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二章 迫る脅威、騎士の戦い
狭間に祈る
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―――ひどくなつかしい夢だった。
ぼうっとする頭のまま、体を起こす。どうやら寝台に寝かされていたらしい。
部屋にはアタシひとりだけ。明かりもなく、ずいぶんと蒸している。とにかく風にあたりたい一心で、だるくて仕方ない身体を引きずって部屋をでる。
少し行くと礼拝堂がみえてくる。暗がりに目が慣れているから、床で雑魚寝をしている騎士たちに躓くことはなかった。
真ん中ほど、長椅子を寝台のかわりにして寝かされるクルビスとミュグエ男爵を見つけた。音をたてないように近寄ると、微かながらも胸が上下していることがわかる。口元に手をかざすと、弱々しくもたしかな息吹が感じられた。
ほっと息が抜けるように、安堵感がじわりと胸に広がっていく。
開け放たれたままの教会の正面扉をくぐり、整備作業用の階段を上がる。
少しでも風のある場所へ行きたかった。
星が瞬く夜空を見上げれば雲ひとつない。
大きな月と、手前側の小さな月が、寄り添うようにしてあるだけ。双子月の白い輝きが降りそそいでいる。
「……カンナ司祭」
ゆったりとした風が吹く。いつのまにかオリヴィエが追ってきていた。目を惹くほど美しい、金糸を束ねた髪はところどころ乱れ、月が照らす光沢は鈍い。
「アタシは、だいぶ寝てたみたいだね。すまなかった。他の騎士たちの手当てもあったんだ、大変だったろ?」
「いえ! いいえ! 私が至らないばっかりに、カンナ司祭にも、マルル助祭にも大きな負担をかけてしまいました。ほんとうに、申し訳ありませんでした」
すこし早口になりながら、震える声で話しきり、オリヴィエは深く頭を下げる。
たしかに、灯火を使いきった影響で、身体は石のように重たい。はっきりとは覚えてないが『癒しの奇跡』を行使したあとすぐに倒れ、意識を飛ばしていたのだろう。
「アンタにはアンタの事情がある。それは分かるよ。でも祭服を纏っているからには、人を救う選択に全力をかけないといけない。アタシはそう思うんだ」
「女神様に仕える者として未熟なばかりでなく、神話に語られる家の名にも泥を塗る行いでした。お恥ずかしい限りです。重ね重ね、ほんとうに申し訳ありません」
俯き力なく話すオリヴィエは、腹の前で組む両手を震わせている。
顔は見えないけれど、この娘は涙を懸命に堪えている。そう思えた。
「いいさ。規則は規則。守られるべきものだと思う。失敗なんて生きてりゃ何度もあるもんさ、どんな人間にだってね。だから家がどうこうとか、気にすることじゃあない。すくなくとも、アタシはアンタを見損なうことなんかないよ」
まぁ、規則違反のお咎めはあるだろうが、フランチェスカに事情を説明すれば理解はしてくれるはず。よしんばそうでなくとも、後悔はしないわけだが。
「あの二人だけはなんとか助けられたんだ。それでいいじゃんか。ね?」
あの森で命を落とした騎士がいる。先遣隊は、手の施しようがなかった。
「……カンナ司祭は、どうしてそんなにも迷わずにいられるのですか?」
「そうだねぇ。……アタシの両親はね、なんでもない普通のパン屋でさ。特に裕福でもない暮らしだったけど、食べものがない人にはパンをただで渡す人だった」
オリヴィエはじっと静かに聞いている。
「アタシがまだこんなちっさかった頃さ。巷じゃ賢い娘だなんて言われて、いい気になってたのさ。両親が騙されているように見えてたんだね。優しさにつけこまれて、利用されてる。感謝なんかされない、馬鹿にされてるだけだ。なんて、怒ったんだよ。それでも両親は、笑っているだけだった」
―――ウチで焼いてるのはなんてことない変わりない普通のパンだよ。でもそれが、誰かの今日を生きる糧になるんだったら、それはとても嬉しいことなんだ―――。
「いろいろとね。いろいろとあった。でも流行病で両親が倒れちまうと、ちょっと頭が回るだけの子どもには何もできやしない。ただただ泣いてたさ。……そんなアタシを助けてくれたのは、両親が手を差し伸べた人たちだよ。アタシが内心見下していた、ね。結局、両親はそのまま逝っちまったけど、あの人らは最後まで良くしてくれた。それからさ。両親のように『救える人』になると決めたのは」
単純だろ、と笑いかけるが、真っすぐな瞳を向けたまま、オリヴィエは首を横に振る。
「それで、カンナ司祭は聖堂教会へ?」
「やりたいことをするにはピッタリだったからね。それに、アタシはパンを焼くのが苦手なんだ。黒コゲにしちまう」
オリヴィエに、やんわりとした空気が戻る。
「人が人を思いやって寄り添うこと、その狭間から『救い』が生まれる。神様から施してもらうものじゃないのさ。……アタシが信じる道は、もうとっくにもらっていたからね。だから助けることに迷わないのかもしれない」
つい口が滑った。主を讃えよ。救いを求めよ。そう謳う教会の教えに、まるで反した言葉だった。
教会の教えが重要だなんて思っていないし、フォルネイの言葉のせいで迷いを感じていることも自覚した。だが、目の前にいる少女は『御三家』の敬虔な信徒。
失望か糾弾か。おそるおそる反応を窺うが、オリヴィエはただただ静かに、白みはじめた空の向こうへと視線をやっていた。
人が、人を救う―――。微かな呟きが聞こえた。
「私は、教会の教えこそが唯一救済の道と信じてきました。みな、そうあれと私に言うのです。だから、それしか知りません。カンナ司祭の言葉を、私は受け止められません。でも、受け止められるように考え続けたい。そう、思います」
柔らかな微笑み。見惚れるほどの横顔が、地平線の向こうから上る朝日に照らされている。
「……アンタ。いままで一番いい顔してる。笑うとこんなに可愛いんだから、いつもそうしてなね」
「か、かわ!? やめてください! そんなこと、はじめて言われました!」
「なんだい。見る目のない男どもだね」
声を出して笑う。オリヴィエもつられて、小さく笑っていた。
◆ ◆ ◆
穏やかな微睡みに沈むなか、聞きなれた声に意識が浚われていく。
愛嬌をたっぷりと含ませた、可愛い後輩の声。それがマルルのものだと思い起して、ぼんやりと目を開いた。
「先輩、はやく起きてください! 大変なんですよっ!」
只事ではない雰囲気を嗅ぎ取り、自然と身体が跳ね上がる。突然の動きに足がもつれると、マルルがさっと手を差し出して支えてくれた。マルルは鬼気迫る表情のまま、教会の外へ手を引いていく。
整備作業用の階段を登ると、陽が昇っていない時には気付かなかった風景が飛び込んでくる。この場所からは、ヴァルゲーヘの街が一望でき、伸びる街道の先、白枝の森もよくみえる。
「なんか騒がしいと思ったんです。見てください、あそこ。森の入り口」
マルルが指さす先、一匹の黒い獣が這い出ようとしていた。
首から下には、おどろおどろしくうねる触手が何本も生えている。
「まさか、生きてたってのか……」
四つ目の大狼が、また一歩、街へと歩を進めた。
ぼうっとする頭のまま、体を起こす。どうやら寝台に寝かされていたらしい。
部屋にはアタシひとりだけ。明かりもなく、ずいぶんと蒸している。とにかく風にあたりたい一心で、だるくて仕方ない身体を引きずって部屋をでる。
少し行くと礼拝堂がみえてくる。暗がりに目が慣れているから、床で雑魚寝をしている騎士たちに躓くことはなかった。
真ん中ほど、長椅子を寝台のかわりにして寝かされるクルビスとミュグエ男爵を見つけた。音をたてないように近寄ると、微かながらも胸が上下していることがわかる。口元に手をかざすと、弱々しくもたしかな息吹が感じられた。
ほっと息が抜けるように、安堵感がじわりと胸に広がっていく。
開け放たれたままの教会の正面扉をくぐり、整備作業用の階段を上がる。
少しでも風のある場所へ行きたかった。
星が瞬く夜空を見上げれば雲ひとつない。
大きな月と、手前側の小さな月が、寄り添うようにしてあるだけ。双子月の白い輝きが降りそそいでいる。
「……カンナ司祭」
ゆったりとした風が吹く。いつのまにかオリヴィエが追ってきていた。目を惹くほど美しい、金糸を束ねた髪はところどころ乱れ、月が照らす光沢は鈍い。
「アタシは、だいぶ寝てたみたいだね。すまなかった。他の騎士たちの手当てもあったんだ、大変だったろ?」
「いえ! いいえ! 私が至らないばっかりに、カンナ司祭にも、マルル助祭にも大きな負担をかけてしまいました。ほんとうに、申し訳ありませんでした」
すこし早口になりながら、震える声で話しきり、オリヴィエは深く頭を下げる。
たしかに、灯火を使いきった影響で、身体は石のように重たい。はっきりとは覚えてないが『癒しの奇跡』を行使したあとすぐに倒れ、意識を飛ばしていたのだろう。
「アンタにはアンタの事情がある。それは分かるよ。でも祭服を纏っているからには、人を救う選択に全力をかけないといけない。アタシはそう思うんだ」
「女神様に仕える者として未熟なばかりでなく、神話に語られる家の名にも泥を塗る行いでした。お恥ずかしい限りです。重ね重ね、ほんとうに申し訳ありません」
俯き力なく話すオリヴィエは、腹の前で組む両手を震わせている。
顔は見えないけれど、この娘は涙を懸命に堪えている。そう思えた。
「いいさ。規則は規則。守られるべきものだと思う。失敗なんて生きてりゃ何度もあるもんさ、どんな人間にだってね。だから家がどうこうとか、気にすることじゃあない。すくなくとも、アタシはアンタを見損なうことなんかないよ」
まぁ、規則違反のお咎めはあるだろうが、フランチェスカに事情を説明すれば理解はしてくれるはず。よしんばそうでなくとも、後悔はしないわけだが。
「あの二人だけはなんとか助けられたんだ。それでいいじゃんか。ね?」
あの森で命を落とした騎士がいる。先遣隊は、手の施しようがなかった。
「……カンナ司祭は、どうしてそんなにも迷わずにいられるのですか?」
「そうだねぇ。……アタシの両親はね、なんでもない普通のパン屋でさ。特に裕福でもない暮らしだったけど、食べものがない人にはパンをただで渡す人だった」
オリヴィエはじっと静かに聞いている。
「アタシがまだこんなちっさかった頃さ。巷じゃ賢い娘だなんて言われて、いい気になってたのさ。両親が騙されているように見えてたんだね。優しさにつけこまれて、利用されてる。感謝なんかされない、馬鹿にされてるだけだ。なんて、怒ったんだよ。それでも両親は、笑っているだけだった」
―――ウチで焼いてるのはなんてことない変わりない普通のパンだよ。でもそれが、誰かの今日を生きる糧になるんだったら、それはとても嬉しいことなんだ―――。
「いろいろとね。いろいろとあった。でも流行病で両親が倒れちまうと、ちょっと頭が回るだけの子どもには何もできやしない。ただただ泣いてたさ。……そんなアタシを助けてくれたのは、両親が手を差し伸べた人たちだよ。アタシが内心見下していた、ね。結局、両親はそのまま逝っちまったけど、あの人らは最後まで良くしてくれた。それからさ。両親のように『救える人』になると決めたのは」
単純だろ、と笑いかけるが、真っすぐな瞳を向けたまま、オリヴィエは首を横に振る。
「それで、カンナ司祭は聖堂教会へ?」
「やりたいことをするにはピッタリだったからね。それに、アタシはパンを焼くのが苦手なんだ。黒コゲにしちまう」
オリヴィエに、やんわりとした空気が戻る。
「人が人を思いやって寄り添うこと、その狭間から『救い』が生まれる。神様から施してもらうものじゃないのさ。……アタシが信じる道は、もうとっくにもらっていたからね。だから助けることに迷わないのかもしれない」
つい口が滑った。主を讃えよ。救いを求めよ。そう謳う教会の教えに、まるで反した言葉だった。
教会の教えが重要だなんて思っていないし、フォルネイの言葉のせいで迷いを感じていることも自覚した。だが、目の前にいる少女は『御三家』の敬虔な信徒。
失望か糾弾か。おそるおそる反応を窺うが、オリヴィエはただただ静かに、白みはじめた空の向こうへと視線をやっていた。
人が、人を救う―――。微かな呟きが聞こえた。
「私は、教会の教えこそが唯一救済の道と信じてきました。みな、そうあれと私に言うのです。だから、それしか知りません。カンナ司祭の言葉を、私は受け止められません。でも、受け止められるように考え続けたい。そう、思います」
柔らかな微笑み。見惚れるほどの横顔が、地平線の向こうから上る朝日に照らされている。
「……アンタ。いままで一番いい顔してる。笑うとこんなに可愛いんだから、いつもそうしてなね」
「か、かわ!? やめてください! そんなこと、はじめて言われました!」
「なんだい。見る目のない男どもだね」
声を出して笑う。オリヴィエもつられて、小さく笑っていた。
◆ ◆ ◆
穏やかな微睡みに沈むなか、聞きなれた声に意識が浚われていく。
愛嬌をたっぷりと含ませた、可愛い後輩の声。それがマルルのものだと思い起して、ぼんやりと目を開いた。
「先輩、はやく起きてください! 大変なんですよっ!」
只事ではない雰囲気を嗅ぎ取り、自然と身体が跳ね上がる。突然の動きに足がもつれると、マルルがさっと手を差し出して支えてくれた。マルルは鬼気迫る表情のまま、教会の外へ手を引いていく。
整備作業用の階段を登ると、陽が昇っていない時には気付かなかった風景が飛び込んでくる。この場所からは、ヴァルゲーヘの街が一望でき、伸びる街道の先、白枝の森もよくみえる。
「なんか騒がしいと思ったんです。見てください、あそこ。森の入り口」
マルルが指さす先、一匹の黒い獣が這い出ようとしていた。
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