腕まくり助産師〜異世界の母子は私が守る!その前に自分の身も守らせて!〜

ミラクリッド零式

文字の大きさ
103 / 131

番外編:戦士に後退の二文字はない

しおりを挟む
ロワさん視点とレン視点のお話になります。








「これで終いか」

 署名した書類をばさりと机上に放ると、すぐさま扉に向かう。

「……はい、これで結構でございます。しかし、国王陛下への返書がまだなのでは?」

「そんなもの、お前が代筆しておけ。あちらも陛下の直筆ではなかろう」

「はぁ、総督様がそう仰るならばそういたしますが――」

 まだぐちぐちと小言を洩らすスワノフを尻目に、私は執務室を飛び出した。書類仕事に思いの外時間を取られてしまった。もしや間に合わぬのではないかという焦りに内心汗をかく。

 近道をするか 

 外に続く階段の三階の踊り場から身を翻すと、裏庭にドンっと飛び降り、そのまま内殿に直行する。日陰で凍った地面がボコっと凹んだが、誰も気づかぬだろう。突然現れた私に、裏庭に放飼になっている冠鶏ポポがけたたましく鳴きながらバサバサと逃げていった。その鳴き声に驚いたポポ飼いの老人が小屋から出てきて驚きのあまり尻餅をつく。

 すまぬ

 申し訳程度に首を振ると、私は内殿に駆け込んだ。

 今は、少しの時も無駄にはできない。何故ならば、レンがユミールに乳をあげる時間だからだ!真っ白でまろやかな胸を晒して授乳するレンは、まさに聖女のように美しく慈愛に満ちている。そしてレンに似たユミールは、母譲りの優しげな表情で満足そうに乳を吸うのだ。あまりに幸せな光景は、二人の幸せな様子をずっと眺めていられるほど私を夢中にさせた。

 しかし欲を言えば、もう少しレンに近づきたい。白いうなじの匂いを嗅いで、黒髪を指に絡めたい。

 更に言えば、ユミールが許してくれるのならば、膨らんだ胸にそっと触れたい。レンが許してくれるのならば、熱き蜜壺に――

 いっ、いかん!!

 私は体に起きた緊急事態のため、レンの私室の手前のリネン室に横っ飛びに飛び込んだ。



 はぁ、はぁ、はぁ、今日は危なかった……

 汚れた手巾を皮袋に突っ込み、何食わぬ顔でレンの私室の扉をそっと叩く。小さな応えがあり中に入ると、スヤスヤと眠るユミールを抱いたレンがにこやかに待っていた。

「今寝たところなので」

 しーっと指を口の前で立て、小声で話すレンの笑顔は大変可愛らしいが、少し疲れて見えた。授乳はどうやら終わってしまったらしい……

 愛しい光景は見ることができなかったが、愛する妻を休ませることはできる。

「代ろう」

 そう言って、レンの抱くユミールに手を伸ばす。

「あっ、起きちゃいますから」

 少し焦ったレンに、大丈夫だと返してユミールを両・手・で・掴・む・。

「あわわわっ」

 レンがワタワタと手を振るが、任せておけとばかりに頷いておいた。

「お前は疲れている、少し休め。ユズルバ、奥方に休んでいただくのだ」

 そう命じ、隣の自室へ踵を返す。両手の上に乗せたユミールは眠りが深いのか、スヤスヤと眠ったままだ。片足で扉を閉めてようやく人心地つく。

 ふむ、よく寝ているな

 それならばと自分の寝台に寝かせようかと考える。

 いや、駄目だ。赤子は柔らかい寝台に寝かせてはいけないとレンが言っていたな。気道が塞がる恐れがなんとかと……よくわからんが、それなら寝椅子はどうか……駄目だ駄目だ、落ちるかもしれん。

 その時、廊下側にある扉がコトコトと叩かれた。

「なんだ」

 わたしの応えに扉が少し開いて、従僕のカミツと乳母のアズルが顔を出した。

「総督様、あの……」

 ボソボソとカミツが何か言いかけた時、両手に乗せたユミールがぐずり始めた。

「ふぇっ、えっ」

 いっ、いかん!

 このままではユミールが泣き、レンも休むどころではなくなってしまう!

「扉を閉めよ!」

 咄嗟に叫べば、ひぃっ!と悲鳴を上げて従僕と乳母が引っ込んだ。さて、邪魔者はいなくなったぞとユミールを見ると、私を見て目を大きく開いている。そしてしだいに涙が盛り上がり……

 どっどうしたのだ!

 なっ、泣くのか!?

 なぜだ!

 泣いてはならぬ! 

 いや、泣いても良いが、今は困る!

 そうか、母様が恋しいのか!

 そうかそうかと、今朝手に入れたレンの胸当てを隠しから取り出してユミールに嗅がせる。

「どうだ、母様の匂いだぞ。落ち着いたか、愛しき息子よ」

 泣くのは諦めて胸当てをしっかり握りしめてチャプチャプとしゃぶりはじめたユミールだったが、それだけでは満足しないのか、今度は「へー、へー」と言い出した。

 なっ、今度はなんだ、どうして寝ない!

 レンがユミールを寝かしつける時のことを思い出す。確か授乳しながら……

 駄目だ、私には乳が出せない

 それに、

 ちらりと己の胸を見るが、鋼のような胸筋はとてもではないが美味そうには見えない。

 レンは、いつもユミールを揺らしていたな……

 こうか、いや、ゆっくりこうだな……

 ユミールを両の手の平に乗せたまま、己の身体ごとゆっくり揺れる。しかし、ユミールは不安そうに手足をばたつかせている。

 どうすればいいのだ!

 思わずユミールを胸に抱えて込むと、彼は安心するのか動きが少し落ち着いてきた。

 むっ、動きを抑制されて抱え込まれた方がいいのか

 そういえば、子沢山の女はよく布で子供を巻いて抱いているではないか。突然閃いた妙案に我知らず笑みがもれた。

……………………

「……あふっ、あ、ユズルバさん。私だいぶ寝てしまいましたね」

「奥様、お休みになれましたでしょうか」

 んーっと伸びをすれば、休む前に感じていた頭重感が無くなっている。

「ええ、ほんの少しでも深く眠れましたので、頭が軽いです。それで、ユミールはどこに?」

 私が首を巡らしていると、ユズルバさんが言いにくそうに隣にあるロワさんの私室を見た。そういえば、ロワさんがユミールを見ていてくれると言っていた気がする。きっと乳母のアズルさんに預けてくれたのとばかりに思っていたのだが、違うのだろうか……

 胸騒ぎがして寝台から飛び降りると、ロワさんの私室をそっとひらいた。

 そこには……

 シーツをたすき掛けにした、半裸の大男がゆらゆらと揺れていた。胸辺りのシーツがこんもり盛り上がっているのは、そこにユミールがいるからだろう。

 そのロワさんの必死の表情ったら……

 ロワさんは、現れた私に心底ホッとしたような表情を見せた。シーツを引き剥がしたのか寝台は乱れ、寝椅子は何故かひっくり返り、総督のマントは窓際に放り投げられている。一見すると怪獣が暴れたように見えるが、私にはロワさんの努力がありありと理解できた。

 さらに、シャンパンゴールドの髪は乱れ、最近見慣れてきた髭はユミールのであろう涎で光っている。子守などしたことがないだろうに、ユミールを必死に泣かせまいと頑張ってくれたのだろう。

 見たこともない途方にくれた表情に、私は胸が一杯になった。

 ありがとう、ロワさん

 私は愛しい旦那様と息子を全力で抱きしめに飛び込んで行ったのだった。

…………………


 レンの部屋の灯りが消えて随分経つ。窓の外では北風が鎧戸を叩き、唸りをあげている。

 昨日は、初めてユミールを寝かしつけることができた。私にとっては一国を落とすことよりも困難だったが、何とかその役目を果たすことができ、心底ホッとした。その成功はレンをとても喜ばせ、彼女の更なる信頼を勝ち得たと確信する。

 今夜は褥を共にしても良いだろうか……

 褥と言っても、不埒な意味はない。壮絶な出産の体験はレンを未だに蝕んでいる。体の傷は癒えても心がまだ追いついていないのだ。このような寂しき風が吹く夜、レンが小さい声でうなされているのを知っている。愛しき妻が助けを求めている時に、呑気に隣室で寝ていられるわけがない。

 今までも、何度か共寝を提案したのだが「授乳で起こしてしまいますから」とやんわり断られてしまった。私の睡眠など気にすることはなかろうに……レンは時々頑固なくらい謙虚になる。

 もしや、共寝を断る本当の理由は、私との夜の営みが恐ろしくなったからではないだろうか……あれだけ凄まじき出産を経験すれば、再び妊娠することに恐怖を感じても仕方がない。

 私はレンが望むなら、避妊することもやぶさかではない。子を成すことは、妻の協力がなくてはならないからだ。それに、レンを再び危険に晒すことは私としても避けたい。

 悶々と考えながら、そっとレンの私室に身を滑り込ませる。ユミールは、レンの寝台の横に付けた専用の揺籠で眠っているはずだ。

 レン、参ったぞ。今夜は一人で泣かせはせぬ

 決意も固くレンの左手に回ると、小さな黒髪がレンにピッタリくっついていた。確かにレンの寝台は綿を詰め直しているため、ユミールを寝かせられる硬さになっている。

 なんと、ユミールは母様と寝ていたのか。今夜は冷えるからな、二人で寄り添っていた方が良いのだろう

 一人で納得すると、今度はレンの左手に回った。私がギリギリ潜り込めるくらいの間が空いている。さてと身を横たえようとするが、レンの左側の掛物が何か膨らんでいる。

 むっ?

 そっと掛物をめくると、ピカリと光る二つの目玉と目があった。柔らかなレンの体にぴたりと密着しているのは、レンの飼っている砂漠狸フマルだ。

 どけっ、と顎しゃくるが、愚かな砂漠狸フマルは動こうとしない。さらにあろうことか、寒いから掛物を戻せとばかりに布を引っ張った。

 ぬう、

 小賢しい獣め!

 獣などに嫉妬はしない……が、この私を差し置いてレンの横で眠るとはいい度胸だ。レンを温めているつもりだろうが、この私の方がその役割に適している。

 さあ、退くがよい!

 真力を滲ませながらギラリと睨め付けると、さすがの太々しい獣も怯えを滲ませクーンと小さく鳴いた。

 その鳴き声に気がついたのか、レンがパチリと目を開く。

「どうしたの、ぽん太……あれ?ロワさん、どうしました」

 ぼんやりとした様子で私を見上げるレンは大層可愛らしかったが、罪悪感を感じずにはいられない。

「起こしてしまってすまぬ。今夜は冷えるゆえ、心配になってな……」

「そうですか、私はユミールと一緒なので温かいです。もしロワさんが嫌でなければ、ぽん太をお貸しします。結構温かいですよ」

 ほらっとぽん太を私の方に押しやると、レンはにこりと笑った。

「……」

 結局私は太々しい獣をレンの隣に押し込むと「温かくして休め」と自室に戻って来てしまった。

 なんということだ、砂漠狸フマルごときに遅れをとるとは!

 しかし……

 諦めぬ、諦めぬぞ!

 ノーグマタの戦士に後退はあり得ぬ!

 出産後の夫婦の距離を縮めるため、私は厳しい闘いに身を投じたのだった。

しおりを挟む
感想 29

あなたにおすすめの小説

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜

紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。 連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

処理中です...