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第十五話① 地獄に堕ちて、地獄に落とす(前編)
しおりを挟む自分は死んでしまった。だから、美咲を幸せにすることはできない。
それならば、せめて。
せめて美咲には、自分のいない世界で幸せを見つけて欲しい。
平穏な学生生活を経て、社会に出て、優しい男と出会って。
結婚して、子供を産んで、いつしか孫に囲まれて。
平凡でも、平穏で幸せな人生を送って欲しい。
美咲が幸せになれるなら、側にいるのが自分でなくてもいい。美咲が幸せであればいい。
洋平のその気持ちに、嘘偽りなど微塵もなかった。心の底から、美咲の幸せだけを願っていた。死んでしまった自分のことなど、忘れて欲しい。誰かいい人を見つけて欲しい。
嘘偽りのない本心だった。心の底から、そう思っていた。
そう思っていた、はずだった。
だが、洋平は、五味が美咲の体に触れる場面を見て、気が狂いそうになっていた。
生前、洋平は美咲を抱けなかった。2人きりになることなど、幾度もあったのに。
恐かったのだ。美咲を妊娠させてしまうことが。
避妊具を使っても、絶対に妊娠しないとは断言できない。もし、高校生の自分が美咲を妊娠させてしまったら、どうなるか。
子供を産むとなれば、美咲は高校を退学することになるだろう。父親である洋平も、同様に。高校を退学して、子供を育てるために必死に働くことになるだろう。
今の自分に、いったいどれだけの仕事ができるのか。どれだけ稼げるのか。裕福な生活など、決して望めないだろう。
苦労するのが自分だけなら、まだいい。美咲には苦労をさせたくなかった。たとえ自分の命と引き換えにしてでも、彼女には幸せになってほしかった。
妊娠した子供を堕ろすとなれば、どうだろうか。堕胎を安易に考えられなかった。母体には確実に負担がかかる。精神面でも負担がかかる。小さな命も失われる。運が悪ければ、一生子供を望めない体になるかも知れない。
美咲には、そんな苦痛も危険も背負わせたくなかった。
だから、洋平は我慢した。
美咲と2人っきりになったとき、思わず彼女に手が伸びそうになった。幾度となく、欲望に負けそうになった。
隣同士で座って、一緒に勉強をしているとき。彼女の髪の匂いが鼻孔をくすぐり、洋平の心臓を高鳴らせた。
2人で出かけて、手を繋いだとき。その手の感触を――肌の感触を全身で味わいたいと、抱き寄せそうになった。
一緒に食事をしながら話しているときは、視線が、美咲の唇に釘付けになった。自分の唇を近付けたい。そのまま重ねてしまいたい。抱き締めて、最後まで行き着いてしまいたい。
美咲を壊れ物のように大切にしたい理性と、欲望のまま滅茶苦茶にしたい情欲。2つの感情の板挟みになっていた。
若い男の情欲は、時として拷問のような苦痛を伴う。それは、飢えや渇きよりも大きな苦しみとなる。睡眠を削るよりも抗い難い苦行となる。自分の体のことなのに、自分自身でコントロールできなくなるのだ。体の中に、暴れ馬でもいるかのように。
それでも常に、理性が勝った。自分の欲求を抑えるため、口の中で頬の肉を噛んだこともあった。痛みが欲求を散らし、理性を維持させた。口の中は血まみれになったが。
自分の理性を総動員し、それでも堪え難いときは痛みを伴い、美咲を守り続けた。
今、美咲は、五味の前で――洋平以外の男の前で、裸になっている。体を触れさせている。唇を重ねている。
洋平はもう死んでいる。美咲を抱くことなど、永久にできない。彼女が他にいい男と出会い、結婚し、子供を産むなら、いつかは必ず抱かれることとなる。
洋平以外の男に。
それは、洋平自身も理解していた。理屈では分かっていた。
分かっていたのに、心が握り潰されるように痛かった。熟れた果実のように、心が握り潰される。果汁のような大量の涙が、心から溢れ出た。
――美咲を抱いているのが五味だから、こんな気持ちになるのか?
――美咲を幸せにできる男が彼女を抱いているなら、こんな気持ちにはならないのか?
自問に対する答えを、洋平は分かっていた。
否、だ。
たとえ、誰であっても。自分なんかよりも、遙かに美咲を幸せにできる男だったとしても。それでも、心の痛みは感じていたはずだ。堪えようのない、拷問のような痛み。
自分が美咲とできなかったことを、できる男がいる。
自分が触れられなかった美咲の肌に、触れる男がいる。
自分が抱けなかった美咲を、抱く男がいる。
それがどんな男だったとしても、苦しいのだ。心が痛いのだ。洋平は確かに、美咲の幸せを願っているのに。
こんな状況になって、初めて洋平は、美咲に対する気持ちの一部を知った。
誰にも取られたくない。渡したくない。触れさせたくない。自分だけの女性であってほしい。
誰にでもある独占欲。洋平にもあった、当たり前の気持ち。今まで、美咲への想いが強過ぎて――彼女を大切にする気持ちが強過ぎて、まったく気付けなかった。
気付いた瞬間に、洋平は地獄を味わった。最も軽蔑する男が、何よりも大切な美咲の体を好きにしているのだ。
五味に、美咲の体を気遣う様子など、微塵もない。自分の欲求を、ひたすら彼女の体で発散していた。
気が狂いそうだった。いっそ狂ってしまえば、どんなに楽だろうか。
見えもせず聞こえもしないのに、何が起こっているのかがはっきりと理解できる。目の前の地獄を見たくない。その声を聞きたくない。でも、目を塞ぐことも、耳を塞ぐこともできない。狂って自我を失い、今の現実から逃げることもできない。拷問のような今の状況を理解し、感じ、心の傷を深くすることしかできない。
泣けるものなら泣きたかった。叫べるものなら叫びたかった。もし今の洋平に体があったなら、間違いなく五味を殺していただろう。好きな女性の体を弄んでいる、このクズを。拳が砕けるまで殴り続けただろう。
血の涙を流しても不思議ではない、長い長い時間。洋平にとって、拷問のような時間。
五味は、美咲の体に夢中になっていた。彼女の体で二回も果てた。
二回とも、避妊は一切していなかった。
セックスを終え、火照った体が冷めると、五味はすぐに眠くなったようだ。洋平が感じていた地獄とは正反対の、多幸感と満足感。これ以上ない心地好さに包まれながら、五味はゆっくりと眠気に身を任せていった。
あまりの痛みと苦しみに襲われた洋平は、しばし放心状態となった。もし洋平に体があったなら、絶望のあまり脳に異常をきたしていたかも知れない。それほどの苦痛だった。
そんな洋平の意識を覚醒させたのは、美咲だった。
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