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第二章

23 兄ちゃん

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【第二章】










 二人は書斎にいる。軽く仕事の話を終えて今は玲の話をしている。大江の発言に、一成は目を丸くした。
「一億?」
 繰り返して呟くと、大江は「一億くらい、らしいです」と頷く。
 一成は自然と視線を玲のいる部屋の方角へ移した。数秒沈黙する一成に、大江はさらに重ねる。
「何なら元は三億近かったらしいですけどね」
「何だと?」
「意外ですよね。三億って、ギャンブルとかのレベルじゃないし」
 玲の債務額は現在、一億近く残っているらしい。
 大江はその情報を玲が務めているキャバクラ店の従業員から拾ってきた。
 大倉玲の身辺調査は大江に頼んでいる。早々に債務歴、祖母が入院していることはわかったが、それ以外の情報は不明だった。
 玲は自分のことを話さない。一度だけ教えてくれたのは、『俺は学がないので高校に通えなかった』ことくらいである。
 積極的に調べるつもりはなかったが、ある程度は把握しておきたいので、玲の債務額と他のアルバイト先について大江に調べるよう頼んでおいたのだ。
 大江は元々探偵事務所に勤めていた。造作なく拾ってくるかと思いきや、意外にも一ヶ月近くがかかっている。
 その間、一成も玲と過ごすうちに、彼が具体的に幾らの借金をしているのか、祖母がいつから入院しているのかなど、細かいことが気になってくる。殆ど玲の調査を放置していた大江の尻を叩いて催促し、今晩報告のため大江はやってきたのだ。
 まさかそれほどの額とは思わなかった。
「利率は幾らだ? かなり追い詰められてんじゃねぇのか」
 闇金事務所に金を借りているようだし、利率が異常に違いない。一成はまたしても玲がいる部屋の方を気にする。彼は数時間前に帰宅して、今は自室にこもっている。
 すると大江が神妙な顔つきで告げた。
「ここからが異様なんですけど、殆ど元本みたいなんですよね」
「はぁ?」
 二人がいる部屋は書斎だ。ここは防音室となっている。
 ソファの上で胡座をかいた大江が、椅子に深く腰掛ける一成を見上げた。
「元々三億近くの借金をしたみたいです。そっから利息は殆どない。これ最初、事務所の取り立て屋に聞いたんすよ。いやいや嘘だろと思って、キャバクラの方の店長にも接触して、裏取りました」
 大江は会話の流れから情報を聞き出すことに長けている。コミュケーション能力がずば抜けているので、対象が少し隙を見せたら深く入り込めてしまうし、人心掌握できる。
 一成が大江と関わるようになったのは、大江が探偵事務所に勤めていたからだ。学生時代の後輩が探偵をやっているというので声をかけてみると、その時大江はあるテロ事件の犯人特定で成果を上げ、業界から数年身を隠す必要があった。ちょうどいいので一成が雇うことにした。という流れだ。
 大江は気怠そうに首を傾けた。
「三億を何に使ったのか詳しく分からないのも変です。こういうことはあんまりないですね。多分、お婆さんの医療費だとは思うんですけど」
「……」
「全部知ってるのは金融事務所の経営者、由良晃(ゆらあきら)ってヤクザくらいでしょうね」
「由良、晃」
 玲の口から聞いたことがない。由良、晃。
「玲ちゃんの債権者はこの男です。この男が全て把握しているようなんですけど、これ、嵐海(らんかい)組の若頭補佐っすよ」
 若頭補佐とは随分な立場だ。大江は頬を歪めるようにして苦笑した。
「三十六歳で若頭補佐なので相当優秀か、他を蹴落としてきましたね。嵐海組っつったら関東の梅津山会の幹部が組長で、かなり枝もあります。会長の直参が嵐海組組長なので力もあるし、兵隊の数も多い。んで由良晃は組長と親子盃交わして渡世入りしてます。かなり可愛がられてるって有名ですよ。何で玲ちゃん、この人と関わってんのかな」
「玲は由良って奴と会ってんのか?」
「それはさすがに分からないです。玲ちゃん調査一本にします? 数日見てみたけど、職場とここの往復っぽいしな」
 大江には他にも業務がある。片手間で調べてくれたのがこれらの結果だ。
 三億、か。一体何に使ったんだ? そして既に三億のうちの二億を返済しているのだとしたらどうやって返したのか。
 謎が深まるばかりだ。玲に直接聞いても教えてくれるか分からない。それより勝手に調べたことに恐怖を抱くだろう。
 それは何だか、胸糞が悪い。
 セックスの相性は良いと思う。良すぎて自制が効かないのが近頃の悩みの種だ。玲もかなり絶頂しているし、後半の蕩けた様子を一成は大変気に入っている。
 また、この一ヶ月食事に連れ出すうちに玲もだんだん好みを見せるようになってきた。相変わらず食は細いが、「あの店のあれが美味しかった」などと口に出すようになっているし、会話もそう。
 今までは一成も玲のレスポンスを気にせずベラベラ喋り続けていたが、最近の玲は「トラック前田さんって強いですね」「トラック運転手なんですか?」と質問を投げてくるようになっているので、一成は気分が良い。
 別に心を開かせたいわけではないが、折角話すようになってきたのだから、妙な不信感を与えたくはない。
 だが、気になる。
 一体玲は何に金を使ったのか。大江は「ていうか」と膝に頬肘をついた。
「玲ちゃんやっぱ痩せてましたよ。一成さん、セックスしすぎなんじゃないですか」
「はぁ? セックスで痩せるって何だそれ。馬鹿のダイエットじゃねぇんだから」
 数時間前に帰ってきた玲へ大江が挨拶をした際、大江は玲の外見が変化していることを指摘した。
 一成は全く気付いていなかった。玲は初めから細っこいが、知らぬ間に更に痩せていたらしい。夕食は大江が用意してきたが、玲の頼んだメニューはボロネーゼとのこと。
 一応買ってきたと声を掛けたが反応がなかったらしく、恐らく眠っている。考えてみると確かに玲の睡眠時間は足りていないのかもしれない。
 夜は散々玲を抱いて、朝は気づくともういない。何時に起きているのか。それが『痩せた』の原因か?
「あ。あと、もう一つ気になったことがあったんだ」
 大江が思い出したように言った。
 続きを促すと、「お婆ちゃんの苗字です」と告げた。
「大倉じゃないんですよ。確か……深山(みやま)です」
「それは変なのか?」
「祖母と孫の苗字が違うのはよくあるとは思うんですけど、玲ちゃんには親がいないっぽいんですね。親類が祖母だけなら、なぜ苗字が違うのか。一緒に暮らしてこなかったんでしょうか」
「……」
「その辺も謎です」
「……」
 大江が帰ってから、しばらく一成は一人で考え込んだ。
 薄々玲には家族が祖母しかいないのだろうとは思っていたが深く考えてはこなかった。
 だが玲は二十歳だ。まだ若い。片親だけでなく両親の不在はそれなりの事情があるかと思われる。
 それとも親がいないせいで莫大な借金を背負うことになったのか?
 気になる。
 一成は玲へ渡すための五百万が入った封筒に目を向けた。
 気になる。
 気になることは、聞いてみよう。
 借金は誰のためか。両親はどこにいるのか。本人に聞くべく部屋を訪れる。玲はベッドで泥のように眠っていた。
 そして彼は言った。
 夢うつつの、夢見るような声で。
 ――「母は……探しています」




















 ――「兄ちゃんが住んでるのって、ここすか?」
 玲は眠っている。制服を着た青年の背中で。
 チャイムが鳴ったので扉を開いてみると、現れたのは背の高い高校生と玲だった。
 全く理解が追いつかない。誰だこいつ。黒目に黒髪の高校生はよく見ると玲に似ている。そして玲を背負っている。
 お高そうな制服に身を包んだ青年は、衝撃的な発言をした。
「あの、すみません。兄ちゃんがここに住んでるって聞いたんすけど」
「……兄ちゃん?」
「え? はい。これ、俺の兄ちゃん」
 青年は自分の背に視線をやった。玲よりも背が高く体格もいい青年は、軽々と彼を背負っている。
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