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9ヶ月後
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我は古代竜である。名はグラナトム。
金の髪と蒼い瞳のそれは美しい人間を背に乗せて空を飛ぶのが好きな、少々変わった趣味を持つ古代竜だ。
だが、悪い気はしていないのでこの趣味が変わることは当分ないだろう。
洞窟をでて世界を飛び回るようになってから、早九ヶ月が経った。
半年もせずに世界を一周してしまった以前の経験から狭いと感じていた世界は、どうやら我が想像していたよりもよほど広く美しいものであったらしい。
海を横切りたい、雲の上を見てみたい、谷の奥底まで降りてみたい、と笑うエルを更に喜ばせたくてあちこちへ行っているうちに、半年などあっという間に過ぎてしまった。
その日は人間が住まう国の近くに宿を構えることにした。
我だけであれば人間の国になど立ち寄る必要は無いのだが、人であるエルはそうもいかぬ。
衣服や日用品を買い換える必要があるのだ。
服など纏わなくともエルは十分美しいと思うのだが、エル曰く「そんな変質者のような格好をして旅をする気はない」そうだ。
人間は、どれほど美しくとも服を着なければ落ち着かぬ生き物らしい。
だが、もうすぐ冬になるからと購入した毛皮のマントを身につけたエルは非常に愛らしかった。
人間の習性も、なかなかよいものだ。
もっとも、この九ヶ月でエルが服を購入したのはその一度きり。日用品も三度だけだ。
残りの用事は全て、料理に使用する塩やスパイスなどの調達だった。
人間の国へ行くたびにエルはそれらを山のように購入してくるのだが、どういうわけかすぐになくなってしまうのだ。
各地で採れる野草や魚、獣を使って作るエルの料理がうまいからと、我が食べ過ぎてしまうせいかもしれぬ。
「そろそろ、行ってくる」
「うむ。気をつけるのだぞ」
旅の途中で見つけた、我のコレクションには相応しくない宝石やさほど純度の高くない金や銀―――それでも、エルに言わせれば「人間にとっては高品質」らしいが―――を持って立ち上がったエルの首筋や髪に鼻先をすりつけると「くすぐったいって」と笑う声が耳に届いた。
我の匂いを念入りにつけた後、鼻を離す。
「これでよい。魔物も寄ってこぬだろう」
「散々一緒にいるんだから、匂いはもう染みついていそうな気がするけどな」
「うむ。だが、念には念を入れねばなるまい」
「心配性だな。すぐに戻ってくるよ」
穏やかな声に頷いて頭を地に着けると、背伸びをしたエルが我の額をそっと撫でた。
その手が離れたのを見計らって、ゆっくりと頭を上げる。
「じゃあ、行くか。ペルレ」
エルの言葉に、馬が高らかに嘶いてその身を震わせた。
初めの頃は地上に降りる度にしばらくエルに寄り添っては宥められておったというのに、もうすっかり慣れたようだ。
最近では飛んでいる我の背の上で、エルと共に歓声を上げておる。
今日も今日とて元気は有り余っておるようであるし、何よりもあの馬はなかなか賢い。
さすがに人間の国へは同行できぬ我に変わって、行き帰りの道でエルを守り導いてくれるであろう。
我の匂いはしっかりと付けたし、エル自身も人間であるにもかかわらずオーク一匹程度なら一人でも容易に倒せるほどの力は持っておる。
そうそう心配はいらぬと分かってはおるが念のためだ。
エルと手綱を引かれた馬が小さくなっていくのを見送って身体を丸めると、辺りを漂っていたこの近辺の精霊達が一斉に近づいてきた。
同族を増やすことの出来る古代竜に惹かれたのであろう。
危害を加える様子のないそれらは放っておくことにして、我はしばし惰眠を貪ることにした。
「グラナトム」
世界でただ一人しか呼ばぬ我の名前に、眠っていた意識が浮上した。
目を開ければ、夕日色に染まったエルの姿が映る。
それだけならばよい目覚めなのだが、我を見つめるエルの表情はどこか複雑だった。
「どうした、エル。浮かぬ顔だ。
かんきん、が上手く行かなかったのか?」
エルは買い物に出かける際、旅の途中で見かけた我のコレクションには相応しくない宝石や、さほど純度の高くない金や銀を持っていく。
我にとっては価値のないものでも人間にとってはとても貴重なもののようで、それを「ギルド」という場所で売ると金貨に「かんきん」出来るのだそうだ。
一度見せてもらったことがあるが、どれも純度が低く宝飾品のような装飾性の欠片もないものばかりで我にはさほど魅力的には見えなかった。
しかし人間はこれらを集めているらしい。
故に、この金貨を持っていけば塩やスパイス、その他様々なものと交換できるそうなのだ。
我には理解出来ぬ感性だが、コレクションとは元来そういうものだ。
自分が満足できればそれでよいのだから、周囲がとやかく言うものではない。
エルは金貨にはさほど興味がないようであったが、スパイスや塩を手に入れるために宝石などを「かんきん」していた。
同じ量の宝石や金でも国によって手に入る金貨の量は異なると言っておった故、今回の国では金貨があまり手に入らなかったのやもしれぬ。
そう思って尋ねたのだがしかし、エルには首を横に振られてしまった。
「換金は問題無く行えたし、塩やスパイスもちゃんと買えた。
ただ、噂を聞いたんだ」
「噂?」
「……エーデルシュタインの女王が……ディアナ様が、結婚されると」
「結婚……ああ、番になるという意味か」
単体で子孫を残せる古代竜とは異なり、他種族の多くは雄と雌が番となって子孫を残す。
そして、種族によって「適齢期」と呼ばれる、種を残すに相応しい時期がある。
人間の適齢期がいつかは知らぬが、以前会ったときの女王はずいぶんと若く見えた。恐らく、今が適齢期なのだろう。
「相手は隣国の第三王子、アドルフォ・ピアンタ様だそうだ。
あの方のことは、俺も知ってる。穏やかだが決して他に流されない人だ。きっと、ディアナ様の支えとなってくださると思う。
ピアンタ王国自体も、農作物を名産としている豊かな国。
エーデルシュタインにとっても向こうにとっても、両者の繋がりが深まるのはいいことだ」
「つまるところ、似合いというわけだな」
我には人間の思惑はよく分からぬが、エルの様子や説明からして決して悪い人間ではないのだろう。
少なくとも、人間にとっては。
我の問いかけに、エルが深く頷いた。しかし、その目はやや影を落としたままだ。
「両者の婚姻が気に喰わぬのか?」
「まさか。さっきも言ったとおり、ディアナ様もアドルフォ様もよくお似合いだ。
ただ、式を見られないのが残念でな」
「見られぬ? 何故だ」
見たいのなら見ればよい。それとも、何か見られぬ理由があるのだろうか。
我の問いかけに、エルはしばし口ごもったあとでようやく口を開いた。
「……式を挙げるのは、明日の朝らしいんだ」
「我が翼なら、一飛びではないか」
「ここまでずっと飛びつつけて、疲れてるんじゃないのか。
俺にペルレに、荷物まで乗せてるんだから」
「羽のように軽いそなたや馬を乗せて少々飛んだところで、疲れるわけがなかろう。
我は古代竜なのだぞ」
告げた言葉に偽りはなかった。
その気になれば三月でも飛ぶことのできる我にとって、ほんの一日二日エルや馬を乗せて遊飛行したところで疲れるはずもない。
エルはこちらが心配になるほど軽いのだから。
なによりも、だ。
「この旅は、そなたが見たいものや我がそなたに見せたいものを見る為のものだ。
結婚式が見たいのなら、遠慮することはない。普段のように、我に言えばよいのだ」
海が見たい、緑から赤に変わりつつある森を空から眺めてみたい、雲の上を飛んでみたい。
これまで、エルが見たがったものや行きたがった場所は全て行った。今更どうして、遠慮する必要があろう。
「そうだったな。
エーデルシュタインまで、乗せてくれ。グラナトム」
「うむ。任せておくがよい」
そう言うと、エルはようやくいつも通りに笑った。
翌朝、普段よりも早めに朝食と身支度を終えたあと、早速エーデルシュタインへと向かうことにした。
「エル」
「どうした?」
白銀の鎧と兜を身につけたエルが、不思議そうにこちらを振り向いた。
その肩に、魔獣の毛皮で作ったマントを掛ける。
大粒のオパールをあしらった留め具が陽の光に照らされてきらりと輝いた。
「そのままでは、寒いであろう」
冬になりつつある今、朝早くから空を飛ぶのはなかなか冷えるらしい。
故に普段は日が高くなってから空を飛ぶことが多いが、今日は特別だ。
せめて身体を冷やさぬよう、マントをしっかりと巻き付けているように伝えるとエルは「分かった。ありがとう、グラナトム」と笑った。
「さあ、ゆくぞ」
エルと馬が背中に乗り、荷物もしっかりと積み込まれたことを確認して空高く舞い上がった。
向かうはエーデルシュタインだ。
「ふむ、何か聞こえるな」
海を越えて更に進むと、目的の場所が見えてきた。
同時に、聞き慣れぬ金属音が耳に届く。
何の音であろうかと考える我に、エルが「あれは結婚式を始める時に鳴らす鐘の音だ」と告げた。
「では、もう始まっておるのだな」
「ああ。ぴったりだ。
そのまま飛んでくれ」
「降りずともよいのか」
上から見るよりも、地上に降りて近くで見た方がよいのではないか。
そう尋ねると、エルが微かに笑って首を横に振った気配がした。
「俺は本来、招待されていないからな。
それに、花嫁姿のディアナ様を一目見られればそれで十分だ」
「そなたがよいのであれば、そうしよう」
エルの視力でも姿を捉えられるよう、しかし人間達には見つからないように高度を調整しながら鐘の音が鳴る方へと向かうと、人が大勢集まっている場所が見えた。
その中央には、白い服で着飾った人間が二人佇んでいる。
一人は知らぬが、もう一人は以前見た顔だ。
「……ディアナ様も、すっかり綺麗になられたな」
「そなたの方が、美しいぞ」
銀の髪と瞳の女王も、明るい金の髪に淡い空色の目をした女王の番も美しいが、エルには敵うまい。
そう告げると、エルは小さく笑って我の頭を撫でた。
あまりの心地よさに、思わず喉が鳴る。
「そろそろ行こう。グラナトム」
「もうよいのか。まだ来たばかりだというのに」
「あまり長居すると、気づかれるからな。それに、目的は果たした。
ディアナ様が幸せそうで、安心したよ」
「そうか。では、帰るとしよう。
それとも、このまま辺りを散策するか?」
「そうだな……ひとまず海を渡ってから……」
エルと言葉を交わしながら身を翻したとき、こちらを見上げた女王と視線が合った。
呆気にとられたように口を開けたあと、女王の表情が満面の笑みへと変わる。
大きく手を振る女王に一声鳴いてその場で旋回してやると、背の上にいたエルが悲鳴を上げて我の首にしがみついた。
「びっくりした。いきなり……」
視線を落としたエルが、口を噤んだ。
手を振り続ける女王やその番を見て微笑んでいるのが伝わる。
やがて、エルがゆっくりと数度腕を振った。
「……ありがとう。グラナトム」
「もうよいか」
「ああ」
短く返答したエルに頷いて、高度を上げた。
女王もその番もあっという間に小さくなって、見えなくなる。
それでもエルは、いつまでもそちらを見つめていた。
金の髪と蒼い瞳のそれは美しい人間を背に乗せて空を飛ぶのが好きな、少々変わった趣味を持つ古代竜だ。
だが、悪い気はしていないのでこの趣味が変わることは当分ないだろう。
洞窟をでて世界を飛び回るようになってから、早九ヶ月が経った。
半年もせずに世界を一周してしまった以前の経験から狭いと感じていた世界は、どうやら我が想像していたよりもよほど広く美しいものであったらしい。
海を横切りたい、雲の上を見てみたい、谷の奥底まで降りてみたい、と笑うエルを更に喜ばせたくてあちこちへ行っているうちに、半年などあっという間に過ぎてしまった。
その日は人間が住まう国の近くに宿を構えることにした。
我だけであれば人間の国になど立ち寄る必要は無いのだが、人であるエルはそうもいかぬ。
衣服や日用品を買い換える必要があるのだ。
服など纏わなくともエルは十分美しいと思うのだが、エル曰く「そんな変質者のような格好をして旅をする気はない」そうだ。
人間は、どれほど美しくとも服を着なければ落ち着かぬ生き物らしい。
だが、もうすぐ冬になるからと購入した毛皮のマントを身につけたエルは非常に愛らしかった。
人間の習性も、なかなかよいものだ。
もっとも、この九ヶ月でエルが服を購入したのはその一度きり。日用品も三度だけだ。
残りの用事は全て、料理に使用する塩やスパイスなどの調達だった。
人間の国へ行くたびにエルはそれらを山のように購入してくるのだが、どういうわけかすぐになくなってしまうのだ。
各地で採れる野草や魚、獣を使って作るエルの料理がうまいからと、我が食べ過ぎてしまうせいかもしれぬ。
「そろそろ、行ってくる」
「うむ。気をつけるのだぞ」
旅の途中で見つけた、我のコレクションには相応しくない宝石やさほど純度の高くない金や銀―――それでも、エルに言わせれば「人間にとっては高品質」らしいが―――を持って立ち上がったエルの首筋や髪に鼻先をすりつけると「くすぐったいって」と笑う声が耳に届いた。
我の匂いを念入りにつけた後、鼻を離す。
「これでよい。魔物も寄ってこぬだろう」
「散々一緒にいるんだから、匂いはもう染みついていそうな気がするけどな」
「うむ。だが、念には念を入れねばなるまい」
「心配性だな。すぐに戻ってくるよ」
穏やかな声に頷いて頭を地に着けると、背伸びをしたエルが我の額をそっと撫でた。
その手が離れたのを見計らって、ゆっくりと頭を上げる。
「じゃあ、行くか。ペルレ」
エルの言葉に、馬が高らかに嘶いてその身を震わせた。
初めの頃は地上に降りる度にしばらくエルに寄り添っては宥められておったというのに、もうすっかり慣れたようだ。
最近では飛んでいる我の背の上で、エルと共に歓声を上げておる。
今日も今日とて元気は有り余っておるようであるし、何よりもあの馬はなかなか賢い。
さすがに人間の国へは同行できぬ我に変わって、行き帰りの道でエルを守り導いてくれるであろう。
我の匂いはしっかりと付けたし、エル自身も人間であるにもかかわらずオーク一匹程度なら一人でも容易に倒せるほどの力は持っておる。
そうそう心配はいらぬと分かってはおるが念のためだ。
エルと手綱を引かれた馬が小さくなっていくのを見送って身体を丸めると、辺りを漂っていたこの近辺の精霊達が一斉に近づいてきた。
同族を増やすことの出来る古代竜に惹かれたのであろう。
危害を加える様子のないそれらは放っておくことにして、我はしばし惰眠を貪ることにした。
「グラナトム」
世界でただ一人しか呼ばぬ我の名前に、眠っていた意識が浮上した。
目を開ければ、夕日色に染まったエルの姿が映る。
それだけならばよい目覚めなのだが、我を見つめるエルの表情はどこか複雑だった。
「どうした、エル。浮かぬ顔だ。
かんきん、が上手く行かなかったのか?」
エルは買い物に出かける際、旅の途中で見かけた我のコレクションには相応しくない宝石や、さほど純度の高くない金や銀を持っていく。
我にとっては価値のないものでも人間にとってはとても貴重なもののようで、それを「ギルド」という場所で売ると金貨に「かんきん」出来るのだそうだ。
一度見せてもらったことがあるが、どれも純度が低く宝飾品のような装飾性の欠片もないものばかりで我にはさほど魅力的には見えなかった。
しかし人間はこれらを集めているらしい。
故に、この金貨を持っていけば塩やスパイス、その他様々なものと交換できるそうなのだ。
我には理解出来ぬ感性だが、コレクションとは元来そういうものだ。
自分が満足できればそれでよいのだから、周囲がとやかく言うものではない。
エルは金貨にはさほど興味がないようであったが、スパイスや塩を手に入れるために宝石などを「かんきん」していた。
同じ量の宝石や金でも国によって手に入る金貨の量は異なると言っておった故、今回の国では金貨があまり手に入らなかったのやもしれぬ。
そう思って尋ねたのだがしかし、エルには首を横に振られてしまった。
「換金は問題無く行えたし、塩やスパイスもちゃんと買えた。
ただ、噂を聞いたんだ」
「噂?」
「……エーデルシュタインの女王が……ディアナ様が、結婚されると」
「結婚……ああ、番になるという意味か」
単体で子孫を残せる古代竜とは異なり、他種族の多くは雄と雌が番となって子孫を残す。
そして、種族によって「適齢期」と呼ばれる、種を残すに相応しい時期がある。
人間の適齢期がいつかは知らぬが、以前会ったときの女王はずいぶんと若く見えた。恐らく、今が適齢期なのだろう。
「相手は隣国の第三王子、アドルフォ・ピアンタ様だそうだ。
あの方のことは、俺も知ってる。穏やかだが決して他に流されない人だ。きっと、ディアナ様の支えとなってくださると思う。
ピアンタ王国自体も、農作物を名産としている豊かな国。
エーデルシュタインにとっても向こうにとっても、両者の繋がりが深まるのはいいことだ」
「つまるところ、似合いというわけだな」
我には人間の思惑はよく分からぬが、エルの様子や説明からして決して悪い人間ではないのだろう。
少なくとも、人間にとっては。
我の問いかけに、エルが深く頷いた。しかし、その目はやや影を落としたままだ。
「両者の婚姻が気に喰わぬのか?」
「まさか。さっきも言ったとおり、ディアナ様もアドルフォ様もよくお似合いだ。
ただ、式を見られないのが残念でな」
「見られぬ? 何故だ」
見たいのなら見ればよい。それとも、何か見られぬ理由があるのだろうか。
我の問いかけに、エルはしばし口ごもったあとでようやく口を開いた。
「……式を挙げるのは、明日の朝らしいんだ」
「我が翼なら、一飛びではないか」
「ここまでずっと飛びつつけて、疲れてるんじゃないのか。
俺にペルレに、荷物まで乗せてるんだから」
「羽のように軽いそなたや馬を乗せて少々飛んだところで、疲れるわけがなかろう。
我は古代竜なのだぞ」
告げた言葉に偽りはなかった。
その気になれば三月でも飛ぶことのできる我にとって、ほんの一日二日エルや馬を乗せて遊飛行したところで疲れるはずもない。
エルはこちらが心配になるほど軽いのだから。
なによりも、だ。
「この旅は、そなたが見たいものや我がそなたに見せたいものを見る為のものだ。
結婚式が見たいのなら、遠慮することはない。普段のように、我に言えばよいのだ」
海が見たい、緑から赤に変わりつつある森を空から眺めてみたい、雲の上を飛んでみたい。
これまで、エルが見たがったものや行きたがった場所は全て行った。今更どうして、遠慮する必要があろう。
「そうだったな。
エーデルシュタインまで、乗せてくれ。グラナトム」
「うむ。任せておくがよい」
そう言うと、エルはようやくいつも通りに笑った。
翌朝、普段よりも早めに朝食と身支度を終えたあと、早速エーデルシュタインへと向かうことにした。
「エル」
「どうした?」
白銀の鎧と兜を身につけたエルが、不思議そうにこちらを振り向いた。
その肩に、魔獣の毛皮で作ったマントを掛ける。
大粒のオパールをあしらった留め具が陽の光に照らされてきらりと輝いた。
「そのままでは、寒いであろう」
冬になりつつある今、朝早くから空を飛ぶのはなかなか冷えるらしい。
故に普段は日が高くなってから空を飛ぶことが多いが、今日は特別だ。
せめて身体を冷やさぬよう、マントをしっかりと巻き付けているように伝えるとエルは「分かった。ありがとう、グラナトム」と笑った。
「さあ、ゆくぞ」
エルと馬が背中に乗り、荷物もしっかりと積み込まれたことを確認して空高く舞い上がった。
向かうはエーデルシュタインだ。
「ふむ、何か聞こえるな」
海を越えて更に進むと、目的の場所が見えてきた。
同時に、聞き慣れぬ金属音が耳に届く。
何の音であろうかと考える我に、エルが「あれは結婚式を始める時に鳴らす鐘の音だ」と告げた。
「では、もう始まっておるのだな」
「ああ。ぴったりだ。
そのまま飛んでくれ」
「降りずともよいのか」
上から見るよりも、地上に降りて近くで見た方がよいのではないか。
そう尋ねると、エルが微かに笑って首を横に振った気配がした。
「俺は本来、招待されていないからな。
それに、花嫁姿のディアナ様を一目見られればそれで十分だ」
「そなたがよいのであれば、そうしよう」
エルの視力でも姿を捉えられるよう、しかし人間達には見つからないように高度を調整しながら鐘の音が鳴る方へと向かうと、人が大勢集まっている場所が見えた。
その中央には、白い服で着飾った人間が二人佇んでいる。
一人は知らぬが、もう一人は以前見た顔だ。
「……ディアナ様も、すっかり綺麗になられたな」
「そなたの方が、美しいぞ」
銀の髪と瞳の女王も、明るい金の髪に淡い空色の目をした女王の番も美しいが、エルには敵うまい。
そう告げると、エルは小さく笑って我の頭を撫でた。
あまりの心地よさに、思わず喉が鳴る。
「そろそろ行こう。グラナトム」
「もうよいのか。まだ来たばかりだというのに」
「あまり長居すると、気づかれるからな。それに、目的は果たした。
ディアナ様が幸せそうで、安心したよ」
「そうか。では、帰るとしよう。
それとも、このまま辺りを散策するか?」
「そうだな……ひとまず海を渡ってから……」
エルと言葉を交わしながら身を翻したとき、こちらを見上げた女王と視線が合った。
呆気にとられたように口を開けたあと、女王の表情が満面の笑みへと変わる。
大きく手を振る女王に一声鳴いてその場で旋回してやると、背の上にいたエルが悲鳴を上げて我の首にしがみついた。
「びっくりした。いきなり……」
視線を落としたエルが、口を噤んだ。
手を振り続ける女王やその番を見て微笑んでいるのが伝わる。
やがて、エルがゆっくりと数度腕を振った。
「……ありがとう。グラナトム」
「もうよいか」
「ああ」
短く返答したエルに頷いて、高度を上げた。
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