三毛猫、公爵令嬢を拾う。

蒼依月

文字の大きさ
63 / 82
第3章

3-11

しおりを挟む
 音は空気を震わせ草木を揺さぶりながら、轟いた。
 ミカエルは思わず耳を塞ぎながら、驚いてルネを見上げた。

(ルネ。何をしようとしている)

 ルネの意図が読めない。それにしても凄まじい魔力だ。
 その時ミカエルは気付いた。魔物の刺すような殺気が、自分から逸れている。
 魔物の方を向くと、砂蛸は明らかに爆音の中心地に立つルネを見ている。自分に気を向けて、その間にルネに攻撃をしてもらう作戦だったはずだ。それがお互いの得意な魔法で戦える最善で、何よりルネの身の安全が最も保障されたもののはずだった。だから彼女に「背を預ける」と言ったのだ。それなのに。
 砂蛸の攻撃が一気にルネに向いた。太い鞭のような足をしならせ、叩きつけにかかる。
 ミカエルは息をすることも忘れ、全速力でルネの方に戻った。

「いけないっ……ルネっ!!」

 ルネは振り向かない。ただひたすらに羽扇に魔力を込めている様子だった。その間にも砂蛸の足が一直線にルネの頭上へと振り上げられていた。
 間に合わない。そう感じた瞬間、とてつもない寒気が全身を支配した。それが恐怖だということに、ミカエルは気付けなかった。ルネを失いたくない。それだけが頭にあった。

「逃げろルネっ!」
「!」

 一瞬、ルネと目が合った。その時、彼女を何が何でも救わなければという使命感が、ミカエルの体を動かした。
 魔力を全身に巡らせたミカエルの体が、一層強く翠色の光を放つ。刹那、ミカエルの体は光の速さでルネのもとに向かった。その場で見ている者がいたとしたら、彼は一瞬でその場から消えたと思うだろう。
 砂蛸の攻撃がルネの立っていた空中に叩き込まれた。何本もの足が同じ場所を攻撃する。次第に砂埃が立ち込め、広場はまた茶色い空気に閉じ込められた。
 勝ち誇ったように砂蛸が咆哮する。その息吹で砂埃は霧散した。
 散った砂の煙の合間から見えたのは抉られた地面と、翠色の光。
 ミカエルの保護魔法だ。
 半円の結界の中で、2つの影がある。羽扇を手に持つ少女と、その少女を強く抱きしめる三毛猫。
 次第に視界がはっきりする中で、ゆっくりと顔を上げたルネは、自分がミカエルに横抱きにされていることに気付く。あの距離をどうしたら一瞬で飛んでこれるのか。ルネは辺りを見回しながら、ミカエルの魔法には毎回驚かされる事ばかりだと嘆息する。
 ミカエルを見上げるルネ。何か、彼の様子がおかしい。

「ミカエル……様?」

 返事がない。ルネのトラウマがフラッシュバックした。また、あのホーンベアの時と同じことを繰り返したのか。自分のせいで大切な人を傷付けた……。そう思って血の気が引いた時、ミカエルが俯いたままその口を小さく開いた。

「どうしてあのようなことをした」
「え?」

 あのようなことが何を示しているのか一瞬分かりかねて、逡巡する。

「あ、先程の音魔法のことですか?あれは、ミカエル様が傷付けられると思ったらいてもたってもいられなくて、それで早く、確実に仕留めようと」
「それで砂蛸が君に気付くようにわざと仕向けたと?」
「は、はい」

 声が、震えている。ミカエルのいつも堂々としたバリトンの声色が、小刻みに震えていた。こんなミカエルを見るのは初めてだった。

「私は、君を危険な目に合わせるために連れてきたのでも、背を託したのでもない。攻撃に集中して、自分の守りが疎かになり過ぎだ。私が間に合わなかったら、君は今頃……」
「それは……ご、ごめんなさい」

 ルネはたまらずにミカエルの顔を下から覗き込んだ。ミカエルが顔をやっと上げて、ペリドットの双眸がルネの視線と重なる。彼の瞳は、怒ってはいなかった。ひたすらに、悔やんでいるような、寂しそうな、疲れた色をしていた。それを見た瞬間、ルネは自分の考えが間違っていたことに、ようやく気付いた。
 ルネはミカエルの頬を撫でながら告げた。

「ごめんなさいミカエル様。私が間違ってました。ミカエル様を信用してないとか、そういうことは全くないんです。ただ力になりたくて、ミカエル様に傷付いてほしくなくて、だから……。いいえ、これもいいわけだわ。ミカエル様。ミカエル様ごめんなさい、本当に、ごめんなさい」

 そう言うと、ミカエルは静かに頷いて、ルネの手に頬を擦り寄せた。柔らかい猫の毛が、ルネの手のひらをくすぐる。

「私こそすまない。私の戦い方は、どうしても接近戦になる。だから怪我と無縁とはいかない。だが君が私に傷付いてほしくないことも分かっていた。それなのに私はまた同じ過ちを繰り返していたのかもしれない」

 ミカエルの声は落ち着いていた。静かに、淡々とルネに謝罪を告げた。
 ルネは首を振ってそれに応えた。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

強い祝福が原因だった

恋愛
大魔法使いと呼ばれる父と前公爵夫人である母の不貞により生まれた令嬢エイレーネー。 父を憎む義父や義父に同調する使用人達から冷遇されながらも、エイレーネーにしか姿が見えないうさぎのイヴのお陰で孤独にはならずに済んでいた。 大魔法使いを王国に留めておきたい王家の思惑により、王弟を父に持つソレイユ公爵家の公子ラウルと婚約関係にある。しかし、彼が愛情に満ち、優しく笑い合うのは義父の娘ガブリエルで。 愛される未来がないのなら、全てを捨てて実父の許へ行くと決意した。 ※「殿下が好きなのは私だった」と同じ世界観となりますが此方の話を読まなくても大丈夫です。 ※なろうさんにも公開しています。

婚約破棄したら食べられました(物理)

かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。 婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。 そんな日々が日常と化していたある日 リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる グロは無し

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

処理中です...