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マックスの目の前を、珍しい羽根の色をした鳥が2羽、仲良く跳ねていく。マックスの気分とはまるっきり逆な、陽気で爽やかな鳴き声を上げながら。
ここのところまた南下してきた寒冷前線のせいで空気は冷たかったが、こうして陽の当たる中庭のベンチに腰掛けていると、太陽の光は意外に温かい。
気候は温かくなったり冷たくなったりしながら、着実に希望の春へと近づいていく。
── それなのに、自分ときたら・・・。
マックスは、何度目かの溜息を吐き出した。
セスの友人・・・テイラーと面会してから、どれだけ時間が経ったろう。
事件直後は、自分がジムを救うんだとあれほど息を巻いていたのに、テイラーから見せられた写真と語られた事実に、意外なほどのダメージを受けてしまった。
自分は、そんなことも十分覚悟していたのに、今回の事件が自分の心の奥底に与えた傷は、自分でコントロールすることができるものではなかった。テイラーから見せられた写真をきっかけに、暴れ始めてしまった。
心を病んで話ができないというのは確かにマックスの演技だったが、しかしマックスは現実的に心に傷を負っているようだった。
自分でも自覚がないまま、何かのきっかけで発作のように起きる精神の混乱。
あの後、セスとテイラーの前で過呼吸に陥ってしまったマックスは、結局精神科医のビクシーの世話にならざるを得なかった。
ビクシーは、「そんなことは当たり前だ。演技などしなくても、君はPTSDを抱えている方が自然なんだから」と肩を竦めた。
テイラーは、自分の行いが図らずもマックスを追いつめたことに酷く恐縮していた。あれから以後、何度か病院を訪れてくれるようになり、その都度謝罪の言葉を残していった。
やはりセスの言う通り、彼は誠実な人間だった。そのことがわかっただけでも、良かったと言うべきだろうか。── そういう人間が、ウォレスを雁字搦めにして苦しめている『ジェイク・ニールソン』を追いかけていることがわかっただけでも。
セスもテイラーも、マックスの揺らいだ気持ちが落ち着くまで待ってくれると辛抱強く言ってくれた。ありがたかった。
だが、その先に進むだけの力を出すことができなかった。
最近では、ハドソン刑事が訪れる時も過呼吸が起きることがあり、閉口する。
ビクシーには、環境を変えて自分が一番落ち着くところでゆっくりと静養した方がいいと薦められた。どうにかしてストレスを忘れ去るか乗り越えるかしないと、どんな薬を処方しても無駄だという判断だった。
理性では、ジムを助けなければと思っているのに。
時々言うことをきかなくなる自分の身体が呪わしかった。
これまで、一人きりで何とかしなければという緊張感がマックスを支えていた。
だが、レイチェルやマイク、セスにベルナルド・ミラーズ、そしてテイラーと協力してくれる人が増えてくるにつれ、気を張った感覚が薄らいできた。そのせいで、今まで押さえ込んでいた『弱さ』が現れてきたに違いない。
自分もこの病院の救急治療室に勤めていた頃、そういう状況に直面した患者に数多く接してきた。
程度は違うにしろ、かつぎ込まれた時は一種の興奮状態にあり、酷い怪我だというのに冷静な受け答えをしていた人間でも、家族が現れると途端に涙腺が緩む。丁度そんな感じだろうか。
今朝は、病院の看護師の友人と見られる人間がマスコミにリークしてしまったせいで、マックスが近々退院することが先走って報道された。またもや警察が謝罪せねばならない事態に陥った訳だ。
犯人が捕まっていない以上、マックスの身に危険が及ぶようなことは警察が防がなければならない。本来なら、マックスの動向をマスコミが報道するのは、酷く危険なことなのだから。
今回の報道を受けて、ハドソンの対応は素早かった。二度目ともなると、さすがにメンツが気になるのだろう。
あの報道を境に、ハドソンはマスコミに余計なことを流すなと半ば脅した状態でマスコミ各社に報道協定を結ばせた。
マスコミ連中は明らかに不満顔だったが、マックスの命に関わることだからと詰め寄ると、渋々承諾をしたらしい。そもそも、最初から報道協定を結ぶ必要があったのだ。やはり警察の手際は悪い。
この街は軽犯罪の多い都市だったが、こんなに大規模で世間を騒がせる連続凶悪事件を処理するのは、慣れていなかった。
見せかけだけでも捜査本部に返り咲いたセスが言うに、現在C市警は蜂の巣をつついたような状態だという。
事件の捜査はもちろんのこと、マスコミや市民への対応もこなさなくてはならない。それに日常起こる軽犯罪や事故も減るわけではないから、大忙しだ。そのせいか、最近ではセスよりテイラーと会う回数が多い。
マックスは、鳥のさえずりを聞きながら天を仰いだ。
寒い空気は澄み切っていて、青空が眩しいくらいだ。
一陣の風が、少し伸びたマックスの金色の髪をかき乱す。
パジャマの上から羽織ったナイロン製のベンチコートの襟を掻き併せ、身体をふるわせる視線の先に、警官と言い争っている男の姿が見えた。
長身で逞しい体つき。今年流行のツイード生地を使った分厚く長いコートの上からでも、男のスタイルの良さがはっきりとわかる。
後ろ姿だけで誰か判別できた。
マックスはベンチに腰掛けたまま、警官に向かって手を振った。
胸部の骨に入ったヒビはまだ完治しておらず、大声を上げるとさすがにまだ痛む。
だが、マックスが手を振っていることに警官が気づいた。彼は、マックスの身辺警護をするようにとハドソンからとりわけきつく言いつけられた若手警官だった。
警官がこちらを向いたのを確認して、マックスは今出せるだけの声を上げて言った。
「彼はいいんだ。今日は友人として来てくれている筈だから。 ── ね、そうでしょ、ミスター・ミゲル」
マックスがそう言うと、マックスの方を振り返った男は、彼特有の南国を思わせる笑顔を浮かべ、それ見たことかと警官を振り返った。
例の一件が頭を離れない警官は、「しかし、この人は・・・」と言い淀んでいると、ミゲルは「今日は取材目的じゃない。音声レコーダーも持っていないし、今日話したことは絶対に記事にしないよ。うちもお宅の上司と報道協定を結ばされたからね。まったく、何度説明したらわかるんだ」と警官を指さした。
自分の身長を超える伊達男に上から睨み付けられ ── しかも相手は、テレビや雑誌でよく見るスター記者マイク・ミゲルだ・・・さすがの警官も怯んでしまったらしい。
「ちょっとだけですよ。しかも、立ち会わせてもらいますから」と呟いて、とうとうミゲルを通すことになった。
「やれやれ、やっと直接会うお許しが出た」
ミゲルは嫌みを口にすると、マックスの隣に腰掛けた。
南米の血を色濃く感じさせる肌とマスク。歯並びのいい口元が浮かべる笑顔は輝いている。
久々に間近で見るミゲルの顔は、マックスの愛する人と全く正反対の美しさに溢れていた。
「今朝の全米ニュースで、君が近々退院するほど回復してるって聞いてね。たまたまニューヨークにいてまとまった時間がとれたから、飛んできたよ。どう? 元気?」
大きな濃いブラウン色の瞳にじっと見つめられ、マックスはわずかに笑顔を浮かべた。
「おかげさまで・・・」
そう呟くマックスを見て、ミゲルはちょっと癖のある笑みを浮かべた。下から見上げるように、マックスを見つめてくる。
「・・・本当に?」
ミゲルは、まるでマックスの心を見透かすようにそう言った。
ミゲルの瞳は、まるでマックスの心を見透かしてしまうかのように澄んでいて、しかも鋭かった。やはり彼は生粋のジャーナリストである。そこに真実が隠されていると察知する力は、何よりも優れている。
彼は、マックスが心の奥底に暗い陰を抱えていることなど既にお見通しなのだ。
ミゲルは、冷えたマックスの手を優しく握ってくる。
「君はすぐにやせ我慢をするんだね。そこがいじらしいところでもあるけれど。でも今はそんなこと必要ないと思うな。君は傷ついていて当然なんだから」
マックスを見つめてくる瞳から、鋭さはもうなくなっていた。彼は優しげで温かい色を瞳に浮かべながら、柔らかな微笑みを浮かべる。
「苦しい思いまでして、自分を抑え込む必要がどこにあるんだい? 君一人の力で傷を癒すのは不可能だというのに」
「それについては、心配ありません。今だって、俺を助けてくれる人はたくさんいるから」
マックスがそう返すと、ミゲルは苦笑を浮かべて頭を横に振った。
「僕が言っているのは、そういうことじゃないよ。今助けてくれている人の中に、君の心の傷や悩みまで癒してくれる人がいるかという話だ。例えば・・・君の想い人」
マックスの顔がこわばり、彼はミゲルの手から自分の手を引き抜こうとした。だがミゲルの手がそれを許さない。
ミゲルはマックスの前に跪くと、今度は両手で彼の手を包んだ。
「現実から目を逸らしてはいけないよ。そうすることで、人は未来への一歩が踏み出せるのだから。彼は自ら君に別れを告げ、姿を消したそうだね。彼に一体どんな過去があるかは知らないが、彼はそうすることで君を守ろうとしている。その彼の気持ちを、君は知らない訳ではないだろう? その思いを素直に受け入れることも必要なんじゃないか?」
マックスの目から、ふいに涙が溢れ落ちた。
ジムの気持ちは、痛いほどよくわかっていた。
自分が、ジムを守ろうとしてこの事件に首を突っ込むことを彼が望まないことも承知していた。
── だけど・・・。
ミゲルは再びマックスの隣に腰掛けると、マックスの頭を優しく抱き寄せた。
「ミスター・ウォレスの思いを受け入れることが、君にとってどんなに辛いことなのかは想像できる。だが、自分のことを思い続けてくれることで自分の愛する人が危険な目に遭うことがどれほど辛いことか、君は想像しただろうか。もし自分がその立場だったら?」
マックスは、ぐっと瞳を閉じた。新たな涙が溢れ落ちる。
今ミゲルの言ったことは、マックスがずっと避けていたことだった。
自分の思いを押し通すためには、決して目を向けてはならなかった場所。
── もし自分がジムの立場だったら・・・。
自分のせいでジムの命が失われてしまうことになるのだったら、自分もきっとジムのように身を引いただろう。そして安全で幸せな生活を送って欲しいと願ったはずだ。
「・・・クソ!」
マックスは小さく汚い言葉を吐き出すと、包帯で固められていない右手で顔を覆って泣き始めた。
ミゲルの広い両腕が、マックスの肩を覆い包む。
「ミスター・ウォレスを救うことは、君を助けてくれる人に委ねられた。きっと彼らは、いい結果を出してくれるだろう。もし僕もその手助けができるのなら、できる限りの協力をする。だから君は、自分の身の安全だけを考えていればいい。それが、ミスター・ウォレスの一番の願いだろうから」
ミゲルはそう言って、マックスが泣きやんで落ち着くまで、ずっと側にいた。
最初はちょっとだけですよと言っていた警官も、遠巻きながらにマックスの痛々しい姿を見るにつけ、その場を遮るようなことはしなかった。
両の目と鼻先を真っ赤にしたマックスは、大きく溜息をつくと、ゆっくりと顔を上げた。
痛いほど美しい青空を見上げる。
── 自分が、このままジムを想い続けるのは、自分本位で我が儘なことなんだろうか・・・。
今、この空の上で神が自分を見下ろしているというのなら、すぐさま正しい裁きを下してもらいたい。そう思った。
ミゲルが、その横顔をじっと見つめて言う。
「退院したら、どこか行く当てはあるのかい?」
マックスは、ミゲルを見る。
そんなこと、考えてもいなかった。
やっぱり・・・と、ミゲルが軽く溜息をつく。
「もしよかったら、ニューヨークに来ないか。僕のアパートメントに。広さは十分ある。君が増えたって窮屈な思いはさせないよ。そこでしばらくゆっくり静養して、心の整理をつけるといい。爆弾犯はまだ捕まってないんだ。君はこの街を離れた方がいいと思う」
マックスが、戸惑った目をミゲルに向けた。
ミゲルが、コミカルな微笑みを浮かべて肩を竦める。
「別にとって食おうとしてる訳じゃないよ。母に誓ってそんなことはしない。僕が君を囲おうとしている訳じゃないんだ。向こうで落ち着けば、君だけの別の部屋を探したっていいし、生活費を援助されるのがいやだって思うなら、貸しということにしてもいい。君が元気になれば、新しい仕事だってすぐ見つかるだろうから」
「でも・・・」
「すぐに答えは出さなくてもいい。退院までもう少しあるし、警察との兼ね合いもあるだろうからね」
ミゲルは立ち上がる。そして握手するために手を差し出した。
マックスがその手をそっと握る。
ミゲルの手は、強い力でぐっと握り返してきた。
その仕草は、マックスの隙をついて口説き落としてやろうというよりは、彼も心底マックスのことを心配してくれているということが伝わるものだった。
「ありがとう・・・ございます・・・」
マックスは小さい声でそう返した。
ここのところまた南下してきた寒冷前線のせいで空気は冷たかったが、こうして陽の当たる中庭のベンチに腰掛けていると、太陽の光は意外に温かい。
気候は温かくなったり冷たくなったりしながら、着実に希望の春へと近づいていく。
── それなのに、自分ときたら・・・。
マックスは、何度目かの溜息を吐き出した。
セスの友人・・・テイラーと面会してから、どれだけ時間が経ったろう。
事件直後は、自分がジムを救うんだとあれほど息を巻いていたのに、テイラーから見せられた写真と語られた事実に、意外なほどのダメージを受けてしまった。
自分は、そんなことも十分覚悟していたのに、今回の事件が自分の心の奥底に与えた傷は、自分でコントロールすることができるものではなかった。テイラーから見せられた写真をきっかけに、暴れ始めてしまった。
心を病んで話ができないというのは確かにマックスの演技だったが、しかしマックスは現実的に心に傷を負っているようだった。
自分でも自覚がないまま、何かのきっかけで発作のように起きる精神の混乱。
あの後、セスとテイラーの前で過呼吸に陥ってしまったマックスは、結局精神科医のビクシーの世話にならざるを得なかった。
ビクシーは、「そんなことは当たり前だ。演技などしなくても、君はPTSDを抱えている方が自然なんだから」と肩を竦めた。
テイラーは、自分の行いが図らずもマックスを追いつめたことに酷く恐縮していた。あれから以後、何度か病院を訪れてくれるようになり、その都度謝罪の言葉を残していった。
やはりセスの言う通り、彼は誠実な人間だった。そのことがわかっただけでも、良かったと言うべきだろうか。── そういう人間が、ウォレスを雁字搦めにして苦しめている『ジェイク・ニールソン』を追いかけていることがわかっただけでも。
セスもテイラーも、マックスの揺らいだ気持ちが落ち着くまで待ってくれると辛抱強く言ってくれた。ありがたかった。
だが、その先に進むだけの力を出すことができなかった。
最近では、ハドソン刑事が訪れる時も過呼吸が起きることがあり、閉口する。
ビクシーには、環境を変えて自分が一番落ち着くところでゆっくりと静養した方がいいと薦められた。どうにかしてストレスを忘れ去るか乗り越えるかしないと、どんな薬を処方しても無駄だという判断だった。
理性では、ジムを助けなければと思っているのに。
時々言うことをきかなくなる自分の身体が呪わしかった。
これまで、一人きりで何とかしなければという緊張感がマックスを支えていた。
だが、レイチェルやマイク、セスにベルナルド・ミラーズ、そしてテイラーと協力してくれる人が増えてくるにつれ、気を張った感覚が薄らいできた。そのせいで、今まで押さえ込んでいた『弱さ』が現れてきたに違いない。
自分もこの病院の救急治療室に勤めていた頃、そういう状況に直面した患者に数多く接してきた。
程度は違うにしろ、かつぎ込まれた時は一種の興奮状態にあり、酷い怪我だというのに冷静な受け答えをしていた人間でも、家族が現れると途端に涙腺が緩む。丁度そんな感じだろうか。
今朝は、病院の看護師の友人と見られる人間がマスコミにリークしてしまったせいで、マックスが近々退院することが先走って報道された。またもや警察が謝罪せねばならない事態に陥った訳だ。
犯人が捕まっていない以上、マックスの身に危険が及ぶようなことは警察が防がなければならない。本来なら、マックスの動向をマスコミが報道するのは、酷く危険なことなのだから。
今回の報道を受けて、ハドソンの対応は素早かった。二度目ともなると、さすがにメンツが気になるのだろう。
あの報道を境に、ハドソンはマスコミに余計なことを流すなと半ば脅した状態でマスコミ各社に報道協定を結ばせた。
マスコミ連中は明らかに不満顔だったが、マックスの命に関わることだからと詰め寄ると、渋々承諾をしたらしい。そもそも、最初から報道協定を結ぶ必要があったのだ。やはり警察の手際は悪い。
この街は軽犯罪の多い都市だったが、こんなに大規模で世間を騒がせる連続凶悪事件を処理するのは、慣れていなかった。
見せかけだけでも捜査本部に返り咲いたセスが言うに、現在C市警は蜂の巣をつついたような状態だという。
事件の捜査はもちろんのこと、マスコミや市民への対応もこなさなくてはならない。それに日常起こる軽犯罪や事故も減るわけではないから、大忙しだ。そのせいか、最近ではセスよりテイラーと会う回数が多い。
マックスは、鳥のさえずりを聞きながら天を仰いだ。
寒い空気は澄み切っていて、青空が眩しいくらいだ。
一陣の風が、少し伸びたマックスの金色の髪をかき乱す。
パジャマの上から羽織ったナイロン製のベンチコートの襟を掻き併せ、身体をふるわせる視線の先に、警官と言い争っている男の姿が見えた。
長身で逞しい体つき。今年流行のツイード生地を使った分厚く長いコートの上からでも、男のスタイルの良さがはっきりとわかる。
後ろ姿だけで誰か判別できた。
マックスはベンチに腰掛けたまま、警官に向かって手を振った。
胸部の骨に入ったヒビはまだ完治しておらず、大声を上げるとさすがにまだ痛む。
だが、マックスが手を振っていることに警官が気づいた。彼は、マックスの身辺警護をするようにとハドソンからとりわけきつく言いつけられた若手警官だった。
警官がこちらを向いたのを確認して、マックスは今出せるだけの声を上げて言った。
「彼はいいんだ。今日は友人として来てくれている筈だから。 ── ね、そうでしょ、ミスター・ミゲル」
マックスがそう言うと、マックスの方を振り返った男は、彼特有の南国を思わせる笑顔を浮かべ、それ見たことかと警官を振り返った。
例の一件が頭を離れない警官は、「しかし、この人は・・・」と言い淀んでいると、ミゲルは「今日は取材目的じゃない。音声レコーダーも持っていないし、今日話したことは絶対に記事にしないよ。うちもお宅の上司と報道協定を結ばされたからね。まったく、何度説明したらわかるんだ」と警官を指さした。
自分の身長を超える伊達男に上から睨み付けられ ── しかも相手は、テレビや雑誌でよく見るスター記者マイク・ミゲルだ・・・さすがの警官も怯んでしまったらしい。
「ちょっとだけですよ。しかも、立ち会わせてもらいますから」と呟いて、とうとうミゲルを通すことになった。
「やれやれ、やっと直接会うお許しが出た」
ミゲルは嫌みを口にすると、マックスの隣に腰掛けた。
南米の血を色濃く感じさせる肌とマスク。歯並びのいい口元が浮かべる笑顔は輝いている。
久々に間近で見るミゲルの顔は、マックスの愛する人と全く正反対の美しさに溢れていた。
「今朝の全米ニュースで、君が近々退院するほど回復してるって聞いてね。たまたまニューヨークにいてまとまった時間がとれたから、飛んできたよ。どう? 元気?」
大きな濃いブラウン色の瞳にじっと見つめられ、マックスはわずかに笑顔を浮かべた。
「おかげさまで・・・」
そう呟くマックスを見て、ミゲルはちょっと癖のある笑みを浮かべた。下から見上げるように、マックスを見つめてくる。
「・・・本当に?」
ミゲルは、まるでマックスの心を見透かすようにそう言った。
ミゲルの瞳は、まるでマックスの心を見透かしてしまうかのように澄んでいて、しかも鋭かった。やはり彼は生粋のジャーナリストである。そこに真実が隠されていると察知する力は、何よりも優れている。
彼は、マックスが心の奥底に暗い陰を抱えていることなど既にお見通しなのだ。
ミゲルは、冷えたマックスの手を優しく握ってくる。
「君はすぐにやせ我慢をするんだね。そこがいじらしいところでもあるけれど。でも今はそんなこと必要ないと思うな。君は傷ついていて当然なんだから」
マックスを見つめてくる瞳から、鋭さはもうなくなっていた。彼は優しげで温かい色を瞳に浮かべながら、柔らかな微笑みを浮かべる。
「苦しい思いまでして、自分を抑え込む必要がどこにあるんだい? 君一人の力で傷を癒すのは不可能だというのに」
「それについては、心配ありません。今だって、俺を助けてくれる人はたくさんいるから」
マックスがそう返すと、ミゲルは苦笑を浮かべて頭を横に振った。
「僕が言っているのは、そういうことじゃないよ。今助けてくれている人の中に、君の心の傷や悩みまで癒してくれる人がいるかという話だ。例えば・・・君の想い人」
マックスの顔がこわばり、彼はミゲルの手から自分の手を引き抜こうとした。だがミゲルの手がそれを許さない。
ミゲルはマックスの前に跪くと、今度は両手で彼の手を包んだ。
「現実から目を逸らしてはいけないよ。そうすることで、人は未来への一歩が踏み出せるのだから。彼は自ら君に別れを告げ、姿を消したそうだね。彼に一体どんな過去があるかは知らないが、彼はそうすることで君を守ろうとしている。その彼の気持ちを、君は知らない訳ではないだろう? その思いを素直に受け入れることも必要なんじゃないか?」
マックスの目から、ふいに涙が溢れ落ちた。
ジムの気持ちは、痛いほどよくわかっていた。
自分が、ジムを守ろうとしてこの事件に首を突っ込むことを彼が望まないことも承知していた。
── だけど・・・。
ミゲルは再びマックスの隣に腰掛けると、マックスの頭を優しく抱き寄せた。
「ミスター・ウォレスの思いを受け入れることが、君にとってどんなに辛いことなのかは想像できる。だが、自分のことを思い続けてくれることで自分の愛する人が危険な目に遭うことがどれほど辛いことか、君は想像しただろうか。もし自分がその立場だったら?」
マックスは、ぐっと瞳を閉じた。新たな涙が溢れ落ちる。
今ミゲルの言ったことは、マックスがずっと避けていたことだった。
自分の思いを押し通すためには、決して目を向けてはならなかった場所。
── もし自分がジムの立場だったら・・・。
自分のせいでジムの命が失われてしまうことになるのだったら、自分もきっとジムのように身を引いただろう。そして安全で幸せな生活を送って欲しいと願ったはずだ。
「・・・クソ!」
マックスは小さく汚い言葉を吐き出すと、包帯で固められていない右手で顔を覆って泣き始めた。
ミゲルの広い両腕が、マックスの肩を覆い包む。
「ミスター・ウォレスを救うことは、君を助けてくれる人に委ねられた。きっと彼らは、いい結果を出してくれるだろう。もし僕もその手助けができるのなら、できる限りの協力をする。だから君は、自分の身の安全だけを考えていればいい。それが、ミスター・ウォレスの一番の願いだろうから」
ミゲルはそう言って、マックスが泣きやんで落ち着くまで、ずっと側にいた。
最初はちょっとだけですよと言っていた警官も、遠巻きながらにマックスの痛々しい姿を見るにつけ、その場を遮るようなことはしなかった。
両の目と鼻先を真っ赤にしたマックスは、大きく溜息をつくと、ゆっくりと顔を上げた。
痛いほど美しい青空を見上げる。
── 自分が、このままジムを想い続けるのは、自分本位で我が儘なことなんだろうか・・・。
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ミゲルが、その横顔をじっと見つめて言う。
「退院したら、どこか行く当てはあるのかい?」
マックスは、ミゲルを見る。
そんなこと、考えてもいなかった。
やっぱり・・・と、ミゲルが軽く溜息をつく。
「もしよかったら、ニューヨークに来ないか。僕のアパートメントに。広さは十分ある。君が増えたって窮屈な思いはさせないよ。そこでしばらくゆっくり静養して、心の整理をつけるといい。爆弾犯はまだ捕まってないんだ。君はこの街を離れた方がいいと思う」
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「でも・・・」
「すぐに答えは出さなくてもいい。退院までもう少しあるし、警察との兼ね合いもあるだろうからね」
ミゲルは立ち上がる。そして握手するために手を差し出した。
マックスがその手をそっと握る。
ミゲルの手は、強い力でぐっと握り返してきた。
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