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あたたかな腕の中での誓い

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「ん……ぅ、」

 硬い地面に倒れたはずなのに、背中の後ろが柔らかい。汗だくだったはずなのに、べとついた肌の不快感は消えている。むしろ、洗濯された衣服の清潔感のある洗剤の匂いすら感じられた。

 快適さを感じてゆっくりと薄目を開けると、私は寝室のベッドに寝かされていた。

「目が覚めたか。おはよう」

 横を向くと、仕事でいないはずのウェンデがベッドの端に腰掛けて、私の顔を覗き込んでいた。

「熱は無いみたいだな、良かった」

 私の額に手を当てて、彼は安堵したように呟いた。大きな掌は傷跡やマメがあるので皮膚が硬く、獣の肉球のような感触だった。

 けれども。そこには確かな人肌の温もりが感じられた。

「あ、の……ウェンデ様、お仕事は?」

「ああ。お前が倒れたと連絡があってな。心配になって、そのまま半休で早上がりしてきた」

「そんな……ご迷惑おかけして、申し訳ございません」

「丁度有給が余ってたんだ。気にしなくて良い」

 そう言って、ウェンデは私を安心させるかのように笑った。その表情を見て、身体のこわばりが段々と解けていくのを感じた。

「ところで……さっきメイドから聞いたのだが」

 私の額から手を離して、少しだけ眉を顰めてウェンデは続ける。

「最近、食事の量を減らしてやたら運動していると聞いたが。それは本当か?」

「……っ」

「何でそんなことをする? 体型について、誰かに何か言われたのか?」

 その口調は、いじけた幼子に問いかける大人の話し方であった。彼にそこまで心配させているのは、他ならぬ自分だ。私は腹の中に、罪悪感がじわじわと込み上げてくるのを感じたのだった。

 もう、正直に白状しよう。そう思って、私は口を開いた。

「体調を十分に整えたかった、ただそれだけですわ」

「体調管理? どう見ても逆に無理して体調を崩してるだろう」

「……脂肪が付きすぎていると妊娠しづらいと聞きましたので。それを何とか避けたかったのです」

 そう言って、私はウェンデから顔を背けた。元を正せばそこまで太った自分の甘さが原因なので、言いながら己の不甲斐なさに泣きそうになっていた。

 しかし。彼の反応は意外なものであった。

「脂肪の付きすぎ? どこが?」

「え、え?」

 私の言葉に、彼は心底困惑しているようだった。そんな彼の姿を見て、私もやはり困惑する。

 筋肉の硬さの無い身体を、脂肪の塊という他に何だと言うのか。

「だって私、お腹も脚も全部柔らかい脂肪ばかりで……それを、肥満と言うのでしょう?」

「待て、ルイーセ。それは違う。昨夜言ったとおり、お前は痩せすぎだ。それは結婚してから今に至るまでずっとだ。これ以上体重が減ったら、もう皮と骨以外残らんぞ」

「で、でも……!! 姉上達は私より背が高いのに、もっと痩せてますし」

「体質は人それぞれなのだから、体型もまた然りだろう」

 やや呆れたように、ウェンデは言った。けれども、私はどうにも納得出来ないでいた。

 私はそんなに変なことを言ってるのだろうか。

 平素自分の裸体を見る機会はあっても彼以外の他人の身体を見る機会は無いので、痩せていると言われても釈然としない。

 その気持ちが顔に出ていたのか、ウェンデはため息をついた。

「兎に角。今日みたいに無理をして倒れられるのは敵わん。変な薬草スープだの散歩だのは暫く禁止。分かったか?」

「……」

「一度、医者に診てもらうと良い。客観的な意見を聞いたら、納得がいくかもしれないだろう?」

「……はい」

 正直、まだ腑に落ちていないのが本音だ。しかし、これ以上ウェンデに迷惑はかけたくなかったので、私は渋々頷いた。

「よし。じゃあ、今日は一日ゆっくり休んでくれ。私は隣の部屋にいるから、何かあれば呼んでくれ」

 そう言って、ウェンデは立とうとした。

 ……が、しかし。それより先に、私の手が伸びる方が早かったのである。

 無意識に、私はウェンデの服の裾をぎゅっと握りしめていたのだった。

「ルイーセ?」

「ウェンデ様。……もう少し、一緒に居てくださいませんか?」

 子供の頃。私は夜寝る前に寂しくなると、フィオネかマーリットの寝室に行ってよくベッドに潜り込んでいた。何故だか、その時に似た気分になってしまったのだ。
寝起きで頭が回っていないから、きっとこんなことを口走ったのだと思う。

「何だか物凄く、一人でいるのが嫌なんです」

 子供じみた我儘を聞いてウェンデは軽く目を見開いたが、すぐに頷いたのだった。

「分かった、じゃあこうしよう」

 そう言って彼はベッドに潜り込み、私を優しく抱きしめてくれたのだった。

 いつの間にか生活の一部になっていた彼の匂い。嗅ぎ慣れた匂いと温もりに包まれて、私は本能的に安心感を抱き始めていた。

 毛布に包まれたような感覚は、不意に襲ってきた寂しさを紛らわせてくれた。

「子供のことは、あまり気にしなくて良い」

「え?」

 私の背中を摩りながら、ウェンデは言った。

「まだ、結婚して一年も経ってないだろう。だから、焦る必要は無い。それにこれは、お前だけの責任じゃない。だから気にするな」

 それは、私を思いやる優しい言葉だった。

「……はい」

「それと……」

「?」

「着替えさせたり身体を拭くのは……全部メイドに任せた。変な心配をするな」

 少し気まずそうにウェンデは言った。要するに、寝ている間に合意無く良からぬことはしていないと言いたいのだろう。

 必死に弁明する姿が何だかおかしくて、私は笑ってしまったのだった。

「ふふふっ」

「……笑いすぎだ」

「そんな心配してませんわ。ウェンデ様のこと、信じてますもの」

 まだ何も役に立ってないのに、彼は私を大事にしてくれる。不思議ではあるけれども、嬉しくて仕方が無かった。

 逞しい腕の中で、私はそっとまぶたを閉じた。心が落ち着いたら急に眠気が襲ってきたのである。

「……ん」

「おやすみ、ルイーセ」

 ウェンデの前では、良き妻でいたい。改めて私は、そんな思いを抱き始めていた。

 彼に対するいやらしい感情は、全部隠し通そう。

 そう胸に誓ってから、私は眠りに落ちていった。
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