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朗らかな笑顔を浮かべながら、その老人は「やぁ、元気そうだ。よかった」と穏やかな笑い声を上げた。
「ミルズさん!」
老人は、マックスがこの病院を辞めるきっかけになった手術の患者であった少女の父親、ジョン・ミルズだった。
少し黄色く濁った目をした褐色の老人。
彼との間に起こったことを考えれば、彼がここを訪れることを誰が想像できただろう。
マックスは驚きを隠せないまま、ミルズに椅子をすすめた。ミルズは少し曲がった腰を押さえながら、ベッド脇のパイプ椅子に腰掛けた。
ここまで歩いてきたのだろうか。額にうっすらと浮かんだ汗をハンカチで拭いながら、はぁと溜息をついて、背もたれに身を任せる。
ハハハと照れ臭そうに笑う老人に、マックスはベッドサイドのフリーザーからミネラルウォーターを取り出した。右手だけでキャップを外そうとするが、上手くできない。
「おお、そんなに気を使っていただかなくても構いませんよ、先生」
ミルズ老人がそう言う。
マックスが申し訳なさそうに、キャップが閉まったままのボトルを差し出すと、ミルズ老人は軽く礼を言いながら、それを受け取った。ゆっくりとした動きだが、力強い手つきでボトルを開封する。長年重労働に従事してきた男の手だ。力仕事も多いが、繊細なメス使いが要求されるマックスの手とはまったく正反対のゴツゴツとした手。
「すみません・・・」
マックスは苦笑いする。ミルズはフフフと笑いながら「このグラスは構わんかね?」と訊く。
「あ、そっちは汚れてるから・・・。こちらを使ってください」
ミルズはグラスを取り、水を注ぐと、美味しそうに水を飲み干した。
「ああ、やっと一息ついた」
そう言って、ミルズはまた汗を拭う。
「大丈夫ですか? 体調が優れないのでは・・・・」
心配げなマックスに、ミルズは手を一回振った。
「とんでもない。私のことより、先生のことです。私はここにお見舞いにきたのだから」
「ミルズさん・・・」
「ニュースであなたの事件のことを知りまして。随分心配していたんです。そしたら、無事回復して、もうすぐ退院だと聞いて。ぜひ一度お見舞いをと思っていたんです」
マックスは、「ありがとうございます」と言いながら、ミルズ老人と目を合わすことができなかった。
彼の一人娘アニーの生命を自分のミスで助けることができなかった口惜しさと後ろめたさ、そして今の揺れる精神状態を見透かされるような気がして。
ミルズ老人は、そんなマックスの様子を見て、何かを感じたのだろう。
ミルズ老人は、ギブスに包まれたマックスの左腕に、そっと手を置いた。
マックスが、はっとして顔を上げる。
優しげな瞳がそこにあった。
「あなたは、助かるべくして助かった。あなたが助かったと聞いた時、私は神に感謝をしました。神様はすべてわかっていらっしゃると」
敬虔なキリスト教徒のミルズは、マックスの手に小さなロザリオを握らせた。
「これを是非、身につけていてください。きっと災難から守ってくださる」
マックスの目から、思わず涙が溢れ落ちた。
「そんなこと、しないでください! 俺は、あなたにそうしてもらう価値などない男です」
自由の利かない左手で、ミルズの手を押しやる。
マックスは自らの罪悪感に苛まれながら、ヒステリックに叫んだ。
「だって俺は・・・俺は、あなたの娘さんの手術を失敗させて、娘さんを殺したんです! 俺が、殺したんです!!」
一瞬、その場の空気が止まった。
あの日、病院を辞めてからミルズのアパートメントを訪ね、ついに言えなかった言葉。
ずっと胸につかえていた言葉だった。
マックスの目から溢れ落ちた涙が、パタパタとシーツの上に落ちて染みをつくる。
「俺は、驕り高ぶっていたんです・・・。どんな手術も成功させる自信があった。少なくとも、あの瞬間までは・・・。あの時、その奢りが、ほんの些細な、だがとても重要な傷を見逃していたんです。それさえ見逃さなかったら、彼女は・・・アニーは助かっていたのかもしれません。だから、俺が殺したも同じなんです。それをあろうことか病院も俺も、あなたに正直に伝えなかった。俺は、あなたから訴えられこそすれ、そんなに優しくされる価値のない人間なんです。罵られて、当然なんだ・・・」
マックスは、悔しさと情けなさで歯を食いしばった。
── こんな自分が、ジムを救おうだなんて・・・。今更ながら恥ずかしくて、涙が出てくる・・・。
「すみません・・・・すみません・・・」
マックスは涙に暮れながら、何度も何度も謝った。
弱々しく握りしめられた左手の拳が、ぶるぶると震える。
ミルズが、その震える手に再びそっとロザリオを握らせた。
マックスが、涙塗れの顔をミルズに向ける。
ミルズは、今も変わらない穏やかな顔つきで一言言った。
「知っていたよ。そのことは」
マックスが目を見開く。
ミルズは、昔を思い起こすように目を細めた。
「あなたがあの時、私の部屋までやってきて、何か言おうとした時。私はアニーに何が起こったのか、全てを悟りました。私の一言であなたを傷つけてしまい、あなたが泣きながら出て行った後、思い切ってこの病院を訪ねてみたのです。院長先生と救命救急の主任の先生・・・それから、アニーの手術に立ち会ったというあなたの同僚のお医者さんと看護師長さんが私を迎えてくれました。お話の内容は、やはり私の思っていた通りでした」
マックスが、洟を啜る。
次に出る言葉は、間違いなく自分を責める言葉がくるものとばかり思っていたのに、ミルズはそんな言葉を一言も口にしなかった。
「皆さん、アニーのために尽力してくださった。暴漢に襲われ、あの場で死んでもおかしくなかったあの子を、最後はきれいな身体にしてくださった。アニーは神に選ばれて天に召されたのです。それがあの子に与えられた時間だった。アニーの最後に、あなたのような方が立ち会ってくださったことを、私は感謝しています」
マックスの両目から、また新たな涙が溢れる。
ミルズ老人の顔が涙でゆがんで見えなくなるほど、マックスは泣き崩れた。
「あなたが手術室で、アニーのために通常より長い時間、心臓マッサージをしてくれたことを知りました。そしてアニーのために涙を流し、あなたは自分の人生さえ変えてしまった。私は、あなたがお医者さんを辞めてしまったことに、少し罪悪感を感じているのです。そしてあの時、あなたに酷いことを言ってしまったのだと、今も後悔しています」
ミルズ老人は椅子から立ち上がると、ベッドに腰掛けて、マックスの両手を握った。
節くれ立った硬い手だったが、とても温かかった。
「あなたが心に傷を受けて苦しんでいることを知った時、私はいてもたってもいられなかった。あなたの優しさを私は知っていたから。そして少しでもあなたの心の重荷を軽くしてあげられればと思って、今日ここに来ました」
マックスはしゃくり上げながら、ミルズを見つめた。
そしてゆっくりとだがしっかりと、ミルズから渡されたロザリオを握った。
「あなたは、赦してくださるというんですか・・・? この俺を?」
マックスの翡翠色の瞳が、食い入るようにミルズを見た。
ミルズが肩を竦める。
「赦すも何も。あなたには赦されるべき罪は、始めからない」
「ミルズさん・・・!」
再び涙を零すマックスを、ミルズは抱き締めた。
マックスは、しばらくミルズの胸元に顔を押しつけていたが、やがて身体を起こすと洟を啜りながら、ミルズを見つめた。
「でも、言わせてください。すみませんでした、と。あなたの娘さんを救うことができなくて、本当に残念に思っています」
ミルズは、微笑んで頷く。
「あなたの心の重しは少しでも軽くなっただろうか」
ミルズが訊いた。
マックスは微笑む。
そんなマックスを見つめ、ミルズは何かを思いついたようにこう口にした。
「もしよかったら・・・。この病院から出かけることができたら、君を連れていきたいと思うところがあるのだが・・・。それは可能かね?」
「連れていきたいところ・・・?」
マックスはミルズの言ったことの先が想像できず、思わずそう呟き返していた。
マックスが外出することに、マックスの警護をしている警察関係者は難色を示した。
だが、マックスの強い申し出に「少しだけなら」と外出を許された。
もちろん、警察の警護が付いた形でだ。
容態的には、マックスは外出しても何ら問題のないところまで回復していた。
マックスは、警察が用意した車にミルズ老人と乗り込み、病院を出た。
マスコミ連中のバイクが車をつけてきている。車を運転している警官は、機嫌が悪そうに舌打ちをした。
「何だか、大事になってしまったねぇ」
ミルズがすまなそうに言う。
「気にしないでください。別に悪いことをしている訳ではないですから」
「君も大変だなぁ。ハンサム過ぎるといろんな意味で苦労する」
ミルズの冗談とも本気とも取れる言葉に、マックスはミルズと顔を見合わせ微笑み合った。
「こちらでいいですか?」
警官がスピードを落としながら、ミルズに訊いた。
「ああ、そうです。良かった、丁度みんなが集まっている時間だ」
マックスはミルズの声を聞きながら、車の窓の外を見上げた。
車が動きを止める。
「さぁ、行こう」
ミルズがドアを開ける。
その音に混じって警官達の「この辺は物騒だ。気を付けろ」との囁き声が聞こえた。マックスは、ちらりと警官を見た後、車の外へ出た。
「犯人がこの辺にいるんですか?!」
「今日は何の捜査ですか?!」
後を追ってきたマスコミ連中が騒ぎ立てる。
「ここには礼拝に来ただけです。皆下がって」
そういう警官の背後には、クラウン地区に唯一ある教会の建物があった。
ベージュに変色した白い壁は素朴でボコボコとしている。
小さな階段を上がった先に分厚い木の扉があり、その両脇の壁には聖者の絵が描かれてある。その絵は決して優れたものではないが、真摯な祈りの心が伝わってくる。
「ここは昔、この周辺の住人が皆で手作りした教会でね。恐らく、君が生まれるずっと前のことだ。この絵は、ここの子ども達がみんなで描いたんだ。子ども達といっても、もう随分大きくなって、大半はこの街にいないのだが」
ミルズは片足を引きずるマックスの身体を支えながら、彼を教会の中に誘った。その間も、孫を連れた老人や古めかしいデザインのスーツを着た女性達が集まってくる。
「ハイ、ミルズ。随分かわいらしいお客さんを連れているのね」
恰幅のいい褐色の肌の老婦人が、ミルズとマックスを笑顔で迎える。パープルのこじゃれたスーツと帽子を被ったご婦人だ。
「やぁ、ジェワナ」
ミルズは、ジェワナだけではなく、その場に集まっている人間全てと挨拶を交わした。誰もが顔見知りのようで、まるで家族のような雰囲気だった。
しかし本当に小さな教会だ。集まっている人も、多くはない。礼拝者の数が、神父の横に並んでいる聖歌隊と差ほど変わらない。
教会はこぢんまりとしていたが、天井は気持ちがいいほど高かった。
聖歌隊の隣に置かれたオルガンは、荘厳なパイプオルガンではなく、楽器店の倉庫にあるような代物だった。とても古びていて小さい。だがその音色は、この高い天井のお陰で、心地のよいエコーがかかった。
貧しいながらも正しくここは『神の家』だった。
「さぁ、ここに座ろう。足は大丈夫かね?」
「ええ。大丈夫です」
直にミサが始まる。
聖歌隊のオルガンと手拍子のみの素朴な歌声に、マックスは圧倒された。
叔母に連れられて教会に通っていたのは随分昔の話だが、こんなにエネルギッシュなミサは体験したことがない。
「さぁ、気分を楽にして。この音楽に身を任せているだけでいい。すぐに心が澄んでいくよ」
「ミルズさん・・・」
ミルズは、不安げなマックスを落ち着かせるように頷いて見せた。
「君はたった今、この瞬間でも迷っているね。自分の生き方を見失いそうになっている。そうなんだろう?」
ミルズがウォレスのことを知っているとは思えなかった。
恐らくミルズは、マックスが医者を辞めたことについて迷っているとでも思ったのだろうか。
けれどもミルズが例えそのつもりでないとしても、ミルズの言葉はマックスの心の奥に響き渡った。
── 自分は今、自分の生き方を見失いそうになっている・・・。
正しくそうだった。
マックスは、このまま自分がウォレスのことを想い続けていいのか、それとも彼のことはそっとしておくのが幸せなのか迷い続けていた。
そう、マックスの心の中には激しい嵐が止むことなく吹き荒れていて、果てしがないように思えていた。
「さぁ、身を任せなさい。頭を空っぽにするんだ。そうすれば、神が答えをくださるよ」
ミルズの優しい声に導かれるように、マックスはゆっくりと前を向いた。
煤けた窓から差し込んだ柔らかな日差しに照らされた十字架。大教会にあるような仰々しいものではなく、黒く変色した木彫りのキリスト像。ひっそりと掲げらている。とても質素なものだ。だが、とても崇高で美しいものに見えた。
聖歌隊は、『主よ、導き給え』を歌っている。
ああ、何と美しい歌声。
聖歌隊の誰もがプロではなく、この街に生きて生活している人々ばかりだ。技術的に優れている訳でもない。素晴らしく飛び抜けてうまい人間がいる訳でもない。なのに、これほどまでに美しいのだ。そう、この飾り気のない教会全てが美しかった。
あるがまま。
何も飾らない、あるがままの自分が曝け出されているからこそ美しいのだ。
マックスはそのことに気が付いた。
なぜ今まで、このような場所からずっと遠ざかっていたのだろうと思う。
ミルズが、静かな声で囁きかける。
「自分の思うように生きなさい。自分の気持ちを偽ることなく、自分の心の声に耳を傾けなさい。そこに正しい答えがあるのなら、きっと君は心安らかになれるだろう。例えその先に困難が待ちかまえていたとしても」
まるで心が洗われていくようだった。
マックスの肩から全ての力が抜け、マックスは天を仰いだ。
一筋の光が、左横から斜め下へと差し込む。
マックスは目を閉じた。
細胞のひとつひとつに神々しい歌声が染み込んでくる。
マックスの瞼を照らす柔らかな光。
今まで吹き荒れていた心の中の嵐が、まるで嘘のように静まり返っていく。
マックスは心の中で、もう一人の自分と向き合った。
酷く青ざめた自分の顔。
その自分が望む本当の想いとは一体・・・。
そしてマックスの瞼の裏に浮かぶ光景。
いつかの見た、あの風景。
会社の廊下の先で、中庭から差し込む光の中に佇む、その人の姿。
厳格でいながら、神々しい佇まい。
黒いスーツに身を包み、儚げな微笑みを浮かべるその面差しと鮮やかな瑠璃色の瞳・・・。
ああ、そうか。
迷うことは何もない。 ── 何もないんだ。
目の前の『自分の顔』が、眩しそうにこちらを見る。
閉じられたマックスの目尻から、ふいにすぅっと涙が流れ落ちた。
これまで病院の中で何度も流してきた涙とは違い、酷く静かで穏やかな涙。
マックスの中にあった迷いや弱さが、まるで今の涙で押し流されていったようだった。
マックスがゆっくりと目を開ける。
そしてミルズの顔を見た。
ミルズが、まるで魅入られるように息を呑む。
マックスは、まるで聖母のような微笑みを浮かべたのだった。
「ミルズさん!」
老人は、マックスがこの病院を辞めるきっかけになった手術の患者であった少女の父親、ジョン・ミルズだった。
少し黄色く濁った目をした褐色の老人。
彼との間に起こったことを考えれば、彼がここを訪れることを誰が想像できただろう。
マックスは驚きを隠せないまま、ミルズに椅子をすすめた。ミルズは少し曲がった腰を押さえながら、ベッド脇のパイプ椅子に腰掛けた。
ここまで歩いてきたのだろうか。額にうっすらと浮かんだ汗をハンカチで拭いながら、はぁと溜息をついて、背もたれに身を任せる。
ハハハと照れ臭そうに笑う老人に、マックスはベッドサイドのフリーザーからミネラルウォーターを取り出した。右手だけでキャップを外そうとするが、上手くできない。
「おお、そんなに気を使っていただかなくても構いませんよ、先生」
ミルズ老人がそう言う。
マックスが申し訳なさそうに、キャップが閉まったままのボトルを差し出すと、ミルズ老人は軽く礼を言いながら、それを受け取った。ゆっくりとした動きだが、力強い手つきでボトルを開封する。長年重労働に従事してきた男の手だ。力仕事も多いが、繊細なメス使いが要求されるマックスの手とはまったく正反対のゴツゴツとした手。
「すみません・・・」
マックスは苦笑いする。ミルズはフフフと笑いながら「このグラスは構わんかね?」と訊く。
「あ、そっちは汚れてるから・・・。こちらを使ってください」
ミルズはグラスを取り、水を注ぐと、美味しそうに水を飲み干した。
「ああ、やっと一息ついた」
そう言って、ミルズはまた汗を拭う。
「大丈夫ですか? 体調が優れないのでは・・・・」
心配げなマックスに、ミルズは手を一回振った。
「とんでもない。私のことより、先生のことです。私はここにお見舞いにきたのだから」
「ミルズさん・・・」
「ニュースであなたの事件のことを知りまして。随分心配していたんです。そしたら、無事回復して、もうすぐ退院だと聞いて。ぜひ一度お見舞いをと思っていたんです」
マックスは、「ありがとうございます」と言いながら、ミルズ老人と目を合わすことができなかった。
彼の一人娘アニーの生命を自分のミスで助けることができなかった口惜しさと後ろめたさ、そして今の揺れる精神状態を見透かされるような気がして。
ミルズ老人は、そんなマックスの様子を見て、何かを感じたのだろう。
ミルズ老人は、ギブスに包まれたマックスの左腕に、そっと手を置いた。
マックスが、はっとして顔を上げる。
優しげな瞳がそこにあった。
「あなたは、助かるべくして助かった。あなたが助かったと聞いた時、私は神に感謝をしました。神様はすべてわかっていらっしゃると」
敬虔なキリスト教徒のミルズは、マックスの手に小さなロザリオを握らせた。
「これを是非、身につけていてください。きっと災難から守ってくださる」
マックスの目から、思わず涙が溢れ落ちた。
「そんなこと、しないでください! 俺は、あなたにそうしてもらう価値などない男です」
自由の利かない左手で、ミルズの手を押しやる。
マックスは自らの罪悪感に苛まれながら、ヒステリックに叫んだ。
「だって俺は・・・俺は、あなたの娘さんの手術を失敗させて、娘さんを殺したんです! 俺が、殺したんです!!」
一瞬、その場の空気が止まった。
あの日、病院を辞めてからミルズのアパートメントを訪ね、ついに言えなかった言葉。
ずっと胸につかえていた言葉だった。
マックスの目から溢れ落ちた涙が、パタパタとシーツの上に落ちて染みをつくる。
「俺は、驕り高ぶっていたんです・・・。どんな手術も成功させる自信があった。少なくとも、あの瞬間までは・・・。あの時、その奢りが、ほんの些細な、だがとても重要な傷を見逃していたんです。それさえ見逃さなかったら、彼女は・・・アニーは助かっていたのかもしれません。だから、俺が殺したも同じなんです。それをあろうことか病院も俺も、あなたに正直に伝えなかった。俺は、あなたから訴えられこそすれ、そんなに優しくされる価値のない人間なんです。罵られて、当然なんだ・・・」
マックスは、悔しさと情けなさで歯を食いしばった。
── こんな自分が、ジムを救おうだなんて・・・。今更ながら恥ずかしくて、涙が出てくる・・・。
「すみません・・・・すみません・・・」
マックスは涙に暮れながら、何度も何度も謝った。
弱々しく握りしめられた左手の拳が、ぶるぶると震える。
ミルズが、その震える手に再びそっとロザリオを握らせた。
マックスが、涙塗れの顔をミルズに向ける。
ミルズは、今も変わらない穏やかな顔つきで一言言った。
「知っていたよ。そのことは」
マックスが目を見開く。
ミルズは、昔を思い起こすように目を細めた。
「あなたがあの時、私の部屋までやってきて、何か言おうとした時。私はアニーに何が起こったのか、全てを悟りました。私の一言であなたを傷つけてしまい、あなたが泣きながら出て行った後、思い切ってこの病院を訪ねてみたのです。院長先生と救命救急の主任の先生・・・それから、アニーの手術に立ち会ったというあなたの同僚のお医者さんと看護師長さんが私を迎えてくれました。お話の内容は、やはり私の思っていた通りでした」
マックスが、洟を啜る。
次に出る言葉は、間違いなく自分を責める言葉がくるものとばかり思っていたのに、ミルズはそんな言葉を一言も口にしなかった。
「皆さん、アニーのために尽力してくださった。暴漢に襲われ、あの場で死んでもおかしくなかったあの子を、最後はきれいな身体にしてくださった。アニーは神に選ばれて天に召されたのです。それがあの子に与えられた時間だった。アニーの最後に、あなたのような方が立ち会ってくださったことを、私は感謝しています」
マックスの両目から、また新たな涙が溢れる。
ミルズ老人の顔が涙でゆがんで見えなくなるほど、マックスは泣き崩れた。
「あなたが手術室で、アニーのために通常より長い時間、心臓マッサージをしてくれたことを知りました。そしてアニーのために涙を流し、あなたは自分の人生さえ変えてしまった。私は、あなたがお医者さんを辞めてしまったことに、少し罪悪感を感じているのです。そしてあの時、あなたに酷いことを言ってしまったのだと、今も後悔しています」
ミルズ老人は椅子から立ち上がると、ベッドに腰掛けて、マックスの両手を握った。
節くれ立った硬い手だったが、とても温かかった。
「あなたが心に傷を受けて苦しんでいることを知った時、私はいてもたってもいられなかった。あなたの優しさを私は知っていたから。そして少しでもあなたの心の重荷を軽くしてあげられればと思って、今日ここに来ました」
マックスはしゃくり上げながら、ミルズを見つめた。
そしてゆっくりとだがしっかりと、ミルズから渡されたロザリオを握った。
「あなたは、赦してくださるというんですか・・・? この俺を?」
マックスの翡翠色の瞳が、食い入るようにミルズを見た。
ミルズが肩を竦める。
「赦すも何も。あなたには赦されるべき罪は、始めからない」
「ミルズさん・・・!」
再び涙を零すマックスを、ミルズは抱き締めた。
マックスは、しばらくミルズの胸元に顔を押しつけていたが、やがて身体を起こすと洟を啜りながら、ミルズを見つめた。
「でも、言わせてください。すみませんでした、と。あなたの娘さんを救うことができなくて、本当に残念に思っています」
ミルズは、微笑んで頷く。
「あなたの心の重しは少しでも軽くなっただろうか」
ミルズが訊いた。
マックスは微笑む。
そんなマックスを見つめ、ミルズは何かを思いついたようにこう口にした。
「もしよかったら・・・。この病院から出かけることができたら、君を連れていきたいと思うところがあるのだが・・・。それは可能かね?」
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マックスはミルズの言ったことの先が想像できず、思わずそう呟き返していた。
マックスが外出することに、マックスの警護をしている警察関係者は難色を示した。
だが、マックスの強い申し出に「少しだけなら」と外出を許された。
もちろん、警察の警護が付いた形でだ。
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マックスは、警察が用意した車にミルズ老人と乗り込み、病院を出た。
マスコミ連中のバイクが車をつけてきている。車を運転している警官は、機嫌が悪そうに舌打ちをした。
「何だか、大事になってしまったねぇ」
ミルズがすまなそうに言う。
「気にしないでください。別に悪いことをしている訳ではないですから」
「君も大変だなぁ。ハンサム過ぎるといろんな意味で苦労する」
ミルズの冗談とも本気とも取れる言葉に、マックスはミルズと顔を見合わせ微笑み合った。
「こちらでいいですか?」
警官がスピードを落としながら、ミルズに訊いた。
「ああ、そうです。良かった、丁度みんなが集まっている時間だ」
マックスはミルズの声を聞きながら、車の窓の外を見上げた。
車が動きを止める。
「さぁ、行こう」
ミルズがドアを開ける。
その音に混じって警官達の「この辺は物騒だ。気を付けろ」との囁き声が聞こえた。マックスは、ちらりと警官を見た後、車の外へ出た。
「犯人がこの辺にいるんですか?!」
「今日は何の捜査ですか?!」
後を追ってきたマスコミ連中が騒ぎ立てる。
「ここには礼拝に来ただけです。皆下がって」
そういう警官の背後には、クラウン地区に唯一ある教会の建物があった。
ベージュに変色した白い壁は素朴でボコボコとしている。
小さな階段を上がった先に分厚い木の扉があり、その両脇の壁には聖者の絵が描かれてある。その絵は決して優れたものではないが、真摯な祈りの心が伝わってくる。
「ここは昔、この周辺の住人が皆で手作りした教会でね。恐らく、君が生まれるずっと前のことだ。この絵は、ここの子ども達がみんなで描いたんだ。子ども達といっても、もう随分大きくなって、大半はこの街にいないのだが」
ミルズは片足を引きずるマックスの身体を支えながら、彼を教会の中に誘った。その間も、孫を連れた老人や古めかしいデザインのスーツを着た女性達が集まってくる。
「ハイ、ミルズ。随分かわいらしいお客さんを連れているのね」
恰幅のいい褐色の肌の老婦人が、ミルズとマックスを笑顔で迎える。パープルのこじゃれたスーツと帽子を被ったご婦人だ。
「やぁ、ジェワナ」
ミルズは、ジェワナだけではなく、その場に集まっている人間全てと挨拶を交わした。誰もが顔見知りのようで、まるで家族のような雰囲気だった。
しかし本当に小さな教会だ。集まっている人も、多くはない。礼拝者の数が、神父の横に並んでいる聖歌隊と差ほど変わらない。
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聖歌隊の隣に置かれたオルガンは、荘厳なパイプオルガンではなく、楽器店の倉庫にあるような代物だった。とても古びていて小さい。だがその音色は、この高い天井のお陰で、心地のよいエコーがかかった。
貧しいながらも正しくここは『神の家』だった。
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直にミサが始まる。
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叔母に連れられて教会に通っていたのは随分昔の話だが、こんなにエネルギッシュなミサは体験したことがない。
「さぁ、気分を楽にして。この音楽に身を任せているだけでいい。すぐに心が澄んでいくよ」
「ミルズさん・・・」
ミルズは、不安げなマックスを落ち着かせるように頷いて見せた。
「君はたった今、この瞬間でも迷っているね。自分の生き方を見失いそうになっている。そうなんだろう?」
ミルズがウォレスのことを知っているとは思えなかった。
恐らくミルズは、マックスが医者を辞めたことについて迷っているとでも思ったのだろうか。
けれどもミルズが例えそのつもりでないとしても、ミルズの言葉はマックスの心の奥に響き渡った。
── 自分は今、自分の生き方を見失いそうになっている・・・。
正しくそうだった。
マックスは、このまま自分がウォレスのことを想い続けていいのか、それとも彼のことはそっとしておくのが幸せなのか迷い続けていた。
そう、マックスの心の中には激しい嵐が止むことなく吹き荒れていて、果てしがないように思えていた。
「さぁ、身を任せなさい。頭を空っぽにするんだ。そうすれば、神が答えをくださるよ」
ミルズの優しい声に導かれるように、マックスはゆっくりと前を向いた。
煤けた窓から差し込んだ柔らかな日差しに照らされた十字架。大教会にあるような仰々しいものではなく、黒く変色した木彫りのキリスト像。ひっそりと掲げらている。とても質素なものだ。だが、とても崇高で美しいものに見えた。
聖歌隊は、『主よ、導き給え』を歌っている。
ああ、何と美しい歌声。
聖歌隊の誰もがプロではなく、この街に生きて生活している人々ばかりだ。技術的に優れている訳でもない。素晴らしく飛び抜けてうまい人間がいる訳でもない。なのに、これほどまでに美しいのだ。そう、この飾り気のない教会全てが美しかった。
あるがまま。
何も飾らない、あるがままの自分が曝け出されているからこそ美しいのだ。
マックスはそのことに気が付いた。
なぜ今まで、このような場所からずっと遠ざかっていたのだろうと思う。
ミルズが、静かな声で囁きかける。
「自分の思うように生きなさい。自分の気持ちを偽ることなく、自分の心の声に耳を傾けなさい。そこに正しい答えがあるのなら、きっと君は心安らかになれるだろう。例えその先に困難が待ちかまえていたとしても」
まるで心が洗われていくようだった。
マックスの肩から全ての力が抜け、マックスは天を仰いだ。
一筋の光が、左横から斜め下へと差し込む。
マックスは目を閉じた。
細胞のひとつひとつに神々しい歌声が染み込んでくる。
マックスの瞼を照らす柔らかな光。
今まで吹き荒れていた心の中の嵐が、まるで嘘のように静まり返っていく。
マックスは心の中で、もう一人の自分と向き合った。
酷く青ざめた自分の顔。
その自分が望む本当の想いとは一体・・・。
そしてマックスの瞼の裏に浮かぶ光景。
いつかの見た、あの風景。
会社の廊下の先で、中庭から差し込む光の中に佇む、その人の姿。
厳格でいながら、神々しい佇まい。
黒いスーツに身を包み、儚げな微笑みを浮かべるその面差しと鮮やかな瑠璃色の瞳・・・。
ああ、そうか。
迷うことは何もない。 ── 何もないんだ。
目の前の『自分の顔』が、眩しそうにこちらを見る。
閉じられたマックスの目尻から、ふいにすぅっと涙が流れ落ちた。
これまで病院の中で何度も流してきた涙とは違い、酷く静かで穏やかな涙。
マックスの中にあった迷いや弱さが、まるで今の涙で押し流されていったようだった。
マックスがゆっくりと目を開ける。
そしてミルズの顔を見た。
ミルズが、まるで魅入られるように息を呑む。
マックスは、まるで聖母のような微笑みを浮かべたのだった。
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◎表紙は装丁cafe様より︎︎𓂃⟡.·
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
僕がそばにいる理由
腐男子ミルク
BL
佐藤裕貴はΩとして生まれた21歳の男性。αの夫と結婚し、表向きは穏やかな夫婦生活を送っているが、その実態は不完全なものだった。夫は裕貴を愛していると口にしながらも、家事や家庭の負担はすべて裕貴に押し付け、自分は何もしない。それでいて、裕貴が他の誰かと関わることには異常なほど敏感で束縛が激しい。性的な関係もないまま、裕貴は愛情とは何か、本当に満たされるとはどういうことかを見失いつつあった。
そんな中、裕貴の職場に新人看護師・宮野歩夢が配属される。歩夢は裕貴がΩであることを本能的に察しながらも、その事実を意に介さず、ただ一人の人間として接してくれるαだった。歩夢の純粋な優しさと、裕貴をありのまま受け入れる態度に触れた裕貴は、心の奥底にしまい込んでいた孤独と向き合わざるを得なくなる。歩夢と過ごす時間を重ねるうちに、彼の存在が裕貴にとって特別なものとなっていくのを感じていた。
しかし、裕貴は既婚者であり、夫との関係や社会的な立場に縛られている。愛情、義務、そしてΩとしての本能――複雑に絡み合う感情の中で、裕貴は自分にとって「真実の幸せ」とは何なのか、そしてその幸せを追い求める覚悟があるのかを問い始める。
束縛の中で見失っていた自分を取り戻し、裕貴が選び取る未来とは――。
愛と本能、自由と束縛が交錯するオメガバースの物語。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
龍の無垢、狼の執心~跡取り美少年は侠客の愛を知らない〜
中岡 始
BL
「辰巳会の次期跡取りは、俺の息子――辰巳悠真や」
大阪を拠点とする巨大極道組織・辰巳会。その跡取りとして名を告げられたのは、一見するとただの天然ボンボンにしか見えない、超絶美貌の若き御曹司だった。
しかも、現役大学生である。
「え、あの子で大丈夫なんか……?」
幹部たちの不安をよそに、悠真は「ふわふわ天然」な言動を繰り返しながらも、確実に辰巳会を掌握していく。
――誰もが気づかないうちに。
専属護衛として選ばれたのは、寡黙な武闘派No.1・久我陣。
「命に代えても、お守りします」
そう誓った陣だったが、悠真の"ただの跡取り"とは思えない鋭さに次第に気づき始める。
そして辰巳会の跡目争いが激化する中、敵対組織・六波羅会が悠真の命を狙い、抗争の火種が燻り始める――
「僕、舐められるの得意やねん」
敵の思惑をすべて見透かし、逆に追い詰める悠真の冷徹な手腕。
その圧倒的な"跡取り"としての覚醒を、誰よりも近くで見届けた陣は、次第に自分の心が揺れ動くのを感じていた。
それは忠誠か、それとも――
そして、悠真自身もまた「陣の存在が自分にとって何なのか」を考え始める。
「僕、陣さんおらんと困る。それって、好きってことちゃう?」
最強の天然跡取り × 一途な忠誠心を貫く武闘派護衛。
極道の世界で交差する、戦いと策謀、そして"特別"な感情。
これは、跡取りが"覚醒"し、そして"恋を知る"物語。
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