我は竜である。名前はもう無い―古代竜と宝石騎士のほのぼのスローライフ―

十五夜草

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 我は竜である。名前はグラナトム。
 五年前に手に入れたエルと我から生まれた無数の精霊に囲まれて、穏やかな日々を満喫している……していた。
 それが崩れたのはほんの少し前。我と取引をしに訪れた女王が、激しい雷雨のために帰れぬと戻ってきた為だった。

「雷雨?」
「ああ。これじゃ、とてもエーデルシュタインへは戻れない。
 頼む、グラナトム。一晩でいいから、陛下を雨宿りさせてもらえないか」

 いわれてみれば、吹き荒れる風と岩や地面に叩きつける大粒の雨、そしてひっきりなしに鳴り響く雷の音が耳に入った。
 水の精霊と風の精霊が浮かれた様子ではしゃいでいるところからしても、その雷雨とやらがどれほどひどいものかは想像出来ようというものだ。
 精霊の力に満ちている洞窟内はほどよい気温に保たれたままだが、一歩外に出れば人間などあっという間に凍えるだろう。
 人間は弱い生き物故、病にかかって死ぬかもしれぬ。

 女王が凍えようとそれが原因で病にかかろうと、我には関係ない。
 だが。

「……よかろう。雨が止むまで、ここにおるがよい」

 そう言って頷くと、不安げなエルの表情が途端に明るくなった。
 滞在を許したのは、エルがあまりに懸命に頼み込む故だ。
 それがいなければ、とうに吹き飛ばしてその命を奪っていただろう。

「寛大なお心遣い、感謝いたします」

 エルから我が滞在を許したことを聞いたのだろう。丁寧に頭を下げて礼をいった女王に何故か胸がざわついた。
 この人間に危険性はない。エルも喜び、その瞳は曇り一つなく輝いている。

 もともと、人間とは群れで活動する種族だ。エルは決して口にしなかったが、やはり同族がいなくて寂しかったのだろう。
 そう考えると、これはエルの寂しさを軽減できるよい機会だったのかもしれぬ。
 考えこむ我の耳に、エルと女王の楽しげな話し声が届いた。

「陛下。寒くはありませんか?」
「ええ。精霊の力に満ちているせいかしら、少しも寒くないわ。
 それよりもエル。今のエルはエーデルシュタインの騎士ではなく、古代竜のコレクションなのでしょう。
 それなら陛下ではなくて、昔のように呼んでほしいの。だめかしら」
「……かしこまりました、ディアナ様」
「よろしい! ……ふふ。こうやってお話しするのも、なんだかひさしぶりね」

 エルと女王は、短い間にすっかり打ち解けたようだった。
 否、元から親しかったのが元に戻っただけなのだから打ち解けたというのはおかしいか。
 単に、戻ったというべきなのやもしれぬ。

「エル」

 いつものようにその名を呼ぶと、エルは驚いたようにこちらを見上げた後「ああ」と頷いて我の元へ来た。
 それに胸が軽くなるのを感じながら、先ほど選び抜いた装飾品の数々をエルの上にそっと置く。

「今日はこれか?」
「うむ。そなたによく似合う筈だ」

 そう告げると、エルは蒼い瞳を細めて微笑んだ。
 手慣れた手つきで、我が選んだ装飾品を身につけていく。

 アメジストのイヤリングに湖水真珠を繋ぎ合わせた二重のブレスレット。紫のサファイアを淡い色のルビーで取り囲んだブローチ。
 紫を主とした宝石で彩ったエルは、今日もやはり美しかった。
 女王が「まあ」と声を上げてエルに駆け寄る。

「宝石もエルも、とても素敵ね。よく似合ってるわ。
 まるで、エルのために誂えたみたい」

 そうであろう、そうであろう。我のコレクションはどれも美しいが、エルに飾るとより引き立つのだ。
 この女王、なかなか見る目があるではないか。
 綺麗、素敵、とエルを褒め称える女王に、それまで抱いていた隔意の一部が溶けていくのを感じた。

「グラナトムのコレクションはどれも、大きさも色も最上級のものばかりですから」
「そのグラナトムというのは、古代竜の名前?」
「ええ。私が勝手にそう呼んでいるだけですが」

 我を見上げて微笑んだエルに「我もその名を気に入っておるぞ」と告げると、エルの頬が紅を刷いたように仄かに赤らんだ。
 普段のエルもよいが、このように恥ずかしがるエルもなかなかよいものだ。

「さっきから思っていたけれど、エルと古代竜ってずいぶん仲がいいのね」
「五年も共に暮らしていますから」

 そうか、まだ五年しか経っておらぬのか。
 長き時を生きる我にとって、百の月日も瞬く間に過ぎゆくもの。
 しかし、エルと共に過ごしたこの五年間は短いながらも濃密で、とてもたったそれだけの年月しか経っておらぬとは思えなかった。
 実は既に一万年が過ぎているのだといわれても、我はきっと納得するであろう。

「そう……エルがいなくなって、もうそれだけ経つのね。
 分かってはいたけれど、改めていわれると……」

 言葉の途中で俯いた女王はしかし、すぐに顔を上げて満面の笑みを浮かべた。

「それはそうと、どう? 五年ぶりのわたくしの姿は。
 成長したでしょう?」
「ええ。以前のディアナ様も水晶のように清廉な方でしたが、今はダイヤモンドのように美しく強くなられましたね」
「エルも、髪や肌の色艶がよくなったわ。安全な場所で暮らせるようになったからかしら。
 エーデルシュタインが帝国に支配されていた頃のエルは、いつも寝不足気味でぴりぴりしていたもの。
 主に、わたくしが力不足だったためだけど……」
「ディアナ様のせいではありません。
 突然戦争を仕掛けてきた上に、まだ八歳だったディアナ様を愛妾として迎え入れるなどとふざけたことをいってきた帝国のせいです」

 当時のことを思い出したのか、エルの声が僅かに低くなった。
 どうやら、我が滅ぼした帝国に対して、エルも女王もあまりよい感情を抱いていなかったらしい。
 やはり、あの国の皇帝を焼き払って正解だったようだ。

 エルと女王は長いこと話し込んでいた。
 次から次へと移り変わる話題は尽きることがないようだ。
 それを止めたのは、女王の腹から出た微かな音だった。

「ああ、もうこんな時間ですね。
 夕食を作りますから、少々お待ちください」
「ありがとう……って、エル。貴方、夕食なんて作れるの?」
「城の料理人ほどではありませんが、それなりに。
 近衛騎士団では、食事は毎週持ち回りで作ることと決まっていましたからね。
 騎士団長になってからはさすがに専属の料理人がつきましたが、ここでは毎日料理を作っているので腕はだいぶ上がったと思いますよ。
 スパイスや調味料がさほどないので、凝ったものはお出しできませんが」

 いいながら、エルが洞窟の片隅にある保管庫から料理の材料を取り出してきた。
 岩をくり抜いて作ったそこは水の精霊の力で常に冷やされており、二、三日分の食料なら容易に保存できるようになっておるのだ。
 今日のように狩りに出かけられぬ時の為にとエルと精霊が作った、なかなか便利な代物だった。

「鴨の肉があるので、それを焼きましょう。
 ディアナ様は、鴨がお好きでしたよね」
「ええ。大好きよ!
 それにしても、大きな鴨ね。王宮の狩り場でもこんなにいい鴨は見たことがないわ」
「ここは自然が豊かですし、グラナトムや精霊達の狩りの腕がいいので」

 思いがけぬエルからの褒め言葉に、胸が熱くなるのが分かった。
 なるほど。先ほどエルが照れておったのは、このような感覚に襲われたためか。
 むずむずと落ち着かず、しかし決して居心地が悪いわけではないこの感覚はなんとも形容しがたいが、なかなかに心地よい。

 身体を丸めたまま二人の話に耳を傾けていると、程なくして肉を焼くよい香りが漂ってきた。
 それにつられて、我の腹も微かな音を立てる。

 我からしてみれば微かでも、人間にとっては大きな音に聞こえるものらしい。
 目を丸くしている我を見上げる女王の反応が、五年前のエルを見ているようで懐かしかった。
 そのエルはというと、我の腹の音にもすっかり慣れたようで「もうすぐ出来るからな」といいながら串に刺した鴨肉を裏返しておったが。

「……このくらいでいいかな」

 そう呟いたエルが、串焼きの肉を器に移した。
 焼きたての肉がいつものように我の前に置かれる。

「ディアナ様も……熱いので、お気をつけください」
「ありがとう、エル。いい匂いね」

 女王にも器に取り分けた肉を渡した後、串に刺さったままの肉を持ってエルが我の腹に寄りかかった。
 食事をする時の、いつもの姿勢だ。ちょうどいい柔らかさだからと、エルはよくこうやって我にもたれる。
 エルが小さな口で一生懸命食事を摂っている様が間近で見られるので、我もこの体勢が気に入っていた。
 我にとっては一口分にも満たぬ量を、ちまちまと口に運ぶ様がなんとも愛らしいのだ。

「おいしい!
 温かい食事って、こんなにおいしいのね。わたくし、初めてだわ」

 肉を口に運んだ女王が、無邪気に歓声を上げた。
 不安げに女王の行動を見つめていたエルが「よかった」と安堵の声を漏らす。

「お口に合ったようで、何よりです」
「エルって、料理が上手なのね」
「私の料理の腕よりも、肉の質がいい為だと思いますが……ありがとうございます」

 女王の言葉に苦笑を浮かべたエルはしかし、とても嬉しそうだった。
 肉を口に運ぶ女王を見つめる蒼い瞳には、我が見たことのない柔らかな感情が宿っている。
 あの感情は、いったい何という感情なのだろう。
 単なる好奇心……とはやや異なる感情からエルを眺めていると、その視線がふとこちらを向いた。

「食べないのか? グラナトム。
 鴨は好きだったよな」
「うむ。我の好物だ。案ずるでない。
 ただ、そなたの様子を眺めておっただけだ」

 心配そうなエルにそう告げて、焼いた鴨の肉を口にした。
 とろけるような脂の甘さとほどよい塩加減が口に広がる。普段通りのうまさだ。

「……それなら、いいんだけど」

 そう言って、エルの小さな手が我の腹をそっとさすった。
 撫でられたところからじんわりと温もりが広がっていくような感覚に、思わず目を細める。

「ディアナ様と会話できるのは、今日で最後になると思う。
 悪いけど、今日だけはディアナ様とたくさん話させてくれ」

 撫でられたことで心に余裕が生まれたためだろうか。エルの言葉にも「無論だ」と頷くことが出来た。
 精霊によれば、この雨も明日には止むらしい。
 雨が止めば、女王はここから立ち去る。先ほどエルが宣言したとおり、二度とここへは来ぬであろう。
 最後の同族との会話くらいは、存分にさせてやろう。

 その夜、我が眠りに就くまで二人の話は途切れることがなかった。






「綺麗な青空。昨日の雷雨が嘘みたいね」

 翌朝、洞窟の入口から見える空は雲一つなく晴れ渡っていた。
 入口から外を眺める女王の後ろ姿を、エルが名残惜しげに見つめる。

 その時、女王がこちらを振り返った。
 エルの瞳と同じ濃い青のサファイアをあしらった髪飾りが、朝日に照らされて輝く。

「昨夜の寛大なお気遣い、感謝いたします。
 エーデルシュタインの女王として、この恩は一生忘れません」

 腰をかがめて礼をした女王に、我はただ「うむ」と頷くしか出来なかった。
 それ以外の言葉が思いつかなかったのだ。
 上体を起こした女王が、エルに向き直る。

「元気でね、エル」
「ええ。ディアナ様も、どうかお身体に気をつけて」

 女王に歩み寄ったエルが跪いてその手を取り、甲に唇を当てた。
 唇を離して顔を上げたエルと女王の視線が、一瞬交わる。
 そこにどのような感情が込められていたのかは、よく分からなかった。

 ただ、その時のエルはあまりに寂しげな目をしていた。
 故に、であろうか。決して我の傍から離さぬと決めたエルに、ほんの一時だけ自由を与えようと思ったのは。

「エル」

 濃い蒼の瞳が、悲しげな色をたたえて我を見上げた。
 その色も美しいが、やはりエルには喜びの色が似合う。

「その……女王は一人でここに来たのであろう。
 もし望むのなら、国へ送っていってもよいぞ」
「いいのか?」
「うむ……人間とは群れる生き物。そなたも、そろそろ同族が恋しくなってきた頃であろう。
 無論、我の元へ必ず戻ってくるのが条件だが……」
「ありがとう、グラナトム」

 悲しみに彩られていたエルの瞳が、途端に喜びに満たされた。
 何度も礼を言うエルに「よいのだ」と告げて、その頬にほんの少しだけ鼻先を押し当てる。
 これで我の匂いが濃くついた。エーデルシュタインへ帰る途中、獣や魔物に襲われることはなかろう。

「ゆっくりしてくるといい」
「そんなに長居はしない。すぐに戻ってくる。
 お土産を買ってくるから、楽しみにしていてくれ」

 満面の笑みを浮かべて、エルが我の鱗を撫でた。
 瞳を輝かせて待つ女王に近づいて、その手を取る。

 二人の背中が視界から消えるまで、我はその場を動くことが出来なかった。
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