恋は、やさしく

美凪ましろ

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act30. 侵害する可能性の考慮

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「うん。うん。今度帰るよ。え。伯母さん帰国するの? ああそう。じゃあ楽しみにしてるって伝えといて。あ。話したいこともあるって……うん。分かった。じゃあ、お父さんからだ大事にしてね。うん。おやすみなさい……」


 手短に父に電話をした。

 週末、帰ると言ったら、どうやらちょうど同じ週に伯母も帰るらしい。伯母は。

 米国在住。好奇心旺盛で世話好きの、悪い言い方をすればおせっかいな中年女性だ。

 母親のいない彼女にとっては頼れる同性の親であり姉のような存在でもある。

 中学生の頃は、米国在住の割に年に何度も帰ってくる伯母のことを疎ましく思うこともあったが、いまもときどき耳の痛い説教をする。

 でも頼れる近親だ。

 同性でなければ分からないことはあるし、そういった場面で幾度も彼女は助けられてきた。

 生理痛が辛いときなんかこっそり打ち明けたし、父に黙ってナプキンを買ってきてくれたこともあった。実はトイレにストックも用意してくれている。

 嬉しい気持ちと、やや憂鬱な気持ちがすこしと。口うるさいところが玉に瑕だ。年長者の知恵に頼ってきたのは事実だが。

 そして口堅いほうだ。


 彼女は、伯母帰国の知らせを聞いたときに、あるひとつの決意を固めていた。


 * * *

「え。榎原さんの伯母さんがアメリカ住まいなんすか」

 うどんをすすりながら道林ミカが髪を耳にかける。

 二つのことを同時に行う。器用なものだ、と彼女は思う。女性は特に器用なものだと。

 彼女はできないけど聞くふりをしながら全然別のことを考えたりできるのだから。

「うん。伯母さんの家に行ったことはないんだけどね。というより伯母さんが帰国する回数のほうが多いから。なんかかんやってしょっちゅう帰ってくる。娘たちの手が離れて、ヒマなんだってさ」
「英語喋れんすか? すごぉい」
「あたしじゃなくって伯母がね」
「へー。……向こう住むとやっぱなんか違う雰囲気になるんすか、日本人ぽくない感じになります?」
「ぜんぜん変わらない。三越好きなただのおばちゃんだよ」榎原がそう言うと、道林は歯を見せて笑った。「ああ、そうそうこないだ、結婚式出たら偶然蒔田さんに会ったんだ」
 うどんの汁まで飲み干した道林は、含み笑いとともに彼女に尋ねる。「へえ。なんか進展あったんすか」
「ううん。全然」
「じれったいっすねー」
「まあ、……気長に、待つよ」
「待ってばっかだったらおばーちゃんになっちゃいますよ」
「それまでには結論が出ると思う」
「へ。あーそうなんすか?」意外そうに道林は言う。

 彼女は決めていたのだ。


 伯母に、蒔田のことを相談してみよう、と。


 * * *

 地のいろがターコイズブルーでハイビスカスの絵柄。

 なかなかにショッキングなデザインのスーツだ。

 ボトムスはふくらはぎにかかる丈のタイトスカート。靴は白のハイヒール。スーツは初めて見るものだがヒールの靴はお気に入りみたいだ。

 よく履いている。

 長い髪とパーマのかかり具合も相変わらずだ。

 派手な政治家みたい。

 それか占い師みたい。

 と会うたび彼女は思う。

「ひさしぶりやねえ、紘花ちゃん」

「春江伯母さん、こんにちは」と伯母である春江・ケーシーに頭を下げる。父が彼らの郷里である長野県の里澄(さとすみ)駅まで迎えに来ており、その車に伯母が同乗していた。

 途中、スーパーで買い物をする。

 米国暮らしの長い伯母は和食が恋しいらしく、ザ! 和食! というような料理を毎回榎原家で作る。因みに。

 彼女の父・榎原俊之が現在住まう家は彼らの生家だ。

 伯母にとって帰省とは実家に帰ることでもある。

 * * *

「さあさ。たっくさん食べてくださいよ」

 それから三時間後。

 テーブルに乗り切らないくらいの豪勢な料理を作り、伯母は手を叩いて笑った。

「伯母さん、こんなに食べられないよお……」

「余ったら明日食べればいいじゃないか」と父が娘を席に促す。「……じゃあ、みんなでいただきますしようか。伯母さんもほら、はやく座って座って」

 父の『いただきますしようか』。決まって、子どものころ言ってくれた挨拶だ。

 なんだか、懐かしい。

「じゃあ」


 いただきます。


 三人揃って手を合わせる。互いに、目を合わせて、微笑みあった。

「美味っし……」一口含んで彼女は呻く。「伯母さんの料理、相変わらず美味しい……」
「料理は本当に得意なんだよね」
「なんですかその、料理以外は不得意とでも言いたげな言い方は」
「いえ、いえ、なんでもありません……」父は縮こまっておかずに箸をつける。榎原家は、料理が得意な人間が誰もいないので、伯母が帰省するたびにその料理の腕前の恩恵にあやかっている。

 母親の居ない彼らにとっては、おふくろの味のようなものでもあった。

「伯母さん……、エリカさんとかみんな元気ですか」

「ええ、みんな変わりませんよ……俊(とし)ちゃん、すこし飲みますか」
「ああ、ありがとう」
「紘花ちゃんも」
「わたしは、日本酒は……」彼女は首を振った。お酒に関しては、あまりいい思い出が無い。あらそう、と伯母は手酌をし、酒をあおった。この筑前煮なんか、日本酒とすごく合いそうだ。

 味のしみこんだごぼうが美味しい。

 一人暮らしをしていて、ごぼうなんか滅多に買う気になれない。

 手間をかけることが、美味しい料理への近道なのだ。急がば回れ。

「手間暇かけないと、美味しいものなんかできないんですね……」しみじみと彼女は言う。すると伯母が、

「紘花ちゃんも、年頃の娘なんですから、料理くらいできないと、困りませんか」

「えーっとそんな不自由することないです。里澄(こっち)と違って、コンビニとか沢山ありますから……」

「そういえば報告があるんだよね、紘花」父に水を向けられ、彼女は首を傾げる。


「蒔田くんのこと」


 あ。

 しまった、と彼女はそのとき思った。なぜだか分からないが『しまった』と。

「なになに、なんのことですか」目ざとく伯母が異性の匂いを嗅ぎつける。

 うわさ話が大好きなのだ、この伯母は。

「その伯母さんには、あとで話すから。ここではいい」

「うん、そうか? なら分かった」と父は引き下がる。

「紘花ちゃん。伯母さん気になるからあとでちゃあんと聞かせてくださいね」

「はぁい」

「そうそう父さんから報告があるんだ。昨日付けで、係長になった」

「わあ! おめでとう」

「あらあらめでたいですねえ、昇進ということでしょう? お祝いせんと……だいたいそういうことはもっと早く言ってくれないと」

「いま報告しているじゃないか。紘花が揃ってからにしようと思ったんだよ」

「まあったく。わたしが来たのは昨日ですよ。それを、大事な知らせを一日も黙っておったなんて、大変、水臭いですよ」

「まあまあ。伯母さん、飲んでください」

「あらあ? 悪いわねえ」

「いえいえ」

 ここから伯母と父の徒然とした会話が続くのだ。

『俊ちゃんは水臭い』『そんなことない』の応酬が。

 笑いを噛み殺したような、こそばゆいような気持ちで彼女は、二人のことを、見守った。


 * * *


 それを話し終えたとき、なぜだか伯母は渋い顔をした。


 幸せな恋の話なのに、まるで悪い知らせでも聞き終えたような。


「あのなあ、紘花ちゃん」と伯母は切り出した。



「その蒔田さんというかたは、一度、紘花ちゃんを断ったんでしょう? それを。俊ちゃんが上京するからて、恋人の振りをしてもらったということでしょう。俊ちゃんを安心させたいがために……」

「ええ、はい」伯母の言うことに間違いはない。

 ふーう、と深く肺の奥から出すようなため息を伯母はこぼし、


「あんた、すごく、身勝手やと思いませんか?」


 頭を鈍器で殴られたような感覚だった。

「え」すぐに二の句が継げない。


「なぜかと言うと、俊ちゃん騙してまで蒔田さんというひとに演技させたわけでしょう? その気もないのに。一度断られておるのに。会社の子に恋愛する気ないってはっきり言われておるのに」

「ええと、その……」

「しかもそのひとに、変な男に付け回されたのを解決されたて。なにもかもそのひとに頼りっぱなしやないの」

 そのとおりです。

 そのとおり過ぎて、彼女は、なにも言えなくなってしまった。

 次の一言が、決定的だった。


「それじゃあ迷惑しておっても言えん状況やないですの」


「……え」思考が、どこか遠くへ消え飛んでいく。言葉をその通りに受け止める機械と化す。


 蒔田が、迷惑している……?

 こんなあたしに振り回されて。


「好きになれる相手を見つけるのは大事ですよ、ええ、わたしも恋愛結婚しておりますから。……俊ちゃんのように、おんなのひとと巡り合えんひともおるわけですから」父は。

 疲れているらしく、いつもどおり早く寝ている。

「でもですね」と伯母は茶を一口飲む。「好き好き好きて想いをぶつけるだけが女のすることやないのですよ。あんった、……自分のしでかしたことがどれだけそのひとに負担をかけとんのか迷惑をかけとんのか考えたことあるん?」


 ないです。


 情けないことに、それが彼女の答えだった。

 蒔田の立場になって考えること。

 そんなこと、一度もなかった。

 先日、友人と、十代の一方的な片想いといまの恋の違いを語り合ったはずなのに、あれがすごく昔の出来事に感じられる。

 テーブルに置いた手が随分重たかった。これは、現実なのか?

 これが現実。

 言葉を失った彼女に、伯母は畳み掛ける。

「ないんやったら、それは、本当に相手のことを『好き』なんかと違います。自分の気持ちに酔っておるだけです」

 伯母は正しい。

 正しすぎて、彼女は、思考を放棄したくなった。


 現実から、逃げ出したくなった。


 *
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