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第十八話② 纏った狂気は、たとえ惰性だとしても(後編)
しおりを挟む六田はカップに口を付けた。視線は、相変わらず美咲の体を舐め回している。
洋平にとっては不快でしかない、六田の視線。しかし、そんな不快感も隅に追いやられるほど、洋平の心を満たしている感情があった。
激しく強い、後悔だった。
「……クリスマスの夜にね、私、五味の家を出たの」
コーヒーを口にして、美咲は話し始めた。
「イブの夜には、たくさん抱いてくれて――それこそ、一晩中抱いてくれたの。何回も」
六田がコーヒーを喉に通す。ゴクリと、やや大きめの音が鳴った。彼は、美咲の話の序盤を聞いただけで、興奮を抑え切れなくなっているようだ。
「家の鍵まで渡してくれたの。いつでも来ていい、って。嬉しかった。また抱いて欲しくて、次の日も五味の家に行ったの。でも、いなかった」
美咲は、コーヒーカップをテーブルに戻した。塞ぎ込むように、背中を丸めて目を伏せた。六田の位置からは、美咲の体のラインが見えにくくなっているはずだ。
六田はテーブルに身を乗り出した。美咲の胸を覗き込む角度。見方によっては、美咲の話を真剣に聞くために、身を乗り出したようにも思える。
美咲は、六田の真意に気付いているだろうが。
「私ね、寂しくて。五味の携帯に、何度も電話したんだ。チャットでメッセージも送ったの。でも、電話にも出ないし、メッセージも既読にならないの」
そこまで言って、美咲は顔を上げた。
六田と美咲の視線が合わさった。
六田が身を乗り出しているせいか、2人の距離は、必要以上に近くなっていた。
「男の人って、どうなのかな?」
「どう、って?」
「一晩中抱いたら、自分の彼女でも飽きたりするのかな? あれだけたくさんしたら、もう十分なんて思ったのかな?」
美咲は、六田を始末するのに時間を掛けるつもりはないらしい。彼を刺激する話題を、出し惜しみせずに次々と口にしている。
六田は、美咲の思惑に完全に陥っていた。すでに彼の頭の中は、美咲とセックスすることで一杯だろう。頬はやや紅潮し、性的興奮が高まっていることを示している。
「私、不安で。寂しくて……」
以前、六田が言っていた。
『寂しいとか言ってくる女がいたら、そのタイミングで100パーセント落とせる』
言葉通りに、六田は美咲を落としにかかった。
結果として、自分が地獄に落とされるとも知らずに。
「美咲」
六田は美咲の手に触れた。「笹森」ではなく「美咲」と呼んだ。
「少し、落ち着ける場所に行こうか。こんなところよりも、2人きりになれる場所の方が落ち着けるだろ?」
美咲は六田の目を見つめ、小さく頷いた。
「ありがとう。じゃあ、一緒に五味の家に来てくれる? 鍵持ってるし、近いし、落ち着けるから」
五味の家。そう言われて、六田は返答に時間がかかった。
六田は、五味が死んでいることを知らない。セックスの最中に、五味が帰ってきたら。そんなリスクを考えたのだろう。同時に、頭の中で計算したはずだ。もしここで、別の場所――ホテルなどに美咲を誘ったら、断られるかも知れない、と。
性的欲求に満ちている六田は、簡単にリスクを背負った。もっとも、五味はすでに死んでいるので、六田の不安はただの杞憂なのだが。
「わかった。じゃあ、五味の家に行くか」
「ありがとう」
コーヒーを飲み干し、伝票を持って六田は席を立った。美咲も彼に続いた。
会計を済ませて、店を出た。
六田は、美咲の料金も自分の財布から出していた。自分の分は自分で払うと言った美咲を制して。格好つけて、上手く美咲とのセックスに持ち込みたいのだろう。
そんなことをしなくても、美咲は六田とセックスをする。セックスをし、油断させ、疲れて眠った彼を殺すつもりなのだから。
カフェから5分ほどで、五味の家に着いた。
鍵を開け、家の中に入る。
殺人の痕跡は、まったく残っていない。丸1日かけて、美咲は完璧に掃除をしていた。換気もして、臭いすら消し去った。不自然な点があるとすれば、男の一人暮しにしては綺麗すぎることくらいか。セックスへの期待しか頭にない六田が、そんな違和感に気付くはずがない。
美咲は、まったく不自然さがない足取りで、六田を寝室まで誘導した。コートを脱いで、ベッドに腰を下ろした。
六田には、今の美咲が、あまりにも無防備に見えているだろう。簡単に押し倒せそうな、都合のいい女。
無防備になっているのは彼自身だと、気付く様子もない。
六田も、コートを脱いでベッドに腰を下ろした。肩と肩が触れ合いそうなほど、美咲のすぐ隣りに。
美咲は、ベッドの上の羽毛布団を撫でた。幸せな思い出を振り返る、切なげな表情をつくっていた。
「イブの夜にね、ここで、五味が抱いてくれたの」
美咲が撫でている羽毛布団は、五味と寝たときの物とは違う。血まみれになった羽毛布団は洗濯して染みを取り、細かく切り刻み、とっくにゴミとして処分している。シーツも同様に。
今のシーツや羽毛布団は、2日前に美咲が購入した物だ。代金は、五味の財布から出した。
「相性がいいっていうのかな……すごく気持ちよくて、幸せだったの」
美咲の言葉が、六田を刺激してゆく。
「これから、いつでも何回でも、抱いてくれると思ってたのに」
羽毛布団を撫でながら、美咲は、六田に視線を向けた。
興奮状態の六田は、ずっと美咲を見つめていた。
カフェにいたときよりもずっと近い距離で、2人の視線が交わっている。
カフェにいたときとは違い、ここでは、何をしても問題はない。
六田の行動は早かった。もう、自分の欲求を抑え切れなくなっていた。
「寂しいなら、慰めるよ」
六田は、美咲の肩を抱き寄せた。
美咲は何も言わない。拒否もしない。自分から受け入れるような行動もしない。ただ、六田の行動に身を任せた。
2人の唇が重なった。そのまま、ベッドに倒れ込んだ。
六田は、美咲の掌の上で踊っていた。
踊り狂った彼の行き先は、地獄だった。
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