折り目の世界〜異世界に折りたたまれた数学者〜

アクナキユメ

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第2話:形状術師学院

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「形状術師学院にご招待します」

青年は優雅に一礼した。彼の名はリーフといい、形状術師学院の見習い教師だと名乗った。二十歳前後と思われる彼は、緑がかった髪と鮮やかな緑色の瞳を持ち、華奢だが筋肉質な体格をしていた。左腕には蔦のような文様の入れ墨が施されていた。

「学院…ですか?」オリは戸惑いながら尋ねた。

「そうです」リーフは微笑んだ。「フォルディア王国で最も名高い形状術の教育機関です。学院長が直々に、あなたを招待するよう命じました」

アルトは眉をひそめた。「どうして学院長がオリのことを知っているんだい?」

「村での出来事が報告されました」リーフは説明した。「あれほど大きな岩を完璧に『折る』能力を持つ少女がいると」

オリは数日前の出来事を思い出した。村を救うために岩を橋に変えたあの日。あれ以来、彼女の評判は周辺に広まっていたようだ。

「学院では何を学ぶのですか?」オリは興味を持って尋ねた。

「形状術の基礎から応用まで」リーフは熱心に答えた。「あなたのような『折り手』は非常に稀です。適切な教育を受ければ、さらに素晴らしい能力を発揮できるでしょう」

アルトは黙って考え込んでいた。そして最後に、深いため息をついた。

「オリ、決めるのは君だ」老人は静かに言った。「だが、学院で学ぶことで、君の能力はより良く理解できるだろう」

オリは迷っていた。アルトの小屋での平和な日々は心地よかった。しかし、自分の能力についてもっと知りたいという気持ちも強かった。そして何より、もっと多くの人々を助けられるようになりたかった。

「行ってみたいです」オリは最終的に決意を口にした。

「素晴らしい」リーフは満面の笑みを浮かべた。「明日、迎えの馬車が来ます。必要な荷物だけ準備してください」

リーフが去った後、アルトはオリを真剣な表情で見つめた。

「学院での生活は楽ではないだろう」老人は忠告した。「君は特別な存在だ。人々はそれを畏れ、あるいは嫉妬するかもしれない」

「怖いです」オリは正直に答えた。「でも、自分の力を理解したいんです」

アルトは微笑んで彼女の頭を優しく撫でた。「勇気ある決断だ。さあ、出発の準備をしよう」

翌朝、約束通り豪華な馬車が森の入り口に現れた。オリは少ない荷物をまとめ、アルトに別れを告げた。

「この本を持っていくといい」アルトは古い革表紙の本をオリに渡した。「『形状の哲学』という本だ。役立つことがあるかもしれない」

「ありがとうございます」オリは本を大切そうに抱きしめた。「アルトさん、必ず戻ってきます」

「いつでも戻っておいで」老人は穏やかに微笑んだ。「ここは君の家だからね」

馬車の中でオリとリーフは並んで座った。窓から見える景色は、オリがこれまで見たことのないものばかりだった。森を抜けると、広大な草原が広がり、遠くには山々が連なっていた。

「学院まではどれくらいかかりますか?」オリは尋ねた。

「一日の旅です」リーフは答えた。「途中、村を通りますが、日没前には学院の門をくぐるでしょう」

リーフはオリに学院について教えてくれた。フォルディア王国の中心部に近い高地に建てられた学院は、形状術を学ぶ若者たちが集まる場所だった。各自の能力に応じて、専門的な教育が施される。

「学院には五つの学部があります」リーフは説明した。「『固体変化』『流体変化』『植物変化』『結晶変化』『振動変化』です」

「私はどの学部に入るのですか?」

リーフは少し困ったように笑った。「それがですね…『折り』の能力は非常に珍しいため、正式な学部はありません。おそらく特別研究生として扱われるでしょう」

それを聞いて、オリの不安は増した。孤立するのではないかという恐れがよぎった。

「私は『植物変化』の学部に所属しています」リーフは左腕の入れ墨を見せた。「この入れ墨は飾りではなく、私の能力の証です」

彼が入れ墨に触れると、蔦のような模様が動き出し、実際の植物のように伸び始めた。リーフの手からは、小さな緑の葉が生え出てきた。

「すごい…」オリは目を丸くした。

「私の能力は、自分の体の一部を植物に変化させることです」リーフは説明した。「まだ完全に習得したわけではありませんが」

彼は笑いながら、能力を解除した。葉は緑色の光に変わり、彼の体内に吸収されていった。

「あなたの『折り』の能力は、私が見たことのある中で最も興味深いものです」リーフは真剣な表情で言った。「岩を折るなんて、信じられませんでした」

オリは照れくさそうに微笑んだ。「私自身、どうやってできたのかよくわかりません」

「それを理解するのが、学院での学びです」リーフは元気よく言った。「私も力になりますよ」

午後になると、馬車は小さな町を通り過ぎた。町の人々は馬車を見て、敬意を込めて頭を下げた。学院の馬車は王国の象徴の一つらしい。

町を抜けた後、道は徐々に上り坂になった。窓の外の景色は次第に変わり、やがて遠くに壮大な建物群が見えてきた。

「あれが形状術師学院です」リーフが指さした。

オリは息を呑んだ。学院は、まるで山の一部が形を変えたかのように、自然と調和しながらも荘厳に聳え立っていた。複数の尖塔が空に向かって伸び、建物全体が幾何学的な美しさを持っていた。

「建物自体が形状術で作られているんです」リーフは誇らしげに説明した。「何世代もの形状術師たちの力が結集した傑作です」

馬車が学院の正門に近づくと、オリの心臓は早鐘を打ち始めた。彼女の新しい生活が始まろうとしていた。

大きな鉄の門が開き、馬車は中に入った。中庭には様々な年齢の学生たちが行き交い、中には明らかに形状術を練習している者もいた。オリは窓から覗き込み、一人の学生が地面から岩を浮かび上がらせる様子を見た。

馬車が止まると、リーフが先に降り、オリに手を差し伸べた。

「さあ、新しい世界へようこそ」

オリは深呼吸をして、その手を取った。学院の空気は森とは違い、何か力が満ちているような感覚があった。

彼らが中庭を歩いていると、周囲の学生たちが好奇心に満ちた視線を向けてきた。オリの青い髪と金色の瞳は、ここでも目立つようだった。

「あの子、新入生?」
「青い髪…どこの出身だろう?」
「リーフ先生と一緒だ。特別な子なのかな?」

囁き声が聞こえてきた。オリは少し身を縮めるようにして、リーフの後ろについていった。

「気にしないで」リーフは優しく言った。「みんな好奇心旺盛なだけです」

彼らは学院の中心部へと向かった。中庭から続く大きな階段を上り、巨大な建物の中に入った。内部は予想以上に広く、天井は高く、壁には様々な形状術の歴史を描いた壁画が飾られていた。

「まずは学院長にご挨拶しましょう」リーフは言った。「その後、あなたの部屋にご案内します」

彼らが廊下を進むと、不思議な現象に気づいた。廊下そのものが少しずつ形を変えているのだ。壁の装飾が微妙に動き、床のタイルのパターンが流れるように変化していた。

「これも形状術ですか?」オリは驚いて尋ねた。

「ええ」リーフは頷いた。「学院の建物自体が『生きている』んです。何世紀にもわたって形状術が施され、継続的に形を変えています」

彼らは複数の廊下を通り、いくつかの階段を上った。オリはすぐに方向感覚を失ってしまった。この建物は、外から見るよりもはるかに複雑だった。

やがて、彼らは大きな扉の前に立った。扉には複雑な幾何学的な模様が刻まれ、中心には奇妙な記号があった。

「学院長室です」リーフは説明し、丁寧にドアをノックした。

「どうぞ」中から落ち着いた声が聞こえた。

扉が開くと、広い円形の部屋が現れた。壁一面が本棚で埋め尽くされ、天井には星座のような模様が描かれていた。部屋の中央には大きな木製の机があり、その後ろに一人の女性が座っていた。

学院長と呼ばれる女性は、予想外に若く見えた。長い銀色の髪を後ろで束ね、鋭い緑の瞳を持っていた。彼女は立ち上がり、オリに向かって微笑んだ。

「ようこそ、形状術師学院へ」彼女の声は柔らかいが、権威に満ちていた。「私はエティア・ラインハルト。この学院の学院長です」

オリは緊張して一礼した。「はじめまして。私はオリと申します」

「『折り手』のオリ」エティアは静かに言った。「あなたの評判は既に届いていました。岩を折り、橋に変えたという話は本当ですか?」

オリは恥ずかしそうに頷いた。「はい…でも、どうやってできたのか、私にもよくわかりません」

エティアは机の周りを回り、オリの前に立った。彼女の目には好奇心と何か別の感情が宿っていた。

「折り手は、歴史上でも数えるほどしか記録がありません」学院長は言った。「あなたがここで学ぶことを、心から歓迎します」

彼女はオリの手を取り、じっと見つめた。「あなたの能力は、この世界の理解を深める鍵になるかもしれません」

その言葉に、オリは不思議な感覚を覚えた。まるで、自分が何か大きな計画の一部であるかのような気がした。

「明日から授業が始まります」エティアは続けた。「最初は基礎から学び、徐々にあなたの能力に特化した指導を行います」

学院長は机に戻り、小さな箱を取り出した。箱の中には、銀色の腕輪があった。

「これは学院生の証です」彼女はオリに腕輪を渡した。「これを身につけていれば、学院内のどこにでも行くことができます」

オリは腕輪を受け取り、左腕にはめた。腕輪は彼女の肌に触れると、一瞬光り、そして彼女の腕にぴったりと合うようにサイズが調整された。

「不思議ですね」オリは驚いて言った。

「形状認識の技術です」エティアは説明した。「装着者の体に合わせて形を変えます」

彼女はリーフに向き直った。「リーフ先生、オリを彼女の部屋に案内してください。明日からの準備があります」

「はい、学院長」リーフは丁寧に頭を下げた。

オリもお辞儀をして、リーフと共に部屋を出た。扉が閉まった後も、学院長の鋭い視線が背中に突き刺さるような感覚が残った。

「学院長は怖い人なんですか?」オリはリーフに小声で尋ねた。

リーフはクスリと笑った。「怖いというより、情熱的な方です。形状術の研究に人生を捧げてきた方ですから」

彼らは再び複雑な廊下を進んだ。今度は別の方向へと向かい、やがて学生寮と思われる建物に到着した。

「これがあなたの部屋です」リーフは扉を開けた。

部屋は小さいながらも快適そうだった。シンプルなベッド、机、椅子、そして小さな窓があった。窓からは学院の庭園が見え、その向こうには王国の街並みが広がっていた。

「明日朝8時に、この前の広場で待っています」リーフは説明した。「最初の授業は『形状理論基礎』です」

オリは頷いた。「ありがとうございます、リーフ先生」

「先生なんて堅苦しく呼ばないで」彼は笑った。「私たちはそんなに年が変わらないんだし、友達になりましょう」

リーフが去った後、オリは窓辺に立ち、遠くを眺めた。夕日が王国の街を赤く染め、美しい光景を作り出していた。

「私、本当にここでやっていけるのかな…」

彼女は自分の左腕に目をやった。腕輪が銀色に輝いている。もう後戻りはできない。これが彼女の新しい生活の始まりだった。

そして、オリは気づかなかった。彼女の手が、ほんの一瞬だけ透明になり、その腕輪が宙に浮いているように見えたことを。

朝日がオリの部屋の窓から差し込み、彼女の顔に優しく触れた。オリは目を開け、一瞬どこにいるのか分からなくなった。慣れ親しんだアルトの小屋ではなく、形状術師学院の部屋だということを思い出すのに少し時間がかかった。

彼女はすぐに身支度を始めた。学院から支給された制服は、青と白を基調とした落ち着いたデザインで、袖には形状術師のシンボルが刺繍されていた。鏡に映る自分の姿は、見知らぬ人のように感じられた。

「今日からなんだ…」

オリは深呼吸をして、部屋を出た。廊下には他の学生たちも出てきており、みんな同じ制服を着ていた。彼らはオリを見ると、興味深そうに眺め、小声で話し合った。

約束通り、リーフは広場で待っていた。彼も正式な教師の制服を着ており、昨日よりも一層りりしく見えた。

「おはよう、オリ!」リーフは明るく手を振った。「よく眠れた?」

「はい…でも少し緊張しています」オリは正直に答えた。

「大丈夫、最初は誰でも緊張するものさ」リーフは彼女の肩を軽く叩いた。「今日は基礎クラスだから、難しいことはないよ」

彼らは学院の別の建物へと向かった。リーフはオリに学院の歴史や構造について説明しながら歩いた。

「形状術師学院は300年前に創立されました。当時は小さな教室から始まりましたが、今では王国で最も重要な教育機関の一つになっています」

彼らが歩く道中、他の学生たちがオリを見つめ続けていた。彼女の青い髪と金色の瞳は、この世界では珍しいらしい。

リーフは彼女の不安に気づいたようで、静かに言った。「気にしないで。ここの学生たちは新しいものに好奇心旺盛なだけだよ」

やがて彼らは大きな教室に到着した。部屋は円形で、中央に平らな演壇があり、周囲に階段状の席が配置されていた。既に多くの学生が着席しており、オリとリーフが入ると、一斉に視線が集まった。

「あそこに座って」リーフは前列の空席を指した。「私はここで別の先生に引き継ぎます」

オリは頷き、指示された席に向かった。彼女が席に着くと、周囲の学生たちが小声で囁き始めた。

「あの子が『折り手』だって?」
「髪と目の色が変わってる…」
「本当に岩を折ったの?」

オリは視線を机に落とし、できるだけ存在感を消そうとした。しかし、突然隣の席から声がかけられた。

「ねえ、本当に『折り手』なの?」

振り向くと、明るい赤い髪を持つ少女が好奇心に満ちた表情でオリを見ていた。彼女は鋭い赤い瞳を持ち、少し威圧的な雰囲気があった。

「あ、はい…そう呼ばれています」オリは小さな声で答えた。

「へえ、すごいじゃない」赤髪の少女は腕を組んだ。「私はクリス。『結晶変化』の学部よ」

「よろしく…クリス」オリは恐る恐る言った。

クリスは彼女をじっと見つめた後、急に笑顔になった。「変わった子ね。でも面白そう」

彼女がそれ以上何かを言う前に、教室の扉が開き、年配の男性が入ってきた。彼は灰色の長い髪をした痩せた男性で、鋭い目を持っていた。

「静かに」彼は低い声で言った。すると、教室は一瞬で静まり返った。

「今日から、新学期の『形状理論基礎』を始める。私はマルク・シュタイン教授だ」

教授は演壇に立ち、学生たちを見渡した。そして、彼の視線がオリに留まった。

「今学期は特別な学生を迎えている」彼は言った。「『折り手』の資質を持つオリだ。立ってみんなに挨拶しなさい」

オリは驚いて立ち上がった。全員の視線が彼女に向けられ、顔が熱くなるのを感じた。

「は、はじめまして…オリです。よろしくお願いします」

小さな拍手が起こり、オリは急いで席に戻った。

「形状術の基本は、『認識』と『変化』だ」教授は話し始めた。「対象を深く認識し、その本質に働きかけることで、形を変えることができる」

彼は手を前に出し、空中に複雑な記号を描いた。すると、彼の前の空気が凝縮し、小さな水晶のような物体が現れた。

「これが最も基本的な形状変化だ」教授は説明した。「空気中の分子を再配列して、固体にする」

学生たちから感嘆の声が上がった。オリも魅了されて見つめていた。

「形状術の能力は生まれつき決まっていると言われているが、その正確な理由はまだ解明されていない」教授は続けた。「各々が持つ能力の種類は異なるが、基本原理は同じだ」

授業は続き、教授は形状術の歴史や基本理論について話した。オリは熱心にメモを取りながら聞いていた。彼女の頭の中では、話の内容が妙に馴染みやすく感じられた。まるで、以前どこかで聞いたことがあるかのように。

「形状術の最も重要な要素は『イメージ』だ」教授は強調した。「頭の中で明確に形をイメージできなければ、現実にそれを作り出すことはできない」

その言葉を聞いたとき、オリの脳裏に閃きが走った。岩を橋に変えた時、彼女は必死に橋の形をイメージしていた。そして、その形が現実になった。

授業の後半、教授は学生たちに簡単な実践を行わせた。各自の前に小さな粘土の塊が置かれ、それを自分の能力で変形させる練習だった。

「自分の能力に合わせて、粘土に働きかけてみなさい」教授は指示した。「無理をしないように」

クリスは自信満々に粘土に手を伸ばした。彼女の指先が触れると、粘土は輝き始め、次第に結晶化していった。最終的には美しい宝石のような物体になった。

「すごい…」オリは思わず言った。

「当然よ」クリスは得意げに笑った。「私は『結晶変化』の上級生なんだから」

他の学生たちも各々の能力を使い始めた。ある学生は粘土を水のように流動的にし、別の学生は粘土を膨張させて泡のような構造にした。

「オリ、君も試してみなさい」教授が言った。

オリは緊張しながら、粘土を手に取った。どうすればいいのだろう?橋を作った時のように、形をイメージしようと集中した。彼女は粘土が折りたたまれる様子を頭に思い描いた。

しかし、何も起こらなかった。粘土は通常の粘土のままだった。

「うまくいきません…」オリは小さな声で言った。

教授は彼女の隣に来て、静かに言った。「無理することはない。『折り』の能力は他の形状術とは性質が異なる。おそらく、粘土という素材が君の能力に合っていないのだろう」

オリは少しホッとした。しかし同時に、自分だけができないという事実に落ち込んだ。

「紙を使ってみては?」クリスが突然提案した。彼女はノートから一枚の紙を破り取り、オリに渡した。

オリは感謝の笑顔を向け、紙を受け取った。紙を手にした瞬間、何か懐かしい感覚が彼女を包んだ。まるで、紙と対話するかのように。

彼女は紙に集中し、心の中で複雑な形をイメージした。すると、紙が彼女の手の中で動き始めた。折り目が自然にできていき、紙は徐々に形を変えていった。

最終的に、オリの手の中には複雑な星型の立体的な折り紙があった。それは単に折られただけでなく、まるで生命を持つかのように輝いていた。

教室が静まり返った。全ての学生と教授が、オリの作品を見つめていた。

「素晴らしい…」教授はついに沈黙を破った。「これこそ、真の『折り手』の能力だ」

クリスさえも感嘆の表情を浮かべていた。「すごいじゃない…一枚の紙からそんな複雑なものを」

オリは自分でも驚いていた。なぜ自分にこんなことができるのか。まるで、体が勝手に覚えているかのようだった。

授業が終わると、学生たちはオリを取り囲み、質問を浴びせ始めた。

「どうやってそんな複雑な形を?」
「他の物も折れるの?」
「教えてよ!」

オリは圧倒されて後ずさりした。すると、クリスが前に出てきて、彼女を守るように立ちはだかった。

「ちょっと、みんな落ち着きなさいよ」彼女はきっぱりと言った。「彼女は昨日来たばかりなんだから」

クリスはオリの手を取り、群衆から彼女を引き離した。二人は急いで教室を出た。

「ありがとう…」廊下に出たオリは息を整えながら言った。

「気にしないで」クリスは軽く言った。「あの子たちは新しいものを見るとすぐ興奮するの」

「でも、なぜ助けてくれたの?」オリは不思議に思った。

クリスは少し照れたように髪をかき上げた。「あなたの能力に興味があるの。『結晶変化』と『折り』には共通点があるかもしれないと思って」

彼女はオリをじっと見つめた。「それに…あなたと私、似ているところがあるわ」

「似ている?」

「ええ。私たちは二人とも、普通じゃないから」クリスはさらりと言った。「私は王族の血を引いているの。だから、他の学生とは少し距離があるわ」

オリは驚いた。「王族…?」

「そう。でも大したことじゃないわ」クリスは手を振った。「次の授業は何?」

オリは予定表を確認した。「『形状術実習』…でも場所がわからないです」

「私も同じ授業よ」クリスは微笑んだ。「一緒に行きましょう」

二人は学院の中を歩きながら、クリスはオリに様々な場所を案内した。クリスの態度は少し高飛車だったが、親切さも感じられた。

「あそこが図書館、向こうが食堂…そして、ここが実習場よ」

彼らは広い庭園のような場所に到着した。そこには様々な素材が置かれ、学生たちが自分の能力を試していた。地面には描かれた円があり、その中で形状術の練習が行われていた。

リーフが彼らに気づき、手を振った。「オリ!こっちだよ」

リーフは他の学生たちと一緒に立っていた。彼はオリとクリスが一緒にいるのを見て、少し驚いた表情を見せた。

「クリスと知り合ったんだね」彼は言った。

「ええ、基礎クラスで隣の席だったの」クリスは答えた。「彼女の能力に興味があるわ」

「そうか」リーフは微笑んだ。「オリ、実習の準備はいい?今日は自分の能力の基本的な制御を練習するよ」

オリは不安そうに頷いた。「できるかどうか…」

「心配しないで」リーフは優しく言った。「私がサポートするから」

実習は個別に行われることになっていた。学生たちは順番に円の中に入り、自分の能力を示すことになっていた。

最初に円に入ったのは、バランの少年だった。彼は「固体変化」の能力者で、地面から岩を浮かび上がらせ、それを様々な形に変えた。

次はクリスの番だった。彼女は自信満々に円に入り、両手を前に出した。すると、彼女の周りの空気が結晶化し始め、美しい宝石のような構造が彼女を取り囲んだ。それはまるで彼女を守る鎧のようだった。

「見事だな、クリス」指導教官が言った。「制御も完璧だ」

クリスは満足げに微笑み、オリに視線を送った。まるで「次はあなたよ」と言っているようだった。

やがてオリの番がやってきた。彼女は緊張して円の中に入った。

「オリは特別な能力を持っています」リーフが他の学生たちに説明した。「彼女は『折り手』です。紙を示してください」

リーフはオリに一枚の大きな紙を渡した。オリはそれを受け取り、深呼吸をした。

「落ち着いて」リーフは優しく言った。「さっきの授業でやったようにやってみて」

オリは紙に集中した。彼女は心の中で、複雑な形をイメージした。花が開くような、美しい形。

紙が彼女の手の中で動き始めた。折り目が自然にできていき、紙は徐々に形を変えていった。最終的に、オリの手の中には完璧な花の形の折り紙があった。

学生たちから歓声が上がった。しかし、オリは更に進んだ。彼女は地面に置かれた石にも集中した。果たして岩も「折れる」のだろうか?

彼女が石に手を伸ばすと、驚くことに石の表面に細かい折り目が現れ始めた。石は徐々に変形し、紙の花と同じ形になっていった。

「信じられない…」リーフは息を呑んだ。「彼女は無機物も折ることができる」

オリ自身も驚いていた。この能力は、彼女が思っていた以上に多様なものだった。

「もっとやってみて!」クリスが声をかけた。「他のものも折れる?」

オリは周囲を見回し、空気に手を伸ばした。彼女は空気を折ることができるだろうか?彼女は空気中に形をイメージし、「折れ」と命じた。

すると、彼女の手の周りの空気が歪み始めた。目に見えない折り目が空気中に形成され、光の屈折によってかすかに見えるようになった。空気が折りたたまれ、透明な鳥のような形になった。

学生たちは完全に沈黙した。これは誰も見たことのない光景だった。

「これが…『折り手』の力」リーフは言った。「物質の状態に関わらず、全てを折ることができる」

オリは力を解放し、作り出した形は元に戻った。彼女は少し疲れを感じた。能力の使用には精神的なエネルギーが必要なようだった。

「すごいじゃない」クリスが彼女に駆け寄った。「あなた、本当に特別ね」

リーフも近づいてきた。「オリ、君の能力は予想以上だ。でも、無理はしないように。形状術の使いすぎは体に負担がかかる」

オリは頷いた。確かに少し疲れを感じていた。しかし、それ以上に喜びを感じていた。自分の能力が少しずつ理解できるようになってきたのだ。

実習の後、学生たちは食堂に集まった。オリはクリスと一緒にテーブルに座った。リーフも教師用のテーブルから彼女に微笑みかけた。

「あなたの能力、本当に興味深いわ」クリスは食事をしながら言った。「私の『結晶』とは全く違うけど、何か共通点があるような気がする」

「共通点?」オリは尋ねた。

「ええ、どちらも『構造』に関わるものよ」クリスは説明した。「私は物質を結晶構造に変える。あなたは物質に新しい構造を与える。似てるでしょ?」

オリは考え込んだ。確かにそうかもしれない。彼女の能力は物質の「折り目」を操ることで、新しい構造を作り出す。

「でも、私はまだ自分の能力をうまく制御できないんです」オリは正直に言った。

「それは練習よ」クリスは断言した。「私も最初は大変だった。結晶化しすぎて、自分の手が動かなくなったこともあるわ」

彼女は左手の小指を見せた。そこには小さな結晶のような痕跡があった。「これは初めて能力が暴走した時の傷よ。制御を失うと危険なの」

オリはクリスの指を見つめた。形状術には危険も伴うのだ。彼女も気をつけなければならない。

「アルト…アルトさんも言っていました。形状術は感情と結びついているって」

「そうね」クリスは頷いた。「特に強い感情を抱くと、能力が暴走することもある。だから、感情のコントロールも大切なの」

彼女はオリをじっと見た。「あなた、どこから来たの?記憶がないって本当?」

オリは少し驚いた。「うん…最初に目覚めた時、森の中だった。それ以前のことはほとんど覚えていない」

「興味深いわね」クリスはコップを持ち上げた。「私も…ある日突然、自分が王族だと気づいたの」

「え?」

「冗談よ」クリスは笑った。しかし、その目は笑っていなかった。「いつか、あなたの記憶が戻るといいわね」

食事の後、オリは図書館に向かった。リーフが「形状術の基本」という本を読むように勧めてくれたのだ。

図書館は広大で、天井まで本棚が並んでいた。オリは案内図を頼りに、形状術の書棚を探した。

「お困りですか?」

振り返ると、白髪の老教授が立っていた。彼は優しい目をしており、少し曲がった背中をしていた。

「あ、はい…『形状術の基本』という本を探しています」オリは恐る恐る言った。

「ああ、基礎書ですね」老教授は微笑んだ。「こちらです。ついてきてください」

オリは老教授について、図書館の奥へと進んだ。彼は慣れた様子で本棚の間を進み、やがて一冊の本を取り出した。

「これが『形状術の基本』です」彼は本をオリに渡した。「あなたがオリさんですね。『折り手』の」

「はい…」オリは驚いて答えた。「どうして私を?」

「学院中があなたの噂でもちきりですよ」老教授は微笑んだ。「私はマエストロと呼ばれています。『振動変化』の教授です」

「マエストロ…先生」オリは丁寧に頭を下げた。

「『折り』の能力は非常に興味深いものです」マエストロは静かに言った。「私も研究したいと思っていました」

彼はオリをじっと見つめた。「もし興味があれば、個人的に少しレッスンしてもよいですよ」

「本当ですか?」オリは目を輝かせた。

「ええ。『折り』は通常の形状術とは異なる側面があります。私なりの知識をお教えできるかもしれません」

オリは喜んで頷いた。「ぜひお願いします!」

「では、明日の夕方、私の研究室にいらしてください」マエストロは言った。「東棟の一番上の階です」

彼は別れ際に、オリの手をじっと見た。「あなたの手…特別ですね」

その言葉を残して、マエストロは図書館の奥へと消えていった。オリは自分の手を見つめた。特別?どういう意味だろう?

本を抱えて自分の部屋に戻る途中、オリは窓から外を見た。夕日が学院の尖塔を赤く染め、美しい光景を作り出していた。

「一日目が終わった…」

彼女は自分の部屋に入り、ベッドに座った。疲れていたが、心は興奮で一杯だった。彼女は手元の本を開き、勉強を始めた。

本を読みながら、オリは時々窓の外を見た。星が輝き始めていた。彼女はアルトのことを思い出した。彼も今頃、同じ星を見ているだろうか。

そして、彼女は自分の左腕に目をやった。学院の腕輪が銀色に光っていた。その時、突然腕が透明になり、腕輪だけが宙に浮いているように見えた。

オリは驚いて息を呑んだ。腕はすぐに元に戻ったが、彼女の心には不安が残った。

「私は…本当に人間なの?」

その疑問は、彼女の心の中で大きくなっていった。しかし、明日への期待も同時に膨らんでいた。マエストロとの特別レッスン。クリスとの新しい友情。リーフの優しい指導。

「きっと、答えは見つかる」オリは自分に言い聞かせた。そして、本に集中して戻った。

翌朝、オリは早く目が覚めた。窓から差し込む朝日が部屋を明るく照らしている。彼女は昨日読んでいた『形状術の基本』が開いたまま膝の上にあることに気づいた。どうやら読みながら眠ってしまったようだ。

本の内容は興味深かった。形状術の歴史や理論、様々な種類の能力について詳しく書かれていた。特に、形状術が「認識」と「意志」によって発動するという部分は、オリにとって目から鱗が落ちる思いだった。


彼女は急いで身支度を整え、朝食を取るために食堂へ向かった。食堂には既に多くの学生が集まっており、オリが入ると、昨日よりも多くの視線が彼女に向けられた。

「オリ!こっちよ!」

クリスが手を振っていた。彼女はすでに席について朝食を取っていた。オリは安堵して彼女の隣に座った。

「昨日は早く寝ちゃったの?」クリスは尋ねた。「私、あなたの部屋をノックしたのよ」

「ごめんなさい」オリは謝った。「本を読んでいたら、そのまま眠ってしまって…」

「勉強家ね」クリスは微笑んだ。「今日の予定は?」

「午前中は『形状歴史』の授業で、午後は実習…」オリは予定表を確認した。「そして夕方は…」

彼女はマエストロとの約束を思い出した。特別レッスン。

「夕方は?」クリスが首を傾げた。

「あ、ちょっと図書館で勉強しようと思って」オリは嘘をついた。なぜ嘘をついたのか自分でも分からなかったが、マエストロとの特別レッスンは秘密にしておきたいと思った。

クリスは少し怪訝な表情をしたが、追及はしなかった。彼女は自分の朝食を食べ進めた。

「そういえば、あなたの寮はどこ?」オリは話題を変えるために尋ねた。

「私?特別寮よ」クリスは答えた。「王族の血筋だから」

彼女は少し誇らしげに言った。しかし、その目には何か別の感情も見えた。孤独?それとも寂しさ?

「特別寮って、普通の寮と違うの?」

「ええ、個室が広くて設備も良いわ」クリスは肩をすくめた。「でも、一人だけだから少し寂しいわね」

彼女は急に表情を明るくして言った。「今度、遊びに来る?私の部屋、見せてあげるわ」

「うん、ぜひ」オリは微笑んだ。

彼らが食事を終えると、リーフが近づいてきた。彼も朝食を取っていたようだ。

「おはよう、二人とも」彼は明るく挨拶した。「今日の授業、楽しみにしているよ」

「『形状歴史』でしょ?」クリスは少し退屈そうに言った。「去年も受けたわ」

「歴史から学ぶことは多いよ」リーフは優しく諭した。「特にオリにとっては、『折り手』の過去の記録は重要かもしれない」

その言葉にオリは興味を持った。「過去の『折り手』についての記録があるんですか?」

「少しだけね」リーフは頷いた。「非常に稀な能力だから、記録も限られているけど…」

彼はオリに視線を向けた。「今日の授業で聞いてみるといいよ」

「形状歴史」の授業は、大きな講堂で行われた。壁には古代の形状術師たちの肖像画が飾られ、中央には地球儀のような大きな球体があった。

教授は白い長い髭を持つ老人で、ヴィクターと名乗った。彼は授業を始める前に、中央の球体に手をかざした。すると、球体が光り始め、空中に光の映像が浮かび上がった。それは古代の形状術師が能力を使用している場面だった。

「形状術の歴史は、人類の歴史と共に古い」ヴィクター教授は語り始めた。「最古の記録は約3000年前に遡る」

光の映像は次々と変わり、様々な時代の形状術師たちの姿を映し出した。

「初期の形状術師たちは、自然の力を持つ神の使いと崇められていた」教授は続けた。「彼らの能力は、現代の私たちよりも制限されていたが、それでも驚異的なものだった」

オリは熱心にメモを取りながら、特に「折り手」についての言及がないか注意深く聞いていた。

授業の途中、ヴィクター教授は突然、オリの方を見た。

「今日は特別な学生がいるようだね」彼は言った。「『折り手』のオリさん」

オリは驚いて顔を上げた。教授は彼女に微笑みかけた。

「『折り手』は形状術の中でも最も稀な能力だ」教授は説明した。「歴史上、記録されているのはわずか三人のみ」

球体から新しい映像が浮かび上がった。それは古い羊皮紙に描かれた図で、一人の形状術師が空間を折りたたんでいる様子が描かれていた。

「最初の記録は約1000年前」教授は続けた。「オリンという名の形状術師が、敵軍の侵攻から村を守るために、空間そのものを折りたたみ、軍隊を別の場所に転送したという」

学生たちから驚きの声が上がった。オリも目を見開いた。空間を折りたたむ?そんなことが可能なのだろうか?

「二人目は約500年前」教授は次の映像を表示した。「フォルダという女性で、彼女は山の形を折りたたみ、谷を作り出した。その谷は今も『折れ谷』と呼ばれている」

オリはその名前に聞き覚えがあった。「折れの森」はその谷の近くにあるのだろうか?

「そして最後の記録は約100年前」教授は最後の映像を示した。「オリガという少女は、大災害から王都を守るため、津波を折りたたんで無害な波に変えたという」

教授はオリをじっと見つめた。「そして今、四人目の『折り手』が現れた。オリさん、君の能力が歴史にどのように記録されるか、楽しみだよ」

オリは顔が熱くなるのを感じた。教授の言葉には期待と重圧が含まれていた。彼女は本当にそのような偉大な能力を持っているのだろうか?

授業の後、学生たちは再びオリを取り囲んだ。みんな「折り手」についてもっと知りたがっていた。

「空間も折れるの?」
「山を折るってどういうこと?」
「津波を折るなんて可能なの?」

質問の嵐にオリは圧倒された。クリスが再び彼女を救出し、人混みから連れ出してくれた。

「みんな、あなたのこと気に入ったみたいね」クリスは冗談めかして言った。

「でも私、そんな凄いことはできないよ」オリは不安そうに言った。「空間を折るなんて…」

「時間が解決するわ」クリスは彼女の肩をポンと叩いた。「私も最初は小さな石しか結晶化できなかったけど、今では…」

彼女は指を鳴らすと、空気中の水分が凝結し、美しい氷の結晶が彼女の指先に現れた。

「練習あるのみよ」

午後の実習では、オリは紙や小さな物体を折るトレーニングをした。リーフが彼女を指導し、正確なイメージングと集中力の重要性を教えてくれた。

「形状術の本質は『認識』と『変化』だ」リーフは説明した。「対象を完全に理解し、そして意志をもって変化させる」

オリは一枚の紙を手に取り、それを深く「認識」しようとした。紙の質感、重さ、構造…そして心の中で、それが鳥の形に変わるイメージを描いた。

紙が彼女の手の中で動き始め、折り目が自然につき、美しい鳥の形になった。しかし今回は、単なる折り紙ではなかった。鳥は羽ばたき、彼女の手から飛び立った。

「すごい!」リーフは驚いて叫んだ。「紙に動きを与えた!」

オリ自身も驚いていた。鳥は教室の中を飛び回り、やがて彼女の肩に止まった。

「どうやったの?」クリスが近づいてきて尋ねた。

「わからない…」オリは正直に答えた。「ただ、飛ぶ鳥をイメージしただけ」

リーフは考え込む表情を見せた。「これは単なる形の変化ではない。『命』を与えたような…」

「本当の鳥ではないわ」クリスは紙の鳥を観察した。「でも、意志を持っているように見える」

オリは鳥に「戻って」と命じると、鳥は彼女の手に飛んできて、元の紙に戻った。

「驚くべき能力だ」リーフは感嘆の声で言った。「オリ、君は『折り手』として特別な才能を持っている」

その日の残りの実習では、オリは様々な素材で折りの練習をした。紙は最も簡単だったが、木や石などの硬い素材も、集中すれば折ることができた。しかし、液体や気体は難しく、まだ完全には制御できなかった。

夕方が近づくと、オリはマエストロとの約束を思い出した。彼女はリーフに特別レッスンがあると伝え、東棟へと向かった。

東棟は学院の中でも最も古い建物で、塔のような形をしていた。オリは階段を上り、最上階への道を探した。

最上階には一つの扉しかなかった。オリは恐る恐るノックした。

「どうぞ」中から声がした。

扉を開けると、広い円形の部屋が現れた。壁には様々な楽器が掛けられ、床には複雑な幾何学模様が描かれていた。中央には大きなピアノがあり、マエストロがその前に座っていた。

「来てくれたか、オリさん」マエストロは優しく微笑んだ。「さあ、こちらへ」

オリは部屋に入り、扉が自動的に閉まるのを感じた。室内の空気は少し違っていた。より濃密で、力が満ちているような感覚。

「ここは防音室になっています」マエストロは説明した。「私の『振動変化』の能力を練習するために作られました」

彼は立ち上がり、壁に掛けられた小さなハープを手に取った。

「形状術にはさまざまな種類がありますが、それらは全て同じ源から来ています」マエストロは静かに言った。「それは『記憶』です」

「記憶?」オリは不思議に思った。

「そう、記憶」マエストロはハープの弦を軽く弾いた。美しい音色が部屋に響いた。「私たちの能力は、私たちの魂が覚えている何かなのです」

彼はオリをじっと見つめた。「特に『折り手』の能力は、非常に特殊な記憶と結びついています」

オリは緊張して尋ねた。「どんな記憶ですか?」

「それを探るのが、このレッスンの目的です」マエストロは微笑んだ。「まず、あなたの能力を見せてもらえますか?」

オリは頷き、マエストロから渡された紙を手に取った。彼女は集中し、紙を複雑な形に折りたたんだ。蝶の形になった紙は、生きているかのように羽ばたき始めた。

「素晴らしい」マエストロは静かに言った。「あなたは単に形を変えるだけでなく、『意志』を与えている」

彼はハープを再び弾いた。今度は異なる音色で、それは部屋中に響き渡った。オリの作った紙の蝶は、その音に反応して動きを変えた。

「音と形には深い関係があります」マエストロは説明した。「私の『振動変化』の能力は、音の振動を利用して物質の形を変えることができます。あなたの『折り』の能力とは異なりますが、根本的な原理には共通点があるのです」

マエストロはハープを置き、オリの前に立った。

「あなたの手を見せてください」

オリは恐る恐る両手を差し出した。マエストロは彼女の手を優しく取り、じっと観察した。

「興味深い…」彼は静かに呟いた。「あなたの手には特別な痕跡があります」

「痕跡?」

「はい、通常の人間には見えないものですが、私のような経験者には分かります」マエストロは彼女の指先を軽くなぞった。「あなたの手は『折り目』を記憶しています」

オリは不思議な感覚を覚えた。マエストロの言葉は奇妙だったが、どこか真実味があった。彼女は時々、自分の手が透明になる現象を思い出した。

「私の手が時々…透けて見えることがあるんです」オリは勇気を出して打ち明けた。

マエストロの目が大きく開いた。「本当ですか?それはとても重要な現象です」

彼は深く考え込んだ後、続けた。「オリさん、私はあなたの正体について一つの仮説を持っています。しかし、まだ確証はありません」

「私の正体?」オリの心臓が早鐘を打ち始めた。

「はい。あなたは通常の人間とは少し違うかもしれません」マエストロは慎重に言葉を選んだ。「あなたの中には、何か特別な『記憶』が宿っているようです」

彼はピアノの前に戻り、軽く鍵盤を弾いた。音色が変わると、部屋の空気が振動し、壁に掛かった楽器たちが共鳴して音を奏で始めた。

「私たちの世界は、目に見える形だけでなく、目に見えない『折り目』にも満ちています」マエストロは説明した。「あなたはその『折り目』を見ることができるのです」

オリは混乱していた。「でも、なぜ私がそんな能力を?」

「それを探るために、あなたの記憶を呼び覚ましましょう」マエストロは再びピアノを弾き始めた。今度は複雑な旋律で、音が部屋中に広がり、床の幾何学模様が光り始めた。

「目を閉じて、音に集中してください」マエストロは指示した。「あなたの中に眠る記憶を探しましょう」

オリは言われた通りに目を閉じた。音楽が彼女の体を包み込み、心の中に響き渡った。最初は何も感じなかったが、やがて頭の中に断片的なイメージが浮かび始めた。

机に向かう自分。しかし、それは少女の姿ではなく、大人の女性だった。手元には複雑な折り紙があり、その模様は今まで見たことのないほど複雑だった。

「何か見えていますか?」マエストロの声が遠くから聞こえた。

「私…机に座っている。でも、今の私じゃない。大人の女性で…」オリは目を閉じたまま答えた。

「良い、その記憶にもっと深く入ってください」マエストロの音楽はさらに複雑になった。

オリの頭の中のイメージはさらに鮮明になった。女性は何かを計算しているようだった。紙の上には複雑な数式が書かれていた。そして、その横には「四次元折りたたみモデル」という言葉。

「四次元…折りたたみ…」オリは無意識に呟いた。

突然、強い痛みが彼女の頭を襲った。イメージが急速に崩れ始め、代わりに別の光景が現れた。明るい光。衝撃。そして、紙のように折りたたまれる自分自身。

「ああっ!」オリは叫び、目を開けた。彼女は床に膝をつき、頭を抱えていた。

マエストロはすぐに音楽を止め、彼女の側に駆け寄った。「大丈夫ですか?」

「頭が痛い…」オリは震える声で言った。「私は…事故に遭ったの?」

マエストロは彼女を慎重に起こし、椅子に座らせた。「無理をさせてしまいました。申し訳ありません」

彼は彼女にコップの水を渡した。オリは感謝して水を飲み、少しずつ落ち着き始めた。

「見たものを教えてくれますか?」マエストロは静かに尋ねた。

オリは記憶の断片を話した。大人の女性、複雑な折り紙、四次元の計算、そして最後の事故の場面。

マエストロは深く頷いた。「予想通りです。あなたは『転生者』なのでしょう」

「転生者?」

「はい、別の世界から来た魂」マエストロは説明した。「この世界には時々、他の世界から魂が流れ着くことがあります。特に、強い『記憶』を持った魂は」

オリは混乱していた。自分が別の世界から来たという考えは、あまりにも突飛だった。しかし、同時に、それが説明できることもあった。彼女の記憶の欠如、特殊な能力、そして時々起こる手の透明化現象。

「では、私の手が透けて見えるのは…」

「あなたの魂と体の結合がまだ完全ではないからかもしれません」マエストロは推測した。「あるいは、あなたの前世の『記憶』が強すぎて、この世界の物理法則と折り合いがつかない瞬間があるのかもしれません」

彼はオリの肩に手を置いた。「恐れることはありません。時間と共に、全ては明らかになるでしょう」

オリは深く息を吐いた。「マエストロ先生、この話は他の人に…」

「私からは話しません」マエストロは約束した。「あなた自身が理解し、伝えたいと思うまで」

彼は立ち上がり、窓の方に歩いた。外は既に暗くなり始めていた。

「今日はここまでにしましょう」マエストロは言った。「次回は、あなたの能力をさらに深く探求します」

オリも立ち上がり、感謝の意を表した。「ありがとうございます、先生」

「あなたの能力は特別です、オリさん」マエストロは最後に言った。「『折り手』として、あなたは世界の秘密に触れる可能性を持っています」

部屋を出る前、オリは振り返った。「先生は…私のような人を見たことがありますか?」

マエストロは微笑んだ。「直接会ったことはありませんが、伝説は知っています。『折り手』は世界の危機に現れるとされています」

「危機?」

「はい、世界の『折り目』が乱れるとき」マエストロは神秘的に言った。「さあ、お休みなさい。明日も長い一日になるでしょう」

オリは研究室を後にし、夜の学院の廊下を歩いた。頭の中は混乱と疑問でいっぱいだった。自分は本当に別の世界から来たのか?そして、世界の危機とは何を意味するのか?

自分の部屋に戻る途中、オリは学院の中庭を通った。月明かりが石畳を銀色に染め、美しい景色を作り出していた。

彼女は立ち止まり、夜空を見上げた。星々が彼女を見下ろしていた。同じ星が、アルトの小屋の上にも輝いているだろうか?そして、彼女が来たという「別の世界」にも?

「佐藤みどり…」

オリは無意識にその名前を呟いた。何かの記憶だろうか?それとも、前世の名前?

彼女は自分の手を見つめた。今は透明になっていなかったが、何か特別なものを感じた。「折り目」の記憶。

「私は誰なのか、いつか必ず明らかになる」オリは自分に言い聞かせた。「それまでは、この能力を最大限に活かそう」

彼女は再び歩き始め、静かに自分の部屋へと向かった。明日からの日々が、彼女にどんな発見をもたらすのか、期待と不安が入り混じっていた。

部屋に戻ると、窓際に小さな紙切れが置かれていることに気づいた。オリは不思議に思いながらそれを手に取った。

紙には美しい筆跡で、こう書かれていた。

「折り目の向こうに真実がある。準備ができたら、東の塔の最上階へ。—C」

Cとは誰だろう?クリス?それとも別の誰か?オリは紙をじっと見つめた。そして、無意識のうちに紙を複雑な形に折りたたんだ。それは小さな鍵の形になった。

彼女は作った折り紙の鍵を窓辺に置き、ベッドに横になった。目を閉じると、断片的な記憶の欠片が頭の中を漂った。別の世界の記憶。折り紙と数式。そして、光と衝撃。

「明日は新しい発見があるかもしれない」

そう思いながら、オリは静かに眠りについた。彼女の左腕の腕輪が月明かりに照らされ、銀色に輝いていた。そして、一瞬だけ、彼女の腕が完全に透明になり、腕輪だけが宙に浮いているかのように見えた。

学院の塔の上で、一人の人影が月明かりに照らされながら、オリの部屋の窓を見つめていた。
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