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第一章

22 だからこそ出会った

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 どうやら、助かったらしい。吉崎が連絡してくれたようで「ちょうど由良さんも近くにいたみたいなので」と洗面所で教えてくれる。
 玲は水を吐き出してから囁き声で言った。
「俺のカバンどこにありますか?」
「受付に……」
「取ってきてもらえますか」
 吉崎は頷き、一度トイレから出ると直ぐに帰ってくる。玲はふらつきながらもバッグを受け取った。
 吉崎が「大丈夫ですか?」と問いかけてくるが答えず、携帯を取り出しながら更に訊ねた。
「由良さん何してました?」
「まだ通話中でした」
 玲はメッセージを開いた。一度視線を上げると、鏡の中の自分と目が合う。
 今にも倒れそうな真っ白い顔だった。事実、信じられないほどの眩暈に襲われている。けれど考えなければならない。
 由良は簡単には玲を解放しないだろう。家まで送ろうとするはず。
 けれどもう家はない。由良は玲がアパートを引き払ったことをまだ知らない。だからと言って、一成のマンションへは絶対に向かえない。
 由良と一成を会わせるわけにはいかないのだ。
 嘔吐したせいで気分が悪い。また吐き気を催して、玲はえずいた。吉崎が心配そうに背中を撫でてくる。立っていることもできなくなりその場にしゃがみ込む。
 それでも必死にメッセージを打っていると廊下から足音が聞こえてきた。由良だ。
「玲、帰るぞ」
 玲は携帯をしまった。
 由良は吉崎に「あのクソガキは若い奴らが運ぶ。山岡が帰ってきたらここにいろと伝えろ」と声をかける。吉崎は頭を下げると、外へ出ていった。
「立て」
 由良が冷たく言い放った。ふらつきながら立ち上がると、玲の腕を強く掴んでくる。
 グッと引き寄せられて肩を抱かれる。外階段を降りると、下から由良の組の若衆らがやってくるところで、こちらを見上げてサッと身を引き深く頭を下げた。
 由良は軽く手を上げるだけで言葉は発さない。直ぐそこに由良の高級車が停車されていた。助手席に玲を押し込み、運転席に回ると、由良が恐ろしく低い声を出した。
「あいつに何された」
「な、殴られました」
「それだけじゃねぇだろ。挿れられたか、って聞いてるんだよ。多分って言葉使うなよ」
 業を煮やして、乱暴な片手で玲の頬を掴んでくる。顎を無理やり上げさせられた。首を確認しているようだった。
 顔を掴まれているので可動域を確保できない。玲は小さく三度ほど首を振る。
「嘘つくんじゃねぇぞ」
「ついてません。口には、挿れられました」
「……はぁ。俺も暇じゃねぇんだよ」
 由良がやっと手を離してくれた。
 運転席から出たかと思うと後部座席から何か取り出す。またやってきて、玲にハイネックの服を投げ寄越してきた。これで首を隠せということだろう。
 着替えていると、エンジンをかかり車が動き出す。
「お前の部屋でいいよな」
 来た。玲はごく、と息を呑む。
 家を引き払っていることはまだ知られたくない。かと言って一成のマンションなんか教えられない。しかし行き先がないと由良は納得しないのだ。
 玲は「いえ」と呟く。由良が頬を引き攣らせた。
「はぁ? 今日は店、定休日だろ」
「えっと、待ち合わせがあるんです。だから、あの、南駅のカフェで……はい」
 由良が呆れたように息を吐いた。まるで利かん坊を相手するように「何をごちゃごちゃと」と呟く。
 玲は慎重にその横顔を凝視する。このまま納得してくれればいいのだけど。
 すると由良が唐突に口にした。
「お前、男が出来たんだろ」
「えっ……」
 赤信号で一時停止する。由良は煙草を取り出し、サッと火を点けた。
 玲は絶句していた。男……?
 車列が動き出すと同時、由良が淡白な口調で告げる。
「そいつに金もらってるよな」
「な、何で」
「匂いで分かる。お前から男のアルファの匂いがする」
 まさかこの身体に一成のフェロモンが移っているのか? 啞然とする玲に、由良は『匂い』について言及せず吐き捨てるように笑った。
「でなきゃ俺の傍にもいねぇのに月五十万も持ってくるか?」
「り、臨時のバイトです」
「いや、別にいい。勝手にしろ。だが妊娠はするなよ」
 玲はごく、と唾を飲み下す。由良の吐いた煙がたゆたった。
「お前のガキまで面倒見切れねぇぞ」
「……分かりました」
 玲は呟く。ふぅと深く呼吸して、「でも」と由良へ告げる。
「待ち合わせしてるのは、涼なので」
「あ、そう。駅向かってっけどカフェってどこのことだ」
「えっと」
 一応は納得してくれたみたいで、玲は胸を撫で下ろした。住所を教えながらも今後について考える。
 恋人がいることを認めた方が怪しまれないかもしれない。その方が金も、返しやすいし……。
 まだ気分は悪く、煙草の匂いで吐き気が助長される。思考が上手く回らないが、ひとまずは安堵していいだろう。
 由良は玲の近くにアルファ性がいることに気付いても、それが一成だとは思っていない。月城一成の記事を知らないのだ。
 あの写真だけ見て玲と気付くのは難しいがもしもバレてしまったら……と危惧していたが、予想通り何も気付いていない。
 そもそもとして週刊誌など気にする性ではない。昔から由良は芸能関係も、小説など文芸にも興味がない男だった。
 頭にあるのは自分の所属する組と親分のことだけ。由良は十代で渡世入りしてから組のことしか考えていない。盃は血よりも濃かった。
 だからこそ玲と由良は出会ったのだ。
 とにかく一成の存在に気付かれるわけにはいかない。咄嗟に待ち合わせを作り出して良かった。車が店の近くにやってくる。あともう少し。もう少し耐えれば大丈夫。
 店が見えてきた。軒下に制服を着た青年の姿が見える。良かった。来てくれた。由良も彼の姿を確認したらしく、少し手前で停車する。
 玲は車から出ると「ありがとうございました」と頭をさげた。由良は「ああ」と素っ気なく頷く。
 助手席の扉を閉める。すぐに車が走り出した。
 玲はその場で立ち尽くしている。良かった、何とか、なった。
「兄ちゃん」
 気付くと背後に制服の青年……涼がいる。
 涼は眉間に皺を寄せて「アレ、由良さんだろ。一緒だったのか?」と怪訝に訊ねてくる。
 彼の顔を見て、一気に心が解けた。
 緊張感で支配されていた体が唐突に解放される。玲はよろ、と足をふらつかせた。合流したら、少しお茶をして解散しようと思っていたのに、どうしよう。
「兄ちゃん……? ちょっ」
 ——やばい。
 もう、だめだ。
 フッと力が抜けて体が傾く。視界が真っ白になって宙に投げ出される心地になる。
 咄嗟に涼が支えてくれたのを認識したのが最後。もう彼の声すら耳に届かなくなっていた。









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