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第四章 地獄めぐり

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 程なく、温泉街近くに辿り着いた。

 ルリはメインの通りからは少し外れた駐車場に車をとめる。角に小さく『おもちゃミュージアム』の名札が貼ってあるので、契約している駐車場だろう。
 車から出るとルリは時々こちらを気にしながら、ゆっくりと私の先を歩いていく。

 私はその背を追いながらも、どこかレトロな街並みに見入ってしまい、ついつい足が止まりそうになる。
 ショーケースに長崎名物『ちゃんぽん』『皿うどん』や『トルコライス』の食品サンプルが並ぶ食堂の前を通り、雲仙みやげ『湯せんぺい』と大きく筆文字で書かれた看板を眺め、昨日も歩いた湯煙漂うメインの通りへ。
 私は早速バッグからスマートフォンを取り出すと、まずは通りを何枚か撮影する。
 ルリは一歩先でこちらを振り返り待っていてくれた。私が駆け寄ろうとすると、
「転ばないように」
 と、また子供扱い。人間とは違って、きっと長生きなんだろうし……ルリからしたら、私はまだ幼児くらいに見えるのかも。

「気をつけますね」
 そう返すと、ルリは一つ頷いてから道を渡り、神社の前を通過した先の脇道を手で示す。
「ここから『地獄』に入っていこう」
「はい」

 言葉だけ聞くと物騒だなあと思いながら、私は足を動かす。

 今朝、調べた感じだと『地獄』には遊歩道が整備されていて、小一時間くらいでゆっくりと大小30余りの地獄を巡ることができるそう。
 
 進むごとに、ゆらり白い湯煙が目の前を過ぎ、独特の匂いが辺りを包む。
「これが地獄の匂い」
 雲仙の温泉は『硫黄泉いおうせん』。思った以上に濃い硫黄の匂いがする。
 実際には硫黄は無臭で、これは『硫化水素りゅうかすいそ』の匂いなんだそうだけど、『温泉街に漂う硫化水素の匂い』と言われたら、ちょっと風情がないし物騒な感じがする。

 きょろきょろと辺りを見回しながら遊歩道を進んで行くと、視界が開けた。

「わ……」
 事前に写真は見ていたのに。それでも実際に目の前にその風景が広がると、思わず声が出た。

 荒涼とした、泥と岩と砂利の広がる風景。所々ふつふつと濁った湯が沸き、勢いよく白い湯煙が立ち上っている。
 風向きによっては、湯煙に包まれ、視界が白く埋め尽くされるくらい。
 シュウシュウと噴気が上がる音が耳に届く。

 その風景の向こうにさっきまで歩いてきたメインの通りがあり、他の観光客が連れ立って行く姿が見えた。それを見ると、ほんの少しだけ人の世からズレて、非日常のどこかに迷い込んだような心細い気持ちになる。

 その時、ふと指先に温もりが触れて顔を上げると、近くにルリが立っていた。
 いつもの眉間の皺はそのまま。しかも無表情なのに、なんとなく心配してくれているのがわかる。

「怖いなら手を」

 そんな子供みたいなと首を振るつもりだった。だけど、何故だか私はその手をとっていた。
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