青春トランジット(10/28更新)

狂言巡

文字の大きさ
11 / 12

花一華の告白

しおりを挟む
 マニアの覚醒めざめに、年は関係ないようだ。一口に『本が好き』といっても多種多様である事を、詩織は五歳で知った。叔母の書斎――今考えれば書庫に近いくらいだった――を初めて見た時の事だ。本棚が立ち並び、重厚な背表紙で埋め尽くされたその場所は詩織の心を揺さぶった。感嘆の溜め息をつきながら、隣に立つ叔母を憧憬の眼差しでもって見上げた。

「すごい。ここのごほん、ぜんぶよみましたの?」
「ううん、おばはんは集めるだけや」

 その時は、叔母は宇宙人なのではないか、真剣に疑った。信じられなかった。本を集めるだけで読まないなんて。

「そんなのもったいないです」

 そう言うと、叔母は悪びれもせず言い放った。

「ならあんたが読んでみる?」

 そう言ってニヤリと笑った叔母は、自分で読む気は微塵もないらしい。そういえば叔母が読むのは、雑誌か漫画くらいであった。もう一度本棚を見上げる。端から端まで何やら難しそうなタイトルの分厚い背表紙が並んでいる。手入れはしているのか、埃の一欠片もついていない。それが余計に寂しそうに見えた詩織は、漢字もその意味も録に知らないクセに叔母の家に足繁く通った。





 ――それから十五年という月日を経て、すっかり本(を読むのが)好きになった詩織は現在書店でアルバイトをしている。興味を持ったら何でもやりたがる叔母が蔵書を有効活用すべく作った貸本屋で。叔母オーナーがアレなので、全く商売っ気などない。それでも、経営が傾かない程度にはそこそこに客は来る。
 何せ、五階建てのビル、全て本(化石のような古典文学から今時の絵本まで何でも御座れだ)で埋め尽くされているのだ。本好きには垂涎三尺ものだろう。他の本屋より若干安めのアルバイト料に、詩織が文句を言う気が起きないのも、其処で自由に本を読む事が出来るからだった。
 やってくる客のほとんどが固定客だが、たまにフラリとやって来る人がいる。大抵は入り組んだ細い道に迷い込んでしまった人だが、彼は違った。
 さらさらの飴色の髪と青い目、白い肌に彫りの深い顔、高い背。まるでモデルのようだったけれど、茶色のブレザーから、彼が近くの高校生である事が判った。数年前までユリアも着ていたというのに、彼が着るだけで大分印象が違う。

「こんにちは。初めての方ですよね?」

 声をかけられた事に驚いたのだろう、彼は軽く目を見開く。それから、こくりと頷いた。大抵初めての人は本屋と勘違いしているので、努めて『買う』本屋でなく『賃りる』本屋である事を説明するようにしている。

「解りました」

 彼にもそう伝えると、小さく頷いた。そして奥の外国文学の方へと歩いていった。やっぱ原文で読めるんだろうか、羨ましいなと自分の不勉強を棚にあげ、彼の後ろ姿を見送った。それから彼は、何度も店に訪れた。どうやら気に入ってもらえたらしい。貸し出しの手続きをする時に、話もするようになった。
 言葉は少しつっけどんなところもあるけど、優しい、いい子だと理解わかった。そんな彼と本の事で盛り上がれるのは素直に嬉しい。でも、週に何度もにココに来て大丈夫なのだろうか。 
 この作者が気に入った? 勉強は? 遊びは? 部活は何をしてるの?
 若い時の苦労は買ってでもしろとか、無責任な事を言う気はないけれど、やっぱり若い時にしかできない事もある。広義的には先輩と後輩みたいな立ち位置だからだろうか、老婆心が先に立つ。余計なお世話だと解っていたけれど、貸し出しの手続きをする時に、そっと彼に話しかけてみた。

「ずいぶん熱心に通って下さるけど、彼女は何も言われないの?」
「……彼女なんていないです」

 彼が目を伏せる。意外だった。彼は女性の目を引く容姿をしている。容姿端麗・長身痩躯・文武両道・謹厳実直……学校でもモテモテのはずだ。ふと、自分を顧みる。そういえばこの年頃は、年上の人間に憧れる事が多かった。もしかしたら、彼もそうなのかもしれない。先程、そっと視線を外した彼の反応が可愛らしく、ユリアは張り切っていた。

「よければご紹介しましょうか?」

 今すぐ紹介できるような知人の女性はいなかったけれど、ナンパスナイパーや合コンの帝王と呼ばれる腐れ縁はいた。彼らに頼めば大丈夫だろう。そんな風に自分の中でプランを立てていた。

「必要ないです」

 それをかき消すように冷たく断られた。そこでようやく、ユリアは自分の押し付けがましさに気づいた。慌てて謝ろうとすると、彼の、青の洞窟のような深い色の瞳と目が合う。真剣な眼差しに、声が出なかった。

「貴女と付き合いたいから」
「……え」
「今日は何も読めそうな気がしないので、その作者の短編集、とっておいて下さい。明日また借りに来ます。……それまでに答え、考えていて下さい」

 それだけ言うと、彼は出て行ってしまった。一人、残されて、途方に暮れる。バクバクと耳に響く心臓の音が、信じられない程に加速していく。まるで外の蝉の声と同じ。一度自覚してしまえば、無視できない。頬が熱い。動悸がする。詩織だって、今日は何も読めそうになかった。
 トイレに駆け込んで、必死に落ち着こうしたけど、全く鼓動が落ち着いてくれない。ちらりと視界に入った鏡を見れば、自分が柄にも無く真っ赤になってしまっている。

「嗚呼、もう……」

 彼なりの愛情の行方について、詩織がどうこう言うつもりはない。考えを巡らせても、それを否定する事は絶対にない。
 それが暗黙の了解としてそこにあったからだ。詩織はその領域を侵す事を恐れ、嫌い、そして何より愛していた。それも詩織なりの愛だという事で、とりあえずのところ、決着はついているのだ。――彼の笑顔が、頭から離れないのだから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...