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第二十六話② 渦中の人の事実と偽り(後編)
しおりを挟む「――私は、洋平が行方不明になった原因が、五味にあると考えています。もっとはっきり言うなら、五味が洋平を、どこかに連れ去ったのだと考えています。拉致をして、どこかに置き去りにしたか。あるいは、どこかに監禁しているか」
「いや、いくら何でも、それは飛躍し過ぎじゃないのか?」
口を挟んだのは、前原だった。もしこの場面が漫画のひとコマなら、額に汗でも流れていそうな表情になっている。
「ただの高校生が、人を拉致とか監禁とか。かなり無理があると思うけど」
「そうでしょうか?」
美咲の表情に、変化はない。
「五味は、経済的にかなり恵まれています。親にマンションの1室を買い与えられて、1人暮しをしています。修学旅行では、大金を使って豪遊していたそうです。有り余るほどのお金があれば、ある程度のことは簡単にできると思いますが」
「いや、それにしたって、高校生が拉致とか監禁とか……」
前原がそう言ったところで、さくらは、美咲から見えないように彼の腰元をポンポンと叩いた。落ち着け、という意味だろう。
叩かれた前原は、つい、さくらを見てしまっていた。
さくらは小さく溜め息をついて、美咲をじっと見つめた。目線が、先程までよりも鋭くなっている。口から出る声は、少し低くなっていた。
「笹森さんの考えはよく分かりましたが、そう思う根拠はありますか? 本当に村田洋平さんが拉致されたとして、その犯人が五味秀一とは限らない。まして村田洋平さんは、ボクシングでインターハイベスト8という成績を修めるほどの人です。ただの金持ちに過ぎない五味秀一が、簡単に拉致などをできるとは思えないのですが」
「根拠はあります。1つは、これです」
美咲は、制服のポケットからスマートフォンを取り出した。画面を開き、メールアプリを立ち上げる。表示したのは、洋平からのメールだった。
洋平が、最後に美咲に送ったメール。
『今日は、誰から連絡があっても、絶対に家から出るな。俺からの連絡だったとしてもだ』
美咲が机の上にスマートフォンを置くと、前原とさくらはその文面をじっくりと見た。
「これは、洋平が行方不明になった日に来たメールです。受信時刻は、午後8時ちょうど。送信予約でもしていない限り、ここまで切りのいい時間に送受信することは、まずありません。つまりこのメールは、洋平が何らかの危機に備えて、予め送信予約をしたメールであることが分かります。送信予約もせずに何かを伝えたいのであれば、チャットを使えばいいんですから」
美咲は、洋平の意図を全て理解していた。
「送信予約をしてメールを送ったということは、予め何らかの危険があると考えていたことになります。つまり、見ず知らずの他人に唐突に拉致されたという可能性は、この時点でなくなります」
「そうですね」
美咲の発言を、さくらはあっさりと肯定した。理屈として筋が通っている以上、否定しても意味がない。
「では、もう1つの疑問に関してはどうでしょう? ボクシングでインターハイベスト8になるほどの選手。それを、五味秀一のような一般人が、どうやって拉致したと?」
美咲の話を肯定した上で、さくらは、もう1つの疑問点を口にした。事実を知らない彼女にとっては、当然の疑問だろう。洋平自身も、万が一に備えて美咲にメールを送ったが、まさか五味にやられるなんて思わなかった。たとえ、絶対に手を出せないという制約があっても。
「その質問に答える前に、ひとつ、前提があります」
「何ですか?」
美咲とさくらの質疑応答は続く。
先ほどさくらに制されたせいか、前原は発言を控えていた。苦しそうな、歯痒そうな顔で、黙って話を聞いている。その目は、次の美咲の発言で大きく見開かれた。
「洋平が行方不明になった後、私は、五味と付き合い始めました」
前原が、机に身を乗り出した。どういうことだ、とでも聞きたいのだろう。だが、発言はしない。机に身を乗り出しながら、さくらに視線を向けた。どういうことか聞くように、彼女にアイコンタクトを送っているのか。もしくは、単に彼女の発言を待っているのか。
それほど間を置かず、さくらは美咲に聞いた。
「村田洋平さんのことを探るためですね?」
「そうです」
さくらから視線を逸らさず、美咲は小さく頷いた。
「失礼を承知で言いますが、正直なところ、警察は当てにしていませんでした。捜索願を出したからと言って、すぐに行動はしないでしょうから。でも私は、一刻も早く洋平の居場所を突き止めたかったんです。だから、洋平の居場所を探るために、五味と付き合いました」
前原の顔が、美咲の話を聞いて一変した。驚きの表情から、悲痛そうな表情になった。
前原は、事件の関係者に感情移入しやすい――さくらが先ほど言っていたのは、こういうところだろう。
「それで、どうでした?」
一方のさくらは、落ち着いていた。
「五味のことは色々と分かりました。彼がスタンガンなどの凶器を多数持っていることや、洋平の拉致に協力しそうな仲間が多数いることも。いくら洋平が強いといっても、ただの人間です。スタンガンで電流でも流されてしまえば、簡単に一般人以下の強さになります」
「なるほど。確かに、五味秀一が村田洋平さんを拉致したという話も、笹森さんの話を聞くと現実味がありますね」
美咲の話に頷いて、さくらは、少しだけ机に身を乗り出した。
「それで、五味秀一から、村田洋平さんの情報は聞き出せたんですか?」
質問をしたさくら。彼女と美咲の視線が絡んでいる。
ここで初めて、美咲は嘘をついた。いつもと変わらぬ無表情のまま。
「いえ。まだ、何も掴めていません。何も掴めないまま五味があんなことになって、手掛かりが完全に途絶えました」
さくらは小さく息をついた。乗り出した体を引っ込める。悲痛な表情を見せている前原の肩を、ポンポンと叩いた。
「残念ですが、我々も、村田洋平さんの情報はまったく掴めていません。それは、本当に申し訳ないです。ただ、笹森さんの推測が当たっているのであれば、五味秀一の事件を追うことで何かが分かる可能性があります。ですので、もう1つ、質問に答えていただいていいですか?」
「はい」
「六田祐二という生徒は知っていますか?」
「はい。五味の友人の1人です。六田も、もしかしたら、洋平が行方不明になったことに絡んでいるのではないかと思ってます」
「そうですか」
さくらは、それ以上は何も言わなかった。それは、彼女が冷たい人間だからではないだろう。分かっているからだ。何を言っても、美咲を慰めることなどできないと。下手な慰めは、かえって美咲の心を追い詰めてしまうと。
「ありがとうございます。質問は以上です。お手数ですが、次の方を呼んでいただけますか?」
「はい」
頷いて、美咲は椅子から立ち上がった。彼女の表情は、無表情のまま――と、前原やさくらには見えただろう。
しかし、洋平は気付いていた。美咲の目元が、少し動いている。切なそうに、少し締まっている。
ポツリと、美咲の口から言葉が漏れた。
「洋平に会いたい」
小さな小さな、消え入りそうな声。だが、会話がなくなって静まり返った数学準備室の中では、はっきりと聞き取れる声。
前原とさくらは、体を硬直させて美咲を見つめた。直後、2人とも、目を見開いた。前原はもちろん、さくらですら、悲痛そうな表情を隠せていなかった。
美咲の目から、涙が流れていた。涙が、彼女の気持ちを物語っていた。
洋平に会いたい。
おそらく、美咲自身も、自分が泣いているという自覚がないのだろう。彼女は数学準備室のドアまで足を運ぶと「失礼します」と一礼し、この部屋を後にした。
流している涙を、拭うこともなく。
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