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第1章 すべてはスマホ誤作動から
5. 小説の主人公なんてなりたくない
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「うわ……」
思わず嫌な声が漏れてしまった。
まだ未決裁の書類を鍵のかかる引き出しに閉まって鞄を肩に掛け、重くなる足をどうにか叱咤激励し、むしろ早足で駅前に急ぐ。
そこそこの大きさの二つの路線が乗り入れる駅はそれなりの人混みで、雑居ビル前には多くの人通りがあった。
その中で私が彼をすぐに見つけられたのはそこに女性陣の輪があったためである。派手なギャル系の若い子たちがひっきりなしに彼に声をかけている。
えっ、私は今からあそこに飛び込むの?
腰が引けて鞄の紐をぎゅっと握ったところで、不意に視線を上げた彼がパッと手をあげた。
「良かった、来てくれた!」
弾んだ声。一斉に私に視線が突き刺さる。そして向けられる疑問と敵意。
実際に、誰あのおばさん、とも聞こえた。
そりゃあ薄手のコートを着用し始めた季節に肩出しニットにミニスカ履いてる若者より明らかな年寄りよ。
けれど黒沢誠は気にした様子もなく私の隣に立って「さっ、行きましょう」と背中に腕を回す。さりげなさすぎて避けられなかった。
数々のおじさんセクハラを交わしてきたこの私がなすすべもなく、さわっと腰に手が触れることを許すだなんて。
ただ、ハンカチでも噛みそうな女子たちの視線から逃れられるならと少し我慢した。
イケメンだからちょっと絆された訳ではない。
………おじさんと比べるまでもないけど。
はあ、顔がいいってすごいことなんだな。
案内されたのは狭い個室だった。テーブルが片側に寄せられ、掘り炬燵の座席に並んで座るしかないやつ。これ、カップルシートというやつでは。いつもカウンター席にしか座らないからこんなチェーン居酒屋にこんな個室があるなんて知らなかった。
予約しといた、とニコニコ笑う黒沢誠。
「オープンな席じゃ話しづらいと思って。あと俺、なんだか知らない人に話しかけられることも多いから煩わしいし」
そりゃこんなイケメン、世の女子は放っておかないだろう。さっきの光景が蘇る。
同じ店入ろうよ、と言っていたギャルもいた。
怖い世界だ。
女連れでも相手が格下と見れば積極的に奪うってこと?
やっぱり私はそういう、女のバトりは、いらない。
全く関係ないなら漫画みたいと眺めていてもいいけど、そういう人を陥れるシーンはそもそも好きじゃないんだよね。報復されるのは好きだしそのための伏線とわかってるけど、やっぱリアルで見たら相当気分が悪いと思う。
何頼む?と聞く彼に、とりあえず生と返して。御通しと何品かのおつまみ、一杯目が来たところで満面の笑顔の黒沢誠に勝手にジョッキをぶつけられた。
というか狭い。
腕がくっついてしまうし足だってぶつかるし。
空間がセクハラだ。
せめて向かい合いならマシだったのに。
モゾモゾとできる限り彼から離れ、体を小さくする。
「あ、ごめん。俺デカくて。狭いよね?もっとこっちきていいよ」
「ひ、っ?」
ひいっと叫びかけて慌てて口を閉じる。過剰反応したくない。けれどぐいと肩を引き寄せられるなんて思わなかった。気遣ったようで全く気遣ってない。
太ももくっついてしまいそうだ。いやくっついてしまっている。
なんでわかりやすいセクハラ事例。
職場のコンプライアンス教育で回ってきたやつ。
でもこの人、職場の人じゃないし、それだとセクハラにならないのだろうか。いや、でも。
もう一度離れようとしたのに、隣から「ん?」と覗き込まれる。角ばった男らしい輪郭に髪と同じ金に脱色したっぽい太い眉、目元に向けて窪みをつくるほど高い鼻根、マッチが乗りそうに長いまつ毛、あざとい緩やかな垂れ目、ツンとした鼻、厚みのある唇。
………真正面で改めて見るととんでもないイケメン。住む世界が違うイケメン。
髪を染めて華やかな世界にいる派手な楽しそうな人たちを羨んだこともあった。一回や二回じゃない。
けれどその華やか、の最上位を見るとやっぱり場違いは手を出さないのが正解だったと心から思える。
私の場違い感がすごい。
己を知り恥をかかないことは、自分を守ることだと思う。
やはりリアルは、安定、堅実が心穏やか。
こんなイレギュラーは心臓に悪くて二度とごめんだ。
私は小説の主人公なんてなりたくもない。
「……近いので離れてもらえますか?そして約束通りスマホを返してください」
「んー、つれないな。瀬川さん。まずは飲んでお互いにを知り合おうよ!」
「………私、それなりに強いので。変なこと考えても無駄ですよ。まあ考えないでしょうけど。早く要求出してもらえます?」
眼鏡の縁を触って押し上げつつ睨みつけると、黒沢誠は少しキョトンとしてそれからふはっと笑った。
「すごい警戒。いつもはあんなに親切なのに。俺は優しい窓口のお姉さんと仲良くなりたいなーって思っただけだよ」
「仲良く……」
何言ってんのこの人。
「プライバシー問題で脅して仲良くも何も……」
「ねえ、初めて会った時のこと覚えてくれてる?」
話を聞かないな黒沢誠。
私のスマホはどこに隠してるのか。ポケットか。手ぶらだしな。
隙を見て奪えないだろうか。
そんなことを思いつつ、ジョッキをぐびりと煽る。
彼の問いかけを無視した形になったので、もう一度「え、本当、覚えてない………?」ってショックを受けた顔をして同じ問いかけが来た。
覚えてないわけがない。
「ふざけて……わざとですか?いい加減にしてくださいよ」と窓口でパートさんに叱られて、半泣きで、途方に暮れていた彼のことを。
思わず嫌な声が漏れてしまった。
まだ未決裁の書類を鍵のかかる引き出しに閉まって鞄を肩に掛け、重くなる足をどうにか叱咤激励し、むしろ早足で駅前に急ぐ。
そこそこの大きさの二つの路線が乗り入れる駅はそれなりの人混みで、雑居ビル前には多くの人通りがあった。
その中で私が彼をすぐに見つけられたのはそこに女性陣の輪があったためである。派手なギャル系の若い子たちがひっきりなしに彼に声をかけている。
えっ、私は今からあそこに飛び込むの?
腰が引けて鞄の紐をぎゅっと握ったところで、不意に視線を上げた彼がパッと手をあげた。
「良かった、来てくれた!」
弾んだ声。一斉に私に視線が突き刺さる。そして向けられる疑問と敵意。
実際に、誰あのおばさん、とも聞こえた。
そりゃあ薄手のコートを着用し始めた季節に肩出しニットにミニスカ履いてる若者より明らかな年寄りよ。
けれど黒沢誠は気にした様子もなく私の隣に立って「さっ、行きましょう」と背中に腕を回す。さりげなさすぎて避けられなかった。
数々のおじさんセクハラを交わしてきたこの私がなすすべもなく、さわっと腰に手が触れることを許すだなんて。
ただ、ハンカチでも噛みそうな女子たちの視線から逃れられるならと少し我慢した。
イケメンだからちょっと絆された訳ではない。
………おじさんと比べるまでもないけど。
はあ、顔がいいってすごいことなんだな。
案内されたのは狭い個室だった。テーブルが片側に寄せられ、掘り炬燵の座席に並んで座るしかないやつ。これ、カップルシートというやつでは。いつもカウンター席にしか座らないからこんなチェーン居酒屋にこんな個室があるなんて知らなかった。
予約しといた、とニコニコ笑う黒沢誠。
「オープンな席じゃ話しづらいと思って。あと俺、なんだか知らない人に話しかけられることも多いから煩わしいし」
そりゃこんなイケメン、世の女子は放っておかないだろう。さっきの光景が蘇る。
同じ店入ろうよ、と言っていたギャルもいた。
怖い世界だ。
女連れでも相手が格下と見れば積極的に奪うってこと?
やっぱり私はそういう、女のバトりは、いらない。
全く関係ないなら漫画みたいと眺めていてもいいけど、そういう人を陥れるシーンはそもそも好きじゃないんだよね。報復されるのは好きだしそのための伏線とわかってるけど、やっぱリアルで見たら相当気分が悪いと思う。
何頼む?と聞く彼に、とりあえず生と返して。御通しと何品かのおつまみ、一杯目が来たところで満面の笑顔の黒沢誠に勝手にジョッキをぶつけられた。
というか狭い。
腕がくっついてしまうし足だってぶつかるし。
空間がセクハラだ。
せめて向かい合いならマシだったのに。
モゾモゾとできる限り彼から離れ、体を小さくする。
「あ、ごめん。俺デカくて。狭いよね?もっとこっちきていいよ」
「ひ、っ?」
ひいっと叫びかけて慌てて口を閉じる。過剰反応したくない。けれどぐいと肩を引き寄せられるなんて思わなかった。気遣ったようで全く気遣ってない。
太ももくっついてしまいそうだ。いやくっついてしまっている。
なんでわかりやすいセクハラ事例。
職場のコンプライアンス教育で回ってきたやつ。
でもこの人、職場の人じゃないし、それだとセクハラにならないのだろうか。いや、でも。
もう一度離れようとしたのに、隣から「ん?」と覗き込まれる。角ばった男らしい輪郭に髪と同じ金に脱色したっぽい太い眉、目元に向けて窪みをつくるほど高い鼻根、マッチが乗りそうに長いまつ毛、あざとい緩やかな垂れ目、ツンとした鼻、厚みのある唇。
………真正面で改めて見るととんでもないイケメン。住む世界が違うイケメン。
髪を染めて華やかな世界にいる派手な楽しそうな人たちを羨んだこともあった。一回や二回じゃない。
けれどその華やか、の最上位を見るとやっぱり場違いは手を出さないのが正解だったと心から思える。
私の場違い感がすごい。
己を知り恥をかかないことは、自分を守ることだと思う。
やはりリアルは、安定、堅実が心穏やか。
こんなイレギュラーは心臓に悪くて二度とごめんだ。
私は小説の主人公なんてなりたくもない。
「……近いので離れてもらえますか?そして約束通りスマホを返してください」
「んー、つれないな。瀬川さん。まずは飲んでお互いにを知り合おうよ!」
「………私、それなりに強いので。変なこと考えても無駄ですよ。まあ考えないでしょうけど。早く要求出してもらえます?」
眼鏡の縁を触って押し上げつつ睨みつけると、黒沢誠は少しキョトンとしてそれからふはっと笑った。
「すごい警戒。いつもはあんなに親切なのに。俺は優しい窓口のお姉さんと仲良くなりたいなーって思っただけだよ」
「仲良く……」
何言ってんのこの人。
「プライバシー問題で脅して仲良くも何も……」
「ねえ、初めて会った時のこと覚えてくれてる?」
話を聞かないな黒沢誠。
私のスマホはどこに隠してるのか。ポケットか。手ぶらだしな。
隙を見て奪えないだろうか。
そんなことを思いつつ、ジョッキをぐびりと煽る。
彼の問いかけを無視した形になったので、もう一度「え、本当、覚えてない………?」ってショックを受けた顔をして同じ問いかけが来た。
覚えてないわけがない。
「ふざけて……わざとですか?いい加減にしてくださいよ」と窓口でパートさんに叱られて、半泣きで、途方に暮れていた彼のことを。
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