終焉世界で『ウエディング』を

のるん

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第5話 まだ壊れてない場所

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 目が覚めると、部屋の空気がどこか昨日までと違って感じられた。
 布団の中でしばらく動けずにいたが、カーテン越しの鈍い光が、もうすぐ朝だと教えてくれる。

 昨日、あの約束をした夜から、胸の奥がそわそわしたままだった。

 隣では美咲が静かに眠っている。浅い呼吸と、寝返りを打つ音だけが部屋に響く。
 目を閉じて、昨夜のことを何度も思い返した。

 ――「……僕と結婚してくれませんか」

 まるで他人事みたいだった。でも、あの時の気持ちは本物だった。

 ぼんやりと天井を眺めていると、美咲がゆっくり起き上がる。
「……もう朝だね」
 俺は「うん」とだけ答えた。

 2人で並んで朝食の準備をする。パンと卵を皿に乗せ、コーヒーを淹れる。こんな朝が、もう何度あるか分からない。
 テーブルの上は、昨日よりずっと整えられている。誰がやったわけでもなく、自然とそうなっていた。

「今日、白川さんたちが来るんだっけ?」
 美咲がコーヒーをかき混ぜながら言う。

「ああ。……式の準備だって」
 自分の口から“式”という言葉が出るのが、まだ少しだけ気恥ずかしかった。

 朝ごはんを食べ終える頃、玄関のチャイムが鳴る。時間ぴったりだ。

 ドアを開けると、白川と黒瀬が並んで立っていた。
 白川はいつもの、崩れない柔らかな笑みを浮かべている。黒瀬も、前よりは少しだけ緊張が和らいで見えた。

「おはようございます。本日は、どうぞよろしくお願いいたします」
 白川は、頭を下げる。その仕草が、今のこの世界では不自然なほどきれいだった。

 美咲と顔を見合わせ、俺も「よろしくお願いします」とだけ返した。

 靴を履きながら、ふと窓の外を見る。
 雲が分厚く広がっていて、街全体が薄暗いままだ。
 遠くで、また救急車のサイレンが鳴っていた。

 今日が、“何か大きく変わる日”になる気がしてならなかった。



 チャペルへ向かう道すがら、街の“変わり果てた姿”が次々と目に飛び込んでくる。

 歩道のアスファルトは、所々で陥没し、水たまりが濁ったまま乾いていない。
 電柱に貼られた選挙ポスターが、誰にも剥がされぬまま色褪せ、風でちぎれそうに揺れている。

 向かいのマンションの窓には、誰かの“助けて”という紙が貼られたまま。  
 数日前にはなかった“立入禁止”の黄色いテープが、新しい落書きで隠されている。

 道端に置かれた古いピアノには、いつの間にか弦だけが剥き出しになり、  
 誰も触れぬまま、静かに錆びついている。

 どこからか、焦げたプラスチックの匂いが微かに流れてきた。
 風の中に、人の声はない。ただカラスの鳴き声だけが響く。

 美咲は俺の腕を掴み、ゆっくりと歩を進める。
「……なんだか、全部が止まっちゃったみたいだね」

 その言葉の通り、  
 かつてあった“日常の音”が、まるごとどこかへ消えてしまった気がした。

 ただ、白川と黒瀬だけは、どこまでもまっすぐ前を向いて歩いていく。  
 その背中を見つめながら、俺も歩幅を合わせる。

 進むほどに、  
 “もう戻れないんだ”という実感だけが、じわじわと胸に染みてきた。



 チャペルの扉を開けた瞬間、  
 俺も美咲も、一歩だけ足を止めてしまった。

 外の世界はすべてが色褪せて、荒れ果てていたはずなのに――  
 この空間だけは、まるで“昨日までの世界”の断片が、奇跡的に残っているみたいだった。

 バージンロードには、しっかりとアイロンのかかった白布。  
 割れ残ったステンドグラスから差し込む光が、床に細かな模様を落としている。  
 椅子はひとつひとつ、まっすぐに並び、ホコリひとつ見当たらない。  
 祭壇には、ドライフラワーと野草を束ねたブーケ。  
 中央のスポットライトが静かに灯っていて、天井まで温かい明かりが届いている。

 美咲が、息を呑んだように囁いた。
「……本当に、ここだけ別世界みたいだね……」

 俺も、言葉が出なかった。  
 正直、こんな状況で、これほど“整えられた美しさ”を目の当たりにするとは思っていなかった。

 白川と黒瀬は、当たり前のように準備を続けている。  

 祭壇の角度を直し、ロウソクを並べ、スマホスピーカーの音を一度だけチェック。  
 白川の手は一切の無駄がなく、黒瀬も指示を聞き逃さない。

 二人の背中を見ていると、  
 この人たちは本当に“ここだけは壊させない”つもりなんだ、と実感した。

 美咲が俺の腕を軽くつかむ。
「……なんか、夢みたいだね」

 俺は、小さく頷いた。

 “失われていく世界の中で、  
 こんなにも“守られている場所”があるなんて――”

 そう思った時、  
 初めて、自分たちが「本当に式を挙げるんだ」と実感できた気がした。



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