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蝶々を守る者達
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「おや、彼女は確か招待客の中にはいなかったはずだが。誰かの連れかな」
ホルストは不思議そうにアンネリーゼに目を向けた。私の動揺が彼女のせいだと瞬時に判断するあたり、彼はただの社交的な政治家ではないのである。
晩餐会など席数が限定される場合を除き、招待状をもらった招待客は家族や婚約者を連れてくることは可能だ。しかし事前相談無しとなれば、マナーとしては決して良くない。
しかし。そんなことは私にとってどうでも良いことであった。
「まだ婚約者の身分ではありますが……ご縁があって、国内外のデザイナーの手掛けたドレスを沢山着る機会に恵まれて、毎日楽しく過ごしてますわ」
「まあ、羨ましい限りですわ」
王太子妃に選ばれたから、素敵なドレスを沢山着てるの。羨ましいでしょう?
そうアンネリーゼがはっきり言っていたならば、どれ程気持ちは楽だっただろう。
ご縁があって。一見それはドレスを手掛けたデザイナーへの感謝にも聞こえる。しかしこの場にその感謝の相手であるデザイナーは居ない。それが何を意味するかは安易に想像できた。
聞いて、私こんなにも大切にされてるの。凄いでしょ?
感謝ではなく、悪者になりたくないが自慢したいから言い放った言葉。
悪人にはなりたくないが承認欲求は満たしたい。思慮深い女を装った浅ましい姿に、私は苛立ちを募らせ始めていた。
……顔も見たくない。嫉妬と苛立ちで狂ってしまいそうだわ。
扇子で口元を隠し、私はただ唇を噛み締めた。
そして私が席を外そうとした時、恐れていたことが起きたのだ。
「あら……誰かと思えば、エレナじゃない」
アンネリーゼは、私に声をかけてきたのである。
「そのドレス、どこかで見たと思ったのよ。久しぶりね」
「お、お久しぶりです。……アンネリーゼ様」
作り笑いを顔に貼り付けてから、私は再度振り向いて言った。
「あら、お二人共お知り合いですの?」
「ええ。知り合いも何も……かつて王太子妃の座を争った仲ですわ。そうでしょう?」
勝ち誇ったように笑いながら、勝者であるアンネリーゼは言った。敗者の私は、ただ頷くしか無い。
ベルベット製のつけぼくろが一粒、彼女の美しいデコルテに花を添えている。それは王族の婚約者であることを示す、女としての勲章であった。
嫉妬と怒りと恐怖を押さえ込み、私はアンネリーゼの望むままに受け答えを続ける。自分は腹話術の人形になったのだと言い聞かせながら。
しかし、アンネリーゼの口にした一言は私を地獄に突き落としたのだった。
「それにしても貴女……以前よりも大分太ったんじゃなくて?」
その言葉を聞いた途端、弾丸で胸を撃ち抜かれたような衝撃が走ったのである。
アンネリーゼの発言によりざわつく広間。気付けば、私達は皆の注目の的となっていた。しかし、私は何も応えを返すことが出来なかった。
「おっしゃる通り、この数ヶ月でかなり体重が増えたと思いますわ。最近は寝返りも打てなくて大変ですの。きっと、これからもっと増えていくでしょうね」
「……え?」
イルザはお腹を擦るような動作をしながら、こともなさげに言ってのけた。知らぬ間に彼女は、私の隣に歩み出ていたのだった。
否。私とアンネリーゼの間に、割って入ったと言った方が正しいのかもしれない。
「あ、貴女のことを言った訳ではありませんわ……」
「あら、そうでしたの。それは失礼しました。ところで、エレナ様」
「……っ」
突然名を呼ばれ、応えを返せなかった。そんな私に、イルザは優しく微笑みかけた。
「私、立ちっぱなしで少し疲れてしまって。良ければ、付き添いでご一緒して下さらない?」
「は、はい……私で良ければ」
「ドゴール様、よろしいですか?」
「ええ、構いません」
ドゴールといつの間にか起きたルーシアは、目を三角にしてアンネリーゼを睨みつけていた。二人がここまで怒りを露わにする姿を見るのは、初めてだった。
怒った顔……兄妹でそっくりだわ。
あまりの威圧感に後ずさると、ドゴールは表情はそのままに片手で私の背中をぽんぽんと叩いたのだった。
「ありがとうございます、じゃあ行きましょうか」
「待って、お義姉様」
歩き出そうとした私を呼び止めたのは、ルーシアだった。
「おやすみなさい」
彼女に歩み寄ると、いつも私がするようにルーシアは頬にキスしたのだった。そんな義妹の思いやりを受けて、私は泣きそうになっていた。
「アンネリーゼ嬢、申し訳無いが貴女はこの場に相応しくないようだ。お引き取り願えるかな? 良ければ出口まで案内しましょう」
「なっ……っ、心外だわ!! 貴方、何の権限があって、そんなことを仰ってるの!!」
「夜会の主催者として、参加者を取捨選択するのも仕事のうちですので」
「ふざけないで!!」
そんなやり取りを背中で聞きながら、イルザに連れられて私は会場を後にした。
私を一目見て、アンネリーゼは太っていると言った。それは悪意の有無に関わらず、忌憚のない意見とも言える。そしてようやく、私はあることに気付いたのだ。
よく考えれば、国のために戦った人間を笑うなんてありえない事だ。
皆ドゴールに対して陰口を叩いていたのではない。
太った醜い私を見て、笑っていたんだ。
ホルストは不思議そうにアンネリーゼに目を向けた。私の動揺が彼女のせいだと瞬時に判断するあたり、彼はただの社交的な政治家ではないのである。
晩餐会など席数が限定される場合を除き、招待状をもらった招待客は家族や婚約者を連れてくることは可能だ。しかし事前相談無しとなれば、マナーとしては決して良くない。
しかし。そんなことは私にとってどうでも良いことであった。
「まだ婚約者の身分ではありますが……ご縁があって、国内外のデザイナーの手掛けたドレスを沢山着る機会に恵まれて、毎日楽しく過ごしてますわ」
「まあ、羨ましい限りですわ」
王太子妃に選ばれたから、素敵なドレスを沢山着てるの。羨ましいでしょう?
そうアンネリーゼがはっきり言っていたならば、どれ程気持ちは楽だっただろう。
ご縁があって。一見それはドレスを手掛けたデザイナーへの感謝にも聞こえる。しかしこの場にその感謝の相手であるデザイナーは居ない。それが何を意味するかは安易に想像できた。
聞いて、私こんなにも大切にされてるの。凄いでしょ?
感謝ではなく、悪者になりたくないが自慢したいから言い放った言葉。
悪人にはなりたくないが承認欲求は満たしたい。思慮深い女を装った浅ましい姿に、私は苛立ちを募らせ始めていた。
……顔も見たくない。嫉妬と苛立ちで狂ってしまいそうだわ。
扇子で口元を隠し、私はただ唇を噛み締めた。
そして私が席を外そうとした時、恐れていたことが起きたのだ。
「あら……誰かと思えば、エレナじゃない」
アンネリーゼは、私に声をかけてきたのである。
「そのドレス、どこかで見たと思ったのよ。久しぶりね」
「お、お久しぶりです。……アンネリーゼ様」
作り笑いを顔に貼り付けてから、私は再度振り向いて言った。
「あら、お二人共お知り合いですの?」
「ええ。知り合いも何も……かつて王太子妃の座を争った仲ですわ。そうでしょう?」
勝ち誇ったように笑いながら、勝者であるアンネリーゼは言った。敗者の私は、ただ頷くしか無い。
ベルベット製のつけぼくろが一粒、彼女の美しいデコルテに花を添えている。それは王族の婚約者であることを示す、女としての勲章であった。
嫉妬と怒りと恐怖を押さえ込み、私はアンネリーゼの望むままに受け答えを続ける。自分は腹話術の人形になったのだと言い聞かせながら。
しかし、アンネリーゼの口にした一言は私を地獄に突き落としたのだった。
「それにしても貴女……以前よりも大分太ったんじゃなくて?」
その言葉を聞いた途端、弾丸で胸を撃ち抜かれたような衝撃が走ったのである。
アンネリーゼの発言によりざわつく広間。気付けば、私達は皆の注目の的となっていた。しかし、私は何も応えを返すことが出来なかった。
「おっしゃる通り、この数ヶ月でかなり体重が増えたと思いますわ。最近は寝返りも打てなくて大変ですの。きっと、これからもっと増えていくでしょうね」
「……え?」
イルザはお腹を擦るような動作をしながら、こともなさげに言ってのけた。知らぬ間に彼女は、私の隣に歩み出ていたのだった。
否。私とアンネリーゼの間に、割って入ったと言った方が正しいのかもしれない。
「あ、貴女のことを言った訳ではありませんわ……」
「あら、そうでしたの。それは失礼しました。ところで、エレナ様」
「……っ」
突然名を呼ばれ、応えを返せなかった。そんな私に、イルザは優しく微笑みかけた。
「私、立ちっぱなしで少し疲れてしまって。良ければ、付き添いでご一緒して下さらない?」
「は、はい……私で良ければ」
「ドゴール様、よろしいですか?」
「ええ、構いません」
ドゴールといつの間にか起きたルーシアは、目を三角にしてアンネリーゼを睨みつけていた。二人がここまで怒りを露わにする姿を見るのは、初めてだった。
怒った顔……兄妹でそっくりだわ。
あまりの威圧感に後ずさると、ドゴールは表情はそのままに片手で私の背中をぽんぽんと叩いたのだった。
「ありがとうございます、じゃあ行きましょうか」
「待って、お義姉様」
歩き出そうとした私を呼び止めたのは、ルーシアだった。
「おやすみなさい」
彼女に歩み寄ると、いつも私がするようにルーシアは頬にキスしたのだった。そんな義妹の思いやりを受けて、私は泣きそうになっていた。
「アンネリーゼ嬢、申し訳無いが貴女はこの場に相応しくないようだ。お引き取り願えるかな? 良ければ出口まで案内しましょう」
「なっ……っ、心外だわ!! 貴方、何の権限があって、そんなことを仰ってるの!!」
「夜会の主催者として、参加者を取捨選択するのも仕事のうちですので」
「ふざけないで!!」
そんなやり取りを背中で聞きながら、イルザに連れられて私は会場を後にした。
私を一目見て、アンネリーゼは太っていると言った。それは悪意の有無に関わらず、忌憚のない意見とも言える。そしてようやく、私はあることに気付いたのだ。
よく考えれば、国のために戦った人間を笑うなんてありえない事だ。
皆ドゴールに対して陰口を叩いていたのではない。
太った醜い私を見て、笑っていたんだ。
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