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第2章
第1話
しおりを挟むエーヴェル国の冬は厳しい寒さだ。
外で吐く息は白い。
しかし、室内は驚く程に暖かかった。
火鉢の中で墨の弾ける小さな音を聞きながら、アスカはようやく、ホッ……と息を吐く。
今日──いや、正確には日付が変わってしまったので昨日になるのだが。
エーヴェル国は、リオールの生誕を盛大に祝った。
皇太子の成人。
それはこの国にとって、大きな節目である。
王位継承の準備が整ったということを意味しているのだから。
日中には国中の至る場所で祝祭が行われた。
市街地では色とりどりの花が飾られ、人々が歌い、踊り、屋台の料理を頬張っていた。
子供たちは国の紋章が入った紙の王冠を頭に乗せ、大人たちはその成長と未来に祈りを捧げるように乾杯を重ねる。
王宮では祝宴が行われ、貴族たちは正装をし、楽団の演奏に、煌めく宝石の数々があった。
そのすべてが、リオールのために用意されたものである。
中心に立つ彼は、誰の目から見ても『未来の王』に相応しい風格を映していた。
凛として美しく、けれどどこか人の心をひきつける優しさもあって、ただ見ているだけで胸が熱くなる。
──そんなリオールの隣に、自分がいるなんて
アスカが王宮に来てからおよそ四年。
長い歳月はあっという間に過ぎて、そして、それだけの知識がアスカ自身の身に付いた。
ふと視線を向けると、リオールがこちらを見ていた。
深い藍色の透き通った瞳と目が合った瞬間、心臓がきゅ、と鳴る。
見惚れられている──そう錯覚するほどまっすぐな瞳に、アスカは思わず、袖の中で指をぎゅっと握った。
「……今日は、どうであった」
その問いに、アスカは一拍おいてから微笑む。
「とても、ご立派でした」
それは心からの言葉だった。
祝いの席で多くの視線が彼に集まっていたが、誰よりも彼を見ていたのはきっと、アスカだったと思う。
少しも動じず、けれど冷たくもない。
気高く、優しく、成長した姿。
ふいに、リオールが立ち上がる。
その背中を見た瞬間、アスカはぽつりと呟いていた。
「殿下、また背が伸びましたか?」
リオールは少し振り返り、目を細める。
その仕草が、どこか嬉しそうで。
「そうかもしれないな。……最近、アスカがよく、私を見上げている」
その声に、アスカは少しだけ頬をゆるませる。
思えば出会った時は、リオールの目をまっすぐに見下ろせるくらいだった。
それが今では、首をわずかに傾けなければ彼と目を合わせられない。
彼はもう、『少年』ではない。
声も低く、体も引き締まり、歩く姿には確かな威厳がある。
「アスカこそ。今日は、見事だったぞ」
「……え?」
思わず聞き返すと、リオールは肩をすくめた。
「立ち居振る舞い、話し方、礼の仕方……。──すべてが、美しかった」
思わぬ賛辞に、アスカは息を飲む。
「堂々としていた。皇太子妃に相応しいと、心から思ったよ」
胸が熱くなる。
いつか、彼にそう言われたいと思っていたからだ。
王宮に来たばかりの頃。
指導中に失敗してばかりで、緊張して言葉が出ないこともよくあった。
それを諦めなくて良かったと、心の底から思えた。
すべてがこの夜に繋がっているなんて、信じられない。
「……まだ、夢を見ているみたいです」
アスカはぽつりと、心の奥にあった言葉を口にした。
リオールの隣で、笑い合っていられること。
誰の目も気にせず、彼と目を合わせて話せること。
今日の祝宴で、自分が『皇太子妃』として人前に立ち、それを受け入れられていたこと。
そのすべてが、現実とは思えなかった。
「夢ではない」
リオールの声は、驚くほど優しい。けれど、しっかりと芯があった。
「アスカが、自らの足でここまで来た。──そして、私がそなたを選び、そなたも、私の手を取ってくれた」
そっと手を取られ引き寄せられる。
あたたかい彼の胸に沈み、全身で彼を感じるようにそっと目を閉じる。
「アスカ、──愛してる」
外では、雪が舞っている。
この温かな部屋の中、アスカの胸は、熱いもので満たされていた。
リオールの腕の中で、アスカは静かに瞬きをした。
ぬくもりに包まれながらも、胸の奥がそわそわと落ち着かない。
けれど、それを打ち消すように、彼はふいに言った。
「……そなたの礼、あれほど美しい所作は、なかなか見られぬ」
え、と声にならない息がこぼれる。
「とくに、あの壇上での礼──気高さも、誇りも、すべてが、そこにあった」
それは、誰よりも近くで自分を見ていてくれた人の言葉だった。
努力を知っていて、成長を見届けてくれた人が、そう言ってくれる。
嬉しくて、恥ずかしくて、何かが胸の奥でふわっと弾けた。
視線を落とし、アスカは袖の中でそっと指先を握る。
「……あ、あれは、たくさん練習して……」
目を合わせられないまま言い訳のように呟けば、リオールがくす、と喉を鳴らして笑う。
「だからこそ、美しい。誰よりも、誇らしかったよ」
そう言われてしまえば、もう何も言い返せなくて。
ただ胸がいっぱいで、アスカはそっと唇を噛んで、顔を隠すようにリオールにより一層抱きついた。
きっと顔が赤くなってしまっている。
「ああ、アスカ。可愛いな。耳が赤いぞ」
「っ! は、恥ずかしいです……! 言わないで……!」
くつくつ笑う振動が伝わってくる。
無表情だと、感情が無いと、王宮ではそう言われる皇太子が、アスカの前でだけ、ただのリオールとなって、笑顔を見せてくれる。
──あぁ、好きだ。
こんなふうに笑うリオールが、優しい声で名前を呼んでくれるこの人が、たまらなく愛しく感じた。
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