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番外編:戦士に後退の二文字はない
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ロワさん視点とレン視点のお話になります。
「これで終いか」
署名した書類をばさりと机上に放ると、すぐさま扉に向かう。
「……はい、これで結構でございます。しかし、国王陛下への返書がまだなのでは?」
「そんなもの、お前が代筆しておけ。あちらも陛下の直筆ではなかろう」
「はぁ、総督様がそう仰るならばそういたしますが――」
まだぐちぐちと小言を洩らすスワノフを尻目に、私は執務室を飛び出した。書類仕事に思いの外時間を取られてしまった。もしや間に合わぬのではないかという焦りに内心汗をかく。
近道をするか
外に続く階段の三階の踊り場から身を翻すと、裏庭にドンっと飛び降り、そのまま内殿に直行する。日陰で凍った地面がボコっと凹んだが、誰も気づかぬだろう。突然現れた私に、裏庭に放飼になっている冠鶏がけたたましく鳴きながらバサバサと逃げていった。その鳴き声に驚いたポポ飼いの老人が小屋から出てきて驚きのあまり尻餅をつく。
すまぬ
申し訳程度に首を振ると、私は内殿に駆け込んだ。
今は、少しの時も無駄にはできない。何故ならば、レンがユミールに乳をあげる時間だからだ!真っ白でまろやかな胸を晒して授乳するレンは、まさに聖女のように美しく慈愛に満ちている。そしてレンに似たユミールは、母譲りの優しげな表情で満足そうに乳を吸うのだ。あまりに幸せな光景は、二人の幸せな様子をずっと眺めていられるほど私を夢中にさせた。
しかし欲を言えば、もう少しレンに近づきたい。白いうなじの匂いを嗅いで、黒髪を指に絡めたい。
更に言えば、ユミールが許してくれるのならば、膨らんだ胸にそっと触れたい。レンが許してくれるのならば、熱き蜜壺に――
いっ、いかん!!
私は体に起きた緊急事態のため、レンの私室の手前のリネン室に横っ飛びに飛び込んだ。
はぁ、はぁ、はぁ、今日は危なかった……
汚れた手巾を皮袋に突っ込み、何食わぬ顔でレンの私室の扉をそっと叩く。小さな応えがあり中に入ると、スヤスヤと眠るユミールを抱いたレンがにこやかに待っていた。
「今寝たところなので」
しーっと指を口の前で立て、小声で話すレンの笑顔は大変可愛らしいが、少し疲れて見えた。授乳はどうやら終わってしまったらしい……
愛しい光景は見ることができなかったが、愛する妻を休ませることはできる。
「代ろう」
そう言って、レンの抱くユミールに手を伸ばす。
「あっ、起きちゃいますから」
少し焦ったレンに、大丈夫だと返してユミールを両・手・で・掴・む・。
「あわわわっ」
レンがワタワタと手を振るが、任せておけとばかりに頷いておいた。
「お前は疲れている、少し休め。ユズルバ、奥方に休んでいただくのだ」
そう命じ、隣の自室へ踵を返す。両手の上に乗せたユミールは眠りが深いのか、スヤスヤと眠ったままだ。片足で扉を閉めてようやく人心地つく。
ふむ、よく寝ているな
それならばと自分の寝台に寝かせようかと考える。
いや、駄目だ。赤子は柔らかい寝台に寝かせてはいけないとレンが言っていたな。気道が塞がる恐れがなんとかと……よくわからんが、それなら寝椅子はどうか……駄目だ駄目だ、落ちるかもしれん。
その時、廊下側にある扉がコトコトと叩かれた。
「なんだ」
わたしの応えに扉が少し開いて、従僕のカミツと乳母のアズルが顔を出した。
「総督様、あの……」
ボソボソとカミツが何か言いかけた時、両手に乗せたユミールがぐずり始めた。
「ふぇっ、えっ」
いっ、いかん!
このままではユミールが泣き、レンも休むどころではなくなってしまう!
「扉を閉めよ!」
咄嗟に叫べば、ひぃっ!と悲鳴を上げて従僕と乳母が引っ込んだ。さて、邪魔者はいなくなったぞとユミールを見ると、私を見て目を大きく開いている。そしてしだいに涙が盛り上がり……
どっどうしたのだ!
なっ、泣くのか!?
なぜだ!
泣いてはならぬ!
いや、泣いても良いが、今は困る!
そうか、母様が恋しいのか!
そうかそうかと、今朝手に入れたレンの胸当てを隠しから取り出してユミールに嗅がせる。
「どうだ、母様の匂いだぞ。落ち着いたか、愛しき息子よ」
泣くのは諦めて胸当てをしっかり握りしめてチャプチャプとしゃぶりはじめたユミールだったが、それだけでは満足しないのか、今度は「へー、へー」と言い出した。
なっ、今度はなんだ、どうして寝ない!
レンがユミールを寝かしつける時のことを思い出す。確か授乳しながら……
駄目だ、私には乳が出せない
それに、
ちらりと己の胸を見るが、鋼のような胸筋はとてもではないが美味そうには見えない。
レンは、いつもユミールを揺らしていたな……
こうか、いや、ゆっくりこうだな……
ユミールを両の手の平に乗せたまま、己の身体ごとゆっくり揺れる。しかし、ユミールは不安そうに手足をばたつかせている。
どうすればいいのだ!
思わずユミールを胸に抱えて込むと、彼は安心するのか動きが少し落ち着いてきた。
むっ、動きを抑制されて抱え込まれた方がいいのか
そういえば、子沢山の女はよく布で子供を巻いて抱いているではないか。突然閃いた妙案に我知らず笑みがもれた。
……………………
「……あふっ、あ、ユズルバさん。私だいぶ寝てしまいましたね」
「奥様、お休みになれましたでしょうか」
んーっと伸びをすれば、休む前に感じていた頭重感が無くなっている。
「ええ、ほんの少しでも深く眠れましたので、頭が軽いです。それで、ユミールはどこに?」
私が首を巡らしていると、ユズルバさんが言いにくそうに隣にあるロワさんの私室を見た。そういえば、ロワさんがユミールを見ていてくれると言っていた気がする。きっと乳母のアズルさんに預けてくれたのとばかりに思っていたのだが、違うのだろうか……
胸騒ぎがして寝台から飛び降りると、ロワさんの私室をそっとひらいた。
そこには……
シーツをたすき掛けにした、半裸の大男がゆらゆらと揺れていた。胸辺りのシーツがこんもり盛り上がっているのは、そこにユミールがいるからだろう。
そのロワさんの必死の表情ったら……
ロワさんは、現れた私に心底ホッとしたような表情を見せた。シーツを引き剥がしたのか寝台は乱れ、寝椅子は何故かひっくり返り、総督のマントは窓際に放り投げられている。一見すると怪獣が暴れたように見えるが、私にはロワさんの努力がありありと理解できた。
さらに、シャンパンゴールドの髪は乱れ、最近見慣れてきた髭はユミールのであろう涎で光っている。子守などしたことがないだろうに、ユミールを必死に泣かせまいと頑張ってくれたのだろう。
見たこともない途方にくれた表情に、私は胸が一杯になった。
ありがとう、ロワさん
私は愛しい旦那様と息子を全力で抱きしめに飛び込んで行ったのだった。
…………………
レンの部屋の灯りが消えて随分経つ。窓の外では北風が鎧戸を叩き、唸りをあげている。
昨日は、初めてユミールを寝かしつけることができた。私にとっては一国を落とすことよりも困難だったが、何とかその役目を果たすことができ、心底ホッとした。その成功はレンをとても喜ばせ、彼女の更なる信頼を勝ち得たと確信する。
今夜は褥を共にしても良いだろうか……
褥と言っても、不埒な意味はない。壮絶な出産の体験はレンを未だに蝕んでいる。体の傷は癒えても心がまだ追いついていないのだ。このような寂しき風が吹く夜、レンが小さい声でうなされているのを知っている。愛しき妻が助けを求めている時に、呑気に隣室で寝ていられるわけがない。
今までも、何度か共寝を提案したのだが「授乳で起こしてしまいますから」とやんわり断られてしまった。私の睡眠など気にすることはなかろうに……レンは時々頑固なくらい謙虚になる。
もしや、共寝を断る本当の理由は、私との夜の営みが恐ろしくなったからではないだろうか……あれだけ凄まじき出産を経験すれば、再び妊娠することに恐怖を感じても仕方がない。
私はレンが望むなら、避妊することもやぶさかではない。子を成すことは、妻の協力がなくてはならないからだ。それに、レンを再び危険に晒すことは私としても避けたい。
悶々と考えながら、そっとレンの私室に身を滑り込ませる。ユミールは、レンの寝台の横に付けた専用の揺籠で眠っているはずだ。
レン、参ったぞ。今夜は一人で泣かせはせぬ
決意も固くレンの左手に回ると、小さな黒髪がレンにピッタリくっついていた。確かにレンの寝台は綿を詰め直しているため、ユミールを寝かせられる硬さになっている。
なんと、ユミールは母様と寝ていたのか。今夜は冷えるからな、二人で寄り添っていた方が良いのだろう
一人で納得すると、今度はレンの左手に回った。私がギリギリ潜り込めるくらいの間が空いている。さてと身を横たえようとするが、レンの左側の掛物が何か膨らんでいる。
むっ?
そっと掛物をめくると、ピカリと光る二つの目玉と目があった。柔らかなレンの体にぴたりと密着しているのは、レンの飼っている砂漠狸フマルだ。
どけっ、と顎しゃくるが、愚かな砂漠狸は動こうとしない。さらにあろうことか、寒いから掛物を戻せとばかりに布を引っ張った。
ぬう、
小賢しい獣め!
獣などに嫉妬はしない……が、この私を差し置いてレンの横で眠るとはいい度胸だ。レンを温めているつもりだろうが、この私の方がその役割に適している。
さあ、退くがよい!
真力を滲ませながらギラリと睨め付けると、さすがの太々しい獣も怯えを滲ませクーンと小さく鳴いた。
その鳴き声に気がついたのか、レンがパチリと目を開く。
「どうしたの、ぽん太……あれ?ロワさん、どうしました」
ぼんやりとした様子で私を見上げるレンは大層可愛らしかったが、罪悪感を感じずにはいられない。
「起こしてしまってすまぬ。今夜は冷えるゆえ、心配になってな……」
「そうですか、私はユミールと一緒なので温かいです。もしロワさんが嫌でなければ、ぽん太をお貸しします。結構温かいですよ」
ほらっとぽん太を私の方に押しやると、レンはにこりと笑った。
「……」
結局私は太々しい獣をレンの隣に押し込むと「温かくして休め」と自室に戻って来てしまった。
なんということだ、砂漠狸ごときに遅れをとるとは!
しかし……
諦めぬ、諦めぬぞ!
ノーグマタの戦士に後退はあり得ぬ!
出産後の夫婦の距離を縮めるため、私は厳しい闘いに身を投じたのだった。
「これで終いか」
署名した書類をばさりと机上に放ると、すぐさま扉に向かう。
「……はい、これで結構でございます。しかし、国王陛下への返書がまだなのでは?」
「そんなもの、お前が代筆しておけ。あちらも陛下の直筆ではなかろう」
「はぁ、総督様がそう仰るならばそういたしますが――」
まだぐちぐちと小言を洩らすスワノフを尻目に、私は執務室を飛び出した。書類仕事に思いの外時間を取られてしまった。もしや間に合わぬのではないかという焦りに内心汗をかく。
近道をするか
外に続く階段の三階の踊り場から身を翻すと、裏庭にドンっと飛び降り、そのまま内殿に直行する。日陰で凍った地面がボコっと凹んだが、誰も気づかぬだろう。突然現れた私に、裏庭に放飼になっている冠鶏がけたたましく鳴きながらバサバサと逃げていった。その鳴き声に驚いたポポ飼いの老人が小屋から出てきて驚きのあまり尻餅をつく。
すまぬ
申し訳程度に首を振ると、私は内殿に駆け込んだ。
今は、少しの時も無駄にはできない。何故ならば、レンがユミールに乳をあげる時間だからだ!真っ白でまろやかな胸を晒して授乳するレンは、まさに聖女のように美しく慈愛に満ちている。そしてレンに似たユミールは、母譲りの優しげな表情で満足そうに乳を吸うのだ。あまりに幸せな光景は、二人の幸せな様子をずっと眺めていられるほど私を夢中にさせた。
しかし欲を言えば、もう少しレンに近づきたい。白いうなじの匂いを嗅いで、黒髪を指に絡めたい。
更に言えば、ユミールが許してくれるのならば、膨らんだ胸にそっと触れたい。レンが許してくれるのならば、熱き蜜壺に――
いっ、いかん!!
私は体に起きた緊急事態のため、レンの私室の手前のリネン室に横っ飛びに飛び込んだ。
はぁ、はぁ、はぁ、今日は危なかった……
汚れた手巾を皮袋に突っ込み、何食わぬ顔でレンの私室の扉をそっと叩く。小さな応えがあり中に入ると、スヤスヤと眠るユミールを抱いたレンがにこやかに待っていた。
「今寝たところなので」
しーっと指を口の前で立て、小声で話すレンの笑顔は大変可愛らしいが、少し疲れて見えた。授乳はどうやら終わってしまったらしい……
愛しい光景は見ることができなかったが、愛する妻を休ませることはできる。
「代ろう」
そう言って、レンの抱くユミールに手を伸ばす。
「あっ、起きちゃいますから」
少し焦ったレンに、大丈夫だと返してユミールを両・手・で・掴・む・。
「あわわわっ」
レンがワタワタと手を振るが、任せておけとばかりに頷いておいた。
「お前は疲れている、少し休め。ユズルバ、奥方に休んでいただくのだ」
そう命じ、隣の自室へ踵を返す。両手の上に乗せたユミールは眠りが深いのか、スヤスヤと眠ったままだ。片足で扉を閉めてようやく人心地つく。
ふむ、よく寝ているな
それならばと自分の寝台に寝かせようかと考える。
いや、駄目だ。赤子は柔らかい寝台に寝かせてはいけないとレンが言っていたな。気道が塞がる恐れがなんとかと……よくわからんが、それなら寝椅子はどうか……駄目だ駄目だ、落ちるかもしれん。
その時、廊下側にある扉がコトコトと叩かれた。
「なんだ」
わたしの応えに扉が少し開いて、従僕のカミツと乳母のアズルが顔を出した。
「総督様、あの……」
ボソボソとカミツが何か言いかけた時、両手に乗せたユミールがぐずり始めた。
「ふぇっ、えっ」
いっ、いかん!
このままではユミールが泣き、レンも休むどころではなくなってしまう!
「扉を閉めよ!」
咄嗟に叫べば、ひぃっ!と悲鳴を上げて従僕と乳母が引っ込んだ。さて、邪魔者はいなくなったぞとユミールを見ると、私を見て目を大きく開いている。そしてしだいに涙が盛り上がり……
どっどうしたのだ!
なっ、泣くのか!?
なぜだ!
泣いてはならぬ!
いや、泣いても良いが、今は困る!
そうか、母様が恋しいのか!
そうかそうかと、今朝手に入れたレンの胸当てを隠しから取り出してユミールに嗅がせる。
「どうだ、母様の匂いだぞ。落ち着いたか、愛しき息子よ」
泣くのは諦めて胸当てをしっかり握りしめてチャプチャプとしゃぶりはじめたユミールだったが、それだけでは満足しないのか、今度は「へー、へー」と言い出した。
なっ、今度はなんだ、どうして寝ない!
レンがユミールを寝かしつける時のことを思い出す。確か授乳しながら……
駄目だ、私には乳が出せない
それに、
ちらりと己の胸を見るが、鋼のような胸筋はとてもではないが美味そうには見えない。
レンは、いつもユミールを揺らしていたな……
こうか、いや、ゆっくりこうだな……
ユミールを両の手の平に乗せたまま、己の身体ごとゆっくり揺れる。しかし、ユミールは不安そうに手足をばたつかせている。
どうすればいいのだ!
思わずユミールを胸に抱えて込むと、彼は安心するのか動きが少し落ち着いてきた。
むっ、動きを抑制されて抱え込まれた方がいいのか
そういえば、子沢山の女はよく布で子供を巻いて抱いているではないか。突然閃いた妙案に我知らず笑みがもれた。
……………………
「……あふっ、あ、ユズルバさん。私だいぶ寝てしまいましたね」
「奥様、お休みになれましたでしょうか」
んーっと伸びをすれば、休む前に感じていた頭重感が無くなっている。
「ええ、ほんの少しでも深く眠れましたので、頭が軽いです。それで、ユミールはどこに?」
私が首を巡らしていると、ユズルバさんが言いにくそうに隣にあるロワさんの私室を見た。そういえば、ロワさんがユミールを見ていてくれると言っていた気がする。きっと乳母のアズルさんに預けてくれたのとばかりに思っていたのだが、違うのだろうか……
胸騒ぎがして寝台から飛び降りると、ロワさんの私室をそっとひらいた。
そこには……
シーツをたすき掛けにした、半裸の大男がゆらゆらと揺れていた。胸辺りのシーツがこんもり盛り上がっているのは、そこにユミールがいるからだろう。
そのロワさんの必死の表情ったら……
ロワさんは、現れた私に心底ホッとしたような表情を見せた。シーツを引き剥がしたのか寝台は乱れ、寝椅子は何故かひっくり返り、総督のマントは窓際に放り投げられている。一見すると怪獣が暴れたように見えるが、私にはロワさんの努力がありありと理解できた。
さらに、シャンパンゴールドの髪は乱れ、最近見慣れてきた髭はユミールのであろう涎で光っている。子守などしたことがないだろうに、ユミールを必死に泣かせまいと頑張ってくれたのだろう。
見たこともない途方にくれた表情に、私は胸が一杯になった。
ありがとう、ロワさん
私は愛しい旦那様と息子を全力で抱きしめに飛び込んで行ったのだった。
…………………
レンの部屋の灯りが消えて随分経つ。窓の外では北風が鎧戸を叩き、唸りをあげている。
昨日は、初めてユミールを寝かしつけることができた。私にとっては一国を落とすことよりも困難だったが、何とかその役目を果たすことができ、心底ホッとした。その成功はレンをとても喜ばせ、彼女の更なる信頼を勝ち得たと確信する。
今夜は褥を共にしても良いだろうか……
褥と言っても、不埒な意味はない。壮絶な出産の体験はレンを未だに蝕んでいる。体の傷は癒えても心がまだ追いついていないのだ。このような寂しき風が吹く夜、レンが小さい声でうなされているのを知っている。愛しき妻が助けを求めている時に、呑気に隣室で寝ていられるわけがない。
今までも、何度か共寝を提案したのだが「授乳で起こしてしまいますから」とやんわり断られてしまった。私の睡眠など気にすることはなかろうに……レンは時々頑固なくらい謙虚になる。
もしや、共寝を断る本当の理由は、私との夜の営みが恐ろしくなったからではないだろうか……あれだけ凄まじき出産を経験すれば、再び妊娠することに恐怖を感じても仕方がない。
私はレンが望むなら、避妊することもやぶさかではない。子を成すことは、妻の協力がなくてはならないからだ。それに、レンを再び危険に晒すことは私としても避けたい。
悶々と考えながら、そっとレンの私室に身を滑り込ませる。ユミールは、レンの寝台の横に付けた専用の揺籠で眠っているはずだ。
レン、参ったぞ。今夜は一人で泣かせはせぬ
決意も固くレンの左手に回ると、小さな黒髪がレンにピッタリくっついていた。確かにレンの寝台は綿を詰め直しているため、ユミールを寝かせられる硬さになっている。
なんと、ユミールは母様と寝ていたのか。今夜は冷えるからな、二人で寄り添っていた方が良いのだろう
一人で納得すると、今度はレンの左手に回った。私がギリギリ潜り込めるくらいの間が空いている。さてと身を横たえようとするが、レンの左側の掛物が何か膨らんでいる。
むっ?
そっと掛物をめくると、ピカリと光る二つの目玉と目があった。柔らかなレンの体にぴたりと密着しているのは、レンの飼っている砂漠狸フマルだ。
どけっ、と顎しゃくるが、愚かな砂漠狸は動こうとしない。さらにあろうことか、寒いから掛物を戻せとばかりに布を引っ張った。
ぬう、
小賢しい獣め!
獣などに嫉妬はしない……が、この私を差し置いてレンの横で眠るとはいい度胸だ。レンを温めているつもりだろうが、この私の方がその役割に適している。
さあ、退くがよい!
真力を滲ませながらギラリと睨め付けると、さすがの太々しい獣も怯えを滲ませクーンと小さく鳴いた。
その鳴き声に気がついたのか、レンがパチリと目を開く。
「どうしたの、ぽん太……あれ?ロワさん、どうしました」
ぼんやりとした様子で私を見上げるレンは大層可愛らしかったが、罪悪感を感じずにはいられない。
「起こしてしまってすまぬ。今夜は冷えるゆえ、心配になってな……」
「そうですか、私はユミールと一緒なので温かいです。もしロワさんが嫌でなければ、ぽん太をお貸しします。結構温かいですよ」
ほらっとぽん太を私の方に押しやると、レンはにこりと笑った。
「……」
結局私は太々しい獣をレンの隣に押し込むと「温かくして休め」と自室に戻って来てしまった。
なんということだ、砂漠狸ごときに遅れをとるとは!
しかし……
諦めぬ、諦めぬぞ!
ノーグマタの戦士に後退はあり得ぬ!
出産後の夫婦の距離を縮めるため、私は厳しい闘いに身を投じたのだった。
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