
「政務棟へ行ってまいります」
「この書簡はどこの案件ですか?」
多くの書簡が集まるようになり、小宦官の手が足りない。凌雪が人を増やしたいと李徳謙に進言したが、「東宮の他の場所から動かせる人員がいない」とあっさりと断られた。
凌雪は自ら控えの間と書房を行き来する。走り回るように動いても、それでも書類は減らなかった。
「しばらく書房内で仕事をする。何かあったら声をかけてくれ」
控えの間に残る小宦官へ声をかけ、書房に入った。
「お前も忙しいな」
書房に入るなり奏書から顔を上げずに景耀がいった。
「はい。控えの間の手が足りませんゆえ……」
「凌雪、これを」
景耀は先ほどまで目を落としていた奏書に筆を入れ、差し出した。凌雪は執務机に近づき書簡を受け取ろうと手を伸ばすと、景耀の指先が触れた。
その瞬間、景耀は自分の指を凌雪の指にそっと絡めた。触れ合った指先に熱がこもる。
「……っ!」
心臓が跳ね上がる。こんな不意打ち、卑怯すぎる。
「凌雪、あまり無理をせぬようにな」
「はっ!」
景耀は目を細めて優しく微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、凌雪の頬は一気に熱くなり、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
――ダメだ! 仕事に集中しないと!
景耀はそんな凌雪の様子を楽しむようにじっと見つめていた。その視線が熱い。そして名残惜しそうに指を開放するといった。
「そちらの書簡を宰相府へ持って行ってくれ」
「承知いたしました」
凌雪は赤くなった頬を隠すように俯きながら、書房を後にした。
*
宰相の執務室に向かう途中、誰かの視線を強く感じた。気のせいではない。政務会議以後、書房を出るたびに背後に人の気配を感じている。
――私など監視しても仕方がないのに。
そっと振り返るが、回廊は静まり返り、誰の姿も見えない。だが、気配だけは確かに残っている。
官吏ではなく、刺客でも送り込まれているのかもしれない。そこまで重要な存在であるとは思えないのだが――。そう思いつつ、極力足音を立てないように注意深く進んだ。
途中、庭園を通りかかると、花の季節はすっかり終わり、庭の木々も赤や黄色に色を変えて冬支度を始めているようだった。庭園から吹き抜ける風がひんやりと肌を刺す。
凌雪は宰相執務室の控えの間に到着すると拱手をした。
「王太子殿下より書簡をお預かりしてきました」
一斉に凌雪に冷たい視線が突き刺さる。
「また、中庶子殿がいらっしゃったぞ」
控えの間に冷ややかな笑いが響き渡る。その笑い声は耳障りだ。
奥に座っている書記官が近寄ってきた。
「確認しますゆえ、そちらでお待ちください」
書房に続く大扉の前で待つようにいわれ、書記官が書簡を確認するのを待った。
すると、中から聞き慣れた声が聞こえてきた。
『このところ、私を遠ざけていて監視ができないのです』
『それをやるのがお前の仕事だろう? それとも私が手を貸そうか?』
冷ややかな笑い声が響き渡る。
一人は宰相であることはすぐにわかったが、もう一人は聞き覚えのある声であることに気づいた。
――李詹事?
監視をするとは、誰を監視するのだろうか。もしかして、李徳謙は――。そう考えると、全身の血の気が引くのがわかった。
――やはり、李詹事は殿下を裏切っているのか……。
胸が締め付けられる。信頼していた重臣の裏切り。それは景耀にとってどれほどの痛手だろうか。
*
東宮控えの間に戻ると、韓文が声をかけてきた。
「中庶子様」
「どうした?」
韓文は声をひそめていった。表情は真剣そのものだった。
「このところ、東宮内に宰相派の者が頻繁に出入りしているようです」
「それは本当か?」
凌雪は眉をひそめた。東宮内に――景耀の領域に、宰相派が侵入しているのか。
「何か探っているやもしれませんゆえ、お気をつけください。宰相の気に障ることをすれば、害されることも……」
「覚悟の上だ。私は殿下をお守りするのみ」
凌雪は拳を強く握りしめた。周囲が敵ばかりの景耀を守れるのは自分だけだ。それが自分の存在意義なのだ。
凌雪は最近、回廊に出るたびに誰かの視線を感じていたことを思い出した。
――もしものために衛兵を増やした方がいいかもしれん。
東宮には、どこか不穏な空気が漂っていた。
*
夜になり、宦官たちが回廊の灯籠に火を入れ始めた。以前より書房前には多くの灯籠が配置され、兵も増員された。できうるかぎりの準備は整えているつもりだった。
しかし、これだけで完全に防げるわけもない。以前、東宮の中庭に刺客が入り込んでいたということもあったからだ。
「殿下、外を少し見てまいります」
「ああ」
景耀は書簡から顔を上げ、うなずいた。
回廊に出ると、夜風が肌を撫でていった。その冷たさに思わず身震いをする。月明かりが石畳を照らし、影が長く伸びている。
角を曲がると空気を切る音が響き渡り、細身の飛鏢が飛んできた。凌雪の肩をかすめ、格子窓に刺さった。
「何者!」
凌雪はすかさず袖に隠し持っていた短剣を抜いた。すると、回廊の外から数人の官吏の姿をした者が出てきた。
しかし凌雪は彼らの姿を見て、すぐに正体を見抜いた。その動きは官吏のものではなく、まさしく刺客だった。
そしてすぐさま大声を上げた。
「刺客が侵入しておるぞ!」
その声を聞くと、刺客たちは一斉に凌雪へ襲いかかってきた。暗器が空を切り、凌雪に向かってくる。それを短剣で弾き飛ばし、襲いかかってくる刺客に応戦した。
軽い身のこなしで刺客を倒してゆくが、相手は多勢だ。
――この先に行かせるわけにはいかない!
凌雪は必死に応戦するが、一人でどこまで持ちこたえられるかわからなかった。襲いかかってきた刺客を剣でいなし、攻撃を加えようとしたとき、別の刺客から放たれた飛鏢が凌雪の右肩を貫いた。
「うっ!」
鈍い痛みが肩から広がり、血がぽたぽたと落ちる。視界が一瞬、真っ白になった。
そのとき、回廊を急ぐ靴音が聞こえ、振り向くと多くの衛兵がやってきた。それを見た刺客はすぐにその場を後にした。
凌雪は肩を抑えた。どくどくと血が流れ出て指先から滴ってくる。生ぬるい血が手を伝う。
「殿下、おやめください! まだどこかに刺客が潜んでいるやもしれません!」
回廊の先で衛兵が叫ぶ。その様子からすると、どうやら景耀が様子を見に来たらしい。
「かまわぬ!」
景耀の声を耳にすると、膝が崩れ落ちた。力が抜けていく。
――よかった。殿下がご無事で……。
徐々に視界がぼやけて意識が遠のいた。
*
目を覚ますと、白い天井が目に入った。薬草の香りが鼻をつく。見覚えのある天井だ。
「うぅっ……」
肩の痛みで思わず唸り声を漏らした。それを聞いた老医官が近づいてきた。
「目が覚めましたかな? またお会いしましたな」
老医官は優しい笑みを凌雪に向けた。
「……わたくしは……?」
「殿下自ら血まみれの中庶子殿を医局まで運ばれたのですよ。いやはや、驚きましたなぁ」
医官が目を細めて微笑むと、凌雪は驚きで思わず目を見開いた。
殿下が――自分を運んでくれたのか。
「止血はできておりますゆえ、今日は自室でゆっくりとお休みください。殿下は数日養生するように仰せでしたぞ」
「そうですか……」
「中庶子殿はお若いゆえ、すぐに傷も癒えましょう。飛鏢に毒も仕込まれていなかったため、命拾いされましたな」
――私を排すつもりなら、毒が仕込まれていてもおかしくない。だがそれがなかったということは、殿下に対する警告か?
そう考えると胸の中がざわついた。
「ありがとうございます。今日は部屋で養生したいと思います」
「あまり無理をなされなさんな」
凌雪は医官に礼をいうと自室へと戻った。
東宮書房の控えの間では小宦官たちが忙しく動き回っている。
「これらの書簡を李詹事の元へ持って行ってまいります」
「政務棟へ行ってまいります」
「この書簡はどこの案件ですか?」
多くの書簡が集まるようになり、小宦官の手が足りない。凌雪が人を増やしたいと李徳謙に進言したが、「東宮の他の場所から動かせる人員がいない」とあっさりと断られた。
凌雪は自ら控えの間と書房を行き来する。走り回るように動いても、それでも書類は減らなかった。
「しばらく書房内で仕事をする。何かあったら声をかけてくれ」
控えの間に残る小宦官へ声をかけ、書房に入った。
「お前も忙しいな」
書房に入るなり奏書から顔を上げずに景耀がいった。
「はい。控えの間の手が足りませんゆえ……」
「凌雪、これを」
景耀は先ほどまで目を落としていた奏書に筆を入れ、差し出した。凌雪は執務机に近づき書簡を受け取ろうと手を伸ばすと、景耀の指先が触れた。
その瞬間、景耀は自分の指を凌雪の指にそっと絡めた。触れ合った指先に熱がこもる。
「……っ!」
心臓が跳ね上がる。こんな不意打ち、卑怯すぎる。
「凌雪、あまり無理をせぬようにな」
「はっ!」
景耀は目を細めて優しく微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、凌雪の頬は一気に熱くなり、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
――ダメだ! 仕事に集中しないと!
景耀はそんな凌雪の様子を楽しむようにじっと見つめていた。その視線が熱い。そして名残惜しそうに指を開放するといった。
「そちらの書簡を宰相府へ持って行ってくれ」
「承知いたしました」
凌雪は赤くなった頬を隠すように俯きながら、書房を後にした。
*
宰相の執務室に向かう途中、誰かの視線を強く感じた。気のせいではない。政務会議以後、書房を出るたびに背後に人の気配を感じている。
――私など監視しても仕方がないのに。
そっと振り返るが、回廊は静まり返り、誰の姿も見えない。だが、気配だけは確かに残っている。
官吏ではなく、刺客でも送り込まれているのかもしれない。そこまで重要な存在であるとは思えないのだが――。そう思いつつ、極力足音を立てないように注意深く進んだ。
途中、庭園を通りかかると、花の季節はすっかり終わり、庭の木々も赤や黄色に色を変えて冬支度を始めているようだった。庭園から吹き抜ける風がひんやりと肌を刺す。
凌雪は宰相執務室の控えの間に到着すると拱手をした。
「王太子殿下より書簡をお預かりしてきました」
一斉に凌雪に冷たい視線が突き刺さる。
「また、中庶子殿がいらっしゃったぞ」
控えの間に冷ややかな笑いが響き渡る。その笑い声は耳障りだ。
奥に座っている書記官が近寄ってきた。
「確認しますゆえ、そちらでお待ちください」
書房に続く大扉の前で待つようにいわれ、書記官が書簡を確認するのを待った。
すると、中から聞き慣れた声が聞こえてきた。
『このところ、私を遠ざけていて監視ができないのです』
『それをやるのがお前の仕事だろう? それとも私が手を貸そうか?』
冷ややかな笑い声が響き渡る。
一人は宰相であることはすぐにわかったが、もう一人は聞き覚えのある声であることに気づいた。
――李詹事?
監視をするとは、誰を監視するのだろうか。もしかして、李徳謙は――。そう考えると、全身の血の気が引くのがわかった。
――やはり、李詹事は殿下を裏切っているのか……。
胸が締め付けられる。信頼していた重臣の裏切り。それは景耀にとってどれほどの痛手だろうか。
*
東宮控えの間に戻ると、韓文が声をかけてきた。
「中庶子様」
「どうした?」
韓文は声をひそめていった。表情は真剣そのものだった。
「このところ、東宮内に宰相派の者が頻繁に出入りしているようです」
「それは本当か?」
凌雪は眉をひそめた。東宮内に――景耀の領域に、宰相派が侵入しているのか。
「何か探っているやもしれませんゆえ、お気をつけください。宰相の気に障ることをすれば、害されることも……」
「覚悟の上だ。私は殿下をお守りするのみ」
凌雪は拳を強く握りしめた。周囲が敵ばかりの景耀を守れるのは自分だけだ。それが自分の存在意義なのだ。
凌雪は最近、回廊に出るたびに誰かの視線を感じていたことを思い出した。
――もしものために衛兵を増やした方がいいかもしれん。
東宮には、どこか不穏な空気が漂っていた。
*
夜になり、宦官たちが回廊の灯籠に火を入れ始めた。以前より書房前には多くの灯籠が配置され、兵も増員された。できうるかぎりの準備は整えているつもりだった。
しかし、これだけで完全に防げるわけもない。以前、東宮の中庭に刺客が入り込んでいたということもあったからだ。
「殿下、外を少し見てまいります」
「ああ」
景耀は書簡から顔を上げ、うなずいた。
回廊に出ると、夜風が肌を撫でていった。その冷たさに思わず身震いをする。月明かりが石畳を照らし、影が長く伸びている。
角を曲がると空気を切る音が響き渡り、細身の飛鏢が飛んできた。凌雪の肩をかすめ、格子窓に刺さった。
「何者!」
凌雪はすかさず袖に隠し持っていた短剣を抜いた。すると、回廊の外から数人の官吏の姿をした者が出てきた。
しかし凌雪は彼らの姿を見て、すぐに正体を見抜いた。その動きは官吏のものではなく、まさしく刺客だった。
そしてすぐさま大声を上げた。
「刺客が侵入しておるぞ!」
その声を聞くと、刺客たちは一斉に凌雪へ襲いかかってきた。暗器が空を切り、凌雪に向かってくる。それを短剣で弾き飛ばし、襲いかかってくる刺客に応戦した。
軽い身のこなしで刺客を倒してゆくが、相手は多勢だ。
――この先に行かせるわけにはいかない!
凌雪は必死に応戦するが、一人でどこまで持ちこたえられるかわからなかった。襲いかかってきた刺客を剣でいなし、攻撃を加えようとしたとき、別の刺客から放たれた飛鏢が凌雪の右肩を貫いた。
「うっ!」
鈍い痛みが肩から広がり、血がぽたぽたと落ちる。視界が一瞬、真っ白になった。
そのとき、回廊を急ぐ靴音が聞こえ、振り向くと多くの衛兵がやってきた。それを見た刺客はすぐにその場を後にした。
凌雪は肩を抑えた。どくどくと血が流れ出て指先から滴ってくる。生ぬるい血が手を伝う。
「殿下、おやめください! まだどこかに刺客が潜んでいるやもしれません!」
回廊の先で衛兵が叫ぶ。その様子からすると、どうやら景耀が様子を見に来たらしい。
「かまわぬ!」
景耀の声を耳にすると、膝が崩れ落ちた。力が抜けていく。
――よかった。殿下がご無事で……。
徐々に視界がぼやけて意識が遠のいた。
*
目を覚ますと、白い天井が目に入った。薬草の香りが鼻をつく。見覚えのある天井だ。
「うぅっ……」
肩の痛みで思わず唸り声を漏らした。それを聞いた老医官が近づいてきた。
「目が覚めましたかな? またお会いしましたな」
老医官は優しい笑みを凌雪に向けた。
「……わたくしは……?」
「殿下自ら血まみれの中庶子殿を医局まで運ばれたのですよ。いやはや、驚きましたなぁ」
医官が目を細めて微笑むと、凌雪は驚きで思わず目を見開いた。
殿下が――自分を運んでくれたのか。
「止血はできておりますゆえ、今日は自室でゆっくりとお休みください。殿下は数日養生するように仰せでしたぞ」
「そうですか……」
「中庶子殿はお若いゆえ、すぐに傷も癒えましょう。飛鏢に毒も仕込まれていなかったため、命拾いされましたな」
――私を排すつもりなら、毒が仕込まれていてもおかしくない。だがそれがなかったということは、殿下に対する警告か?
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