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本編

Gimlet~遠い人を想う~

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 Gimlet~遠い人を想う~

抱き合ったまま潤はあることに思い至る。雫と再会したのが卒業から二年後だと言うことはそれまでに恋人がいたのではないかと言うことだ。

「真央、一つ聞いて良いか?」
「なに?」
京都むこうにいる間、言い寄ってくるヤツはどうしてたんだ?」

潤が真顔で聞いてくるので真央は虚を突かれたような顔をする。それが逆に潤の不安をあおった。祈るような気持ちで真央の返事を待つ。真央はクスリと笑うと潤の腕から逃れ、立ち上がる。

「ちょっとまってて」
「真央?」

そのまま真央は奥の部屋に消えていく。時計の秒針の音が嫌に大きく聞こえ潤の不安を更に煽る。我慢出来ず立ち上がったところで真央がリビングに戻ってきた。その手には見覚えのある小さな箱を持っていた。

「どうして、それを……」
「どうしてだと思う?」

潤はその問いに答えられず、首を横に振る。真央はそれをテーブルに置くと静かに開ける。そこにはシルバーの指輪が収まっていた。潤の記憶が正しければその内側には【J to M】と刻印されているはずだ。箱を自分の方に向けられ、潤は震える手で指輪を持ち上げる。内側を覗けば、思った通りの刻印がされていた。それは潤があの日真央に渡そうとした指輪であり、思いが強すぎて捨てることが出来ずクローゼットの奥にしまい込んだものだ。

「誰が……」

潤は不意に思い出した。あの説教をされた日、雅紀が自分のクローゼットの中から何かを取りだして持ち去ったことを……。

「やられた……」

恐らく雅紀は潤が真央のことを忘れることが出来るはずないとわかっていたのだろう。そして、出来たらその思いが報われて欲しいとも思ったに違いない。

(雅紀さんが直接?いや、そんな時間はなかったはずだ。一体誰が……)

「初めて帰省したお盆休みに雨水先輩が訪ねてきてくれたの」
「え?」
「そのときにこれを。虫除けになるだろうからって渡されたの」

潤は余計に混乱する。指輪を持って行ったのは雅紀で間違いない。だが、渡したのは顕政だという。もう何が何だかわからず思考はグルグルと回るばかり。そんなとき着信音が鳴り響く。

「悪い。俺のだ」

潤はソファの背もたれに掛けられていた自分のジャケットの内ポケットをまさぐる。目当てのスマホを取り出すと、混乱の元凶である人物からのメッセージが表示させられる。

『言い忘れてた。お前が隠し持ってた指輪。姉貴に頼んで総務課の雨水ってヤツに託してもらったから』
『いつの間に!』
『見つけたすぐだ』
『いつ、見つけたんですか?』
『お前を説教した日』
『何で今頃になって言うんですか?!』
『お前が帰国するって決めたからだ。決心したんだろ?』
『……』
『今度こそしっかり捕まえろよ』
『言われなくてもそうします』
『では、健闘を祈る!』

潤は眉間に深い皺を刻みながらそのやりとりを終える。深いため息と共にソファに座り込んだ。そんな潤を心配そうに見つめる真央。

「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」

その返事に真央はホッとしたようだった。

「で、その指輪をはめていたから言い寄ってくる男はいなかったってことか?」
「そんなところ」
「そうか」
「それに……」
「?」
「雨水先輩、関西出張の時は必ず会いに来てくれてたから」

潤は苦笑する。一生顕政には頭が上がらないと思うのだった。

「でも、なんで東京に戻ってきたんだ?」
「それはおじいちゃんが倒れたからなの」
「え?」



真央が就職して五年たった頃、母から一本の電話が入る。それは母方の祖父が病に倒れたというものだった。母は一人娘で祖母もすでに他界しており、一人での看病にも限界がある。真央は東京に帰るべきかどうか悩み、心が揺れた。
そんなある日のこと、上司から呼び出されたのだった。

「望月、ちょっとええかなぁ」
「あ。はい」
「望月は東京出身やったよなぁ」
「そうですが」
「実は東京支社に欠員が出てなぁ。こっちから人を送らんとあかんようになってん」
「え?」
「どやろ。行ってくれへんか?」
「ですが……」
「望月は『孝行したいときに親はなし』ちゅう言葉を知っとるか?」
「あ……」
「聞いたでぇ。お母さん大変なんやろ?」
「課長……」
「ちょうど会社の都合がおおたんや。これを機に帰ったらえちゃうか?」

上司はニカッと笑って真央を送り出してくれた。

こうして真央は東京に戻ることになったのだ。5年振りの東京で真央は母を支える。やがて祖父の容体は安定し退院した。それでも予断は許さないため、真央たち親子が同居することになった。

「お祖父ちゃん、またここにいたの?」
「ああ」

祖父はよくベッドを抜け出しては地下のバーにいた。ただグラスを磨いているだけだったが。

「真央、そこに座りなさい」
「お祖父ちゃん?」

真央はカウンターのスツールに座る。すると祖父はおもむろににシェイカーを取り出し、ジンとライムジュースを入れる。そして、リズムを刻みながらシェークする。カクテルグラスに注ぐと真央に差し出した。

「これは?」
「ギムレットだ」
「ギムレット?」
「カクテルの一つでジンとライムジュースを3:1の分量でシェークしたもの、それがギムレットだ」
「へぇ」
「カクテルにはそれぞれ言葉が込められているんだ」
「言葉?」
「このギムレットには二つの意味がある」
「二つの意味?」
「一つは『長いお別れ』。もう一つは……」

祖父はそこで悲しげに笑い言葉を続けた。

「もう一つは『遠い人を想う』だ」
「遠い人を想う」
「真央、お前には思い続ける人がいるんじゃないのか?」
「お祖父ちゃん」
「何があったかは聞かん」
「だが、どうしても忘れられん相手ならずっと思い続けなさい。このギムレットのようにな」

今度は優しく真央に笑いかける祖父。その日、そのカクテルを口にしながら遠い異国の地にいる潤のことを思ったのは言うまでもない。



東京に戻って二年。真央は祖父からカクテルだけでなく、ワインやウイスキーなど洋酒全般を教えてもらう。それらに秘められた言葉とともに。

「ふむ、なかなかどうして様になってきたじゃないか」
「そう?」
「ワインの扱いもスムーズだ」
「あんまり褒めないでよ」
「はは、事実を言っとるだけだ」
「もう」
「真央、折角ならソムリエの資格も取っておきなさい」
「でも……」
「それを職にしろとは言わん。だが、持っていても邪魔にならんはずだ。むしろ、人生を楽しむための選択肢を広げるものだとでも思っておきなさい」
「そこまで言うならやってみようかな」

真央はそれから仕事の合間を縫って勉強し、ソムリエの資格を取った。祖父の言う通り、人生の選択肢を広げたことを実感した。そのうち、銘柄だけでなくそれに込められた言葉に魅了されるようになった。

「なら、カクテル言葉を勉強するにうってつけな人物がいるぞ」
「そんな人がいるの?」
「わしらの憧れだった人の弟子にあたる男だ。今は『MIROIRミロワール』というバーのマスターをしていると聞いていたが、今はどうだったかな?」
「へぇ」
「兵頭春馬という男だ。まだ店はあるはずだから一度訪ねてみると良い」

祖父の勧めで真央はその店に足を運ぶ。春馬はマスターを降りていたが時々店に顔を出していた。彼は祖父の言った通り、様々なカクテル言葉を知っていて訪れる度に新しい言葉を教えてくれた。
驚いたのは学生時代に雨水がアルバイトをしていたことだ。今では常連としてこの店に通っていた。

「まさか真央ちゃんがここでカクテル言葉を習っていたとはね」
「私も驚きです。まさか先輩が春馬さんの知り合いだったなんて」
「顕政は手先が器用で、随分助けられたものだ」
「俺は教えて貰ったことをやってただけですよ」
「それでも助かっていた。さて、今夜はこのくらいにするかな」

春馬はそう言うと奥へと引っ込んだ。それを見送ってから雨水はそれまでの和やかな表情を固くして真央に向き直る。

「雨水先輩?」
「真央ちゃん、君は……」
「何ですか?」
「いや、なんでもないよ」

雨水はそのまま店をあとにしたのだった。その後ろ姿を真央は不思議そうに見送ったのだった。

勉強することが苦ではない真央は一年もすればほぼ全てのカクテル言葉をマスターしていた。
そんなとき、真央に大きな転機が訪れる。優しかった祖父が亡くなったのだ。最後まで真央や一人娘の母のことを心配しながら旅立っていった。
葬儀が終わった後、遺言状が見つかる。そこには自宅兼店舗の雑居ビルを真央に譲るとあった。恐らく、独立を考えていた真央が事務所にできる物件を探しているのを知ってそんなことを残したのだろう。真央は悩んだが、母に背中を押され祖父の好意を受け取った。

真央は初七日を過ぎたあたりから行動を始める。そんな折り、雨水が訪ねてきた。聞けば、雫から祖父のことを聞いたのだという。

「大変だったんじゃないのかい?」
「そうですね。母は一人娘ですから」
「そうか」
「資産の方は前もって整理していたようですし、名義も変更してあったみたいで」
「相続は問題なかったってことか」
「むしろ今の方が大変ですよ。独立の方の手続きで」
「真央ちゃん、独立するの?」
「はい。今手掛けてる仕事が一段落したら退職すると会社には伝えてあります」
「何でまた……」

その問いかけに真央は寂しいそうに笑みを浮かべて、言葉を繋ぐ。

「私の作りたいものがあそこではできませんので」
「そうか。でも、これで真央ちゃんも『一国一城の主』だね」
「そうとは限りません。この店のこともありますし」
「この店、どうするつもり?」
「まだ決めてません。ただ……」
「ただ?」
「なくしたくはないと思っています」
「そうか」
「でも、続けられそうにはないです」
「なら、真央ちゃんが引き継いだらどうだい?」
「私がですか?」
「うん。仕事もあるだろうから、できるときに開ければいいよ。そうだな、週に一度金曜の夜だけ開けるっていうのはどう?」
「金曜の夜だけ」
「サラリーマンは土日休みだろ?から、金曜の夜だけ開くバー」
「何だか面白そうですね」
「今すぐは無理だろうけど、落ち着いたらやってみるといいよ。その時は俺も通わせてもらうから」

それから一年後。真央は事務所が軌道に乗ったのと同時に『Pleineプレーヌ Luneリュンヌ』を再開させた。雨水が色々と動いてくれたようで事務所も店も真央一人で切り盛りできるようになった。雫も時々顔を出してくれて余裕ができるようになったのだろうか。気付けば潤のことを思い出すことが少なくなった。
それでも、ギムレットを作る時だけは彼に思いを馳せてしまう。それはきっとこのカクテルに込められた言葉がそうさせるのだろう。そうしているうちに真央は31歳になっていた。



「ギムレットを作るのはやっぱり記念日が多かったかな」
「真央……」
「初めてデートした日だったり、クリスマスだったり」
「初めて体を重ねた日?」

潤が悪戯っぽい笑みを浮かべ囁く。真央は頬を染めてそっぽを向く。

「真央、可愛い」

そう言って潤は真央の頬に唇を寄せる。真央は逃げだそうとするがしっかりと抱き寄せられていて叶わない。そのどころか横抱きに抱きかかえられてしまった。

「真央の寝室ってどこ?」
「え?」
「もう我慢出来ないから」

潤の瞳に欲情の炎を垣間見て真央はたじろぐ。だが、自分の気持ちに嘘はつけず、消え入りそうな声で答える。潤はそれに満足そうに微笑むと奥へと運んでいくのだった。

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