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act43. 複雑な恋情
しおりを挟む『彼が目覚める前に、耳をふうっとしてみるといいよ。きっと、見たこともないものが拝めるはずさ』
まだ、男性にしてはやや高めの声が耳に残っている。
顔は見たことがないのに、何故かハンサムであることが想像される。女の扱いに慣れている。数分話しただけで彼女にはそれが分かった。
桜井(さくらい)和貴(かずき)と言ったか。彼女は脳内で見知らぬ彼の名前を復唱する。どんなひとだろう。あの蒔田と友達になれる人物。朝の七時に電話をしてくるあたり、かなり親しい間柄に違いない。
彼は、紘花の挨拶を受けてこうも言った。
『こちらこそ、よろしくね。きみがマキの結婚相手なら、長いつき合いになると思う』
『結婚』なんて単語を出されてどぎまぎしてしまった。だからというわけではないが。
彼女は、会ったこともない男の提案に乗ってみることにした。
おそらく彼は――蒔田がときどき電話をしている相手。初めて蒔田の電話を立ち聞きしたときに彼の名が出てきたのを記憶している。同じ名前の人間が蒔田の周囲に二人といない限りは。
あまり体重をかけぬようにし、ベッドに乗り。いまだ眠る蒔田の耳に口を近づける。そして――
* * *
「二度とするな、こんなこと」
「はぁい……」縮こまった彼女は殊勝に返す。だが、
(一年に一回程度に留めておこう……)
あまり反省をする気になれない。
声を裏返して、大声で叫んで飛び跳ねて起きる蒔田など、そうそう見れないのだから。
あひんだかあはんだか形容しがたい絶叫で起きたのを恥じてか、蒔田は怒っている。
その彼はいま、携帯電話を手に取り、「和貴がなんの用だ」と彼女に訊いてくる。
相手を呼び出している最中なのに。
彼女は、別に、と口パクで答える。蒔田がベッドから立ち上がり、窓辺に行く。彼女に背中を向けるかたちだ。
そして話しだす。「おはよう。おかげさまで心地よい目覚めを味わえた。感謝する。
……というのは冗談だ。
とんでもない入れ知恵をしてくれたもんだな。
礼は、いつかきっと倍にして返す。で。なんの用だ。
ああ? ……用もないのに電話をしてくるな。迷惑極まりない。
いや。違う。おれはSだ。どう考えてもSだ。違う。全力で否定する。馬鹿が。朝からなんの話だ。
タスク? いや、会っていない。変な女? そうか。あいつもヤキが回ってんな。まあ、いいんじゃないか。すこしは女に振り回されるくらいが。
嫁さんは元気か。うん。なら良かった。
ああ? だから違う。変な期待をするな。めでたいことはめでたいのかもしれんが、しつこいな。切るぞ」
最後にそう言い捨てて本当に切った。
相当親しい間柄の相手のようだ。
蒔田が、こちらにからだを向けて、彼女を見た。
「高校時代からの、友人だ」
「なんだったんですか」
「おめでとうだかなんだかよく分からんことを言っていた」迷惑そうな表情を作って蒔田が言う。だが彼女の目には、その表情が照れ隠しのように思えた。
彼女は、微笑んだ。「蒔田さん。彼女作ったりするのすごく久しぶりだったりします?」
「まともに作ったのなら中学以来だ」
「ちゅ……!?」信じられない。蒔田ほどの美男子が。と思い至ったところで、彼女は思い直した。
『まとも』な彼女以外なら居たのかもしれない……。
気になる蒔田の恋愛遍歴。彼女は嫉妬するのがいやで、聞いていない。いまの蒔田を愛すればいいのだから、聞く必要も感じていない。気にならないといえば、嘘になるが。
『いいか、真咲(まさき)。幸せになれよ。おまえの花嫁姿を、心待ちにしている』
最愛の相手が結婚してしまった過去。
あれから二年も経っていない。
榎原とて、彼氏に振られた直後に蒔田に告白した。ひとのこころは案外移り変わりやすいものだ。その変化についていけるかが人生の困難でもあるのだが。
「蒔田さん。あの――」彼女は正直に明かした。「あたし。気にならないと思ったら嘘になります。
あたし以外に本気で好きになった相手、いますよね。
その相手への思いは、整理がつきましたか」
蒔田の顔色を見て、いまのは失言だったと彼女は直感した。
「整理がついたから、いまきみと一緒にいる」
裏切られた気持ちになったのかもしれない。と、彼女は、蒔田の思いを察した。
「ごめんなさい。変なこと聞きました……」
「紘花。おれは……」歩み寄った蒔田が、ベッドに膝をつき、彼女の顔を覗きこむ。「さっきも言ったとおり、まともに女性とつきあったのが中学以来だ。思えば、中学のときも、相手を不安にさせて振られたようだ。言葉足らずなところがあるかもしれん。疑問に思ったことはなんでも言ってくれて、いいんだ」
蒔田の声色は優しい。嘘がない。しかし――
過去の恋愛についての質問は控えよう、と彼女は思った。
蒔田にあんな悲しい顔をさせるくらいなら。
過去への執着はとどのつまり現在に対する疑いだ。過去への疑問は現在、彼女を愛してくれている蒔田の想いを疑うことにほかならないのだ。そのことを、彼女は理解した。
自分だって、啓太のことを忘れていないか聞かれたら、嬉しくはない。啓太との恋愛は過去のもの。ただし、土足で誰かに踏みにじられたいなどとは、思わない。蒔田に聞かれたとしたら答えるだろうが。とはいえ。
清らかな過去の恋愛への想いを、汚したいなどとは思わない。
未来への決意を秘めて、彼女は顔をあげた。ここで暗い顔をしたところで、蒔田に要らぬ負担をかけるだけ。自己処理すべき問題なのだ。ゆえに、
「おなか空きましたね蒔田さん。朝ごはん、なんにします」
明るく、笑いかけたのだった。
*
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