狭間の祈り手 -聖王大陸戦記 Ⅰ-

ムロ☆キング

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三章 枯れ枝の腕

見えざる毒手(2)

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「おかえりなさい、お兄ちゃん」

 聞こえてきた言葉に、うっすらと目を開ける。ぼやけている線のひとつひとつが、しっかりと重なって、輪郭をはっきりとさせていく。

 そこは先ほどと同じく小屋の中ではあったが、流れる空気はまるが違う。トートネーベ山脈から流れる、北の冷めた風ではない、たゆたうような春の光が部屋をまばゆく照らしている。
 
「ミレーナ。起きてて大丈夫か? 具合はもういいのか?」

 ミレーナが横たわっていた眼前の寝台には、たしかにミレーナがいる。意識のなかった彼女の顔色はかなり良く見えたし、上体を起こしてさえいる。微笑む顔は、いくぶんか幼くさえみえる。

 一人の男性が歩み寄ってくる。彼はちょうど隣の位置に立ち、ミレーナと視線を合わせるように屈む。

 人のよさそうな垂れた目尻に、少しだけつぶれている鼻。明るい茶色の髪色と、二人には似通った部分がある。それを見て、二人が兄妹だと分かった。

「うん。朝よりも良くなったみたい。お兄ちゃんの薬が効いたんだと思う」

 そう言ってやわらかく笑う妹の、頭を撫でてやる兄。すこしほっとしたような、胸を撫でおろした表情が見て取れた。

「そうかぁ。裏庭で育てたあの薬草が効いたかな。兄ちゃん、この調子でお前の病気なんかすぐに治してやるからな」

 黙って様子を見ていたが、どうやら二人は、アタシに気が付いていない。
 夢や幻……なんかではない。ミレーナの暖かな気持ちが流れ込み、手に取るように感じられる。だとすれば。

 ―――これは、アンタの記憶なのかい? ミレーナ。

 以前、フランチェスカから聞いたことがある。『癒しの奇跡』を行使した際、ふいに相手の記憶を垣間見ることがある、と。フランチェスカの話では、灯火という力を通じて繋がったことで、切り取られた一場面だけが脳裏に浮かぶのだろうと。
 
 しかし、これはそんな度合いではない。もはや記憶の中に浸っているかのようだ。

 突然、景色がものすごい速さで切り替わる。
 
 少し大人びた様子の、成長したミレーナが苦しそうに咳をして、寝台に身体を休めている。兄の姿はなく、蝋燭の明かりだけが心許なくその姿を照らす。
 手を取って握ってやりたかった。無意志に伸ばした手はミレーナに触れることなく、すうっと埋もれていく。

 バタン、と音を立てて玄関が開く。青いローブを纏った、ミレーナの兄が立っていたが、その顔には追い詰められたかのような緊張感が走っている。
 
 まっすぐにミレーナまで早足で歩み寄り、彼女の手を取った。

「聞いておくれ、ミレーナ。重要な仕事を任されたんだ。絶対に成功させる。そうすれば、お前の病をよくできるかもしれない。が約束してくださったんだ。だから、もうちょっとだけ、辛抱してくれ……」

「……兄さん。ファレン兄さん……」

 呻くように名を呼ぶ妹に、兄は肩掛けの鞄から取り出した何かを握らせる。それを見て、心臓が跳ね上がる。
 
 そこにあったのは、紫色の花弁をつける、一輪の花。

「帰ってくる時間はないかもしれない。その間の世話は、アイツに頼んであるから、心配しなくていい」

 ファレンは音もなく立ち上がると、握らせた花を鞄に戻し、そのまま踵を返して小屋を出ていった。呆然と様子を見守っていたが、腹の底のほうでぐらぐらと怒りが沸き立つ。
 
 こんな状態の妹を置いて、兄貴のお前はどこへいくってんだ!
 
 追いかけようとしたその時、ミレーナから小さな声が聞こえた。

「……兄さん。大好きなファレン兄さん。私のことはいいの。体に気を付けて……」

 発熱から意識を朦朧とさせたまま、赤い顔をしたミレーナは、既にいない相手に向けてうわごとのように呟く。兄を気遣う思いと寂しさとが、どうしようもなく胸を打ちつけ、頬を濡らして伝った。

 風景は変わり続ける。
 熱は退いても身体を動かすのもつらく、兄を待って部屋にこもる日々。時折、何者かによって届けられる生活に必要な品々。遠くから誰かが見守る気配。
 
 ミレーナは、普段隠している木箱からとある石を取り出す。
 深緑色をした石。まるで祈るかのように胸に抱き、編紐を纏わせていく。

 あの囁石を贈ったのはミレーナだったのか……。

 コツ、と足音がして玄関の方を見る。
 ようやくファレンが帰ったかと思ったが、そこに現れた細い人影は同じく青いローブを纏う、ロズマールだった。

「ロズマールさん? すいません、兄はまだ戻ってきておらず……」

「……君がいけないのだ。あの男も、君も。あのお方の手を煩わせるから、こうもなる。私の責任ではない。これは、君たち兄妹の因果なのだ……」

 ロズマールの細い影から、枯れ木のような腕が一本伸びる。腕は弧を描くように静かに回ると、中指をミレーナに向けた。途端に、ミレーナが崩れるように倒れ込んだ。

 風に灯りが消えるように、風景はさっと暗闇になる。

 急に感じられる、背中を引っ張られるような力。この不思議な空間が閉じようとしている、直感的にそう思えた。きっと現実へ戻されるのだろうが、このまま何もできずに待つわけにはいかなかった。

 ファレンがその後どうなったか、確かなことは分からない。ただ、この兄妹がとてつもない企みに巻き込まれたのは間違いない。ロズマールは因果だと言ったが、こじつけもいいところだ。

 灯火を通じて繋がっているということは、『癒しの奇跡』を行使する下準備は整っているともいえる。弱った体が反動でさらに弱ってしまっては元も子もないが、大きな効果は期待できなくとも、生きる為の活力を彼女へと残さなくては。

 ―――いいかいミレーナ。アンタはまだ生きてる。やりたいことだってあるだろ。しっかり生きて、生き抜くんだよ。どうか負けないでおくれ。

 叫ぶように願う。要領をえなくとも、それでも心から願う言葉。

 空へと引っ張り上げられるなか、かすかに聞こえてくる、小さな声。

 ありがとう。消え入りそうなその声には、あのたゆたう春の暖かさがあった。

◆   ◆   ◆

「カンナ司祭!」

 ハッとして顔を上げると、そこには横たわるミレーナの顔がある。あいかわらず眠りは深い様子だったが、頬に少し赤みが戻り、呼吸も大きく、しっかりとしている。

 戻ったきたんだ。そう実感する間もなく、険しい顔をしたアビーが肩を掴む。

「ロズマールが姿を消しました。目の前で忽然と、です。その後は、急に監視の目が増えました。ジニアスが探っていますが、三人はいるそうです」

「訂正だ! いま四人目を見つけた」

「……だそうです。ここに居たら身動きが取れません。室長の指示に従って脱出します。ちょっと手荒になるかもしれませんが、しっかり着いてきてくださいね」

 アビーは手を離すと、食卓の窓から外を探るジニアスへ向かう。

 ミレーナの頬に触れ、じゃあね、と別れを告げた。
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