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第二十六話① 渦中の人の事実と偽り(前編)
しおりを挟む洋平は、数学準備室の様子を観察していた。前原とさくらが行なっている聞き込み。
あまり広くない数学準備室。入口の正面奥に窓がある造り。部屋の中央部に机が用意され、窓側に椅子が二脚、入口側に一脚、向かい合うように配置されている。
机の上には、メモ帳。1年、2年、3年と区分けされ、今日話を聞く生徒達の名前が記されている。少し丸みを帯びた文字。このメモを書いたのは、さくらだろう。
窓側に座っているのは、前原とさくら。入口側に、この部屋に入ってきた生徒が座る。
生徒が入ってきて椅子に座ると、2人はまず、自分達の警察手帳を見せた。警察が市民に任意で話を聞く際には、警察手帳を提示する義務がある。このような場でも例外ではないようだ。
前原達の質問は、当たり前の事柄から始まった。五味秀一という生徒を知っているか、という質問。
質問の切り出しは、必ずさくらが行なっていた。大柄ではないが筋肉質な前原が行なうと、高圧的だと感じさせてしまうからだろうか。それとも、さくらの声の通りがよく、聞き取りやすいからだろうか。理由は分からないが、彼等の間で取り決めた役割があるのだろう。
五味は2年だが、1年の間でも有名だった。聞き込みを行なった1年生10人のうち、8人が彼のことを知っていた。
五味の評判は、人によって両極端に分かれていた。
後輩に色んな物を奢ってくれる、気前のいい先輩。大勢の生徒の中でも目立つ、存在感のある先輩。口説かれ、色んな物を買ってもらったという女子生徒もいた。
反面、付き合っている彼女を口説かれたという男子生徒や、トイレに呼び出されて殴られたという男子生徒もいた。
1年生10人から話を聞いた、前原とさくら。彼等が五味に抱いた印象は、共通していた。自分を認める人には気前がよく人当たりがいい。自分を敬わない生徒や、自分が目を付けた女子生徒と付き合っている男子生徒には、陰湿で暴力的。承認欲求と陰湿さが同居した人物。
1年生の聞き込みが終わった。
2年生の生徒を待っている間、さくらがポツリと呟いた。
「こいつは、殺されても不思議じゃないですね」
綺麗な声に似合わない、辛辣な言葉だった。もっとも、彼女の意見には洋平も同意だったが。
「滅多なこと言うなよ。問題になるぞ」
「でも、実際に殺されてるわけですし。こういうふうに五味に恨みを持つ人を絞っていけば、自然と犯人にぶつかるんじゃないですか?」
「まあな」
2人は、五味のことを知っていた生徒に、続けて2つの質問をしていた。六田祐二を知っているか。村田洋平を知っているか。
六田のことを知っている生徒は、五味ほどではないが多かった。野球部のエースとなれば、たとえ弱小校でも、それなりに有名になるらしい。とはいえ、それだけだ。彼が五味と親しかったことを知っている生徒は、1年生の中には1人もいなかった。
洋平のことは、聞き込みを受けた1年生全員が知っていた。スポーツに力を入れていない進学校で、ボクシングでインターハイベスト8という成績を修めた。有名になるには、十分な理由だ。洋平自身には、そんな自覚などなかったが。
五味と洋平を知っている生徒が大半。そんな2人が起こしていた確執――というより、五味が一方的に起こしていた行動――も、それなりに有名だった。五味が、洋平と付き合っている女子生徒に言い寄っている。
五味と洋平の確執を知っている1年生の中には、美咲に対して嫌な感情を持っている者もいた。実際にはそんなことなどないのだが――美咲が、2人の間でフラフラしているという印象を抱いていたり、二股を掛けているという噂を聞いたという生徒もいた。
美咲が五味と付き合ったことは、ほとんどの生徒が知らないはずだ。少なくとも、美咲の周囲にはいなかっただろう。しかし、当事者から離れた場所では、そんな噂が流れていたのだ。
こんな状況下で、美咲は、どんな話をするのだろうか。前原やさくらの質問に対して、どのようにして五味や六田の殺害を隠すのだろうか。
美咲自身が関知していない噂や印象のせいで、彼女の身が危うくなる気がする。洋平は、気が気でなかった。もうどこにもない自分の心臓が、バクバクとうるさい音を立てている。
2年の生徒が数学準備室に入ってきた。
前原とさくらが行なう質問に、変化はない。
変化があったのは、生徒の回答だった。
美咲と同じクラスの生徒は、当然のように五味を知っていた。彼に対して良い印象を抱いていなかった。六田に対しても同様だった。
洋平の印象は良かった。努力家で、真面目で、ストイック。ボクシングで優秀な成績を修めても傲慢になることはなく、勉強もできる。そんなふうに語られていた。
殺されたという自分の立場も忘れて、洋平は少し照れてしまった。
美咲のクラスの生徒は、彼女のことも話していた。
「村田君と付き合ってるのに五味君に言い寄られて、迷惑そうでした」
洋平や美咲の印象に関しては、1年の話よりも、クラスメイトの話の方が信憑性がありそうだ。聞き込みを終えた生徒が出ていった後、前原とさくらは、そんなことを話していた。
コンコンと、数学準備室のドアがノックされた。
「どうぞ」
さくらが、ノックに対する返事をした。
机の上の、生徒の名前を書いたメモ。記入された生徒のうち、聞き込みを終えた生徒の名前には「済」と書かれている。
「済」と書かれていない生徒の一番上は、笹森美咲。
今までの聞き込みで名前が出てきた生徒だからといって、さくらは、態度や表情を変えなかった。表面上では。
「失礼します」
美咲は数学準備室のドアを開け、室内に入ってきた。
「どうぞ」
さくらが、美咲に座るように促した。
「失礼します」
美咲は、前原とさくらの向かいの椅子に座った。
2人の質問は、今までの生徒と同じように行なわれた。
「五味秀一という生徒を知っていますか」
「はい」
さくらの質問に、美咲は迷うことなく答えた。表情はまったく動かない。いつもの美咲と変わらない。
「五味秀一とは、どんな人物でしたか?」
続けて出されたさくらの質問に、美咲は答えなかった。反対に、質問を返した。
「その質問に答える前に、私から質問をしてもいいですか?」
「もちろんです。私達は皆さんに聞き込みを行なう立場ですが、質問を受け付けないというわけではないです。もっとも、捜査上の事情から回答できない場合もありますが」
さくらの声はよく通り、綺麗だ。耳に優しい声、とでも言うべきか。前原と2人だけのときに辛辣な言葉を吐いていたとは思えない。そんな声で話せるからこそ、質問のほとんどを彼女がしているのだろう。
「では伺いますが――」
美咲は、言葉と言葉の間に少しだけ沈黙を置いた。表情に変化はない。1、2秒ほど、じっと、前原とさくらを見つめた。
「――村田洋平という、この学校の生徒を知っていますか?」
「存じております」
即答したのは、さくらだった。
「2ヶ月ほど前に、捜索願が出されていますね。提出したのは、村田洋子さん。村田洋平さんの母親です。その際に同行したのは、笹森咲子さん。笹森美咲さん、あなたのお母さんです」
「そうです」
前原とさくらは、聞き込みを行なった生徒全員に、洋平のことも聞いていた。この事件に関与している可能性があるから、洋平のことも調べていたのだろう。その結果、美咲の存在にも行き着いていた。
捜査において重要となる情報を簡単に話したのは、美咲が当事者だと分かっているからだ。
「もう知っていると思いますが、私と村田洋平は幼馴染みで、付き合っていました」
前原とさくらは、何も言わなかった。無表情の美咲に対して、さくらの表情が少しだけ動いた。前原の表情は、さくらよりも明確に動いている。苦虫を噛み潰したような顔。
「洋平は、2ヶ月前に行方不明になりました。さらにその前から、私は、五味に言い寄られていました。それを、ずっと断り続けていました。私には洋平がいましたから。五味にとって、洋平は目障りだったと思います」
前原とさくらの表情が、明らかに曇ってゆく。美咲が何を言いたいのか、容易に想像がついたのだろう。
「もう、私の言いたいことは分かると思いますが――」
美咲は、もったい振らずに話を続けた。
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