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後章
Side I 22
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眠ってしまった透さんの顔を覗き込むと確かに涙が伝っている。
もとから酷い泣き顔だったのだけど、最後のはなにか違ったのではないかと胸がざわめいた。
身体もひどい。
前にヒートのことを聞いたときに「あれは気持ちいいとか恥ずかしいとかそういうのじゃなくて苦しいとか痛いとかに近い」とげんなりした顔で言っていたのを思い出した。
床にこすりつけたり叩きつけたであろう擦り傷や打撲痕が生白い身体にきざまれている。
食事の面倒を熱心に見るようになったかいあって、心配になるほど細かった身体に最近は肉が少しついてきて「俺が育てました!」と内心喜んでいたものだが、ここのところ碌になにも食べずに奮闘していたのだろう、また一回り小さくなっていた。
正直めちゃくちゃ気持ちよかったのだが、射精した途端一気に正気が戻ってくる。
どうしてこんなことに、という困惑。
けれどとりあえず身体をきれいにしてあげなければと思い、濡れタオルで全身を清めながら取り返しがつかないような酷いけがをしていないか念入りにチェックした。
後ろも、裂けてなくてよかった。
ほとんど理性なんか残ってなかったから、あれでけがをさせていたら今度こそどう慰められても立ち直れなかっただろう。
改めてヒートのすごさを感じた。
およそ受け入れられるようなものでもないだろうに、熱く柔らかく、それが当然のように受け入れられる。
一通りきれいにして、備え付けの戸棚を探るとパジャマのような服が入っていたのでとりあえずそれを着せる。
新しいシーツも用意されていたので取り替えた。
自分も手早くシャワーを浴びて最低限身なりを整えると、保護施設の職員に診察を頼むためにドアを開けた。
…開けてから、一度振り返って、透さんの傍に戻る。
疲労の色が濃く、くまが目立つきれいな顔。
ヒートのあなたはかわいいけれど、でもなんか、やっぱり、穏やかに笑って過ごしてくれるといいなと、先日一緒にご飯を食べた日を思い出しながら思う。
時刻を見るとすっかり夜だ。
目が覚めて許可が下りたら俺がお風呂に入れてあげたいと思いながら頭を撫でてそれから改めて部屋を出た。
番になるべきものがそうならずに一緒にいるとごくまれに起こる熱暴走のようなものだと医者から説明を受けた。
物理的に傍にいるのに落ち着くべきところに落ち着かせないことでホルモンバランスが狂うのだそうだ。
磁石のS極とN極を近づけたら引き合ってがちりとくっつくものだが、それをむりやり近距離で離して固定していたら不安定で仕方がないだろうと言われて妙に納得した。
もともと薬の量が多かったせいで耐性ができてしまったのではないかという話で、運び込まれてすぐ投与された薬の効きも悪く、かといって麻酔で眠らせても性欲の暴走は収まらずに苦しむだけなのでどうしたものかと考えあぐねていた矢先に俺から電話がかかってきたそうだ。
どんな薬よりもパートナーのαの存在が一番効く。
αやΩは全体数が少ないだけあって研究途上だ。
余計な薬を投与し続けて無理に抑えるよりはパートナーに処置を任せるほうがいいというのが現在の社会的な方針らしい。
そんなことを言われながらαもΩも不思議な生き物だなと他人事みたいに思った。
「今日はもう遅いし、あの様子だとしばらく目が覚めない。
うちはΩの保護施設で、
長くαをとどめるとほかのΩに影響してしまう危険性があるから
きみは一度家に帰って、明日また来たらいい。
稀なケースだからどうせ検査入院でしばらくはこちらで様子を見るし、
彼が普段しているような薬の過剰な投与もしないから」
「でも…」
「さっきも言った通り近くにいすぎるとよくないんだ。
検査が終わったら改めて番として契約するか
このまま距離を取るかふたりで話し合いなさい。
今のままの生活をしていたらふたりとも壊れてしまうよ。
話した感じきみは彼を大事に思っているのだろう?
ならきっと彼の問題だ。落ち着くまで少し待ってやりなさい」
そう言われては返しようもない。
症状は水曜の夜から出たと言われて、この間会ったときだとすぐに合点がいき、
ならば今回の暴走は俺のせいでもあるのかと背筋が冷たくなった。
駅でそう告げられてはいたが、こんなに深刻だとは思ってなかった、と事態の重さに愕然とする。
透さんからはよくお前は顔によく出るなと笑われる。
俺の不安や動揺が顔に出ていたのだろう、医者はふっと笑ってΩは過酷な特性上考えすぎて気難しくなっている子も多いけどね、と続けた。
「でもあの子はパートナーのαの名前を聞かれたときに
朦朧としながらもすぐにきみの名前を呼んだし、
きみはきみで彼の異変にすぐ気づいて飛んできた。
大丈夫だよ。きちんと話し合いなさい」
そんなことを優しい声で言われて不覚にも泣きそうになった。
真っ暗になった帰り道、ここまでどう来たかまったく覚えてなくて地図アプリで最寄り駅までの暗い道を独りでたどりながら、結局泣いてしまった。
もとから酷い泣き顔だったのだけど、最後のはなにか違ったのではないかと胸がざわめいた。
身体もひどい。
前にヒートのことを聞いたときに「あれは気持ちいいとか恥ずかしいとかそういうのじゃなくて苦しいとか痛いとかに近い」とげんなりした顔で言っていたのを思い出した。
床にこすりつけたり叩きつけたであろう擦り傷や打撲痕が生白い身体にきざまれている。
食事の面倒を熱心に見るようになったかいあって、心配になるほど細かった身体に最近は肉が少しついてきて「俺が育てました!」と内心喜んでいたものだが、ここのところ碌になにも食べずに奮闘していたのだろう、また一回り小さくなっていた。
正直めちゃくちゃ気持ちよかったのだが、射精した途端一気に正気が戻ってくる。
どうしてこんなことに、という困惑。
けれどとりあえず身体をきれいにしてあげなければと思い、濡れタオルで全身を清めながら取り返しがつかないような酷いけがをしていないか念入りにチェックした。
後ろも、裂けてなくてよかった。
ほとんど理性なんか残ってなかったから、あれでけがをさせていたら今度こそどう慰められても立ち直れなかっただろう。
改めてヒートのすごさを感じた。
およそ受け入れられるようなものでもないだろうに、熱く柔らかく、それが当然のように受け入れられる。
一通りきれいにして、備え付けの戸棚を探るとパジャマのような服が入っていたのでとりあえずそれを着せる。
新しいシーツも用意されていたので取り替えた。
自分も手早くシャワーを浴びて最低限身なりを整えると、保護施設の職員に診察を頼むためにドアを開けた。
…開けてから、一度振り返って、透さんの傍に戻る。
疲労の色が濃く、くまが目立つきれいな顔。
ヒートのあなたはかわいいけれど、でもなんか、やっぱり、穏やかに笑って過ごしてくれるといいなと、先日一緒にご飯を食べた日を思い出しながら思う。
時刻を見るとすっかり夜だ。
目が覚めて許可が下りたら俺がお風呂に入れてあげたいと思いながら頭を撫でてそれから改めて部屋を出た。
番になるべきものがそうならずに一緒にいるとごくまれに起こる熱暴走のようなものだと医者から説明を受けた。
物理的に傍にいるのに落ち着くべきところに落ち着かせないことでホルモンバランスが狂うのだそうだ。
磁石のS極とN極を近づけたら引き合ってがちりとくっつくものだが、それをむりやり近距離で離して固定していたら不安定で仕方がないだろうと言われて妙に納得した。
もともと薬の量が多かったせいで耐性ができてしまったのではないかという話で、運び込まれてすぐ投与された薬の効きも悪く、かといって麻酔で眠らせても性欲の暴走は収まらずに苦しむだけなのでどうしたものかと考えあぐねていた矢先に俺から電話がかかってきたそうだ。
どんな薬よりもパートナーのαの存在が一番効く。
αやΩは全体数が少ないだけあって研究途上だ。
余計な薬を投与し続けて無理に抑えるよりはパートナーに処置を任せるほうがいいというのが現在の社会的な方針らしい。
そんなことを言われながらαもΩも不思議な生き物だなと他人事みたいに思った。
「今日はもう遅いし、あの様子だとしばらく目が覚めない。
うちはΩの保護施設で、
長くαをとどめるとほかのΩに影響してしまう危険性があるから
きみは一度家に帰って、明日また来たらいい。
稀なケースだからどうせ検査入院でしばらくはこちらで様子を見るし、
彼が普段しているような薬の過剰な投与もしないから」
「でも…」
「さっきも言った通り近くにいすぎるとよくないんだ。
検査が終わったら改めて番として契約するか
このまま距離を取るかふたりで話し合いなさい。
今のままの生活をしていたらふたりとも壊れてしまうよ。
話した感じきみは彼を大事に思っているのだろう?
ならきっと彼の問題だ。落ち着くまで少し待ってやりなさい」
そう言われては返しようもない。
症状は水曜の夜から出たと言われて、この間会ったときだとすぐに合点がいき、
ならば今回の暴走は俺のせいでもあるのかと背筋が冷たくなった。
駅でそう告げられてはいたが、こんなに深刻だとは思ってなかった、と事態の重さに愕然とする。
透さんからはよくお前は顔によく出るなと笑われる。
俺の不安や動揺が顔に出ていたのだろう、医者はふっと笑ってΩは過酷な特性上考えすぎて気難しくなっている子も多いけどね、と続けた。
「でもあの子はパートナーのαの名前を聞かれたときに
朦朧としながらもすぐにきみの名前を呼んだし、
きみはきみで彼の異変にすぐ気づいて飛んできた。
大丈夫だよ。きちんと話し合いなさい」
そんなことを優しい声で言われて不覚にも泣きそうになった。
真っ暗になった帰り道、ここまでどう来たかまったく覚えてなくて地図アプリで最寄り駅までの暗い道を独りでたどりながら、結局泣いてしまった。
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