10 / 57
第七話① 絶望を知り、闇に堕ちる(前編)
しおりを挟む美咲は五味の家に来ていた。彼が、父親に買い与えられたマンション。その1室。1人で住むには贅沢とさえ言える、6階の2LDKの部屋。
美咲と五味が付き合い始めてから、一週間ほどが経っていた。
彼と付き合うことになった日から、美咲は、ひたすら今後のことを考えた。どうやって洋平の居場所を吐かせるか。どうやって、五味の口を緩めるか。
最初の布石として、五味に伝えた。
『私は、洋平のことなんて好きじゃなかった。だから、五味と付き合ってもいいと思ってた』
口にするだけで心が痛み、苦しく、涙が出そうになる嘘だった。洋平の居場所を吐かせるためと言っても。たとえ嘘でも、こんなことは言いたくなかった。
五味が美咲の嘘を信じたのであれば、洋平を隠す必要はなくなる。
五味は、洋平をどこかに監禁している――と、美咲は踏んでいた。五味自身の言葉から、それは容易に推測できる。
『ひどい奴だよな。お前に何も言わずにどっかに消えるなんてよ。薄情だと思わないか。あいつにとっては、お前はどうでもいい女なんじゃないか?』
『お前に何も言わずに勝手に消えた奴のことなんか忘れて、俺にしておけよ』
どうして五味は、洋平が何も言わずに消えたと知っていたのか。
答えは簡単だ。何も言えずに消える状況を、五味自身が作ったからだ。洋平を監禁し、見張っている。洋平が戻ることはないと知っているから、当たり前のように「消えた」と口にできる。
――私が洋平を助けるんだ。
決意したものの、美咲は悩んでいた。どうやって、五味に洋平の居場所を吐かせるか。
誘拐と監禁は完全な犯罪だ。五味が犯してきた傷害とは違い、示談にするのも難しい。それは、彼自身も分かっているだろう。洋平を監禁したことを、簡単に吐くとは思えない。示談にできないとなれば警察が介入し、犯罪者となる。警察が介入すれば、彼の父親の威光も、お抱えの弁護士の交渉も通じない。
同時に、美咲は、自分の推測に1つの疑問を持っていた。全国レベルのボクサーである洋平を、五味というただの遊び人が、どうやって監禁できたのか。どんな方法を使えばそんなことができるのか。
この疑問に対する仮説は、簡単に思い浮かんだ。同時に、今後の行動の方向性が決まった。
そして今、美咲は、五味のマンションにいる。彼と2人きりではない。彼が連れて来た友人3人と一緒に。
五味の友人の1人は、六田祐二。美咲達と同級生で、野球部。もっとも、真面目に野球をするタイプではない。しかし、運動神経がよく、かつ弱小校ということもあり、2年生ながらエースを務めている。少し話しただけでも、五味同様の傲慢な男だと分かった。
もう1人は、七瀬三春。彼も同級生だ。会話の中で、息をするように五味や六田に媚びを売っている。強い者に付き従い調子に乗る、コバンザメのようなタイプだった。
最後の1人は、八戸四郎。彼は1年だという。野球部に所属していたが、五味や六田と付き合い始めてから退部した。今では、彼等の使い走りとなっている。気弱そうで、五味や六田、七瀬にすら逆らえないようだ。
彼等がこのマンションに集まったのは、美咲が、五味にこう頼んだからだ。
『他人には言えないような秘密すら共有できるくらいの、あんたの友達を紹介して欲しいの』
『あんた、モテるでしょ? だから、確信が欲しいの。私を好きでいてくれる、っていう確信が。私のことが好きなら、友達に紹介できるでしょ?』
五味が、たった1人で、洋平を拉致できるはずがない。協力者がいるはずだ。だったら、五味も含めた実行者の誰かに、洋平の居場所を吐かせる。
美咲はそう目論んだ。
美咲の思惑通り、五味は、友人3人をこのマンションに招いた。
秘密すら共有できる友達を紹介してと頼んだら、この3人が出てきた。もちろんそれだけでは、彼等が監禁に協力したとは断言できない。だが、彼等の会話や人となりを見て、3人共、洋平の拉致監禁に協力していると思えた。
傲慢な六田は、ボクシングで優秀な成績を修めている洋平を疎ましく思い、協力した。
五味や六田に付き従っている七瀬は、彼等に媚びるために協力した。
彼等の使い走りである八戸は、逆らえずに協力した。
美咲の推測を裏付けるような行動を、3人は見せていた。六田は、野球部でエースになった自慢話を延々と披露している。七瀬は、五味や六田をひたすら持ち上げている。八戸は、3人に命じられて、もう2回も近所のコンビニに買い物に出た。
五味の、どうしようもないクズ自慢。六田の、井の中の蛙としか言えない自分自慢。彼等の話を、美咲は、作り笑顔で聞いていた。たくさん練習した、楽しそうな笑顔。ジュースを手に持ちながら、可愛らしく笑って見せた。
笑顔の奥で、美咲は冷静だった。冷たく、4人を観察していた。彼等の中で、誰が一番、口が軽いだろうか。誰が、一番簡単に洋平のことを白状しそうか。
五味は主犯だ。もし彼の行動が明るみに出れば、一番罪が重い。傲慢で下劣な性格の持ち主であっても、警戒はするだろう。もっとも、彼は今、自分の傷害での補導歴すら自慢気に話している。武勇伝のように。弁護士を使って示談にしたことを、面白おかしく。こんな馬鹿なら、案外簡単に口を割るかも知れない。
六田は傲慢で、自分を優秀だと勘違いしている。彼にとって、野球部のエースという立場は、いわばステータスだ。そのステータスを脅かされるようなことを、簡単には口にしないだろう。
七瀬はお調子者で口が軽そうだ。反面、五味や六田に不利になることを、簡単に漏らすとは思えない。とはいえ、彼等より強い立場の者が現れたら、簡単に依存先を変えるだろうが。
八戸は、一番簡単そうに見えて一番難しいかも知れない。気の弱い彼が、五味達を裏切った際の報復を考えないはずがない。
五味以外の3人と、チャットの連絡先を交換した。だが、この3人ではなく、五味に口を割らせるのが一番早いかも、と考えていた。もちろん、そんな計算は一切表に出していない。もともと感情が顔に出にくい美咲は、こんな心理状態でも、作り笑いを浮かべられる。
一刻も早く、洋平に会いたい。一秒でも早く、洋平を助けたい。美咲は焦りを感じていた。もし自分が強かったら、この場で4人を殴り倒して、洋平の居場所を吐かせるのに。
――私が、洋平くらい強かったら。
缶ジュースを持つ手に力が入りそうになるのを、美咲は必死に堪えていた。
突然、隣りに座っていた五味が、美咲の肩を抱いてきた。
部屋の中は暖かい。暖房が効いている。しかし、美咲は寒気を感じた。鳥肌が立つ。思わず、持っているジュースを五味にかけそうになった。理性を総動員して、衝動を抑えた。
「これで、俺がお前に本気だって分かっただろ?」
五味の生温かい息が、美咲の頬にかかった。
「こうやって友達も紹介したし、少しは安心できたか?」
「──!」
美咲の頭の中に、光が射した。ひと筋の光。
頭の中が冷え切っていて、思考がクリアになった。五味に肩を抱かれて、寒気がしたせいだろうか。美咲の頭の中で思い浮んだ発想が、1つの点となった。点は1つだけではなく、次々と現れた。その先に、ゴールがある。五味に洋平の居場所を吐かせる、というゴール。ゴールまでの道筋を作るように、点と点を線で結んでいった。
ゴールへ辿り着く道が、明確に見えた。
五味に、洋平の居場所を吐かせることができるかも知れない。
「そうだね。でも……」
肩を抱く、五味の手。不快なその手を払わず、美咲は俯いて見せた。両手で缶ジュースを持つ。伏せた目。不安そうに歪めた口元。その表情の全てを、計算して作った。
「どうした? まだ、何か不安か?」
五味が、理想的な質問を投げてきた。もし洋平のように感情が表に出やすかったら、ほくそ笑んでしまっただろう。疎ましく思っていた自分の無表情に、美咲は、またも感謝した。
「今ね、楽しいよ。あんたが私に本気だって分かったし、あんたの友達も楽しいし。でも、ね……だから、不安なの」
「?」
「どういうことだ」とでも言いたげに、五味は、美咲の顔を覗き込んできた。顔が近い。気持ち悪い。吐き気がする。胸にある感情は、表に出る気配すらない。意図せずとも隠し通せる。
美咲は、キュッと口を一文字に結んだ。縋るように、五味を見た。全部演技。心が伴わない表情。
「今が楽しいからこそ、不安なの。もし、洋平が突然帰ってきたら、って思うと……また、以前みたいな生活に戻らないといけなくなるから……」
辛そうな様子を見せるため、美咲は目を細めた。
こんなことを言ったら、五味が暴走して、取り返しのつかないことをするかも知れない。つまり、洋平を殺し、絶対に戻らないようにする。もちろん、そんな可能性は低いと思っていた。いくら五味がクズのような人間でも、安易な理由で人殺しまでしないだろう。
それでも、万が一ということがある。そう考え、美咲は保険をかけた。洋平が戻っても大丈夫だと、五味に思わせるように。
「洋平が戻ってきても、洋平の方から私をフッてくれれば問題ないんだけどね。私さえ気にしなければ、お母さんと洋平のおばさんの仲も拗れないだろうし」
五味に洋平の居場所を吐かせるため、口から出したデマカセ。反面、美咲の本心も混じっていた。
――洋平が無事に帰って来てくれるなら、それでいいんだ。
洋平の居場所を探るためとはいえ、美咲は、五味なんかと付き合った。そのせいで嫌われるかも知れない。別れを切り出されるかも知れない。それでも、何事もなく、洋平が無事に帰って来てくれればよかった。洋平が、幸せそうに笑ってくれればよかった。
洋平の笑顔が、美咲にとって、何にも代え難い宝なのだから。
五味が、美咲の肩を引き寄せてきた。彼と美咲の体が、密着した。
美咲の胸の中に、粘り気のある気持ち悪さが溢れた。吐き気を堪えながら、美咲は五味を見た。
五味は、笑っていた。
「安心しろよ、美咲。あいつは、絶対に戻って来ないから」
「おい! 五味!」
向かいに座っていた六田が、こちらに身を乗り出してきた。今まで楽しそうに笑っていた彼は、その表情を一変させている。
「やめろ! やばいって!」
やはり六田も、洋平の居場所を知っているのだ。彼の反応から、美咲は確信した。
七瀬は、五味と六田を交互に見ていた。2人が争ったら、どちらに付くべきか――そんなことでも考えているのだろうか。
八戸は、どこか怯えているようだった。争う雰囲気の2人に怯えているのか。それとも、別の何かに怯えているのか。
「うるせえよ。いいだろ、話してやっても。こいつは俺の女なんだ。自分の女には、真実を言ってやるもんだろ」
五味は誇らしげに笑って見せた。自分のセリフに酔っているのだろう。
――気持ち悪い自己陶酔はいいから、さっさと吐いてよ。
美咲は、五味を急かしそうになった。駄目だ、と必死に自制した。何も知らない振りをして、まったく気付かない振りをして、五味の言葉を待った。
――洋平はどこにいるの? どこに行けば会えるの? どこから助け出せばいいの?
六田は、五味に掴みかかりそうな様子だった。
彼を尻目に、五味は口を開いた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる