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永田写真館
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「おはー。おっひさー」
「あっ、真美ちゃんじゃん。おはよーん」
「おはよう。元気だった?」
「まぁまぁかな」
のろりと教室に入ってきた少女に、隼人と翔があいさつを返す。
翔の隣の席に乱雑に鞄を置き、どっかりと座った少女はまだ講習も始まっていないのに大きなため息を吐いた。
彼女の名前が神奈川真美。
隼人、翔と仲が良く、女友達よりも2人と一緒にいることの方が多い少女である。
ばっちりと決めた化粧に肩口で切り揃えたウェーブのかかった髪は茶色に染められ、伸ばし気味の前髪を可愛らしいヘアゴムで1本に結んでいる。
いわゆるクジラ縛りである。
小さい子供がよくやっている髪型だが童顔の真美にはとても似合っており、おでこを出している分見ている方も心なしか涼しく感じる。
第二ボタンまで開けたワイシャツに短いスカート、覗く肌にはネックレスやブレスレットなど多数のアクセサリーが光っていた。
「旅行の後の勉強ほど身が入らないもんはないね」
ネイルでデコレーションされた指先が気だるげに髪を弄る。
いわゆる白ギャルと呼ばれる類の真美が真面目に夏期講習を受けているのを不思議に思う人間もいるかもしれないが、隼人や翔を含め同じ学年の生徒はそんなことは考えもしない。
本人は恥ずかしがって否定するが、真美は元来真面目な性格だった。
中学生までは見た目も模範的な生徒で、黒髪おさげに眼鏡、制服も校則を守った着こなしをしていた。
そんな彼女が高校デビューでギャルに転身した時は真美がグレたと2人で大騒ぎしたものだ。
どうしてこのような格好をするようになったのかは未だ頑なに教えてはくれないが、見た目のように性格が簡単に変えられるはずもなく真面目なギャルとして高校生活を謳歌していた。
隼人も翔も見た目こそ変われど彼女との接し方が変わることはなく、今日まで友情を育んでいる。
「どこ行ってたんだっけ?」
「お母さんの実家。去年おじいちゃんが死んじゃってからおばあちゃんに認知症が進んじゃってさ。施設に面会に行ったの。案の定、私たちのこと誰もわかんなかったわ」
「真美ちゃんの場合、見た目の問題もあるんじゃね?」
「ばっか、んなわけないじゃん。私がこの格好し始めてもう3年だよ?」
「でもほら、認知症の人って昔のことの方が鮮明に覚えてたりするじゃん。なぁ?」
「僕の祖父母はボケる前に亡くなったから。父さんの方は会った記憶すらない」
「……ごめんなさい」
「真顔で謝るな。ほとんど覚えてない相手に何か思えるほど僕は大人じゃないから」
「論点がズレててウケる。あー、やっぱりあんたたちと居ると楽でいいわー」
伸びをしながら真美がへらりと笑う。
その際に白いシャツからブラジャーがうっすらと透けて見え、隼人は然り気無く視線を反らしたが、その際にがっつり凝視している翔が目に入り脛を蹴ってやった。
痛がる翔に不思議そうな真美を横目にそ知らぬ顔を決め込む。
「おーい、席に着け。講習始めるぞ」
担当の教師が教室に入ってきたので、そそくさと準備をしていれば、恨みがましい視線が刺さる。
そんな視線も華麗に無視し、隼人は小さな笑みをこぼした。
昼休みになり、3人で机を囲んで昼御飯を食べる。
翔はコンビニのパン、真美は母親お手製の弁当で、隼人はタッパーに詰めた肉じゃがと白米だった。
練習をすること数回、ようやく見た目もまぁまぁな肉じゃがを作れるようになった。
「それでおばあちゃんの面会のついでに専門学校の見学も行ってきたんだ。いい感じだったし、このまま受験しようかなって」
「動物看護師だっけ?」
「そう。私の夢はちょび助のおかげ」
真美はちょび助という黒猫を飼っている。
口元だけが白くちょび髭が生えているように見えるのでそう命名したらしい。
そもそも最初に子猫だったちょび助を拾ったのは隼人だった。
中学1年生の春、団地の駐車場に隠すように置かれていた段ボールの中に捨てられていたのを偶然見つけたのだ。
団地はペット禁止のため自宅では飼うことができず、どうしたものかと悩んでいたときに翔が真美に声をかけてくれた。
翔と真美は母親同士が仲が良く幼いときからの知り合いで、猫を飼いたがっていたのを知っていたという。
その後、無事に神奈川家の一員になったちょび助は毎日のんびり過ごしているらしかった。
「ちょび助ね、2年くらい前から腎臓が悪くて定期的に動物病院に通院してるんだけど、そこの看護師さんが凄く良くしてくれて。私もあんな風になりたいなーってさ」
「真美ちゃん、動物好きだもんな。似合ってる」
「そうかな?」
照れたように真美が笑う。
「尾崎と村瀬は進路に変化なし?」
「なんも決まってないのは変わんねぇわ」
「僕もこのまま市内の大学受けるつもり」
「このままみんな進路はバラバラかなー。村瀬は着実に準備始めてるしね。料理なんて始めちゃってさ。家出る気満々じゃん」
「でも何で肉じゃが? もっと簡単なのあんじゃん」
「それがーー」
隼人はここ数日の出来事を2人に話した。
糸電話を作ったこと。
葵のこと。
毎日1時間会話をしていること。
肉じゃがを練習した理由まで全て話した。
「そしてこれが、その糸電話です」
机に使い慣れた糸電話を置き、話を終了する。
自分の秘密を暴露したときのような気恥ずかしさが押し寄せる。
チラリと翔と真美の顔を見れば、2人ともポカンと口を開け隼人を凝視していた。
「キモッ」
数秒後、沈黙を破ったのは真美だった。
「キモッ! 中学生相手に夜な夜ななにやってんの!?」
「なっ、誤解を招くような言い方するな! それにこれは同意の上でーー」
「同意とかそう言う問題じゃないって、いかがわしい。なにがその糸電話ですだよ。持ち歩くなよ。キモいっつーの」
「いや、これは証拠として2人に見せようと思って」
「証拠?」
「信じてもらえないかと」
「冗談の方がよかったわ!」
バシーンと机を叩いて真美がツッコむ。
それはもう全力のツッコミだった。
「翔はどう思う?」
「えっ? あぁ……」
隼人の話を聞いて固まっていた翔が我に返ったように声を漏らす。
「まぁ、いいんじゃね? 顔も知らない相手と話すなんて今時珍しくねーし。お互いが楽しいなら俺はいいと思うけど」
「相手が女子中学生だからって……」
「違う違う! 俺は同年代の女の子が好きだし」
「……誰もあんたの好みは訊いてない」
「じゃなくて! その橘、葵ちゃん? だって家に籠りきりで寂しかっただろうし、隼人と話せて喜んでんじゃね? 誰にも迷惑かけてないんだし、本人たちの好きにしたらいいじゃん」
「翔!」
「確かにそう言われると……」
翔の言葉に納得したのか、真美は腑に落ちない表情をしながらも大人しく引き下がった。
すんなりとまではいかないが、2人の反応にとりあえず安心する。
「それ貸して」
真美が左手を差し出す。
「それ?」
「それ!」
今度は指差し示すのは机の上の紙コップ。
「デコってあげる。ただの紙コップなんてつまんないじゃん。女子が好きそうな可愛いのにしてあげる」
先ほどまでの表情はどこへやら、真美がウィンクしながら親指を立てた。
姉御!
そんな言葉が飛び出しそうになるほどのときめきを感じる。
「お願いします」
「夏祭りでなんか奢ってよ」
そう言い、紙コップを受けとる。
そんなやり取りの横で神妙な顔付きで考え込む翔に2人は気がつかない。
「橘葵……」
その呟きも静かに消えた。
「それでね、孫の夏休みで娘夫婦が帰省してるんだけど、その時にお葬儀の話になって。自分のことでまだ早いし不謹慎じゃないなんて思ったんだけどね、今って終活とか流行ってるじゃない? 準備しておいても損はないんじゃないかなって思うようになっちゃって。ほら、子供に自分の葬儀のことで迷惑かけたくないし。だから手始めに遺影写真でも撮っておこうかなって思ったの。やっぱり綺麗に写ってる写真がいいものね」
遺影写真を撮りに来たという年配の女性と道子の会話を聞きながら、撮影機材の準備を進める。
今日はこの女性のほかに証明写真や家族写真など何組かのお客さんが来店していた。
接客をしたり準備をしたり、片付けに掃除と真面目に取り組みながら、館長の撮影した写真に満足して帰っていく人たちの背中を見送る。
仕事の途中、館内に飾っている写真を眺める。
やはり目につくのはアルバイトを始めるきっかけになった風景写真の数々だが、今日はそれらが目的ではない。
家族写真のみを集中して観察するが、お目当ての写真はなさそうだった。
「受験生なのにアルバイトなんてすごいね」
ある日の葵との会話を思い出す。
「館長の好意で手伝わせてもらってるだけですよ。むしろ空き時間でカメラの扱い方とか教えてもらったりしてるので、世話してもらってる感じです」
「それでもすごいよ。永田写真館か。私も行ったことあるよ」
「本当ですか?」
「うん、中学校の入学式の帰りにお父さんと記念写真を撮ったの。懐かしいなー」
そんな会話があったものだから、あわよくばその時の写真が飾ってあるのではと思ったのだ。
しかし、何度店内を往復しても父と娘の2人で撮影した写真はない。
残念な気持ちは大きいが、相手は知らないのに自分だけ葵の姿を見ることに罪悪感もあったため、まぁいいかと切り替える。
「どうした」
店内をうろうろしている隼人を不思議に思ったのか、店長が近づいてくる。
「すみません、ちょっと知り合いが写っている写真があるんじゃないかって探してたんです。昔ここで写真を撮ったみたいで」
「で、あったのか?」
「いいえ」
「写真は定期的に変えてるからな。昔って言うぐらいならないだろ」
「ですよね」
風景写真に視線を戻す。
「この写真も変えてるんですか?」
「人の写真ほどの頻度じゃないが、気が向いたらな」
「僕、この手焼きの風景写真好きなんです。館長が撮ったんですよね?」
「……いや」
少し考えるように黙った後、ゆっくりと口を開く。
「撮ったのは弟だ」
弟がいるのか。
写真館で働いている家族以外の話を初めて聞いた。
「この写真館はもともと俺の両親が始めた店でな。長男の俺が継いだ。写真の腕は弟の方が上だったから両親は弟に店を譲りたがったんだが、あいつは自由奔放なやつでこんな小さな店に興味はなかった。自分の足で世界を撮るんだと出て行って、時々写真と短いメッセージだけを定期的に送ってきた。両親はいい顔をしなかったが、俺はその写真を店に飾ることにしたんだ。俺は弟の撮る写真が好きだった」
お前が弟の写真を好きだと言ってくれてうれしいよと、館長も写真を見ながら呟いた。
「写真家になるんだと息巻いていたが、結局ほとんど売れなかった。まぁ、それでも本人は楽しそうだったがな」
しばし並んで写真を眺める。
「今でも写真が届くんですか?」
何気ない質問。
何年も送られてきているなら、写真はかなりの枚数があるはずだ。
まだ見たことのない写真に興味が湧く。
機会があるなら見てみたい。
そんな思いでの質問だった。
「いや……」
隼人の質問に、館長の眉間に皺が寄る。
写真の奥に広がる景色の向こうに何かを探すように、その視線は遠くに向けられていた。
「今はもう届かない」
「引退されたんですか?」
「死んだんだ」
淡々とした声で言う。
「山に登ってる最中に滑落事故に遭ってそのまま死んだ。あっけなかったよ。会ってない人間が死んでも実感なんて湧かないもんで、葬儀が終わった後も写真が届くんじゃないかと郵便受けを確認したりもしたな」
どのような反応をすればいいのか考えているうちに、館長は続ける。
「遺品にカメラがあった。写真を撮りに行ってたんだから当然なんだが。ある日そのカメラのフィルムを焼いてみようと思い立った。思い立って、焼いて、残された写真を見て。弟の見た景色を見て、いつか送られてくるはずだった写真だったんだと思うと、そこでようやく涙が出たんだ」
その日の帰り、館長に1冊のアルバムを渡された。
「弟の写真を綴ってある。好きなときに返してくれればいい」
表紙は色褪せているが状態はよく、大切に保管されていたのがわかる。
手に持つとずっしりとした重みがあった。
「ありがとうございます」
素直に受け取りお礼を言う。
「弟さん、全然売れなかったって言ってましたけど、きっと弟さんの写真が好きな人は他にもいると思います。僕もそのうちのひとりですから」
「……だといいがな」
素っ気ない返事が返されるが、それが館長の本心だろう。
弟の撮った写真を1枚でも好きになってもらえたら。
そんな思いで飾っているのだろうから。
帰り道、自転車を走らせながら葵のことを考える。
このアルバムを見せたら彼女は喜ぶのじゃないだろうか。
話を聞くにあまり外出もできていないらしいし、アルバムなら部屋の中でゆっくり眺めることができる。
人から借りたものを勝手に貸すことはできないので館長の許可がいるし、そもそも葵に会えるのかという話なのだが、写真を見て喜ぶ彼女の姿を想像すれば自然と口角が上がってしまう。
真美がデコレーションしてくれた紙コップのおかげもあり、葵とは良好な関係が続いている、と思う。
可愛い紙コップに葵のテンションはかなり高かった。
流石同性の考えることは違うなと感謝した。
アルバムを借りたことぐらいは話してみるか。
そんなことを考えながらの帰路だった。
次の日、隼人は翔の家に来ていた。
翔の部屋に入ると、すでに真美が到着しており手を振っている。
その手に振り返し、床に置かれたクッションの上に腰を下ろす。
今日は間近に迫った夏祭りを思い切り満喫するため、残っている夏休みの宿題を片付けることを目標に集まっていた。
「例の中学生とは最近どう?」
「相変わらず毎日話してるよ。昨日は写真館から借りたアルバムのことを話したら見てみたいって」
「まさか会いに行く気?」
「いや、まだそこまでは。葵さんの体調もあるし」
「体調のことがなかったら会いに行くのかよ」
真美の鋭い指摘に黙る。
「そこで黙るなっつーの」
「何かあったか?」
ジュースとお菓子の乗ったお盆を持った翔が現れる。
「いや、葵ちゃんの話。このまま放っておいたら村瀬のやつ犯罪に手を染めかねないよ」
「そんなことない」
「いーや、あるね。世の中ムッツリの奴の方がヤバイ性癖隠してたりするから」
真美がどこか楽しそうに隼人をからかう。
「……その、葵ちゃんについてなんだけど、隼人に1個質問」
お盆をテーブルの上に置き、神妙な面持ちで座る。
「隼人が毎晩話してる橘葵って子さ」
自分でも何を言っているのか迷うように視線を漂わせる翔だったが、意を決して言い切った。
「本当に生きてる人間?」
「……は?」
「……は?」
隼人と真美の口から、同時に同じ音が漏れた。
「あっ、真美ちゃんじゃん。おはよーん」
「おはよう。元気だった?」
「まぁまぁかな」
のろりと教室に入ってきた少女に、隼人と翔があいさつを返す。
翔の隣の席に乱雑に鞄を置き、どっかりと座った少女はまだ講習も始まっていないのに大きなため息を吐いた。
彼女の名前が神奈川真美。
隼人、翔と仲が良く、女友達よりも2人と一緒にいることの方が多い少女である。
ばっちりと決めた化粧に肩口で切り揃えたウェーブのかかった髪は茶色に染められ、伸ばし気味の前髪を可愛らしいヘアゴムで1本に結んでいる。
いわゆるクジラ縛りである。
小さい子供がよくやっている髪型だが童顔の真美にはとても似合っており、おでこを出している分見ている方も心なしか涼しく感じる。
第二ボタンまで開けたワイシャツに短いスカート、覗く肌にはネックレスやブレスレットなど多数のアクセサリーが光っていた。
「旅行の後の勉強ほど身が入らないもんはないね」
ネイルでデコレーションされた指先が気だるげに髪を弄る。
いわゆる白ギャルと呼ばれる類の真美が真面目に夏期講習を受けているのを不思議に思う人間もいるかもしれないが、隼人や翔を含め同じ学年の生徒はそんなことは考えもしない。
本人は恥ずかしがって否定するが、真美は元来真面目な性格だった。
中学生までは見た目も模範的な生徒で、黒髪おさげに眼鏡、制服も校則を守った着こなしをしていた。
そんな彼女が高校デビューでギャルに転身した時は真美がグレたと2人で大騒ぎしたものだ。
どうしてこのような格好をするようになったのかは未だ頑なに教えてはくれないが、見た目のように性格が簡単に変えられるはずもなく真面目なギャルとして高校生活を謳歌していた。
隼人も翔も見た目こそ変われど彼女との接し方が変わることはなく、今日まで友情を育んでいる。
「どこ行ってたんだっけ?」
「お母さんの実家。去年おじいちゃんが死んじゃってからおばあちゃんに認知症が進んじゃってさ。施設に面会に行ったの。案の定、私たちのこと誰もわかんなかったわ」
「真美ちゃんの場合、見た目の問題もあるんじゃね?」
「ばっか、んなわけないじゃん。私がこの格好し始めてもう3年だよ?」
「でもほら、認知症の人って昔のことの方が鮮明に覚えてたりするじゃん。なぁ?」
「僕の祖父母はボケる前に亡くなったから。父さんの方は会った記憶すらない」
「……ごめんなさい」
「真顔で謝るな。ほとんど覚えてない相手に何か思えるほど僕は大人じゃないから」
「論点がズレててウケる。あー、やっぱりあんたたちと居ると楽でいいわー」
伸びをしながら真美がへらりと笑う。
その際に白いシャツからブラジャーがうっすらと透けて見え、隼人は然り気無く視線を反らしたが、その際にがっつり凝視している翔が目に入り脛を蹴ってやった。
痛がる翔に不思議そうな真美を横目にそ知らぬ顔を決め込む。
「おーい、席に着け。講習始めるぞ」
担当の教師が教室に入ってきたので、そそくさと準備をしていれば、恨みがましい視線が刺さる。
そんな視線も華麗に無視し、隼人は小さな笑みをこぼした。
昼休みになり、3人で机を囲んで昼御飯を食べる。
翔はコンビニのパン、真美は母親お手製の弁当で、隼人はタッパーに詰めた肉じゃがと白米だった。
練習をすること数回、ようやく見た目もまぁまぁな肉じゃがを作れるようになった。
「それでおばあちゃんの面会のついでに専門学校の見学も行ってきたんだ。いい感じだったし、このまま受験しようかなって」
「動物看護師だっけ?」
「そう。私の夢はちょび助のおかげ」
真美はちょび助という黒猫を飼っている。
口元だけが白くちょび髭が生えているように見えるのでそう命名したらしい。
そもそも最初に子猫だったちょび助を拾ったのは隼人だった。
中学1年生の春、団地の駐車場に隠すように置かれていた段ボールの中に捨てられていたのを偶然見つけたのだ。
団地はペット禁止のため自宅では飼うことができず、どうしたものかと悩んでいたときに翔が真美に声をかけてくれた。
翔と真美は母親同士が仲が良く幼いときからの知り合いで、猫を飼いたがっていたのを知っていたという。
その後、無事に神奈川家の一員になったちょび助は毎日のんびり過ごしているらしかった。
「ちょび助ね、2年くらい前から腎臓が悪くて定期的に動物病院に通院してるんだけど、そこの看護師さんが凄く良くしてくれて。私もあんな風になりたいなーってさ」
「真美ちゃん、動物好きだもんな。似合ってる」
「そうかな?」
照れたように真美が笑う。
「尾崎と村瀬は進路に変化なし?」
「なんも決まってないのは変わんねぇわ」
「僕もこのまま市内の大学受けるつもり」
「このままみんな進路はバラバラかなー。村瀬は着実に準備始めてるしね。料理なんて始めちゃってさ。家出る気満々じゃん」
「でも何で肉じゃが? もっと簡単なのあんじゃん」
「それがーー」
隼人はここ数日の出来事を2人に話した。
糸電話を作ったこと。
葵のこと。
毎日1時間会話をしていること。
肉じゃがを練習した理由まで全て話した。
「そしてこれが、その糸電話です」
机に使い慣れた糸電話を置き、話を終了する。
自分の秘密を暴露したときのような気恥ずかしさが押し寄せる。
チラリと翔と真美の顔を見れば、2人ともポカンと口を開け隼人を凝視していた。
「キモッ」
数秒後、沈黙を破ったのは真美だった。
「キモッ! 中学生相手に夜な夜ななにやってんの!?」
「なっ、誤解を招くような言い方するな! それにこれは同意の上でーー」
「同意とかそう言う問題じゃないって、いかがわしい。なにがその糸電話ですだよ。持ち歩くなよ。キモいっつーの」
「いや、これは証拠として2人に見せようと思って」
「証拠?」
「信じてもらえないかと」
「冗談の方がよかったわ!」
バシーンと机を叩いて真美がツッコむ。
それはもう全力のツッコミだった。
「翔はどう思う?」
「えっ? あぁ……」
隼人の話を聞いて固まっていた翔が我に返ったように声を漏らす。
「まぁ、いいんじゃね? 顔も知らない相手と話すなんて今時珍しくねーし。お互いが楽しいなら俺はいいと思うけど」
「相手が女子中学生だからって……」
「違う違う! 俺は同年代の女の子が好きだし」
「……誰もあんたの好みは訊いてない」
「じゃなくて! その橘、葵ちゃん? だって家に籠りきりで寂しかっただろうし、隼人と話せて喜んでんじゃね? 誰にも迷惑かけてないんだし、本人たちの好きにしたらいいじゃん」
「翔!」
「確かにそう言われると……」
翔の言葉に納得したのか、真美は腑に落ちない表情をしながらも大人しく引き下がった。
すんなりとまではいかないが、2人の反応にとりあえず安心する。
「それ貸して」
真美が左手を差し出す。
「それ?」
「それ!」
今度は指差し示すのは机の上の紙コップ。
「デコってあげる。ただの紙コップなんてつまんないじゃん。女子が好きそうな可愛いのにしてあげる」
先ほどまでの表情はどこへやら、真美がウィンクしながら親指を立てた。
姉御!
そんな言葉が飛び出しそうになるほどのときめきを感じる。
「お願いします」
「夏祭りでなんか奢ってよ」
そう言い、紙コップを受けとる。
そんなやり取りの横で神妙な顔付きで考え込む翔に2人は気がつかない。
「橘葵……」
その呟きも静かに消えた。
「それでね、孫の夏休みで娘夫婦が帰省してるんだけど、その時にお葬儀の話になって。自分のことでまだ早いし不謹慎じゃないなんて思ったんだけどね、今って終活とか流行ってるじゃない? 準備しておいても損はないんじゃないかなって思うようになっちゃって。ほら、子供に自分の葬儀のことで迷惑かけたくないし。だから手始めに遺影写真でも撮っておこうかなって思ったの。やっぱり綺麗に写ってる写真がいいものね」
遺影写真を撮りに来たという年配の女性と道子の会話を聞きながら、撮影機材の準備を進める。
今日はこの女性のほかに証明写真や家族写真など何組かのお客さんが来店していた。
接客をしたり準備をしたり、片付けに掃除と真面目に取り組みながら、館長の撮影した写真に満足して帰っていく人たちの背中を見送る。
仕事の途中、館内に飾っている写真を眺める。
やはり目につくのはアルバイトを始めるきっかけになった風景写真の数々だが、今日はそれらが目的ではない。
家族写真のみを集中して観察するが、お目当ての写真はなさそうだった。
「受験生なのにアルバイトなんてすごいね」
ある日の葵との会話を思い出す。
「館長の好意で手伝わせてもらってるだけですよ。むしろ空き時間でカメラの扱い方とか教えてもらったりしてるので、世話してもらってる感じです」
「それでもすごいよ。永田写真館か。私も行ったことあるよ」
「本当ですか?」
「うん、中学校の入学式の帰りにお父さんと記念写真を撮ったの。懐かしいなー」
そんな会話があったものだから、あわよくばその時の写真が飾ってあるのではと思ったのだ。
しかし、何度店内を往復しても父と娘の2人で撮影した写真はない。
残念な気持ちは大きいが、相手は知らないのに自分だけ葵の姿を見ることに罪悪感もあったため、まぁいいかと切り替える。
「どうした」
店内をうろうろしている隼人を不思議に思ったのか、店長が近づいてくる。
「すみません、ちょっと知り合いが写っている写真があるんじゃないかって探してたんです。昔ここで写真を撮ったみたいで」
「で、あったのか?」
「いいえ」
「写真は定期的に変えてるからな。昔って言うぐらいならないだろ」
「ですよね」
風景写真に視線を戻す。
「この写真も変えてるんですか?」
「人の写真ほどの頻度じゃないが、気が向いたらな」
「僕、この手焼きの風景写真好きなんです。館長が撮ったんですよね?」
「……いや」
少し考えるように黙った後、ゆっくりと口を開く。
「撮ったのは弟だ」
弟がいるのか。
写真館で働いている家族以外の話を初めて聞いた。
「この写真館はもともと俺の両親が始めた店でな。長男の俺が継いだ。写真の腕は弟の方が上だったから両親は弟に店を譲りたがったんだが、あいつは自由奔放なやつでこんな小さな店に興味はなかった。自分の足で世界を撮るんだと出て行って、時々写真と短いメッセージだけを定期的に送ってきた。両親はいい顔をしなかったが、俺はその写真を店に飾ることにしたんだ。俺は弟の撮る写真が好きだった」
お前が弟の写真を好きだと言ってくれてうれしいよと、館長も写真を見ながら呟いた。
「写真家になるんだと息巻いていたが、結局ほとんど売れなかった。まぁ、それでも本人は楽しそうだったがな」
しばし並んで写真を眺める。
「今でも写真が届くんですか?」
何気ない質問。
何年も送られてきているなら、写真はかなりの枚数があるはずだ。
まだ見たことのない写真に興味が湧く。
機会があるなら見てみたい。
そんな思いでの質問だった。
「いや……」
隼人の質問に、館長の眉間に皺が寄る。
写真の奥に広がる景色の向こうに何かを探すように、その視線は遠くに向けられていた。
「今はもう届かない」
「引退されたんですか?」
「死んだんだ」
淡々とした声で言う。
「山に登ってる最中に滑落事故に遭ってそのまま死んだ。あっけなかったよ。会ってない人間が死んでも実感なんて湧かないもんで、葬儀が終わった後も写真が届くんじゃないかと郵便受けを確認したりもしたな」
どのような反応をすればいいのか考えているうちに、館長は続ける。
「遺品にカメラがあった。写真を撮りに行ってたんだから当然なんだが。ある日そのカメラのフィルムを焼いてみようと思い立った。思い立って、焼いて、残された写真を見て。弟の見た景色を見て、いつか送られてくるはずだった写真だったんだと思うと、そこでようやく涙が出たんだ」
その日の帰り、館長に1冊のアルバムを渡された。
「弟の写真を綴ってある。好きなときに返してくれればいい」
表紙は色褪せているが状態はよく、大切に保管されていたのがわかる。
手に持つとずっしりとした重みがあった。
「ありがとうございます」
素直に受け取りお礼を言う。
「弟さん、全然売れなかったって言ってましたけど、きっと弟さんの写真が好きな人は他にもいると思います。僕もそのうちのひとりですから」
「……だといいがな」
素っ気ない返事が返されるが、それが館長の本心だろう。
弟の撮った写真を1枚でも好きになってもらえたら。
そんな思いで飾っているのだろうから。
帰り道、自転車を走らせながら葵のことを考える。
このアルバムを見せたら彼女は喜ぶのじゃないだろうか。
話を聞くにあまり外出もできていないらしいし、アルバムなら部屋の中でゆっくり眺めることができる。
人から借りたものを勝手に貸すことはできないので館長の許可がいるし、そもそも葵に会えるのかという話なのだが、写真を見て喜ぶ彼女の姿を想像すれば自然と口角が上がってしまう。
真美がデコレーションしてくれた紙コップのおかげもあり、葵とは良好な関係が続いている、と思う。
可愛い紙コップに葵のテンションはかなり高かった。
流石同性の考えることは違うなと感謝した。
アルバムを借りたことぐらいは話してみるか。
そんなことを考えながらの帰路だった。
次の日、隼人は翔の家に来ていた。
翔の部屋に入ると、すでに真美が到着しており手を振っている。
その手に振り返し、床に置かれたクッションの上に腰を下ろす。
今日は間近に迫った夏祭りを思い切り満喫するため、残っている夏休みの宿題を片付けることを目標に集まっていた。
「例の中学生とは最近どう?」
「相変わらず毎日話してるよ。昨日は写真館から借りたアルバムのことを話したら見てみたいって」
「まさか会いに行く気?」
「いや、まだそこまでは。葵さんの体調もあるし」
「体調のことがなかったら会いに行くのかよ」
真美の鋭い指摘に黙る。
「そこで黙るなっつーの」
「何かあったか?」
ジュースとお菓子の乗ったお盆を持った翔が現れる。
「いや、葵ちゃんの話。このまま放っておいたら村瀬のやつ犯罪に手を染めかねないよ」
「そんなことない」
「いーや、あるね。世の中ムッツリの奴の方がヤバイ性癖隠してたりするから」
真美がどこか楽しそうに隼人をからかう。
「……その、葵ちゃんについてなんだけど、隼人に1個質問」
お盆をテーブルの上に置き、神妙な面持ちで座る。
「隼人が毎晩話してる橘葵って子さ」
自分でも何を言っているのか迷うように視線を漂わせる翔だったが、意を決して言い切った。
「本当に生きてる人間?」
「……は?」
「……は?」
隼人と真美の口から、同時に同じ音が漏れた。
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物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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