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第3章
第7話
しおりを挟むアスカから渡された提案書を手に、リオールは会議の間に来ていた。
「これより、会議を始めます」
とある議題から始まり、リオールは静かに聞いていた。
ある程度会議が進むと、提案書をそっと机に差し出す。
「これは王妃からの提案書である」
「なんと! 王妃様から!」
ざわざわと空間が揺らぐ。
それは元平民の王妃が何を言い出したのかと、興味からくるものだ。
ひとつ咳払いをすればそれは止む。
「先日、王妃と街へ視察に赴いた」
「!」
聞いていなかった視察に、いくつかの大臣らが顔色を悪くする。
民の様子を王自ら確認したということ、そして王妃からの提案書。
大臣らは少しばかり思い当たる節があり、落ち着かないでいる。
「子供が、飢えて倒れている姿を目にした。──これは、どういう事だ」
「陛下、そのようなことより、何故我らに何も告げずに視察になどと──」
「そのようなこと……?」
リオールの眼光が鋭くなり、その低い声に、大臣たちはハッと息を呑む。
空気が一瞬で張り詰めた。
リオールは静かに立ち上がり、提案書の一部を手に取る。
「民の暮らしを知るための視察に、なぜ許可が必要だ? ──知らねばならぬから、見に行った。ただそれだけのことだ」
「……っ」
「そして、王妃はその目で確かめ、自ら考え、ここにこうして提案している」
リオールの声には、威厳と揺るがぬ意志があった。
その場にいる全員が、自然と口をつぐむ。
「これは、ただの情けではない。国を支える礎を守るための、第一歩だ」
「……仰る通りにございます」
誰かがぽつりと呟き、それを皮切りに小さく頷く者が現れる。
「ここの提案にある炊き出しは、確かに、一時しのぎに過ぎぬ。だが、その一時に救える命があるのなら、動かぬ理由はあるまい」
鋭く、しかしどこか静かな熱を帯びたその言葉に、誰も反論することはできなかった。
リオールは最後に周囲を見渡し、きっぱりと告げる。
「明日より準備に入る。人員の選出と予算の割り振りを急げ。──これは、王命である」
大臣たちは反論することなく、静かに深く礼をした。
会議室を後にしたリオールは、静かな廊下を歩いていた。
足取りは落ち着いていたが、その胸の内は、わずかに波立っていた。
王妃からの提案書。
それを初めて目にした時、その文字は拙く、震えていて、決して完璧ではなかった。
だが、そこに込められた意志だけは、誰よりも強く、確かなもので。
まっすぐ目を見て語った言葉と、何も違わなかった。
本当に──よく、ここまで……。
歩きながら、指先で胸元をそっと押さえる。
いつの間にか、心の奥にあった重たく冷たい石が、少しだけ溶けたような気がした。
彼はまだ未熟だ。
だが、その未熟さを恥じず、進もうとする強さがある。
──そして、何より。
……あの時、心から『誇らしい』と思ったのだ。
無言のまま、国王宮の扉を開ける。
机の上には、アスカが差し出した提案書の控えが置かれていた。
その表紙に、リオールはそっと指を触れる。
王妃として。
そしてアスカとして。
彼は、これからアスカがどう歩んでいくのかを、ただの傍観者としてではなく、共に支える者として見届けようと思っていた。
──ゆっくりと、椅子に腰を下ろす。
アスカの始めた一歩が、誰かの明日を変えるかもしれない。
その希望を、リオールは信じたかった。
□
それから数日経った頃。
陽春が嬉々とした様子で書状を持ってきて、それを恭しく差し出してきた。
「炊き出しの準備が始まりました!」
「ほぉ」
リオールは手を止め、書状を受け取る。
開かれた紙には、配給の場所や人員の配置、必要な食材とその手配先など、細かく記された計画書が、確かに現実として動いていることを物語っていた。
「……早いな。まだ、提案から日も浅いというのに」
「王妃様の熱意に、皆が突き動かされたのでしょう。街の調査にあたった者の中には、炊き出しの手伝いを志願する者もおりました」
陽春の口調は淡々としているが、そこにはかすかな誇らしさも滲んでいた。
短く息をつき、視線を紙から外す。
「王妃の心が、届いたのだな」
「ええ。──王妃様の真っ直ぐな想いが、あの提案書から伝わったのでしょう」
ふっと微笑を浮かべたリオールは、机の上に書状を置き、静かに椅子に凭れかかる。
「そうか……。ならば、私もそろそろ、動かねばな」
「え……?」
「王妃にだけ任せるなど、王として情けがないだろう。しっかりと支えねばならん」
「ええ、ですが、どのように……?」
リオールは立ち上がると一つ伸びをし、軽く身支度を整える。
「少し、厨房を覗いてこよう。炊き出しの準備に加わる者たちの顔も見ておきたい」
「陛下自ら……? それは──」
「ただの視察だ」
そう言って歩き出すリオールの背に、陽春は小さく頭を下げた。
リオールが厨房に顔を出すと、中にいた料理人や女官達は慌てた様子で頭を下げ、挨拶をする。
「近々、街で炊き出しを行うことになっておる。もちろん、私も参加する予定だ。よろしく頼むぞ」
「はっ、へ、陛下も、ですか!?」
「ああ。折角民たちと話ができる機会だ。直接声を聞きたい」
料理長である新涼は驚きに目を見開く。
リオールが幼い頃から料理長を務めている彼は、幼いながら聡明であると聞いていたリオールが、それほどまでに民たちを気にかける王になったことが嬉しかった。
「それは、民も、誠に喜ぶことでしょう」
「そうか。そうなら、嬉しいが」
これまで何もしてこなかった無能な国の、新しく若い王だと罵られやしないかという懸念も、少しはある。
リオールは苦笑を零し、並べられてある食材に視線を落とした。
その時、ガシャンと大きな音が響き、リオールは目を瞬かせ、音の鳴った方に視線を向ける。
「っ、コレッ、鈴蘭!」
「も、申し訳、ありません──ッ!」
そこには幼い子供がいた。
涙ぐみながら立ち上がる子供はどうやら、転げてしまったらしい。食材の入っていた桶は床に転がり、食材も落ちてしまっている。
「──陛下、あの者ですよ」
「?」
陽春が傍により、リオールに耳打ちをする。
その内容を聞き、すぐに子供──鈴蘭に歩み寄った。
「鈴蘭」
「っ! は、はい! 陛下! お会いできて、光栄に、ございます……っ」
膝を折り、目線の高さを合わせる。
鈴蘭は慌てて涙を拭い、緊張からか体を固めて顔を赤く染めていた。
「息災か」
「っ、はい!」
「そなたの姉の──葉月もか?」
「はい! 姉も、とても元気です。全ては、陛下の恩恵のおかげだと、お聞きしました。私の病気もすっかり治り、誠に、感謝しております……!」
アスカが毒で倒れたあの時の、葉月の妹。
思っていたよりも幼く、しかししっかりとしている。
「それは、よかった。……鈴蘭はお転婆のようだな。転げないように、気をつけねば」
「……はい」
シュンとしてしまった彼女に、リオールはククッと笑う。
「どれ、私が拾って、ついでに料理をしてみようではないか」
「えっ、へ、陛下が!?」
「ああ。……料理の才能がないのは分かっておるがな」
「そ、そんな……」
鈴蘭はどうすればいいのかわからず、料理長に視線を送るが、彼は陽春と穏やかに笑っていた。
陽春に至っては、どうせそうなった陛下は止められますまい、とほとんど諦めに似た境地にいる。
そんなこんなで厨房は、少しばかり賑やかな雰囲気に包まれた。
□
「あぁっ!」
「大丈夫だ。鈴蘭、そんな怯えた声を出すな。怪我はせん」
「ひぃ……怖い、陛下、私がやります……」
「いいや、私がやる。静かに見ておれ」
「っ! ……!」
厨房では鈴蘭の怯えた声と、反対にリオールの自信満々な声がよく聞こえていた。
というのも、そばに居た料理人や側仕え達はリオールの包丁さばきがあまりの恐怖で息を飲むように見守るしかなかったのだ。
「ぁ、陛下、陛下、お願いします……! 綺麗な手に、傷をつけてはなりません……!」
「鈴蘭……私を信用しろ。怪我はせんと言っているだろう」
「ですが……あまりにも、あまりにも……!」
料理長は普段は控えめな鈴蘭が、陛下を相手に訴えかける姿に感涙している。
少し前まで、とても厳しい生活をしていたらしい彼女が、新たな環境にやってきてから初めて、本来の姿を見せてくれているように思えたのだ。
「私は王妃に林檎を剥いてやったこともあるのだぞ」
「林檎……王妃様は戸惑われていませんでしたか……?」
「……笑われた」
「わらう……?」
「ああ。あまりにも凸凹で……」
「陛下ぁ……」
相手は王様なのだが、鈴蘭はアチャーというような表情をした。
そしてリオールの手によってザクザクと切られたほうれん草が、鍋に放り込まれる。
「ほら、見ろ。怪我はしていないぞ」
「……はい。安心いたしました……」
「失礼なやつめ。ほれ、こうしてやる!」
「えっ、わ、きゃぁっ!」
不意にリオールに抱き上げられた鈴蘭は驚き、しかし突然高く広くなった視界に目を輝かせた。
──このような笑顔を、誰も奪わせてはならない。
あの時街で見た幼い子を思い出し、胸が少し痛んだ。
「はは、どうだ。参ったか」
「わぁ……ふふ、高い!」
キャッキャと笑う鈴蘭が可愛らしい。
まるで年の離れた妹のように感じて、リオールは彼女と少し遊んだ後、そっと床に下ろした。
「また会いにくる。今度は葉月とも話せたらいいな」
「はい!」
そっと丸く小さい頭を撫でて、リオールは厨房を後にした。
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