あなたの番になれたなら

ノガケ雛

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第2章

第18話

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 こちらに向かい、躊躇うことなく、堂々とした態度で歩んでくるアスカ。
 あまりにも美しいその姿に、リオールは思わず息を飲んだ。


 手を差し出せば、そっと重ねられ、穏やかな笑みを浮かべる彼。
 どこか体温が高く感じられるのは、事前に薄氷に伝えられた通り、発情期が近いからだということがわかった。


 しかし、そんなことも感じさせない優雅さが、アスカにはあった。
 何事も無いかのように臣下たちに対し礼をし、祝いの言葉を掛けられれば、柔らかく返事をする。
 披露の場で御家族が傍にやってきた時も、人前であるからと感情を高めることはない。


 すでに『王妃』となったアスカは、堂々たる振る舞いで隣に座っている。
 そんな彼の耳元に、そっと顔を寄せる。


「体は無事か」
「っ、今は、なんとか」


 ビクッと小さく跳ねた体と、ほんのり赤く染る頬。
 その『なんとか』が、相当の無理を含んでいることは明白だった。


「アスカ、少し私にもたれなさい。多少体勢を崩したからといって問題にはならない」
「──いえ。これは、私の責務です」


 辛さを少しでもやわらげてやりたかったが、確固たる心で拒否をした彼に、リオールは苦笑する。
 

「無理をするな」
「無理ではありません。まだ、大丈夫です」
「だがな……」
「……それであれば……夜に……たくさん甘やかしてください」
「!」


 アスカの整った横顔を見ながら、リオールは口元を緩める。


 ……今夜は、決して忘れないものにしよう。


 そう思いながら、静かに盃を傾けた。





 陽がゆるやかに傾き、祭典の賑わいが一段落する頃、リオールは国王宮に戻っていた。

 絢爛な式のあとも、国王の務めは終わらない。祝いの盃を酌み交わしながらも、彼の頭の中はこれからの政務と、そして──アスカのことに占められていた。


 今宵、おそらくアスカは隔離に入る。
 それは、つまり『そのとき』が迫っているということだ。


 このあとしばらくは政務の場に立つことができなくなるはず。
 だからこそ、今このわずかな時間でも、仕事に没頭しておく必要があった。


「……この案件は明朝までに通達を。こちらは、陽春に託す」


 書類に目を通し、決裁印を押していく。
 いつもなら人の動きや音が気になってしまうこともたるのだが、このときばかりは余計な思考は全て綺麗さっぱりと無くなっていた。

 ただ、黙々と筆を走らせ続ける。

 扉の外に気配がしたのは、それからしばらく経った頃だった。


 遠慮がちに陽春へと何かを伝えに来る者が一人。
 リオールが視線を上げると、控えていた陽春は静かに頭を下げた。


「陛下。王妃様がただいま隔離に入られたもようです」


 その言葉は、静かな夜を告げる鐘の音のようだった。

 心のどこかで、ずっと待っていた一言。
 けれどそれを聞いた瞬間、胸が締めつけられるような感覚が走る。


「……そうか」


 小さく息を吐き、リオールは筆を置いた。
 今までの静けさが一気に破られ、胸の内に波が立つ。


 いよいよだ。
 この日を、どれほど思い描いてきただろう。


 ただ触れることも、抱き締めることも、慎重にならなければならなかった日々。
 アスカを守るために。
 そして、自分自身を律するために。


 だが、今夜。
 アスカがそれを受け入れてくれるのなら──ふたりは『番』になる。


 この身も、この心も、すべてを彼に捧げる覚悟は、とうに決まっていた。


 だが、ほんのわずかに震える指先が、自分の緊張を物語っている。

 机の引き出しを開け、小瓶を取り出す。
 淡く光を帯びた液体──それは、発情に呼応する本能を抑える薬だった。

 

 これを飲むか、飲まないか。少し悩んでから、瓶の蓋を外し、ひと息に飲み干す。
 苦味とともに喉の奥に落ちていく薬に、覚悟を流し込むようにして息を整える。


 きっと、数刻後には、薬も効かなくなるだろう。
 アスカの香りが、あの柔らかな体温が、すべてを奪い去ってしまうかもしれない。

 それでも、完全に理性を手放すわけにはいかない。


 ──アスカが、心から自分を受け入れてくれるまでは。


 もう一度、静かに深呼吸をする。

 背筋を正し、陽春に向かって軽く頷く。

「アスカのもとへ」
「はい、陛下……」


 恭しく頭を下げた陽春も、少し緊張した面持ちだ。

 扉を開けて外に出れば、夜の風が頬を撫でる。
 空には、まだ消えきらぬ茜色が滲んでいた。

 それはまるで──ふたりの始まりを祝福する、最後の夕暮れのようだった。





 隔離されている後宮の離れに行くと、その近くですでに甘い香りが漂っていた。
 リオールは拳を握り、己を律するように目を閉じて深呼吸をしたのだが、微かなフェロモンが体を刺激し、思わず唇を噛んだ。


 建物から慌てた様子で清夏が飛び出してくる。
 何かを他の侍女に伝えたかと思うと、その侍女は駆け出し、リオールを見て固まった。


「陛下!」
「ああ、なんだ。アスカの具合はどうだ」
「お、お早く。王妃様が、泣いておられます。陛下を、お待ちです……っ」


 リオールはそれを聞き、急いで建物の中に入った。
 中に入ってすぐ、濃厚なフェロモンにくらりと目眩がした。


「これほどとは……」


 前に感じたフェロモンよりも、濃くなっている気がする。


「陛下、こちらです」


 中にいた清夏に案内される。
 リオールは頷き、ついにアスカの居る部屋の扉の前に立った。
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