【完結】今更愛を告げられましても契約結婚は終わりでしょう?

SKYTRICK

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第五章

52 シアナの闘い

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 少しずつ距離を取ったロドリックは、遂には扉へ向かってしまう。そうして低い声で「少し飲み過ぎたかもしれない。風に当たってくる」とぼやき、小屋を出て行った。
 酒なんて飲んでいないのに何を飲み過ぎたら体が熱くなるのか。やはり疲れが溜まっているのだろう。今朝帰ってきたばかりだし、ただでさえ睡眠障害を患っているのだから、まだろくに睡眠を取れていないはずだ。散歩する前に眠ったほうがいい。
 それにしても、なぜ距離を取られたのだろう。何で変な後退を……。別に、いいけど。ユリアンは不貞腐れた気持ちになりながらも、まずは睡眠を促すため、川の傍に佇むロドリックに声をかけた。
「ロドリック様、来てください」
「なんだ?」
 たった今出て行ったばかりのロドリックが、呼ばれて素直にやってくる。最近のロドリックはユリアンを常に探しているばかりでなく、声を掛ければどれだけ離れていようと、ユリアンの元へやってくる。
 まるで大きな犬みたいだな。思いながらも、目の前にやってきたロドリックにユリアンは少し満足した。先ほどは意味の分からない距離を取られたが特に意味などなかったのかもしれない。そう思い直しつつ、早速「ロドリック様、眠られたらどうです?」と提案する。
「まだ睡眠が取れていないでしょう? 食事も摂りましたし、今日の予定に不都合がなければお休みになってはどうですか」
「ユリアンはどうするんだ」
「僕?」
「ユリアンは眠らないのか? 昨晩はよく眠れたか?」
「僕は、普通ですよ」
 久しぶりにロドリックのいない独り寝だったので、いつもと違う環境に眠るのに少し時間がかかったが、数時間は睡眠が取れている。
 しかしロドリックは言う。
「ユリアンも昼寝をしよう」
「僕のことはお構いなく。今日はこれから薬師さんのお話を聞く約束があるので」
「昼寝の後でもいいだろう」
「えー」
「少しクマが見えるぞ。寝た方がいい」
「そんな、いつも通りですって」
「バルコニーでマルクスさんも待ってる。ユリアンも一緒に部屋に戻った方がいい」
「ええ? 何でそんな……。僕を抱き枕にしようとしてます?」
「ユリアンは枕ではない!」
「お二人とも、何の話をなさってるんですか」
 すると、別の声が割って入ってくるのでユリアンとロドリックは二人して声の主に顔を向けた。
 たった今小屋にやってきたばかりのテオバルトが、呆れ顔でこちらを眺めている。なぜか必死な顔をしていたロドリックはすんっと元の仏頂面に戻り、「どうした」と弟の質問には答えず用件を問うた。
 テオバルトはそれ以上追究しようとはせず、息を一つ吐く。
「ヘルダー伯爵とシアナ嬢がいらっしゃいました」
「そうか」
「お二人とも訓練場へと向かわれました」
 ロドリックは軽く頷き、ユリアンに視線を落とした。
「師匠のところへ挨拶に行くが、ユリアンもくるか?」
「そうですね。一度ご挨拶伺いたいとは思っていました」
「なら行こう。俺も師匠にユリアンを紹介したかった」
 ユリアンはかすかに笑みを浮かべて、首を下に振る。少し笑みが引き攣ってしまったがロドリックには気付かれないで済んだ。テオバルトも副団長に業務上の報告があるらしく、三人で訓練場へ向かうことになった。
 硬い笑顔になってしまったのは、緊張してしまったからだ。ヘルダー伯爵。その名はロドリックから何度か聞いている。
 ロドリックは幼い頃伯爵邸で過ごしていて、彼に戦い方を教わったのだ。基本的には温和な方だとロドリックは告げたが、ヘルダー伯爵は王室騎士団に勤めていた偉大なお人で、ロドリックの師匠なのである。
 緊張しないはずがない。それに加えてユリアンを黙考させてしまうのは、『シアナ』についてだ。
 ロドリックは伯爵邸で過ごしていた頃にシアナと出会った。それゆえに彼女は幼馴染なのである。ロドリックはシアナとは恋人関係でもなんでもないと言っていた。だがそれはロドリックの言い分だ。
 そうした噂が立ったのは、シアナの意向もあるのではないか。もしかしたらシアナはロドリックを愛していて、子供の頃の口約束で交わした婚約の話をまだ心に残しているかもしれない。
 もしそうだとしたらユリアンはどうしたらいいのだろう。いきなり現れたぽっと出の男のオメガがロドリックの妻となったことに、幼馴染の彼女はどう感じているのか。
 内心では言いようのない不安と焦りが渦巻く。こんな感情になるのは初めてだ。そうして今になりユリアンは、できることなら『シアナ』とは出会いたくないと思っていた自分に気づいた。
 ロドリックの古くからの友人で、ユリアンよりもよっぽど絆の深いシアナ。遠方からわざわざ、公邸に訪れるのは、ロドリックに会いたいからではないか。
 そうならば、一体ユリアンはどうしたら――……
「貴方がユリアン様ね」
 目の前でニコッと完璧な笑みを向けてくる女性は、とても美しい人だった。
 青色の髪は伯爵家由来の色で、隣に立つディーター副団長と揃いの髪色だ。深い海の絵で描かれていた青に似ている、落ち着いた気分に導くような美しい髪だった。
 さらりとした長髪を細い指で靡かせたシアナは、ユリアンへ優しく語りかけた。
「兄様やロドリックからお話は伺っていたの。一度お会いしたかったんですよ。ヘルダー家のシアナです」
「は、初めまして、ユリアンです」
 ロドリック、と軽々呼び捨てにしたシアナは「綺麗な名前ですね」と微笑んだ。
 訓練場に伯爵の姿は見えず、待っていたのはディーター、そしてシアナ嬢だった。あまりに整った笑顔を向けられて、拍子抜けしたユリアンは心の中で動揺する。思わずロドリックを見上げるも、ちょうどディーターに「ロドリック、確認したいことがあるのだが」と声をかけられて、二人は訓練場の奥へと歩いて行ってしまった。
(ろ、ロドリック様……)
「ロドリックと結婚したのは一年前でしょう。公邸には慣れましたか?」
「そ、うですね。随分と」
「まぁ! 広い邸宅ですのにさすがはユリアン様ですね。私なんかは何度訪れても慣れませんのに」
 ど、どういう意味だろう。本当に何も分からない。
 その笑顔に負の感情は一切見られなかった。貴族令嬢なのだから感情を包み隠すのは造作ないだろう。つまり彼女の本心は未だ謎だ。
 テオバルトは背後でニコニコとやり取りを眺めている。ユリアンは社交界には慣れていないので言葉の裏を察するなど不可能に近い。テオバルトに助けを求めたくても、彼は呑気な様子だ。
 そもそもユリアンは人見知りである。こうして積極的に話しかけてくる女性への対応は苦手だった。
「ロドリックが気遣ってくれるのでしょうね。羨ましいわ」
「は、はい……」
「その気遣いを少しでも他に使ってくれたらいいのに」
 シアナはにっこりと笑みを深くする。ユリアンは笑顔を貼り付けて固まる。
 一体、どうしたらいいのだ。
 ロドリック様、戻ってきて――!
 そう強く念じるも、空気を一変させたのは別の人物だった。
「奥様、シアナ様、こんにちは」
 やってきたのは、クルド隊の隊長だった。
 癖毛が今日も風に揺れている。やわらかな印象を持たせる彼は、ユリアンの護衛騎士として度々行動を共にするクルドだ。いつも朗らかでふんわりとした笑みをしているがその一方で隊長を務めるほどの実力者である。長く騎士団に所属してるので、シアナとも知り合いだったらしい。
 にこやかにやってきたクルドにユリアンは「こんにちは、クルドさん」と返す。シアナはなぜかユリアンの隣にやってきて、さらに一歩引き、言った。
「クルド卿、ご機嫌よう。随分姿が見えなかったけれど一体どこへ行っていたの?」
 ユリアンは少し驚いた。その口調が、途端に刺々しく、そして早口になったからだ。
 一方のクルドは眉尻を下げて笑う。
「武器庫で在庫確認をしていたんですよ。火薬の匂いがついていたら申し訳ありません」
「匂いなんかしないわ!」
「なら良かったです。奥様とシアナ様に匂いが移ったら大変なので」
「移ったって平気よ。私の兄様は副団長なんだから、火薬なんて珍しくないわ」
「おっしゃる通りですね」
 クルドはのほほんと笑う。
 そしてシアナは少し頬を赤くして続けた。
「そう、お仕事していたのね。今から仕事に戻るの?」
「いえ、シアナ様がいらっしゃったので副団長が今日の仕事はここまでだと。邸宅でお茶でもご用意しろと命を受けたのですが」
「ふぅん。兄上がね。へぇ、そう……」
「シアナ様、もしかして随分お待たせしてしまいましたか?」
「別に!?」
 シアナは慌てた様子で「貴方を待ってなんかいないわ!」と返す。
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