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act53. はじめてのGW・彼との初観戦・そして……
しおりを挟む天候は良好。暑すぎず寒すぎずからりとした空気が素肌に気持ちいい。
大型連休にふさわしい陽気に恵まれた。友人にも恵まれたと彼女は思う。
今日も友人はミニスカートで惜しげも無く素足を晒す。同性なのに自然と目が行ってしまう。伸びやかな手足。残念ながら友人である竹田薫に彼氏はいない。もっぱら蒔田樹がこころの恋人といったところ。
残念だなあ、と彼女は思う。だが――
観戦する友人の姿を見るたび、彼女のその考えは、一変する。
「なーに言ってんだよクソレフリ―! 向こうのファウルじゃねえかよ馬鹿が、ちきしょー!」
……などと絶叫するのだから、いたたまれない。しかし隣を見ると、
蒔田一臣も、多分内心では竹田薫に同意している。
罵詈雑言を吐き続ける女性は珍しくないらしく、取り立てて竹田薫が周囲の視線を集めるといったことも見られない。――どころか、周囲はブーイングの嵐。似たようなやじがあちらこちらから飛ぶ。なんというか、独特の熱狂的な空気。カルト宗教団体のほうが冷静かもしれない。ここで、「みなさんレフリーも人間なんですよ。穏やかに落ち着いて観戦しましょうよ」なんて言ったら、下手をすれば石でも投げられちゃうかもと、彼女は思ったのだった。
後ろから相手のスライディングを受けていた蒔田樹が立ち上がると、たちまち辺りから「樹! 樹!」コールが沸き起こる。副審と話し合いの末、判断がひっくり返り、主審がスライディングをした選手にイエローカードを出す。拍手すらしている子どもがいたのには、びっくりした。なんというかいろいろとカルチャーショックだ。
「これ。フリーキック。直接いきますかね」
「行くだろうな。ニアと見せかけてファーか」
……さっきから、竹田薫と蒔田一臣の会話にもちっともついていけてないのだが。まあ、流すことにした。
座るとき、竹田薫の隣を蒔田に譲り、自分が通路側を座ったのは、蒔田には驚かれはしたが、正解だった。二人は遠慮なくサッカートークができる。
おおお、と辺りから応援が沸き起こり、えいっ! という掛け声とともにボールが跳ねる蒔田樹の蹴ったボールが、弧を描き、一旦地についたと思えば跳ね上がりゴールキーパーへの手の届かないところへ吸い込まれると思いきや。
バーを直撃する。「あああ!」と皆が一斉に頭を抱え込むのが彼女には可笑しかった。
(みんな、夢中なんだな)
自分のことのように。家族や仕事のことなど忘れて……。
それが前半45分の最大の山場だった。ハーフタイム中にトイレなんか行くと超混むと友人から聞いていたので彼女は早めにトイレに行き、帰りにみんなの飲み物を買い足したのだった。
* * *
「……予想通りミラーゲームを仕掛けてきたな」
「それが横浜の戦略なんですよ。前半。物足りない感じもしますけど、これも戦略ですよね」
「だな。後半が、楽しみだ。おそらく、4-4-2に変えてくる。開始早々カードも切ってくるだろうな。アップしてる選手のなかに、柏木がいないだろ」
「あっほんとだ。でも、前半を0-0で抑えられたのは、収穫ですよね」
「うん。一見すると群馬がボールを支配しているように見えるが持たされている、という見方もできる」
「最強の矛と最強の盾の対決、ですよね。あああ、後半も楽しみだ……」
「お待たせ」会話が一段落したようだったので、彼女は飲み物を手渡した。「二人とも、トイレ行かなくても大丈夫?」
「おれ、あんまり飲んでないから」
「あたしも。てか、トイレで流れ途切れさせたくないし」
と言いながらも二人とも飲み物を彼女に頼んだわけで。ともあれ、熱狂的なサポーターともなると、ハーフタイムの時間の使い方も大事なようだ。あれこれ、試合の寸評をしたりと……。
「気持ちいいですよね、ほんと……」頬に心地よい風を感じながら彼女は言ってみる。眼下には、緑の芝のピッチで懸命に練習する若者の姿……。
忘れかけた青春の日々を、彼女に思い起こさせた。
(こんなふうに、スポーツ見て頑張って! って応援するの……いつ以来だろう)
下手すれば中学時代の野球の応援までさかのぼる。彼女は、過ぎ去った年月の重みを感じた。それからこれから彼と重ねていきたい、大切な日々のことも。
ぽん、と彼女の頭の後ろに手が添えられた。竹田薫とばかり話しているように見えて、彼女のほうにも意識がちゃんと残っているらしい。
耳元に口を寄せ、
「帰ったらたくさんしような」
なっ、と彼女は顔を赤くして素早く横を向くものの彼は既に竹田薫との会話に身を投じていた。
* * *
彼女には、よく、サッカーのことは、分からない。ワールドカップで日本代表の試合を見る程度。いわゆるにわかだ。以外では、観たりもしない。
試合が横浜の1-0で決着がついてもおそらく横浜が負けたとしても語り足りないのであろう。彼女たち三人以外にも、ファミレスにはユニフォーム姿のまま、試合のことをああだこうだと熱心に語り合う若者たちの姿が見られた。
「やはり、柏木の投入がキーだったわけだな」
「ですね。ボールタッチ数全然増えましたもんね。面白いようにボールが動きました。前半は群馬、後半が横浜って感じの試合でした」
「しかしあの前半は意図的なものだろう」
「監督インタビューとか楽しみですね。あ。更新されてます。見ます?」
「見る。へええ……」
二人ともパスタに手をつけていない。
のびたら、まずくなりそうなものなのに……。
なお、彼女は、海老ドリアを注文した。これは冷めても時間を置いても美味しく食べられる。
「あ! 樹! フリーキック前の声援が力になったって。嬉しいなあ……」
「前半最大の決定機を逃したから、意地もあったんだろうな」
「ほんっと夢みたいです。樹さんの弟さんとお話ができるなんて」
「ニュース聞いてても、兄弟ながらもどこか他人ごとみたいだ。しかし必ずチェックしちまうのが、弟のサガってやつなんだろうな」
「監督。やっぱ言ってますね。前半のあの内容に満足はしていないが選手たちに声をかけたって。下がりすぎるな、って」
「後半の出来栄えを考えれば、納得だ。ウノゼロというスコアも、美しいな」
「勝負弱い横浜がここまで来れるなんて、痺れますね。いっつも、この時期は中位争いに甘んじてたじゃないですか。……毎試合後半いけいけになるから、相応のカタルシスは得られるんだけど、でも勝負弱くって、最後はやっぱり中位で。シーズンオフにはいつも最高の試合だけを酒のさかなにして盛り上がるだけで、降格もせず優勝もせず。終盤はスリリングな展開がまったく無いってのが寂しいっつうか。でも絶対一試合は神がかった試合をしてくれるから、それを支えに来季も応援しようってなって踏ん張れる、けど……」
「それはクラブのみんなが一番よく分かってるだろうから……選手たちも歯がゆいだろうな」
「あー今年こそはJ1昇格して欲しいっす! 代表のユニ着た樹が見たいー」
「樹さんて、すごく上手いんだね」彼女は、頬の高いところが日に焼けた竹田薫の顔を見ながら、話に加わってみた。
「うん。なんで代表呼ばれないのかってくらい」
「代表には、林がいるからな。ポジションがかぶる」
「林結構年でしょ。だからその後釜にって思うんですけど」
「樹も結構年だぞ」
「それ言っちゃいけないです」薫が、唇を尖らせる。「応援する側には、年齢なんて、関係ないんですから」
恋にも、年齢は、関係ない。
という、至極当たり前のことを、薫の台詞が、彷彿させる。
彼女は、笑って薫に訊いてみた。「薫は生涯ずっと蒔田樹の応援するつもり?」
「うん。絶対」
「だめ。絶対。薫は薫の人生があるんだよ? 誰かほかにいいひと、見つけたりとか」
「しない。あたし、樹で十分」
「ちなみに、ここには蒔田樹さんにそっくりな弟さんがいるんだけど、ぶっちゃけ、話しててくらくらしたり――」
「しない。あたしには、樹だけ」ここでようやく、薫が、パスタを食べ始める。
不憫だな。
と言いたげな視線を蒔田がよこすが、
(夢中になれるものがあるんだから、いいじゃない)
彼女は、首を振ったのだった。
* * *
女としての幸せを望むことも大切だけど。
世の中には。本当に夢中なものを見つけられないまま生涯を閉じる人間も居る。自分には。
蒔田一臣がいて、よかった。
こころの底から、そう思えたのだった。
彼女は、黙って彼の手を握る。
「紘花」
「うん」彼女は彼を見あげる。観戦中はあんなに明るかった世界が。日がとっぷりと暮れ、お月様が顔を出している。
「おれ、話に夢中で、悪かったな。おまえをほったらかしで……」
「いいの。そんな蒔田さんも、あたし、見たかったの。あたし――
ほかのことで、我を忘れちゃう蒔田さんも、好きなの……」
暗がりのなか。暗い空が――
彼の顔に隠される。
唇を塞がれた、と気づいたのは、そのあとだった。彼は、黙って歩き出す。
彼女も、ついていく。行き先は彼の住むマンション。帰ったらまた――
乱されるに、違いない。彼のあくなき欲求は彼女へとまっしぐらに向かい彼女のことを、満たしていく。
しびれる脳裏のなかで、常に彼を思い描く。手を伸ばせば力強く握りしめてくれる。
「蒔田さん。あたし」彼女は、立ち止まった。
そして彼を再び見あげた。
「強く、抱いて」
返事を、彼の腕のなかで聞いた。めくるめく愛のうず。
彼女の本能と正体をおびやかす、キス。
指先で顎を撫でられ、彼女は彼に抱きついた。
もっと、欲しい。気がつけばそこら辺の塀に押しつけられ。
縦横無尽な彼を受け入れる。心臓は高鳴りさらなる展開を、待ち望む。
は、と彼が苦しげな息を吐く。「おれ――
いますぐここでおまえを犯したい」
に、と彼女は笑い、手を繋いだまま
走りだす。
「欲しいんなら捕まえてみてよ! あたしのこと!」
「言ったな」走りだす彼女の影。追いかける彼の動き。
マンションのエントランスに着いて、スペアキーを慌てて差し込む。扉が閉まり、出遅れた彼は、恨めしそうに、ガラス越しに彼女を見ている。
ふふっ、と笑って彼女は彼の部屋へとまっしぐら。
鍵をあけるのは簡単。問題はどうやって彼を待ち望むかだ。
(隠れてみようか)
思い切って、着ているものを脱ぎ捨ててみた。わざと脱ぎ散らかして……お風呂場へ続くように。
電気を消す。そして――
「紘花。着いたぞ」
彼がわざと遅れたのは、分かっている。彼なら本気でもっと飛ばせたはず。それは、彼の兄の姿をピッチで見たから、分かっている。
脳裏の裏に躍動するあの姿が焼きついている。
興奮の、余波が残っているのか……
めちゃめちゃに抱かれたい。
もどかしさゆえ、暗闇の中で彼女は自分を抱きしめる。
(はやく来て。ここに……)
「紘花。紘花……」
すこしずつ、彼の足音が迫ってくる。
名を呼ばれることの幸せ。
「見つけた……
もう、逃さない」
抱きしめられることへの幸せ。
生きていることの意味。
それらを実感しながら、彼女は彼の、本能的な叫びを、口のなかに受け入れたのだった。
*
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