あなたの番になれたなら

ノガケ雛

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第1章

第1話

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 エーヴェル国の皇太子──リオール・エイリーク・エーヴェルは生まれて間もなく第二の性がアルファだとわかった。
 十歳前後で第二の性がわかると言われている中、早くもアルファだとわかった為、一族の中の誰よりも手厚く世話をされていた。

 幼い頃に性別がわかるのは珍しく、そういった子はアルファの中でも強い性質を持つといわれているからだ。
 エーヴェル国のこれまでの国王は決まってアルファである。アルファは優秀で、さらにその性質が強いのであればそれほど良い事はないだろうと、重宝されている。
 
 皆の期待を背負って幼い頃から勉学に励んでいたリオールは、他にもいる王族の子らの中でも抜きん出た才能を持っていて、国王陛下からも愛されていた。
 だがリオールを産んだ母親は王宮にはいない。
 後宮で他の妃達の嫉妬から執拗な嫌がらせを受け、体調を崩して療養すると城を出たきり戻ってきていないのだ。


 そんなリオールは十歳になると、王族の仕来りにより訓練させられることとなった。
 その訓練とは王族のアルファにのみ行われるもので、いつオメガに出会って番となってもいいように、はたまた出会った時に襲ってしまわないようにする為のものだ。

 内容は半年に一度、夜になると目隠しをされたオメガが寝殿に送り込まれ、伽を行うというもの。

 そのオメガは国の登録制により選ばれ、原則として成人済みで身分の高いオメガが優先される。 
 とはいえ、出生率の低いオメガを集めるのは困難で、平民が相手となることも珍しくはなかった。
 それにも関わらずこの仕来りが無くならないのは、アルファを産めるのはオメガだけだと言われているからである。

 ──ただ、これまで、どれだけ見目麗しいオメガが来ても、リオールの心は満たされなかった。

 快楽には慣れた。
 悦びに喘ぐ相手の姿に心を動かされることはあっても、それはどこか空虚なものに感じられた。
 誰も彼もがただの訓練相手であり、番にしたいと思える存在には、まだ一人も出会っていない。
 けれども、この訓練をしている間にそのような者に出会わなければ、これまでに出会ったオメガの中から誰かを番に選ぶことになる。


「つまらないな、陽春ようしゅんよ」


 そう呟く皇太子の声に、側仕えの陽春は静かに微笑んだ。
 わずか十数年しか生きていない子供とは思えない、感情の乏しい声音。


「何かご用意いたしますか」
「……いや」


 侍従長の陽春は、まだ少しあどけなさの残るリオールの顔に、いつも表情が無いことに寂しさを感じていた。
 同世代の子供達はおそらく、もっとたくさんの表情を見せているというのに。


「今宵は訓練がございますよ。美しいオメガを見れば、少しは心も晴れるかと」
「……そうか」


 リオールは既に疲れていた。
 遊ぶこともなければ、両親と語らうこともない。
 ただ一人、皇太子として生きる毎日は窮屈で仕方がなかった。



 伽の相手に選ばれるオメガには条件がある。

 第一に、城へやってきたら体の隅々まで調査を受けること。
 第二に、用意されたもの以外を身に付けないこと。
 第三に、アルファに求められたことは受け入れること。

 この条件を守り、最後まで相手を務められた場合、たんまりと報酬金がでることになっている。

 さて、今夜用意されたオメガは陽春によると平民らしかった。それもどちらかというと貧しい家庭で暮らしているらしい。
 リオールはそれ程身分を気にするタイプでは無いのだが、遂に貴族のオメガには出会い尽くしたかと少し肩を落としていた。

 リオールは寝殿に行き、そこでオメガの到着を待つ。
 眠たくなってきたなとぼんやりしていたのだが、ふいに空気が変わった。
 仄かに、濃密な甘い香りが広がり始める。


「失礼いたします」
「っ!」


 香りは強くなり、リオールは咄嗟に鼻と口を手でおおった。
 天蓋が開かれ、目隠しをされたオメガが入ってくる。
 真っ白な肌に、銀色の胸まで伸びる長い髪をした男。
 その姿を目に入れた途端、口の奥が熱く疼く。


「お待たせいたしました」


 透き通るような柔らかい声に心臓が一度だけ大きく跳ねた。


「本日はどうぞ、よろしくお願いいたします」


 恭しく頭を下げたオメガに、リオールは「ああ」と反射的に応じながら、己の身体の変化に眉をひそめる。
 額がじっとりと汗ばみ、熱が腰の奥に滲み出していた。

 ──この反応は、初めてだ。

 香りの発信源を確かめるように、オメガの首元へ顔を寄せる。
 鼻先が触れそうな距離で、息を吸い込んだ。
 

「!」
「……お前、何かを"つけて"きたのか」
「つける……? いいえ、私は何も……」
「……」


 オメガが現れた途端に広がる甘い香り。本人から発せられるそれは何かをつけているからだと思ったが、違うらしい。
 確かにこの伽に選ばれるには条件をクリアしなければならないので、それはそうかと納得したのだが、どうしてか、その香りのせいでリオールの呼吸は速くなっていった。


「あの、リオール様」
「っ!」


 名前を呼ばれた途端、身体中の血が沸騰するような熱さを覚え、慌てて彼氏から離れる。


 ──なんだ、これは。


 生まれて初めて感じる乾き。
 無性に目の前のオメガに噛みつきたくなって、同意も無しにそんなことをしてはいけないと、今までにない衝動と混乱の中、慌てて声を上げた。



「誰かあるか! 今すぐこの者をここから連れ出せ!」
「っ! リオール様っ、なぜ……っ!」


 リオールの言葉に天蓋の外から手が伸びてオメガはあっという間に連れて行かれた。


「殿下、いかがなさいました!」


 陽春は焦った様子でリオールに駆け寄り、汗のかいた額を柔らかい布で拭う。


「……水を」
「ただいま」


 胸の奥が焼けるようだ。
 熱は治まるどころか、残り香に触れるたび、ますます反応が悪化している気がする。
 差し出された水をゴクゴクと飲み干すが、鼓動が鎮まらない。


「陽春」
「はい」


 俯くリオールの下肢をみて、ハッとした陽春は静かに頭を下げた。


「妾妃様をお呼びしますか」
「……いや、少し外に出る」


 ふらつく足取りで寝殿を出て、夜の庭に向かう。あの香りがする場所から少しでも離れた方がいいと思ったのだ。
 そのまま熱が治まるまで庭を散策し、寝殿に戻れば香りは消えていた。けれど日はもう登り始めている。


 ──侍従達には悪い事をしたな。


 思わずそう反省していたところに、陽春が侍従から何かを耳打ちされ傍に来る。


「昨夜のオメガついてのご報告が」
「ああ……。そういえば、あのあと家に帰ったのか。自分の事ばかりで気にかけてやれなかった」
「いえ。現在は地下牢に収監されております」
「!」


 その報告を聞き咄嗟に立ち上がり、ああ……と頭を抱えた。
 あの時リオールが『連れ出せ』と強く言ったせいで、侍従達はオメガが不敬を働いたと勘違いしたのだ。


「すぐに解放しろ」
「かしこまりました」


 すぐさま支度を整えたリオールは、あのオメガに謝らなければと部屋を飛び出した。
 まだ城内にいるだろうか。
 急ぎ足で探すが、目的の姿は見当たらない。
 陽春の制止も無視して、城門を抜けて外へ飛び出す。
 そしてほどなく、銀髪を揺らして歩く小さな背中を見つけた。


「っ、待て!」


 大声を張上げると、オメガは驚いた様子で振り返る。
 すぐ近くまで駆け寄り、息を整える間もなく口を開いた。


「良かった、まだ、近くにいた」
「……」


 安堵と後悔の入り交じった声でそう言うと、慌てた様子で頭を下げたオメガ。
 彼の顔には、少し恐怖の色が滲んでいた。

 遅れて陽春たちが追いついてくる。
 けれどリオールは、目の前のオメガから視線を外さなかった。
 昨日感じた甘い香りは、今はもうしない。
 それでも、胸の奥がドクリと音を立てる。


「そなたは目隠しをしていたので私の顔は見ていないと思うが、私は皇太子リオール・エイリーク・エーヴェルだ。昨日は……本当に申し訳ないことをした」
「め、滅相もありません……!」


 反射的に出た言葉だろう。
 きっと心の内では、どうしてあんな目に遭わなければならなかったのか、そう思っているに違いない。
 けれど再び捕らえられるのが怖くて、正直に言えずにいるのだ。


「少し、話せないだろうか」
「ぇ……?」
「昨日のことをちゃんと謝りたい」


 オメガが顔を上げる。
 不思議そうに見上げてくるその瞳は、澄んだ琥珀色。光を受けて、どこか切なげに揺れていた。


「それに……私の勝手で追い出したうえ、さらに捕らえさせてしまったと聞いた。昨日の分の報酬も、きちんと支払う。だから少しだけ……話がしたいんだ」
「……私は不敬を働いて捕らえられたのでは……?」
「違う!」


 思わず強い声が出る。
 驚いたようにオメガが瞬きをした。


「そなたを連れ出せと言ったのは……。そのことも含めて、話がしたいんだ。時間はあるだろうか」


 オメガは戸惑いながらも、そっと小さく頷いた。


「……時間はあります」
「! よかった。案内する。ついてきてくれ」


 オメガの「はい」という控えめな返事が聞こえ、リオールは踵を返し城に向かった。






 自室にオメガを招き入れたものの、リオールはどうにも落ち着かず、顔を見られないでいた。
 話がしたいと言い出したはいいが、どこから切り出せばいいのか分からない。
 だが、このまま沈黙していては、また後悔する。
 そう思い、意を決して口を開いた。


「き、昨日のことは、本当にすまなかった」
「……本当に私が何かをしてしまった訳では無いのですか」
「ああ。違う。誤解で」


オメガはふっと息を吐き、小さく笑った。

「それなら……よかったです。でしたらどうかもう、私のことはお気になさらないでください」

 その笑みにリオールはかぶりを振る。


「気にする」
「……何故ですか?」
「一目見たときから、他のオメガとは……違う感覚がして」
「……?」
「隠さずに正直に言うのなら、……、」


 そこまで言いかけて、ふいに言葉が止まる。
 口に出すのが、少し恥ずかしかった。
 だが、目の前のオメガは、ただ小さく首を傾げて、困惑しつつも優しく微笑んでいた。
 言葉を待ってくれている。そのことに、リオールは胸が熱くなる。

 今しかない。そう思って、リオールは真っ直ぐにオメガを見つめた。


「……噛みたい、と思ったんだ」
「……かみたい……ですか?」
「ああ。そなたの項を、噛みたいと──」
「は……? ……はぁ?」


 リオールが“噛みたい”と言った意味を、オメガであるはすぐに理解したようだった。
 アルファがオメガの項を噛むということは、番になりたいという意志の現れだ。
 オメガは目を見開き、ぽかんと口を開ける。驚きすぎて間抜けに見えるその表情でさえ、リオールにはどこか魅力的に映った。

 ──このひとは、やはり美しいな。


「……番になりたい、ということですか」
「……うん」


 直球の問いに、リオールは羞恥に顔を赤らめた。
 熱を持った頬を腕で隠すようにして、視線を落とす。
 これほど真っ直ぐに、誰かに気持ちを伝えたのは初めてだった。
 
 きっと、困らせている。

 こんなにも突然で唐突に言葉を告げられて、彼は返す言葉に迷っているに違いない。
 二人の間に、少しばかり重たい沈黙が落ちる。
 その時間が長くなるほど、リオールの胸の鼓動は高鳴り、そして不安にかき乱されていく。

 耐えきれず、きっと赤らんでいるであろう顔を上げた。


「な……名前は、なんと言う?」
「ぁ……アスカ、です」
「アスカ……アスカか。美しい名前だな」


 口にした瞬間、名前の響きが胸にじんわりと広がる。
 名前を知れたことが嬉しかった。
 心が、ほんの少しあたたかくなる。
 自然と微笑みが零れ、リオールはその名を何度か小さく繰り返した。


「アスカ……」


 何度呼んでも、心が満たされていくようで。
 この温かさが『幸せ』というものなのかもしれない  ──そう思いながら、顔を真っ赤にしているアスカを見つめる。


「アスカ。……私の番になっては、くれないか」
「つ、番……ですか……?」
「ああ。そなたと──一緒に、生きていきたい」


 出会って間もない。
 けれど、この心の震えと温もりは、本能が教えてくれる。
 ──これは、運命なのだと。

 リオールはそう信じていた。だが、アスカは困惑したまま、何も言葉を返さない。


「……返事は、急がなくていい。ただ……聞かなかったことにだけは、しないでほしい」
「……わ、わかりました……」


 その小さな返事だけで、今は充分だった。
 リオールは胸を撫で下ろし、そっと息を吐くと、再びアスカに視線を戻し、やわらかく笑った。

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