我は竜である。名前はもう無い―古代竜と宝石騎士のほのぼのスローライフ―

十五夜草

文字の大きさ
8 / 12

8週間後

しおりを挟む
 我は古代竜である。名はグラナトム。
 夜の闇でもうっすらと輝く純白の鱗に血のように赤いガーネットの鎖を巻いた、強大で偉大なる古代竜だ。
 一万年もの間続けてきた洞窟での穏やかな暮らしはここ最近がらりと変わったが、悪い気はしていない。
 むしろ、心地よささえ感じている。

 あの日以来、エルは馬を連れて時折エーデルシュタインへ足を運ぶようになった。
 大体は日帰りのため、以前のように耐え切れぬほどの空虚さに悩まされることはない。
 逆に、エルが持ちかえってくる様々な食材で作られる食事や、よい香りのハーブを散らした風呂が待ち遠しくてたまらなくなったほどだ。

 中でもうまかったのは、先日エルが持ってきたチーズという黄色の塊を鍋で溶かし、白葡萄酒で伸ばしたものに串刺しの野菜や肉をつけて食べる料理だった。
 熱くとろけたチーズはまろやかで、どの野菜や肉ともよく合うのだ。
 その上、我の手では食材をうまくチーズにつけることは出来ぬからと、エルが手ずから串に刺した肉や野菜をチーズと絡めて食べさせてくれた。
 エルは「腕が疲れたから、次にやるのは二、三年後くらいな」と言っておったから、その時が楽しみだ。

「―――それで、広場に立ち寄ったら吟遊詩人がいてな。
 グラナトムが帝国を滅ぼしたときのことが歌になってたよ。
 天が遣わした正義の使者、だってさ」
「どのような歌だったのだ? 我に聞かせてくれ」
「一度しか聞いてないから、完全に再現することは出来ないけど……」

 そう言って、エルが小さく歌い始めた。
 エルに飾った黒翡翠のアンクレットやオニキスのイヤリングが揺れるのを眺めながら、その歌に耳を傾ける。

 独特の抑揚と曲が正しいのか、上手いのか、我には分からぬ。
 だが、エルの落ち着いた歌声を聞くのは好きだ。この歌声なら、いつまででも聞いていられる。
 以前エルにそう話したところ「いつまでもはさすがに無理だな」と笑われてしまったが。

 エーデルシュタインから帰ってくると、エルはよく国や街で起きた出来事を我に話した。
 その時のエルは、とても楽しそうだ。

 それが嫌だというのではない。
 ただ、エルが喜び、楽しんだ風景や音楽を我も見聞きできぬのが歯痒かった。

「エル」

 エルの歌を聞き終えた後で声をかけると、濃い蒼の瞳が問いかけるように我を見上げた。
 小さなつむじに鼻先をほんの少し触れさせて、再びその名を呼ぶ。

「どうしたんだ、グラナトム。今日はやけに甘えてくれるな」
「エル。我もそなたと同じものが見たい」
「同じ? エーデルシュタインに行きたいって事か?」
「エーデルシュタインでなくともよい。ただ、そなたと同じものを見て、聞いて、感じたいのだ」

 我の言葉に、エルは笑って「そうか」と頷いた。

「なら、一緒にどこかへ出かけよう。
 人が住む国には入れないだろうが、湖や山なら一緒に見られるだろう。
 グラナトムの翼なら、いろんなところにいける。俺、一度旅をしてみたかったんだ」

 あっさりと返された言葉に、それまでのもやもやとした感情など一気に離散してしまった。
 そうであった。我には強靱なる翼があるではないか。
 エルを乗せて、好きなところへ飛べばよい。

「どこへ行きたい。エル」
「そうだな……なら、海が見たい。
 話には聞いたことがあるが、この目で見たことはないんだ。
 吟遊詩人の歌によると、塩辛い水がどこまでも続いているんだろう? 一度、見てみたい」
「よかろう。では、我の背に乗るがよい」

 既に日は最も高い位置からやや下に降りていたが、我の翼ならばここから海までそうそう掛かるまい。
 日が暮れる前には、海を見せることが出来よう。

 エルが乗りやすいよう身体をかがめると、エルは「ありがとう、グラナトム」と笑って我の背に乗った。
 小さな身体は重みなど殆ど感じぬが、その微かな温もりは伝わってくる。
 振り落とさぬよう注意しながら洞窟をでると、太陽の眩い陽射しが視界に飛び込んできた。
 懐かしいものだ。昔は一日中、この太陽の下を飛んでおった。

「エル。しっかりと捕まっているのだぞ」
「ああ」

 エルが我の首にしがみついたのを確認して、翼を広げた。
 普段よりもやや遅めの速度で宙に舞い上がる。

「すごい、すごいな! 山があんなに小さく見える!」

 そう言ったエルの声はいつもよりも明るく、幼子のように無邪気なものだった。
 空気が冷たい、眼下の景色が豆粒のようだ、風の音が激しい、と我が当たり前のように感じていたことを興奮した様子で繰り返している。
 うむ、エルにいわれてみれば確かに、地上よりも空気が冷たいのも、街や森が豆粒のように小さいのも、お互いに声を張り上げぬと聞き取れぬほど風の音が煩いのも、全てが不思議で新鮮に思えてくる。

「エル。前を見るがいい」
「前?」

 何気なく感じていた空の景色を堪能しながら飛び続けること十分ほど。
 眼下の風景にはしゃいでいるエルに声をかけて前を見るよう促すと、少しして歓声が上がった。
 どうやら、目の前に広がる景色に気がついたようだ。

「あれが、海なのか……?」
「そうだ。せっかくだ、海の真上まで飛ぶぞ」

 エルが風景を楽しめるようにゆっくりと翼を動かしているうちに、海の真上まで来た。
 洞窟付近とは異なる、少々べたついた風が鱗を撫でる。
 その時、エルが「すごいな」と声を漏らした。

「どこまでも、青が広がってる……」
「そうだ。そなたの瞳の色ともよく似ておろう」
「ああ。それに、風の匂いが独特だ」
「川や湖とは、成分が異なるからな。故に、住まう魚も違う。
 エル。海の魚を捕ったら、料理してくれるか」
「もちろん。どんな魚がいるんだろうな」

 エルがそう呟いた途端、すぐ下で魚が飛び跳ねた。
 海に落ちる直前、その身にしっかりとかぎ爪を食い込ませる。
 その際に一瞬バランスを崩しかけたほど、その魚は大きく重かった。
 これならば、たくさんの料理が作れそうだ。

「こ……こんなに大きい魚、捕まえていいのか?
 もしかして海の主的なものじゃ……」
「問題無かろう。我の記憶が正しければ、確かこれはテュンヌスという魚だったはずだ。
 海の辺りを飛んでいると、稀に今のように飛び上がってくることがある」
「そうか……海の魚はでかいんだな」

 海の魚はエルにとって相当衝撃的だったらしい。
 感心した様子で身を乗り出し、我が掴んだテュンヌスを眺めていた。
 確かに、川や湖ではこれほど大きな魚は滅多におらぬ。珍しがるのも頷ける。

「この魚なら、いろんな料理が試せそうだな」
「うむ。我はあれがよいぞ。
 魚を使った、口の中が少々ぴりっとする赤いスープ」
「ああ、トマトスープな。
 トマトはさっきエーデルシュタインで買ってきたし、それも作るか。
 あとは香草焼きに……シンプルに塩だけで蒸すっていうのもいいな」

 エルが上げる様々な料理の名前に、うずうずとした気持ちがこみ上げてきた。
 それに気がついたのか、エルが「そろそろ帰るか」と我の首を撫でる。

「もうよいのか」
「ああ。海を見て、その空気の匂いや感触も充分満喫できたからな。
 次は、海の魚がどんな味か確かめたい」
「我も同じ気持ちだ」

 誰かと同じものを見聞きすることがこれほど楽しいことだと、今まで気がつかなかった。
 雲よりも高い山の上まで行ったなら、一体エルはどのような反応を見せてくれるのだろう。
 時間によって色の変わる湖に行ったなら、古代の遺跡に行ったなら、雪に覆われた白銀の大地に行ったなら。
 一万年前に巡った世界の記憶が蘇ると同時に、その全てをエルと辿りなおしたくてたまらなくなった。

「エル。そなたは先ほど、旅がしたいと言っておったな」
「ああ。昔は冒険者になって、各地を巡るのが夢だったんだ。
 家が代々騎士団長を務めていたから、俺も騎士になったがな。
 それ自体は全く後悔してないが、知らない世界を見聞きするのはこの年になっても楽しくて仕方ない」
「では、我と共に世界を巡らぬか」

 そう言うと、エルはしばらく黙り込んだあとに「いいのか?」と小さな声で尋ねてきた。

「グラナトムは、あの洞窟でコレクションを眺めて過ごすのが好きなんだろう。
 俺も、あの洞窟で暮らすのはきらいじゃないんだ。
 世界のことなら、精霊達からも聞けるし……無理はしなくていい」
「無理ではない。我は、エルと共に世界が見たいのだ。
 嫌か?」
「……いいや」

 返答は簡素だったが、その声は喜びに満ちていた。
 エルの暖かな手が何度も我の首を撫でる。

 一万年ぶりに巡る世界は、どのように変化しておるのだろう。
 エルと共に巡ることを考えるだけで、楽しみだった。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~

香木陽灯
恋愛
 「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」  実の父と妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。  「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」  「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」  二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。 ※ふんわり設定です。 ※他サイトにも掲載中です。

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

「婚約破棄された聖女ですが、実は最強の『呪い解き』能力者でした〜追放された先で王太子が土下座してきました〜

鷹 綾
恋愛
公爵令嬢アリシア・ルナミアは、幼い頃から「癒しの聖女」として育てられ、オルティア王国の王太子ヴァレンティンの婚約者でした。 しかし、王太子は平民出身の才女フィオナを「真の聖女」と勘違いし、アリシアを「偽りの聖女」「無能」と罵倒して公衆の面前で婚約破棄。 王命により、彼女は辺境の荒廃したルミナス領へ追放されてしまいます。 絶望の淵で、アリシアは静かに真実を思い出す。 彼女の本当の能力は「呪い解き」——呪いを吸い取り、無効化する最強の力だったのです。 誰も信じてくれなかったその力を、追放された土地で発揮し始めます。 荒廃した領地を次々と浄化し、領民から「本物の聖女」として慕われるようになるアリシア。 一方、王都ではフィオナの「癒し」が効かず、魔物被害が急増。 王太子ヴァレンティンは、ついに自分の誤りを悟り、土下座して助けを求めにやってきます。 しかし、アリシアは冷たく拒否。 「私はもう、あなたの聖女ではありません」 そんな中、隣国レイヴン帝国の冷徹皇太子シルヴァン・レイヴンが現れ、幼馴染としてアリシアを激しく溺愛。 「俺がお前を守る。永遠に離さない」 勘違い王子の土下座、偽聖女の末路、国民の暴動…… 追放された聖女が逆転し、究極の溺愛を得る、痛快スカッと恋愛ファンタジー!

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

処理中です...