腕まくり助産師〜異世界の母子は私が守る!その前に自分の身も守らせて!〜

ミラクリッド零式

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93.我が家へ

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「レン、ユミールもうすぐルゴートに着く」

 コツコツという遠慮がちなノックの後、獣車の窓越しにロワさんの低い声が聞こえた。

 起き上がれるようになった私は、ようやく総督府ルゴートに向かって出発した。出産による裂傷はすっかり治癒し、失った血液や体力もほぼ回復しつつある。

 ユミールとは、ノーグマタの伝承に出てくる“原始の光”という意味で、ロワさんと私の息子の名前だ。ロワさんに名前について相談された時、とても感動したのを覚えている。ロワさんにとって息子は光なのだ……

 ユミールは次代のノーグマタを導く重い役目がある。母である私に出来ることは、ロワさんのように誠実で愛のある人間に育てることだ。

 どうかこの子が、愛に溢れる人生を歩めますように……


 私は、腕に抱いていた息子のユミールをユズルバさんに預けて、窓をそっと押し開いた。その気配を察したのか、ロワさんが騎獣の鞍の上で身を屈める。

「どうした、レン」

「ロワさんもし宜しければ、帰城する際に私とユミールを抱き抱えて行ってもらえませんか? ルゴートの皆さんは私が攫われたことをご存知と聞きました。それならば、息子共々元気な姿を見せた方が良いと思いまして。もし出産のことを伏せた方がよければ、そうします」

「確かに、既にお前が拉致されたことは知られている。息子の顔見せにも良い機会だろう。しかし、病み上がりのお前や息子を寒空の下連れて歩くわけにもいくまい」

「総督様、僭越ではございますが、ライナ様の案はこちらとしてもお願いしたい事柄でございます。ルゴートの女、子供の非戦闘員までもがライナ様奪還のため決起しようと続々と城へ集まっている程です。彼らを納得させるためには、奥様や若様のお顔をお見せするのが一番かと」

 スッと小柄な騎獣が現れ、迎えに来たスワノフさんがそう述べた。今回の拉致事件はことの他大きな問題になっているようだ。ロワさんはしばらく考えた後、「冷えぬようよく包まれ」と言った。


 冬晴れの空が青々と広がり、珍しく穏やかな風の中、ユミールを抱えた私を腕に抱き、ロワさんは堂々と凱旋した。

 私はユズルバさんの手で、薄黄色の襟の高いドレスに同色の温かい毛皮のケープを着せて貰った。薄黄色は春を連想させる色であるらしい。沈んだ府民の心を少しでも励ませるなら、私は何色だって着るつもりだ。そしてドレスの生地はシフォンのように柔らかく、保温効果もあるのかとても温かい。そして裾はやはり長い……。私の儀礼用のドレスはことごとく裾が長く、ロワさんに抱えられること前提に作られている気がする。

 そして、ユミールは純白の繋ぎの服に、銀狐スルドの毛皮のお包みという可愛らしさ満点の姿だ。真っ白な衣装に私譲りの黒髪と象牙色の肌が映えて、親の贔屓目を除いても天使のように愛らしい。

 獣車の中から現れた私達を、ロワさんは蕩けた目で迎えてくれた。

「寒くはないか。それにしても、ユミールはお前によく似ている……この優しげな目元に薔薇色の唇……」

 そう言いながら、ぐぐぐっとロワさんの眉が下がっていく。このままでは、息子を溺愛するデレデレパパになってしまうため、慌ててロワさんの腕を叩く。

「ユミールの氷色の瞳はロワさん似で、とても素敵です。私の一番好きな色です」

 格好いい父親像を思い出して欲しくてそう言うと、何故かロワさんはソワソワし始めた。

「そ、そうか。ユミールよ、母様の一番好きな色だそうだぞ!お・互・い・良かったな」

 耳殻をほんのり赤く染めたロワさんは、とてもとても可愛らしく見えて、お腹がモゾモゾする。

「好きです、旦那様。私とユミールを助けに来てくれてありがとうございます」

 高まった感情のまま、太い首筋にチュッとキスをした。途端にドドドという地鳴りのような振動を感じる。驚いてロワさんを見れば、褐色の肌は真っ赤に染まり、鼻の下にはたらりと血が……

「わっ、私も大好きだ!!」

 周りの空気までビリビリと振動するほどの大音声に、騎獣のライオスですらビクリと身を震わせた。遠巻きにしている騎士さん達は下を向いて肩を震わせている。一方、泣き出してしまうと思われたユミールは何故かキャッキャと笑っていた。

 私は呆気に取られつつも、さっとロワさんの鼻を手巾で覆う。これから凱旋する総督様が鼻血を出していては大問題だからだ。

「む、すまぬ。つい血が滾ってしまったようだ」

 髭を生やしたロワさんは、壮絶な色香を漂わせる流し目で私を見ると、にやりと笑った。鼻血を止血しながらでなかったら、私もクラリとやられていたかもしれない。

 そっ、そう言えば、ロワさんと別れて二ヶ月近く経っている。以前三日離れていた後の獣ぶりを思い出して、心底震えた。

 つい先日まで、また女性として見て欲しいなどと思っていた自分が浅はかだった。相手はロワさんなのだ!

 今襲われたら、さすがの私も死ぬ……

 しばらくは良き父親の役割を果たしていてもらおうと固く心に誓った。


 総督府を囲む城壁の大門を潜ると、今までにない大観衆が道の両側に大挙して押し寄せていた。

古の狂戦士マヌートラ、シバ!!」

予言の乙女ライナ、シバ!!」

 と相変わらずの大声援で迎えられる。今までと違うのは、涙ぐんでいる人が多いことだ。人々は、私の胸に抱かれているユミールを見ると、ワッと泣き出す。中には号泣しながら石畳に突っ伏す老人までいる。

「ロワさん、何故皆さんは泣いているのですか?」

 不思議に思ってそう問えば、

「私達に子供が産まれたことが嬉しいのだろう。ここ数十年、血の呪いが出るような戦士は子を残すことが出来ずにいたからな」

 という答えが帰ってきた。そう言えば、ノーグマタは混血が進む前は滅亡に瀕していたのだった。ユミールの存在は、果たしてノーグマタの希望となるのだろうかと考えながら笑顔で手を振っていると、野太い男の声で聞き慣れない歓声があがった。

世界を見下ろす者 ガイナ・バルックス!」

 それに続いて次々と若者を中心として歓声があがる。

「なんですか? ガイナ・バルックスとは」

 ロワさんを振り仰いで問いかけると、「お前の元に急ぎ来る途中、ナスラ山脈を越えて来たからだろう」となんて事ないように言ってのけた。

「こっ、越えた?ナスラ山脈をですか!?」

 私は驚きのあまり言葉を失った。あの誰も踏破したことのないと言われる、世界の屋根のナスラ山脈を!?最も高い山頂は、成層圏に届きそうな高さで、元の世界のエベレストを遥かに凌ぐと思われる。

 よくぞ無酸素で、ほとんど裸体に近い簡易な装備のまま踏破できたものだ。

 ロワさんって、人間……?

 ナスラ山脈を迂回するとマンドルガから前線まで最短でも一ヶ月はかかるのだ。それをたった二日とちょっとで戻ってきたロワさんはもはや異常だ。

 そんな超人の旦那様は、新しい紺碧のマントの他はいつも通り余分な装飾の無い出で立ちで、鋼鉄の肉体を堂々と晒している。意志の強さを感じさせる男らしいアゴには髭が整えられ、発達した大胸筋に目眩すら感じた。

 ロワさんが瀕死の私の元に駆けつけてくれた時、彼の衣服や装備は凄まじいほどに破れ、擦り切れていたそうだ。後になってミカさんに聞いたのだが、真力を発現させながら激走するロワさんに、服や装備品が耐えられなかったのだという。その証拠にロワさんは手のひら以外は傷一つ付いていない。その手のひらの傷の原因はなんとなく想像ができる。

 私の危機に、きっと自分を責めてしまったのだろう……

 優しいロワさんのことだから、私を優先させて戦場から駆けつけてきてしまったに違いない。総督の位にあるものが、戦線から離脱して良い訳がない。後で厳しい罰が科せられないだろうか。私は心配のあまりこっそりスワノフさんに尋ねたが、予想外の返答が返ってきて驚いた。

 なんと、ロワさん率いる五百騎のマンドルガ軍は、四十倍もの戦力差があるバンダル王国軍を壊滅させたという。さらに、ロワさんは単騎で敵陣に斬り込むと、主要な将軍をことごとく討ち取ったそうだ。スワノフさんは誇張なく淡々と事実だけ教えてくれたが、ロワさんの鬼神というべき働きは壮絶なものだった。その結果、帝国軍は犠牲なくバンダル王国に侵攻できたという。

「国王陛下より、総督は突撃遊撃隊の命をこの上なく遂行せしめたため、帰国を赦すと伝書に書かれていました。戦線を離れたことについては何のとがも無いようです」

 そう話すスワノフさんは隠していたが苦笑いをしていた。敵にしてみれば、鬼神と相対する恐ろしい目にあっただろう。

 スワノフさんとの会話を思い出して、私は少し身を震わせた。戦争を早く終わらせるため、そして私達の元に帰るため、ロワさんは多くの命を絶ってきたのだ。そんなロワさんが恐ろしくないと言えば嘘になる。

 でも、

 狂気に囚われず、帰ってきてくれてありがとう、ロワさん

 戦場では真っ赤に染まったであろう大きな腕にそっと頬を寄せると、夫の無事を祖先に感謝した。



 数日離れていただけなのに、何故か懐かしい城門をくぐれば、私達の家である城が見えてきた。

 主殿や西の館には火事の被害は無かったが、獣舎は全焼し、内殿の外壁が煤で汚れている。その光景を見たロワさんは喉の奥で低く唸り、アイスブルーの瞳を冷たく光らせた。

 以前私を殺そうとした犯人は東の地下牢に捕らえられ、今回の主犯たちも連行されたらしい。ロワさんやスワノフさんはこのことについて一切私に話さないので、推測でしかないが、厳しい罰を与えることになるだろう。いくら寛容な心を持とうとしても、ユミールを殺そうとした犯人を許せる自信がない。裁きはロワさんに一任してお願いすることにした。

「レン、一人で不安な思いをさせてすまなかった。これからは私がお前達を必ず守ると誓う」

 火事の痕を目の当たりにして強い思いに駆られたのか、ロワさんは私とユミールをギュッと抱きしめた。その逞しい腕からは、喪失への恐れが伝わってくる。

「ありがとうございます。私とユミールもあなたを護ります」

 ロワさん、一人にしたりしませんよ

 大丈夫、私達はここにいます

 そう祈りを込めて微笑むと、ロワさんは私に美しい笑みを返した。シャンパンゴールドの髪が冬の陽を受け、七色に輝きながら舞い踊る。

 その神話のような光景の中、ユミールの「へーぅ」という声が、幸せを更に愛しいものに変えたのだった。




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