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第二章 金井秀人と四谷華
第十五話① 優しい失敗(前編)
しおりを挟む世の中には、他人を叩きたがる人間が数多くいる。
叩く手段は様々だ。一昔前であれば、誹謗中傷の手紙や自宅への悪戯、事実無根の噂話などがあった。本人の前に出て叩くのではなく、コソコソと隠れて他人を傷付ける。
現在の主流はネットだ。SNS等で誹謗中傷を繰り返す。自宅や居場所を特定し、他人を巻き込んで標的を叩く。
秀人が、全国各地で起こさせた犯罪。秀人に操られて犯行に走った者にも、家族がいた。
他人を叩きたい者達にとって、加害者の家族は絶好の的だった。正義の名を借りて行う、一方的な暴力。
加害者家族の中には、被害者に誠心誠意謝罪し、自分が犯人でもないのに償おうとする者がいる。罪の意識に追い詰められ、自殺する者もいる。そんな加害者家族であっても、他人を叩きたい者にとっては、標的でしかない。
何かしら理由をつけて、他人を叩く。家族を殺された経験があるわけでもなく、自分が理不尽な迫害にあったわけでもない、痛みを知らない偽善者達。
そういった者達は、決して人前に姿を現さない。人前に出て戦う勇気も気概もないから。安全が保証された所で、痛みなど無縁の場所で、他人に痛みを与える。他人を叩くことで、歪んだ自己満足を得る。
秀人は、ネットの中で一人の人物を発見した。無職の男。事件の犯人の家族を、あらゆるサイトに顔写真付きで公開している人物。住所、氏名、連絡先、メールアドレス、勤務している会社名。加害者の家族が引っ越し、連絡先を変え、職場を変えても、しつこく追っていた。
ネットで情報を晒し、誹謗中傷する以外には、特に何もしていない。臆病で小心者だから。そのくせ、鬱屈した気持ちを晴らそうとしているから。
秀人は、その男のことを詳しく調べた。
男の書き込みから、IPアドレスを特定した。特定の場所からアクセスしている。IPアドレスから、実際の住所を特定した。家族構成は三人。両親は働きに出ている。日中は、家に彼一人しかいない。
自室にこもってパソコンを操作する。加害者の家族も同罪だと、ネット上で触れ込む。彼に触発された者が、加害者家族の情報を伝える。情報の中には、加害者家族の写真もある。写真の景色や天候、人物の瞳に映った景色まで解析し、居場所を特定する。
その男は、いわゆる引きこもりだった。大学受験に失敗し、たった一度の挫折で心が折れた。経済状況に恵まれた両親に依存し、失敗から立ち上がろうとしなかった。
十八歳での受験失敗から十年間、自室に引きこもっていた。必要な物は、ネット通販で手に入れていた。
その男が十年間で磨いてきたのは、自室にいながら他人を傷付ける方法のみだった。
秀人は、通販の配達員を装って男に接触した。荷物を受け取った彼の手を見て、一言、驚いたように伝えた。声色を、女性のものにして。
「パソコンを使いこなしている人の手ですね。ほら、指先の皮が、第一関節以下よりも少し分厚くて」
女性の声を出した秀人は、裸を見られない限り、男性だと思われることはない。
男も、秀人を女性と思ったようだ。荷物を届けに来た、絶世の美女。
美女に誉められ、男は気分をよくした。自分がどれだけパソコンやIT知識に精通しているか、語り始めた。
秀人は男の語りを、興味深そうに、かつ尊敬の眼差しで聞いた。
十年も自室に閉じこもり、母親以外の女性と関わることはほとんどない。若い美女を見る機会といえば、テレビかネットの中のみ。
そんな男をコントロールすることなど、秀人にとっては、算数の問題より簡単だった。
「もう次の配達があるんで行かなきゃならないんですけど、また来ていいですか? お話、聞きたいんです」
秀人が言うと、男は鼻の下を伸ばして頷いていた。
七月。気温はすっかり上がり、暑くなってきた。配達員を装うために着た制服が、じっとりと汗ばんでいる。
秀人は男の自宅から離れると、制服を脱いだ。長袖の制服の袖口が、汗で湿っていた。
近くの有料駐車場に停めていた車に乗り、走らせる。
時刻は午後六時。
今日はもう帰ろう。
華を自宅に住まわせてから、約二ヶ月。毎日、知能向上のテストを行わせた。運動能力を向上させる訓練、ナイフの訓練、銃の訓練も続けている。
華の知能は、現時点で、小学校高学年くらいだろうか。留守番くらいは十分にさせられるし、買い物にも一人で行かせられる。これ以上の知能向上は難しいかも知れないが。
半月ほど前から、秀人は、華にお小遣いを与えていた。計画的に金を使うことを学べば、未来を見通す能力も身につく。金額は、一日五百円。
連絡用として、スマートフォンも買い与えた。テンマが彼女に与えた物とは違い、インターネットも利用できる。アドレス帳には、秀人の連絡先しか登録されていない。
車を走らせながら、秀人は、今日の夕食のメニューを考えた。冷蔵庫に残っている食材を頭に浮かべる。華は料理ができないから、今日の昼食分は作り置きしてきた。食材が減っていることはない。華が、人参を丸囓りでもしていない限りは。
鶏肉は残っていないから、華の好きな鶏肉と人参のホイル焼きはできない。豚肉とタマネギが残っているから、無難にカレーにでもするか。
考えているうちに、自宅に着いた。
車を車庫に入れて、降りる。自宅の外観はいつもと変らない。
玄関の鍵を開けた。
家のドアを開けた瞬間、変な臭いがした。焦げ臭さと、プラスチックが溶けたような臭い。
同時に、華のすすり泣く声が聞こえてきた。小さな、普通の聴覚では察知できない声。テレビの音も聞こえる。点けっぱなしなのだろう。
秀人は、自分が他人に恨まれていることを自覚している。自分を捕まえようとしている者がいることも、自分を殺そうとしている者がいることも理解している。だからこそ、帰宅したら、まずは家の外観を確かめる。誰かに侵入された形跡はないか、と。
もっとも、この家は、徹底的に防犯対策が取られている。窓は、厚さ一センチもある防弾ガラス。壁は、分厚いコンクリート。誰かが侵入することなど、不可能と言っていい。
――ということは、華が、誰かを家に入れてしまった?
その人物が、家に火でも着けようとしたのか。
臭いを感じてから、約〇・一秒。
一瞬で思考を巡らせると、秀人はクロマチンを発動させた。内部型クロマチンで身体能力を強化。同時に、外部型クロマチンの弾丸を用意。敵がどこにいても、即座に、確実に仕留める。
秀人はリビングのドアを開けた。
中に広がる景色。左側にはキッチンがある。キッチンと対面する位置に、食卓テーブル。右側には、ソファーと点けっぱなしのテレビ。
秀人の目に飛び込んできた光景は、予想外のものだった。
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