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07 彼の一族の伝統
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その様子を少し離れたデッキチェアに座っていたメアリーが見守っている。
「『話はつけたわ。帰っておいで』女性たちは口々にそう叫んだ。船の手すりに掴まってなんとか立ちあがった彼女は、女性たちを目にしてホッとしたようだった」
助かるのね、よかった……聞いてる二人もホッとしている。
「そして彼女はジイさんを振り返って、また少しだけ微笑んだ。それからそのまま、静かに海へと落ちていった」
ああ、かえっちゃったんだわ、とノーラから残念そうなつぶやきが漏れた。
「デッキの方では『人が海に落ちた』と大騒ぎになった。お祝いの宴は中断され、すぐに大捜索がはじまった。けれど、彼女も含め女性たちの姿を見つけることは誰にもできなかった」
だって人魚だもの、人間が追いつくわけないのよ、とニーナが、ガッカリしているノーラを慰める。
「何日も続いた捜索が打ち切られそうになったとき、ジイさんは、必死でそれをとめようとした。でも叶わなかった。それでも諦められなかったジイさんはひとりになっても彼女を探し続けた。彼女はまだ生きていると信じて」
ひいひいおじいさま、けなげだわ、と、ニーナだけじゃなく、ノーラもうっとりとしている。
「じつはジイさん……彼女が海に沈んでいく瞬間に、あるものを見ていたんだ。船の灯りに照らされて虹色に輝くものを、一瞬だけ。それは、ひらひらと揺らめく魚の尾びれだった」
きゃーっ! と歓声が沸いた。
俺も昔、同じところで大騒ぎした覚えがある。
「もう百年近く昔の話だよ。生涯をかけて人魚を探し続けたひいひいジイさんは、『彼女のためにこの海を守ってくれ』と言い残して亡くなったんだ」
二人は手を取り合ってまだ叫んでる。どうやら興奮が冷めないらしい。遺言のくだりなんて聞いちゃいない。
「彼女たちはいまだに見つかってないけど、海の保護はもちろん、捜索もまだ続けられている。彼女本人には会えなくても、彼女の仲間になら会えるかもしれないからね」
「わたしも探すわ!」
「わたしもー!」
ニーナに続いてノーラまでが、瞳をきらきらと輝かせて手をあげる。
子ども用チェアに座っていたはずのふたりは、途中から俺の膝に乗りあがりそうなほど前のめりになって聴いていた。
この物語は、曾祖父に祖父、父は参加しなかったが、俺が加わって、何十年にも渡って語り継がれてきた。この分だと、まだ当分は語り継がれる運命にあるらしい。
「あらあら、よかったわね、キング。ずいぶん減ったと思っていた捜索隊に、ニューフェイスが加わったみたいで」
デッキチェアから立ちあがったメアリーが、大袈裟な笑みをたたえながら近づいてきた。
メアリーの嫌味な態度はいつものことだし、相手にするつもりもない。たとえ反論しても、小言が倍になって返ってくるのは目に見えているからな。
それにしても、途中で妨害してくるだろうと思ってたのに、メアリーが最後まで人魚の物語を邪魔して来なかったのは意外だった。
以前からメアリーは、ニーナが人魚の話に夢中になるたびに、『人魚なんて本当にいるかどうかわからないのよ』と必ずブレーキをかけてきたんだ。
娘たちがさらに人魚に興味をもつような事態は、きっと快く思わないだろうと思っていたんだが……。
「さあ、お嬢さんたち、ランチの準備を手伝って。人魚を探したいなら海に潜らないと。シュノーケリングはランチのあとよ」
「はーい!」と元気のいい返事を娘たちから引き出したメアリーは、二人を連れてキャビンへと向かう。
これもまた意外だ。メアリーが人魚を口実に娘たちを口説いてる。
たしかにいまの子どもを動かすには人魚は有効な切り口だが、もしかして宗旨替えでもしたんだろうか?
「まあ、たぶん見つからないけどねー。いまごろ見つかるくらいなら、ひいおじいさまたちがとっくに見つけてるもの」
やはり改宗の予定はないらしい。言ってることが、嫌になるくらい正論だ。
「大丈夫! わたしたちなら見つけられるわよ!」
「みつからなくたって、ぜったいいるんだから~!」
メアリーに反論するなんて……子どもたちは逞しいな。
『この海のどこかに、絶対いるわ!』
ふいに、姪たちの声に重ねて、幼い声が脳内で再生された。
ずっと昔に、誰かがそう言っていたのを聞いた気がする。誰だったかな。
どこか懐かしいその声に、本当にいるかもしれないなと、久しぶりに信じてみたくなった。
この海のどこかに……。
「『話はつけたわ。帰っておいで』女性たちは口々にそう叫んだ。船の手すりに掴まってなんとか立ちあがった彼女は、女性たちを目にしてホッとしたようだった」
助かるのね、よかった……聞いてる二人もホッとしている。
「そして彼女はジイさんを振り返って、また少しだけ微笑んだ。それからそのまま、静かに海へと落ちていった」
ああ、かえっちゃったんだわ、とノーラから残念そうなつぶやきが漏れた。
「デッキの方では『人が海に落ちた』と大騒ぎになった。お祝いの宴は中断され、すぐに大捜索がはじまった。けれど、彼女も含め女性たちの姿を見つけることは誰にもできなかった」
だって人魚だもの、人間が追いつくわけないのよ、とニーナが、ガッカリしているノーラを慰める。
「何日も続いた捜索が打ち切られそうになったとき、ジイさんは、必死でそれをとめようとした。でも叶わなかった。それでも諦められなかったジイさんはひとりになっても彼女を探し続けた。彼女はまだ生きていると信じて」
ひいひいおじいさま、けなげだわ、と、ニーナだけじゃなく、ノーラもうっとりとしている。
「じつはジイさん……彼女が海に沈んでいく瞬間に、あるものを見ていたんだ。船の灯りに照らされて虹色に輝くものを、一瞬だけ。それは、ひらひらと揺らめく魚の尾びれだった」
きゃーっ! と歓声が沸いた。
俺も昔、同じところで大騒ぎした覚えがある。
「もう百年近く昔の話だよ。生涯をかけて人魚を探し続けたひいひいジイさんは、『彼女のためにこの海を守ってくれ』と言い残して亡くなったんだ」
二人は手を取り合ってまだ叫んでる。どうやら興奮が冷めないらしい。遺言のくだりなんて聞いちゃいない。
「彼女たちはいまだに見つかってないけど、海の保護はもちろん、捜索もまだ続けられている。彼女本人には会えなくても、彼女の仲間になら会えるかもしれないからね」
「わたしも探すわ!」
「わたしもー!」
ニーナに続いてノーラまでが、瞳をきらきらと輝かせて手をあげる。
子ども用チェアに座っていたはずのふたりは、途中から俺の膝に乗りあがりそうなほど前のめりになって聴いていた。
この物語は、曾祖父に祖父、父は参加しなかったが、俺が加わって、何十年にも渡って語り継がれてきた。この分だと、まだ当分は語り継がれる運命にあるらしい。
「あらあら、よかったわね、キング。ずいぶん減ったと思っていた捜索隊に、ニューフェイスが加わったみたいで」
デッキチェアから立ちあがったメアリーが、大袈裟な笑みをたたえながら近づいてきた。
メアリーの嫌味な態度はいつものことだし、相手にするつもりもない。たとえ反論しても、小言が倍になって返ってくるのは目に見えているからな。
それにしても、途中で妨害してくるだろうと思ってたのに、メアリーが最後まで人魚の物語を邪魔して来なかったのは意外だった。
以前からメアリーは、ニーナが人魚の話に夢中になるたびに、『人魚なんて本当にいるかどうかわからないのよ』と必ずブレーキをかけてきたんだ。
娘たちがさらに人魚に興味をもつような事態は、きっと快く思わないだろうと思っていたんだが……。
「さあ、お嬢さんたち、ランチの準備を手伝って。人魚を探したいなら海に潜らないと。シュノーケリングはランチのあとよ」
「はーい!」と元気のいい返事を娘たちから引き出したメアリーは、二人を連れてキャビンへと向かう。
これもまた意外だ。メアリーが人魚を口実に娘たちを口説いてる。
たしかにいまの子どもを動かすには人魚は有効な切り口だが、もしかして宗旨替えでもしたんだろうか?
「まあ、たぶん見つからないけどねー。いまごろ見つかるくらいなら、ひいおじいさまたちがとっくに見つけてるもの」
やはり改宗の予定はないらしい。言ってることが、嫌になるくらい正論だ。
「大丈夫! わたしたちなら見つけられるわよ!」
「みつからなくたって、ぜったいいるんだから~!」
メアリーに反論するなんて……子どもたちは逞しいな。
『この海のどこかに、絶対いるわ!』
ふいに、姪たちの声に重ねて、幼い声が脳内で再生された。
ずっと昔に、誰かがそう言っていたのを聞いた気がする。誰だったかな。
どこか懐かしいその声に、本当にいるかもしれないなと、久しぶりに信じてみたくなった。
この海のどこかに……。
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