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第2章 おそらく天下無類の探偵。
第6話 楽しい“お仕事”の話
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「さて。お待ちかねの、楽しい“お仕事”の話を始めましょうか」
中心街から少し離れた、小さな雑居ビルの一室にて。
冷たく固い床に正座をさせられた瑞帆は、艶やかな木のデスクの上で脚を組んで座っているユウに、正面から見下ろされていた。
自分が小さくなったように感じる。今の瑞帆は、さながら悪さをして叱られている子どもの気分だった。
電車でユウから詰め寄られた後、瑞帆は問答無用でここまで連れてこられた。正直、移動は地獄だった。会話は皆無。ユウは目も合わせてくれず、彼氏さんにもずっと睨まれていた。
そうして30分ほど電車に揺られた後、瑞帆は名前すら知らなかった小さな駅で降ろされ、たどり着いたのは古い雑居ビルだった。エレベーターが無かったため階段で4階まで上ると、小さなフロアには簡素な扉が1つだけ。そこには「Office Clare」と書かれた、ビルの雰囲気に全く似合わないスタイリッシュなプレートがかけられていた。
そしてその先には、外観からは想像もつかないほど重厚で、上品に彩られた空間が広がっていた。
靴のまま入ることが躊躇われる、シックなこげ茶のフローリング。部屋の中心に置かれた、アンティーク調のローテーブルと革張りのソファ。そしてその奥では、同じく古風な木の机―今まさに、紅亜がその天板の上に座っている―が存在感を放っていた。だが何より目を引いたのは、壁を全て覆いつくすように置かれた天井まである本棚と、そこにぎっしり詰められた色とりどりの本。しかも、そのほとんどが洋書のようだ。
一度も見たことはないけれど、『英国風の書斎』というのはこういう部屋のことを言うのではないかと瑞帆は思った。
まるで別世界に迷い込んだようで、内装や本棚をずっと眺めていたくなる。
けれど、今はそれらを楽しんでいる場合じゃない。
「じゃあまず、あなたたちのせいで私が被った損害についてだけど」
冷たく微笑んでいるユウの言葉に、瑞帆は身をすくませた。ここまで来ておいて、いまだに自分が何をしでかしてしまったのか全く分からない。これから何を言われるのか――
すると、何故か瑞帆の隣で一緒に正座をさせられていたユウの“彼氏”が勢いよく手を挙げた。
「ちょっと待ってください師匠!なんでオレもこいつと同罪みたいな言い方をするんですか」
移動中もずっと機嫌が悪かった彼は、不満たっぷりな声でユウに抗議する。
一方のユウは、わざとらしくため息をついた。
「あなたが最後に乱入してこなければ、まだなんとか立て直せる見込みもあったからよ。火種を作ったのはそこのヒーロー気取り君だけど、とどめを刺したのはなゆた、あなたよ」
「でも師匠に危険が及んだら助けに入ることがオレの仕事だから、」
「なるほど?つまりあなたは場の状況をことごとく読み違えたうえに、過ちにも気づけない無能だってわけ」
「…つい焦って行動を間違えました。ごめんなさい」
「そうでしょうね。でも次また同じことをしたら、あなたには二度と仕事を回さないから。あと師匠って呼ぶのはやめて」
ユウに言い伏せられ、なゆたというらしい少年は肩を落とした。そうとうショックだったらしく、これまで以上に恨みのこもった眼で瑞帆を睨み始める。まるで『全てお前のせいだ』と言わんばかりだ。
しかし…状況は変わらず全く読めないものの、どうやら事態は瑞帆が思っていた以上に複雑らしい。
ユウとなゆたが実は付き合っているわけではないことはわかったが、だとしたら一体どういう関係なのか。
そして自分は何をしてしまったというのか……?
瑞帆の中で、今さらながら不安と恐怖がどんどん募っていく。この2人は自分と同い年くらいに見えるけれど、実は危ない人たちだったりするのだろうか、なんてことまで考えてしまう。
そうしてついに、ユウが瑞帆に矛先を向けた。
「さ、子犬が静かになったところで本題に戻りましょう。
あなたがあのクズ男に喧嘩を売ってくれたおかげで、せっかく時間も費用も惜しみなく使って準備を整えた仕事が、全部ぶち壊しになったの。後はあのクズを私に堕として周りの女どもを一掃して、最後に手ひどく振って別れるだけだったのに。私がめでたく『変な彼氏持ちの面倒そうな女』になったせいで、その計画も全て水の泡よ。せっかくここ最近で、一番面白いデータが取れそうな案件だったのにどうしてくれるの?」
「ちょ、ちょっと待ってください。ユウさんは、その…仕事のために立野先輩と付き合おうとしてたってことですか。好きでもないのに!?」
「嘘でしょ。あなた、もっと他に訊くこととかないわけ。まさかここにきて最初に言うことがそれだなんて…頭は良くないだろうとは思ってたけど、想像以上ね」
何か可哀想なものでも見るように、ユウは瑞帆を鼻で笑った。
もはや、あの日見た「清純で儚げな彼女」の面影は全くない。「冷酷で高慢な女性」がそこにいる。
それなのに、どこか魅惑的なユウから瑞帆は目が離せなかった。
確かに、想像していた“彼女”の姿と、実際の“ユウ”の性格は全然違う。でもそれが何だというのだ。むしろ、本来の彼女の姿が知れたのならばこんなに嬉しいことはない。
そんな瑞帆の心の内がにじみ出てしまったのだろうか。ユウの目が、さらに憐れむような色を帯びた。
「…呆れた。まぁ、哀れなあなたの質問にそのまま答えてあげるなら、そうね。私は好きでもないクズ男と一時的に付き合うつもりだったけど?そうすれば最短でクライエントのニーズを叶えられたし、私の研究にも有益だったから」
「クライエントに、研究?えっと、ユウさんはいったい何を…」
「その『ユウ』っていうのも、今回の仕事のために用意した適当な名前。このお嬢様学校の制服だって、ただの衣装」
「え?」
おかしい。ユウの話を聞けば聞くほど、わからないことが増えていく。ついに瑞帆は、ぽかんと口を開けて固まってしまった。
それがあまりにも間抜けな顔だったのだろうか。ユウは初めて、面白そうに笑った。
「私の本名は弥刀代紅亜。研究のために立ち上げたこのオフィスで、他者との関係の構築や修復を目的とした依頼を中心に請け負うコンサルタントをしているの」
中心街から少し離れた、小さな雑居ビルの一室にて。
冷たく固い床に正座をさせられた瑞帆は、艶やかな木のデスクの上で脚を組んで座っているユウに、正面から見下ろされていた。
自分が小さくなったように感じる。今の瑞帆は、さながら悪さをして叱られている子どもの気分だった。
電車でユウから詰め寄られた後、瑞帆は問答無用でここまで連れてこられた。正直、移動は地獄だった。会話は皆無。ユウは目も合わせてくれず、彼氏さんにもずっと睨まれていた。
そうして30分ほど電車に揺られた後、瑞帆は名前すら知らなかった小さな駅で降ろされ、たどり着いたのは古い雑居ビルだった。エレベーターが無かったため階段で4階まで上ると、小さなフロアには簡素な扉が1つだけ。そこには「Office Clare」と書かれた、ビルの雰囲気に全く似合わないスタイリッシュなプレートがかけられていた。
そしてその先には、外観からは想像もつかないほど重厚で、上品に彩られた空間が広がっていた。
靴のまま入ることが躊躇われる、シックなこげ茶のフローリング。部屋の中心に置かれた、アンティーク調のローテーブルと革張りのソファ。そしてその奥では、同じく古風な木の机―今まさに、紅亜がその天板の上に座っている―が存在感を放っていた。だが何より目を引いたのは、壁を全て覆いつくすように置かれた天井まである本棚と、そこにぎっしり詰められた色とりどりの本。しかも、そのほとんどが洋書のようだ。
一度も見たことはないけれど、『英国風の書斎』というのはこういう部屋のことを言うのではないかと瑞帆は思った。
まるで別世界に迷い込んだようで、内装や本棚をずっと眺めていたくなる。
けれど、今はそれらを楽しんでいる場合じゃない。
「じゃあまず、あなたたちのせいで私が被った損害についてだけど」
冷たく微笑んでいるユウの言葉に、瑞帆は身をすくませた。ここまで来ておいて、いまだに自分が何をしでかしてしまったのか全く分からない。これから何を言われるのか――
すると、何故か瑞帆の隣で一緒に正座をさせられていたユウの“彼氏”が勢いよく手を挙げた。
「ちょっと待ってください師匠!なんでオレもこいつと同罪みたいな言い方をするんですか」
移動中もずっと機嫌が悪かった彼は、不満たっぷりな声でユウに抗議する。
一方のユウは、わざとらしくため息をついた。
「あなたが最後に乱入してこなければ、まだなんとか立て直せる見込みもあったからよ。火種を作ったのはそこのヒーロー気取り君だけど、とどめを刺したのはなゆた、あなたよ」
「でも師匠に危険が及んだら助けに入ることがオレの仕事だから、」
「なるほど?つまりあなたは場の状況をことごとく読み違えたうえに、過ちにも気づけない無能だってわけ」
「…つい焦って行動を間違えました。ごめんなさい」
「そうでしょうね。でも次また同じことをしたら、あなたには二度と仕事を回さないから。あと師匠って呼ぶのはやめて」
ユウに言い伏せられ、なゆたというらしい少年は肩を落とした。そうとうショックだったらしく、これまで以上に恨みのこもった眼で瑞帆を睨み始める。まるで『全てお前のせいだ』と言わんばかりだ。
しかし…状況は変わらず全く読めないものの、どうやら事態は瑞帆が思っていた以上に複雑らしい。
ユウとなゆたが実は付き合っているわけではないことはわかったが、だとしたら一体どういう関係なのか。
そして自分は何をしてしまったというのか……?
瑞帆の中で、今さらながら不安と恐怖がどんどん募っていく。この2人は自分と同い年くらいに見えるけれど、実は危ない人たちだったりするのだろうか、なんてことまで考えてしまう。
そうしてついに、ユウが瑞帆に矛先を向けた。
「さ、子犬が静かになったところで本題に戻りましょう。
あなたがあのクズ男に喧嘩を売ってくれたおかげで、せっかく時間も費用も惜しみなく使って準備を整えた仕事が、全部ぶち壊しになったの。後はあのクズを私に堕として周りの女どもを一掃して、最後に手ひどく振って別れるだけだったのに。私がめでたく『変な彼氏持ちの面倒そうな女』になったせいで、その計画も全て水の泡よ。せっかくここ最近で、一番面白いデータが取れそうな案件だったのにどうしてくれるの?」
「ちょ、ちょっと待ってください。ユウさんは、その…仕事のために立野先輩と付き合おうとしてたってことですか。好きでもないのに!?」
「嘘でしょ。あなた、もっと他に訊くこととかないわけ。まさかここにきて最初に言うことがそれだなんて…頭は良くないだろうとは思ってたけど、想像以上ね」
何か可哀想なものでも見るように、ユウは瑞帆を鼻で笑った。
もはや、あの日見た「清純で儚げな彼女」の面影は全くない。「冷酷で高慢な女性」がそこにいる。
それなのに、どこか魅惑的なユウから瑞帆は目が離せなかった。
確かに、想像していた“彼女”の姿と、実際の“ユウ”の性格は全然違う。でもそれが何だというのだ。むしろ、本来の彼女の姿が知れたのならばこんなに嬉しいことはない。
そんな瑞帆の心の内がにじみ出てしまったのだろうか。ユウの目が、さらに憐れむような色を帯びた。
「…呆れた。まぁ、哀れなあなたの質問にそのまま答えてあげるなら、そうね。私は好きでもないクズ男と一時的に付き合うつもりだったけど?そうすれば最短でクライエントのニーズを叶えられたし、私の研究にも有益だったから」
「クライエントに、研究?えっと、ユウさんはいったい何を…」
「その『ユウ』っていうのも、今回の仕事のために用意した適当な名前。このお嬢様学校の制服だって、ただの衣装」
「え?」
おかしい。ユウの話を聞けば聞くほど、わからないことが増えていく。ついに瑞帆は、ぽかんと口を開けて固まってしまった。
それがあまりにも間抜けな顔だったのだろうか。ユウは初めて、面白そうに笑った。
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